第41話:アカデミーからの招待状
恵みの大地から帰還し、日常を取り戻してから数週間。
俺の『異世界商店』は、相変わらずの盛況ぶりだったが、一つだけ、以前と変わったことがあった。
それは、店の前に、時折、見慣れないタイプの客が立つようになったことだ。
彼らは、高価そうなローブを身にまとい、分厚い本を小脇に抱え、知的な雰囲気を漂わせている。そして、商品を買うでもなく、セイレーンたちの歌を聴くでもなく、ただじっと、店の様子や、客たちの反応を、分析するように観察しているのだ。
「……アルス。また来てるわよ、『学者さん』たち」
店のカウンターで帳簿をつけていたルナが、顎で店の外を示しながら、低い声で言った。
俺も、ガラス張りの窓から、その集団に視線を送る。
「ああ。ここ数日、毎日来てるな。一体、何が目的なんだか」
そんな、奇妙な日常が続いていたある日。
その『学者さん』たちの中から、一人の、ひときわ背の高い、銀縁の眼鏡をかけた初老の男性が、ついに店の扉を開けて、中へと入ってきた。
彼は、一直線に俺の元へとやってくると、恭しく、しかしどこか値踏みするような目で、俺に一枚の封筒を差し出した。
「あなたが、この店の主、アルス殿ですな?」
「そうだ。俺がアルスだけど、何か?」
「私は、王都魔法アカデミーにて、魔導工学科の学科長を務めております、グランフェルと申します。こちらを、お受け取りいただきたい」
王都魔法アカデミー。
それは、この国で、いや、大陸全土で、最も権威のある最高学府だ。王侯貴族や、天才と謳われる者しか、その門をくぐることは許されない。
そんな場所の学科長が、なぜ俺に?
俺は、困惑しながらも封筒を受け取った。
その封筒にもまた、王家の紋章に並ぶほどの権威を持つ、アカデミーの校章が、誇らしげに刻印されていた。
中身を読んで、俺は、二度目の「はあ?」を経験することになった。
それは、アカデミーからの、正式な『招待状』。
内容は、こうだった。
『商人アルス殿を、王都魔法アカデミーの、臨時講師として招聘したく、ここに招待いたします』
「……臨時、講師?」
俺が、意味も分からず呟くと、グランフェルと名乗る老教授は、満足げに頷いた。
「いかにも。アルス殿、我々は、あなたのその類稀なる商才と、あなたがこの世界にもたらした、未知の『技術』に、多大なる興味を抱いております」
彼の話によると、アカデミーの学者たちは、俺が開発(本当は取り寄せただけだが)した、ライター、カップラーメン、さらには嘆きの荒野を再生させた農業技術に至るまで、その全てを密かに研究していたらしい。
そして、彼らは一つの結論に達した。
俺の技術は、既存の魔法理論では、到底説明がつかない、全く新しい体系に基づいている、と。
「我々は、あなたのその知識を、ぜひとも、アカデミーの学生たちに教授していただきたいのです。あなたがもたらした技術……我々が『科学』と仮に呼んでいるその力は、停滞していたこの世界の魔法文明を、次のステージへと進化させる、起爆剤となり得ると、我々は確信しております」
彼の目は、狂信的とすら言えるほどの、探究心と情熱に燃えていた。
とんでもない話だった。
俺が、あのアカデミーの、講師? 俺の知識は、全て地球からの借り物だというのに。
もし、俺が体系的な学問を修めていないことがバレれば、とんだ赤っ恥をかくことになる。
「……申し訳ありませんが、グランフェル教授。俺は、ただの商人です。人に何かを教えるなど、柄ではありません。そのお話は、お断りさせていただきます」
俺が丁重に断ると、グランフェル教授は、少しも動じずに、にやりと笑った。
「……そうですかな? たとえ、あなたを追放した、かつての仲間……『暁の剣』のリーダーであった、アレクサンダー・フォン・ヴァレンシュタインが、現在、アカデミーの『地下牢』に幽閉されていると、お伝えしてもですかな?」
「……!」
俺は、彼の言葉に、息を呑んだ。
アレクサンダーが、アカデミーの地下牢に? なぜだ?
彼は、衛兵に連行され、国の牢獄に投獄されたはずではなかったのか?
グランフェル教授は、俺の動揺を見透かしたように、言葉を続けた。
「彼は、確かに強盗の罪人です。ですが、同時に、百年に一度の逸材と謳われた『聖剣』の元使い手でもあった。彼のその類稀なる魔力と、聖剣との適合性について、我々は、研究対象として、非常に興味を持っておりましてな。王家にご進言し、彼の身柄を、アカデミーで預からせていただいているのです」
その言い方は、まるで、アレクサンダーを人間ではなく、実験動物か何かのように扱っている口ぶりだった。
俺の脳裏に、王都で見た、彼の虚ろな目がよぎる。
「……面白いでしょうな。かつて、英雄と讃えられた勇者が、今や研究対象として、モルモットのような扱いを受けている。そして、彼が『無能』と罵って追放した荷物持ちが、今度は、彼が学ぶはずだった学び舎の『講師』として、教鞭を執る。これほどの『復讐劇』も、そうそうありますまい」
この老教授、全てを知った上で、俺を揺さぶりに来ている。
彼は、俺がこの提案を、絶対に断れないことを、分かっているのだ。
俺の過去への、甘美な復讐心。そして、アレクサンダーの現状への、わずかな同情と、好奇心。
その両方を、巧みに突きつけてきている。
俺は、しばらくの間、黙って考え込んだ。
アカデミーの講師になる。それは、とてつもないリスクを伴う。
だが、同時に、計り知れないメリットも、そこにはあった。
アカデミーの持つ、膨大な知識と、研究施設。それを、俺が自由に使えるようになれば……。
俺がやろうとしている、『製薬事業』や、『音楽産業』の発展に、大きく貢献するかもしれない。
そして何より……。
落ちぶれたアレクサンダーの、その成れの果てを、この目で見てみたいという、黒い欲望が、俺の心の中で、鎌首をもたげていた。
「……分かりました、グランフェル教授」
俺は、覚悟を決めて、顔を上げた。
「そのお話、お受けします。アカデミーの、臨時講師、やらせていただきましょう」
俺の返事に、グランフェル教授は、心の底から満足したように、深く、そして不気味な笑みを浮かべた。
商人アルスの、次なる舞台は、最高学府『王都魔法アカデミー』。
そこは、天才と奇人たちが集う、欲望と知略の魔窟。
俺の『異世界の知識』は、果たして、この世界の最高知性に、通用するのだろうか。
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