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第4話:商才と初めての顧客

「か、科学……?」


老婆は聞き慣れない言葉に首を傾げながら、恐る恐るプラスチック製のライターを手に取った。その小ささと軽さに驚いているようだ。


「そう、科学だ。まあ、細かいことはいい。ばあちゃん、このギザギザした部分を、親指で向こう側に押しながら回してみてくれ」


俺は身振り手振りを交えて使い方を教える。老婆は言われた通り、震える指でホイールを回した。


カチッ、という小気味よい音と共に、シュボッと小さな炎が灯る。


「ひゃっ!?」


老婆は驚きのあまりライターを取り落としそうになったが、なんとか踏みとどまった。その目は、かつてないほど大きく見開かれている。


「な、なんじゃこりゃ……! 本当に火がついた……! 呪文も、魔法陣もなしにかい!?」


「ああ。何度でも、この中の液体がなくなるまで使える。それに、火を消すのも簡単だ。指を離すだけでいい」


俺が言うと、老婆はおそるおそる親指をボタンから離す。すると、炎はふっと掻き消えた。


老婆は信じられないといった様子で、何度もつけたり消したりを繰り返している。その様子を見て、周りに集まっていた野次馬たちからも、どよめきが起こった。


「おい、見たか? あのガキ、本当に指先一つで火をつけやがったぞ」


「魔法じゃないのか? 魔道具だとしたら、とんでもない値段になるぞ……」


「いや、あいつは魔力を込めているようには見えなかったが……」


人々の注目が集まってくるのを感じ、俺は内心でガッツポーズをした。作戦は成功だ。


老婆はすっかりライターの虜になったようで、名残惜しそうにそれを俺に返してきた。


「兄ちゃん、これ……一体いくらなんだい?」


いよいよ、値付けの時だ。


この世界の物価を考える。火打ち石一式が銅貨5枚程度。一度火を起こせば、それを種火にして一日中使うのが一般的だ。このライターは、その手間を完全に省略できる革命的なアイテム。大銀貨1枚(銅貨100枚)でも売れるかもしれない。


だが、最初の客だ。ここで欲をかいてはいけない。俺が目指すのは一発屋ではなく、継続的な商売なのだから。口コミで評判を広げてもらうためにも、ここはインパクトのある価格設定が必要だ。


俺は人差し指を一本立てて、にっこりと笑った。


「ばあちゃんが最初の客だから、特別サービスだ。銀貨1枚でどうだい?」


「ぎ、銀貨1枚(銅貨10枚)!?」


老婆だけでなく、周りの野次馬たちも驚きの声を上げた。


彼らにとって、魔道具とは金貨が飛び交うような代物だ。それが、たった銀貨1枚。パンが10個買える程度の値段で手に入るというのだから、驚くのも無理はない。


「ほ、本当かい!? こんなすごいものが、たった銀貨1枚で……!」


「ああ。ただし、お一人様一つまでだ。見ての通り、数に限りがあるからな」


俺がそう言うと、老婆は慌てて懐から古びたがま口を取り出し、しわくちゃの手で銀貨を一枚取り出した。


「買った! これを私に売っておくれ!」


「まいどあり!」


俺は笑顔で銀貨を受け取り、新しいライターを老婆に渡した。老婆は宝物のようにそれを両手で大事そうに抱え、何度も頭を下げながら人混みの中へ消えていった。


その取引が、狼煙だった。


一人が買うと、堰を切ったように周りの人々が殺到してきた。


「俺にも一つくれ! 銀貨1枚だな!」


「私も買うわ! これで毎朝の火起こしが楽になるわ!」


「冒険者だ! ダンジョン内で火種を確保するのは死活問題なんだ! 頼む、売ってくれ!」


あっという間に、俺の前には人だかりができていた。俺は冷静に一人一人対応し、銀貨を受け取ってはライターを渡していく。


「はい、銀貨1枚ね!」「まいどあり!」「並んで並んでー!」


用意していた数十個のライターは、わずか10分足らずで全て売り切れてしまった。


布の上には、もう商品はない。だが、俺の手元にあるずっしりと重い皮袋の中には、銀貨が50枚以上入っていた。たった数十分で、俺は一般労働者の月収に匹敵する額を稼ぎ出したのだ。


「すまない、今日の分はもう売り切れだ! また明日、同じ場所で売るから、その時に来てくれ!」


俺がそう叫ぶと、ライターを買いそびれた人々から残念そうな声が上がる。彼らに明日への期待を持たせつつ、俺は手早く店じまいをした。これ以上長居して、衛兵や他の商人に目をつけられるのは得策ではない。


市場の喧騒から離れ、人気のない路地裏へと入る。そこでようやく、俺は大きく息をついた。


心臓が、まだドキドキと高鳴っている。初めての商売、初めて自分の力だけで稼いだ金。皮袋の中の銀貨の重みが、これ以上ないほど心地よかった。


「やった……やったぞ!」


思わず、小さな声で叫んでしまう。


追放された時は、もう人生終わりだと思った。だが、今は違う。自分の未来は、自分の手で切り開いていける。その確信が、体の内側から湧き上がってくるのを感じた。


稼いだ金で、まずはちゃんとした宿を取ろう。そして、温かい食事を腹一杯食べるんだ。


俺は早速、安宿ではなく、少しばかり値の張る中級冒険者向けの宿屋『風見鶏の宿』へと向かった。


「一部屋頼む」


受付の主人に銀貨を数枚差し出すと、彼は俺の身なりと金の出所を訝しむような目を一瞬だけ向けたが、すぐに商売用の笑顔を浮かべて鍵を渡してくれた。


案内された部屋は、決して広くはなかったが、清潔なベッドと机があり、窓からは街の様子を眺めることができた。裏路地の軒下とは天国と地獄の差だ。


俺はベッドに勢いよく倒れ込み、天井を見上げた。


今日の成功は、ほんの始まりに過ぎない。俺の【次元連結収納】には、ライター以外にも、この世界の人々を驚かせるような『商品』が無限に眠っているのだ。


調味料、保存食、医薬品、便利な生活雑貨……。


何を、どのように売っていくか。考えるだけで、胸が躍った。


ふと、脳裏に『暁の剣』のメンバーの顔が浮かんだ。


今頃、彼らはどうしているだろうか。俺という『荷物持ち』がいなくなって、不便を感じているだろうか。いや、そんなことはないだろう。彼らは優秀なSランクパーティだ。代わりの荷物持ちなど、いくらでも見つかるはずだ。


それでいい。


もう、彼らと俺の道が交わることはない。


俺は俺の道を行く。彼らが逆立ちしても届かない、遥か高みへと登りつめてやる。


夕食は、宿の食堂で奮発してビーフシチューを注文した。じっくり煮込まれた肉は柔らかく、濃厚なソースがパンとよく合う。追放されてから初めて口にする、まともで温かい食事だった。


その味は、昨夜のおにぎりとはまた違う意味で、俺の心に深く、深く染み渡っていった。


商人アルスの、波乱に満ちた成り上がり物語は、まだ始まったばかりだ。

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