表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

39/62

第39話:緑の上の交渉

グレンデル王国の騎馬隊は、瞬く間に俺の目の前まで迫ってきた。


蹄の音が大地を揺るし、巻き上がる土埃が、生まれたばかりの草の匂いと混じり合う。


先頭を駆けるのは、黒い全身鎧に身を包み、巨大なランスを携えた、いかにも騎士団長といった風体の男だった。その顔は、厳つい兜に覆われていて窺い知れない。


百騎の騎士たちが、俺一人を、扇状に包囲するように展開する。


無数の切っ先が、寸分の狂いもなく、俺の心臓に向けられていた。


常人ならば、その圧倒的な威圧感だけで、腰を抜かしていただろう。だが、俺は不思議と冷静だった。


やがて、騎士団長の男が、馬からゆっくりと降り立ち、俺に向かって歩いてきた。


その歩みには、一切の隙がない。


「……何者だ、貴様」


兜の奥から、地の底から響くような、低い声が発せられた。


「そして、この土地に、一体何が起きた? 数時間前まで、ここは死せる荒野だったはずだ」


彼の声には、困惑と、そして強い警戒心が滲んでいた。


俺は、武器を持っていないことを示すように、両の手のひらを広げて見せた。


「俺は、商人アルスと申します。エルドラド王国商業ギルドに所属し、第三王女アリーシャ殿下、並びにクリムゾン商会会頭セシリア様より、全権を委任されて、この土地の調査に来た者です」


俺は、懐から取り出した二つの証――王家の手紙とクリムゾン商会の許可証を、彼によく見えるように掲げた。


その二つの紋章を見て、騎士団長の動きが、わずかに止まった。


「……王女と、クリムゾン商会だと……? 馬鹿な。そのような話は、一切聞いていない」


「正式な外交ルートを通す前の、極秘の調査ですので。ご存知ないのも、無理はありません」


俺は、ハッタリをかました。だが、そのハッタリには、王家と大商会という、絶対的な権威が裏付けとなっている。


騎士団長は、しばらく黙って俺の言葉の真偽を測っているようだったが、やがて兜の奥から、鋭い視線を俺に向けた。


「……ならば聞こう、商人アルス。この大地を、一夜にして緑に変えたという奇跡。これも、貴様たちの仕業か?」


「ええ。我がエルドラド王国の、最新の『農業技術』の成果です。長年、両国の懸案であったこの不毛の土地を、我々が、平和的に再生させてみせました」


農業技術。


俺は、あえて魔法や奇跡といった言葉を避け、相手が理解しやすい、現実的な言葉を選んだ。


騎士団長は、足元の若草を、ブーツの先でそっと撫でた。


「……信じられん。だが、この光景は、現実だ。……して、貴様の目的は、何だ? この肥沃な土地を、エルドラドが独占すると、そう宣言しに来たのか?」


彼の声に、殺気がこもり始める。


ここが、交渉の正念場だ。


「いいえ、とんでもない。むしろ、その逆です」


俺は、にっこりと笑みを浮かべて見せた。商人としての、最大の武器である笑顔だ。

「我々エルドラド王国は、この再生した大地を、グレンデル王国の皆様と、『共有』したいと考えております」


「……何?」


俺の予想外の提案に、騎士団長は、明らかに動揺した。


「この土地を、共有、だと……?」


「はい。この『恵みの大地』と、我々は名付けました。この大地に、両国共同で、大規模な農地を築きませんか? そして、そこで収穫された作物は、両国で公平に分配する。そうすれば、これまで不毛の荒野によって隔てられていた我々の国は、食料という、最も平和的な絆で結ばれることになるでしょう」


それは、アリーシャ王女の『宿題』に対する、俺なりの『答え』だった。


この土地を、どちらかの国のものにするのではない。両国の共有財産とし、新たな協力関係の象徴とする。


これこそが、最も平和的で、かつ、両国にとって最大の利益となる解決策のはずだ。


騎士団長は、俺の提案に、完全に意表を突かれたようだった。


彼は、兜の下で、激しく思考を巡らせているのだろう。


やがて、彼は重々しく口を開いた。


「……面白い提案だ。だが、なぜだ? エルドラドは、この奇跡の技術を独占し、我が国に対して、圧倒的な優位に立つこともできたはずだ。なぜ、その利益を、わざわざ我々と分かち合おうとする?」


「利益の独占は、必ずや、新たな争いの火種を生みます。俺は、商人です。争いは、商売の邪魔になる。それだけですよ。それに……」


俺は、一呼吸置くと、続けた。


「この大地を再生させた、我々の『農業技術』。これを、有償で、グレンデル王国の皆様に、技術供与することも吝かではありません」


「……!」


騎士団長が、息を呑む。


俺は、彼に、拒否できない選択肢を突きつけているのだ。


エルドラドと手を組めば、この肥沃な大地と、それを生み出した奇跡の技術の、両方を得ることができる。


だが、もしここでエルドラドと敵対すれば、彼らは全てを失い、食料という新たなアドバンテージを得たエルドラドに、未来永劫、頭が上がらなくなるだろう。


どちらが得策か。答えは、火を見るより明らかだった。


騎士団長は、天を仰ぎ、大きく、長く、息を吐いた。


そして、彼は、その巨大なランスを地面に突き立てると、厳つい兜を、ゆっくりと外した。


兜の下から現れたのは、意外にも、まだ若い、しかし無数の傷跡が刻まれた、精悍な男の顔だった。その銀色の髪は、陽の光を浴びて輝いている。


「……見事だ、商人アルス。俺は、グレンデル王国騎士団長、ギルベルト・フォン・シュヴァルツ。お前のその度胸と、先見の明、気に入った」


彼は、敵意のないことを示すように、俺に向かって、片手を差し出した。


「お前の提案、このギルベルトが、責任を持って、我が国王陛下に上奏しよう。おそらく、陛下も、賢明な判断を下されるはずだ」


俺は、その無骨で、大きな手を、力強く握り返した。


緑の草原の上で交わされた、固い握手。


それは、何百年も続いた、両国の不毛な対立の歴史が、1つの妥協点を見た瞬間だった。


「……感謝します、ギルベルト団長。これから、良き隣人となりましょう」


「ああ。だが、一つだけ、勘違いするな」


ギルベルトは、ニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。


「俺は、お前という商人を認めただけだ。エルドラドの王族や、他の貴族を信用したわけではない。もし、お前たちが、この約束を違えるようなことがあれば……その時は、俺のこの槍が、お前の心臓を貫くことになる。覚えておけ」


その瞳は、本気だった。


彼は、騎士としての誇りと、国への忠誠心に満ちた、本物の武人だ。


俺は、そんな彼に、むしろ好感すら覚えた。


「肝に銘じておきましょう」


俺もまた、不敵な笑みを返した。


こうして、俺の、人生で最も大きな『商談』は、成立した。


俺は、この日、ただの土地を再生させただけではない。


二つの国の、未来を、変えたのだ。


その事実に、俺は、商人としての、これ以上ないほどの喜びと、そして身が引き締まるような、重い責任を感じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ