第34話:過去との決着
音の暴力が過ぎ去った後、セイレーンの里には静寂が戻ってきた。
スピーカーから増幅された戦いの歌は、アレクサンダーたちだけでなく、周りのチンピラ冒険者全員の戦意を完全に粉砕していた。彼らは皆、白目を剥いて気絶するか、そうでなくとも鼓膜から血を流して蹲り、戦闘不能に陥っている。
唯一、最後まで意識を保っていたアレクサンダーが、地面を這いながら、憎悪に満ちた目で俺を睨みつけていた。
「……き、さま……。こんな……こんな汚い手を……!」
「汚い手? お前たちが、この里にしたことに比べれば、ずいぶんと生ぬるいやり方だと思うがな」
俺は、彼の前にしゃがみ込むと、その顔を覗き込んだ。
「お前は、もう終わりだ、アレクサンダー。勇者でも、Sランク冒険者でもない。ただの、哀れな強盗だ」
「……だ、まれ……!」
彼は、最後の力を振り絞り、俺に殴りかかろうとした。
だが、その力ない拳は、俺の前に現れた影によって、いとも簡単に受け止められた。
ルナだった。
「……それ以上、アルスに近づかないで」
ルナは、氷のように冷たい声で言うと、アレクサンダーの手首を、ミシリ、と音が鳴るほど強く握りしめた。
「ぐ……あああああっ!」
悲鳴を上げるアレクサンダー。
その時、これまで気絶したフリをしていたのか、魔術師のリリアナが、震える手で魔法の詠唱を始めた。
「……死になさいッ! ファイアボール!」
彼女の手から、小さな火球が放たれる。だが、それは全盛期の彼女の魔法とは比べ物にならないほど、弱々しく、威力のないものだった。
その火球は、俺たちに届く前に、別の力によって掻き消された。
「……もう、やめてください」
声の主は、僧侶のセラだった。彼女は、リリアナの腕を掴み、静かに首を横に振っていた。
「……私たちも、もう終わりです。認めましょう、リリアナ。私たちは……負けたのです」
「……いや……いやよ! 私は、こんなところで終わりたくない!」
リリアナは、子供のように泣きじゃくり、その場に崩れ落ちた。
戦士のゴードンは、もはや何も言わず、ただ虚ろな目で、遠くの空を見つめているだけだった。
『暁の剣』は、心身ともに、完全に崩壊した。
里のセイレーンたちが、アリアたちに助け起こされながら、恐る恐るこちらに集まってくる。
アリアは、俺の前に立つと、深く、深く頭を下げた。
「アルス様……! ありがとうございます……! あなたがいなければ、私たちの里は……!」
「気にするな。約束を果たしただけだ」
俺は、アリアの肩をポンと叩くと、再びアレクサンダーに向き直った。
「さて、こいつらをどうするか」
ルナが、冷たい目で尋ねる。
「……殺す?」
「いや、その必要はない」
俺は、気絶しているチンピラたちと、もはや抜け殻のようになったアレクサンダーたちを見渡した。
彼らを、このまま放置するわけにはいかない。だが、殺すのは、後味が悪すぎる。
俺は、商業ギルドのバルトロから渡されていた、一つの魔道具を取り出した。それは、緊急時にギルドへ信号を送ることができる、『信号煙玉』だった。
俺は、その煙玉を空に放つ。
赤い煙が、空高く昇っていくのが見えた。
「……街の衛兵か、ギルドの人間が、じきにここまで来るだろう。こいつらは、法の下で裁いてもらうさ」
強盗、傷害、そして伝説の亜人族の里を襲った罪。
彼らが、まともな余生を送ることは、もう二度とないだろう。
それが、俺が出した、彼らに対する最後の『裁き』だった。
数時間後、煙を見た衛兵団と、商業ギルドの私兵たちが、現場に到着した。
彼らは、惨状と、捕らえられたアレクサンダーたちを見て驚いていたが、俺とバルトロの名前を出すと、全てを理解したようだった。
アレクサンダーたちは、まるで罪人のように縄で縛られ、街へと連行されていった。
去り際に、アレクサンダーが、一度だけこちらを振り返った。
その目には、もはや憎悪の色はなく、ただ、空っぽの虚無が広がっているだけだった。
俺は、そんな彼に、何も言わなかった。
俺たちの間の、長くて歪んだ因縁は、こうして、本当に終わりを告げたのだ。
その夜、セイレーンの里では、宴が開かれた。
里を救ってくれた俺たちへの、感謝の宴だ。
病に苦しんでいた者たちも、俺が取り寄せた抗生物質と栄養剤の点滴によって、少しずつ回復に向かっていた。まだ予断は許さないが、最悪の事態は脱したと言えるだろう。
焚き火を囲み、セイレーンたちが、今度は『喜びの歌』を歌う。
その歌声は、昼間の戦いの歌とは違い、どこまでも優しく、温かく、里の夜空に響き渡った。
俺とルナも、その輪に加わり、彼女たちが用意してくれた、木の実の酒と、新鮮な魚の塩焼きを味わっていた。
「……終わったのね」
ルナが、火の光に照らされながら、ぽつりと呟いた。
「ああ、終わった」
過去との、完全な決別。
俺は、もう二度と、彼らのことを思い出すことはないだろう。
俺の視線の先には、里の子供たちと一緒に、楽しそうに笑い合っている、アリア、セレン、シエラの姿があった。
「アルス様ー! こちらへどうぞ!」
シエラが、手招きをしている。
俺は、ルナと顔を見合わせると、苦笑いを浮かべながら、その輪の中へと入っていった。
俺の人生は、一度、絶望のどん底に突き落とされた。
だが、今はどうだ。
俺の周りには、こんなにもたくさんの、温かい笑顔がある。
ミリア、ルナ、アリアたち三姉妹、セシリア、アリーシャ王女、バルトロ……。
俺は、もう一人じゃない。
商人アルス。
彼の本当の物語は、復讐の終わりと共に、今、静かに始まろうとしていた。
それは、世界を救う英雄の物語ではない。
ただ、大切な人々と、ささやかな幸せを分かち合う、一人の商人の物語。
その物語の行く末を、まだ誰も知らない。
評価、ブックマークしていただけるととても今後の励みになります!




