第44話:天才たちの不協和音
俺が提示した課題――『一週間以内に、飛行機械を完成させろ』――は、5人の天才たちの心に、見事に火をつけた。
その日の午後から、彼らはアカデミーの広大な工房の一つを占拠し、早速、設計図の改良に取り掛かり始めた。
俺は、講師としてのアドバイスは一切せず、少し離れた場所から、彼らの様子を黙って観察することにした。
俺が教えたいのは、飛行理論だけではない。
バラバラな個性を持つ天才たちが、一つの目標に向かって協力することの難しさ、そして、その先にある、本当の『創造』の喜びだった。
だが、案の定、プロジェクトは開始早々、暗礁に乗り上げた。
原因は、リーダーシップを取ろうとしたカイエンと、他のメンバーとの、致命的なまでの協調性のなさだった。
「いいか、お前ら! まずは、動力源だ! 俺の炎魔法を、爆発的な推進力に変換する『魔導エンジン』を設計する! リズ、お前は、そのエンジンに耐えられる、軽量かつ頑丈な合金を今すぐ作れ!」
カイエンは、持ち前の才能と自信からか、一方的に指示を飛ばし始めた。
だが、そんな彼のやり方に、他の天才たちが素直に従うはずもなかった。
「はあ? なんでアンタの命令を聞かなきゃいけないのよ」
錬金術師のリズが、頬を膨らませて反論する。
「そもそも、爆発で推進するなんて、設計思想が古いのよ! 時代は、反重力! 私の『浮遊石』の錬成理論を使えば、もっと静かで、エレガントに空を飛べるわ!」
「反重力だと? そんな非効率なもの、実用化まで何年かかると思ってるんだ!」
「アンタの脳筋エンジンより、ずっとマシよ!」
カイエンとリズが、設計図を睨みつけながら、火花を散らす。
その横では、獣人のガルムが、大きな欠伸をしながら、つまらなそうに言った。
「……そんな、ちまちましたこと、やってられるか。俺の背中に、直接、翼でもくっつけた方が、早えんじゃねえのか?」
「筋肉バカは黙っててくれるかしら!」
リズが、ガルムを一喝する。
エルフのシルフィは、誰と話すでもなく、工房の隅で古代文献を広げ、一人で何かをぶつぶつと呟いている。
「……古代エルフの『風の帆船』の理論を応用すれば……風の精霊の力を借りて、揚力を……でも、契約の儀式が……」
天井のファントムは、相変わらず梁の上から、その様子を楽しそうに眺めているだけだ。
「いやー、見事にバラバラだな。こりゃ、一週間どころか、一年経っても完成しねえんじゃねえの?」
見事なまでの、不協和音。
それぞれが、自分の専門分野における絶対的な自信を持っているが故に、他者の意見を受け入れ、協力するという、最も基本的なことができないのだ。
彼らは、これまでずっと、一人で問題を解決してきた。チームで何かを成し遂げた経験が、絶望的に欠けている。
(……まあ、こうなることは、分かっていたが)
俺は、ため息をつきながらも、まだ介入する時ではないと判断した。
彼らが、自分たちの過ちに、自分たち自身で気づかなければ、意味がない。
議論は、数時間にわたって平行線を辿り、やがて、メンバーたちは、それぞれが勝手な行動を取り始めた。
カイエンは、一人で魔導エンジンの設計に没頭し、リズは、錬金釜で浮遊石の錬成実験を始める。ガルムは、巨大な鉄の塊を、素手で無理やり翼の形に捻じ曲げようとしていた。
初日の作業は、何の進展もないまま、日没と共に解散となった。
工房には、使いかけの材料と、険悪な空気だけが、取り残されていた。
翌日も、状況は変わらなかった。
彼らの間には、もはや会話すらない。それぞれが、自分の信じる「正解」に向かって、孤独な作業を続けているだけだ。
カイエンのエンジンは、試作品が完成したものの、制御できずに暴走し、工房の壁を一つ、吹き飛ばした。
リズの浮遊石は、一瞬だけ浮き上がったものの、すぐに魔力が尽きて、床に落ちて割れてしまった。
ガルムの作った鉄の翼は、重すぎて、そもそも持ち上げることすらできなかった。
失敗、失敗、失敗。
天才たちのプライドは、日に日に削られていく。
そして、プロジェクト開始から、三日目の夕暮れ。
ついに、カイエンの堪忍袋の緒が切れた。
「……もう、やめだ! こんな馬鹿げた課題、やってられるか!」
彼は、設計図をビリビリに引き裂くと、工房から出ていこうとした。
「てめえらみてえな、協調性のない連中と、何かを作ろうとした、俺が馬鹿だった!」
その言葉に、それまで黙っていた、エルフのシルフィが、静かに顔を上げた。
彼女は、初めて、カイエンの目をまっすぐに見つめて、か細い、しかし凛とした声で、言った。
「……違う」
「……なんだと?」
「……間違っているのは、あなたよ、カイエン・マグナ。あなたは、私たちの意見を聞こうともせず、自分の考えだけを押し付けた。それは、『協力』じゃない。『支配』よ」
シルフィの、的確な指摘。
それに、リズも、ガルムも、そして天井のファントムまでもが、同意するように頷いていた。
カイエンは、ぐっと言葉に詰まる。彼は、初めて、自分が一人で空回りしていたことに、気づかされたのだ。
「……じゃあ、どうしろって言うんだ……!」
カイエンが、絞り出すように言う。
その時だった。
俺は、ずっと待っていたこの瞬間を逃さず、彼らの中に、初めて足を踏み入れた。
「―――ようやく、話を聞く気になったか、天才諸君」
俺は、工房のテーブルの上に、一つのものを、ドン、と置いた。
それは、俺が昨夜のうちに、スキルで作っておいた、ある『料理』だった。
熱々の、大きな、一枚の『ピザ』だった。
8等分に、綺麗に切り分けられた、焼きたてのピザだ。
学生たちは、突然のピザの登場に、呆気にとられている。
俺は、そんな彼らに、にやりと笑いかけた。
「腹が減っては、戦はできん、だろ? まずは、これを食え。話は、それからだ」
俺の、あまりにも予想外な、そして場違いな行動。
だが、この一枚のピザこそが、彼らの心を一つにするための、最初の『魔法』となることを、俺は知っていた。




