第33話:襲撃、そして因縁の再会
山道を駆け抜け、最後の尾根を越えた時、眼下に広がる光景に、俺たちは言葉を失った。
そこには、美しい滝壺を中心に、樹木と一体化した家々が立ち並ぶ、幻想的な集落があった。セイレーンの隠れ里だ。
だが、その美しい里は今、黒い煙を上げ、複数の場所で炎が燃え上がっていた。
「あ……あぁ……! 里が……!」
アリアの顔から、血の気が引いていく。
里の中では、武装した男たちが、抵抗するセイレーンたちを容赦なく打ちのめしていた。
その数は、ざっと20人ほど。おそらく、チンピラ冒険者を金で雇ったのだろう。統率は取れていないが、その分、加減というものを知らない。
そして、その中心。里の広場で、指揮を執っている人物を見て、俺は奥歯をギリリと噛み締めた。
金色の髪、かつて聖剣を握っていたはずの手には、今は錆びついたロングソード。その顔は、以前の自信に満ちた勇者のものではなく、落ちぶれた人間の持つ、卑屈さと残虐さが混じり合った、醜い表情に歪んでいた。
「アレクサンダー……!」
彼の隣には、ゴードン、リリアナ、セラの姿もあった。彼らもまた、以前の輝きを完全に失い、みすぼらしい装備に身を包んでいる。だが、その目だけは、獲物を前にした飢えた獣のように、ぎらぎらと輝いていた。
「ひひひ! 聞いたか、アレク! こいつらセイレーンは、その身柄一人だけで、奴隷市場で金貨100枚の値がつくそうだぜ!」
ゴードンが、捕らえたセイレーンの老婆を突き飛ばしながら、下品な笑い声を上げる。
リリアナもまた、以前の優雅な仮面をかなぐり捨て、狂気的な笑みを浮かべていた。
「見て、アレク様! この里には、綺麗な宝石や、魔法の力が宿った楽器がたくさんあるわ! これだけあれば、私たちはまた、王都で贅沢な暮らしができるわよ!」
彼らは、全てを失った末に、最も卑劣な犯罪者へと成り下がっていた。
もはや、一片の同情の余地もない。
「……許さない……!」
アリアが、わなわなと震えながら、怒りの声を漏らす。彼女の背中の翼が、怒りに逆立っていた。
「私の仲間を、私の故郷を……! よくも……!」
彼女は、今にも飛び出していきそうな勢いだったが、俺は、その肩を強く掴んで制止した。
「待て、アリア! 感情的になるな! 敵の数は多い。まともに正面からぶつかれば、こっちがやられる!」
「でも!」
「……アルスの言う通りよ」
静かに、しかし燃えるような怒りを瞳に宿して、ルナが言った。
「……作戦が必要ね。私が、連中のリーダー……あの金髪男の首を獲る。その隙に、アルスたちは、捕まっている人質を解放して」
「いや、その必要はない」
俺は、二人の言葉を遮った。
「奴らの相手は、俺がする。因縁に、決着をつけなきゃならない」
「アルス……? あなた、正気? あなたは商人でしょう!?」
ルナが、信じられないといった目で俺を見る。
だが、俺の目は、まっすぐにアレクサンダーたちを捉えていた。
「ああ、商人だ。だからこそ、俺のやり方で、奴らに『代償』を支払わせてやる」
俺は、ルナとアリアたちに、一つの作戦を伝えた。
それは、あまりにも無謀で、常識外れの作戦だった。だが、彼女たちは、俺の真剣な眼差しを見て、こくりと頷いた。
作戦開始。
まず、ルナが影のように動き出し、里の外れにある、見張りのチンピラ二人を、音もなく無力化する。
そして、アリア、セレン、シエラの三姉妹は、里を見下ろせる、最も高い木の枝へと移動した。
全ての準備が整ったのを合図に、俺は、一人で、堂々と、里の広場へと歩いていった。
武器は、何も持っていない。
「……ん?」
俺の姿に、最初に気づいたのはゴードンだった。
「……おい、アレク。見ろよ、ありゃあ……」
「……アルス……?」
アレクサンダーが、驚きと、そして憎悪に顔を歪めて、俺の名を呼んだ。
「なぜ、貴様がこんな場所にいる……!」
俺の突然の登場に、アレクサンダーたちは完全に虚を突かれていた。
俺は、そんな彼らに向かって、ゆっくりと歩みを進めながら、言った。
「久しぶりだな、アレクサンダー。ずいぶんと、落ちぶれたもんだ。勇者様が、今じゃただの強盗団のボスとはな」
「……黙れッ! 貴様のせいだ! 貴様さえいなければ、俺たちは……!」
「俺のせい? 違うだろ。お前たちが、自分たちの驕りと、弱さに負けただけだ」
俺の挑発に、アレクサンダーの顔が怒りで引きつる。
チンピラたちが、じりじりと俺を取り囲もうとするが、アレクサンダーは、それを手で制した。
「……面白い。ちょうど良かった。王都での屈辱、ここで晴らさせてもらうぞ。貴様を殺し、こいつらセイレーンを奴隷として売りさばけば、俺はまた返り咲ける!」
彼は、完全に正気を失っている。
俺は、そんな彼に、最後の通告をした。
「……今すぐ、この里から立ち去れ。そして、二度と俺の前に現れるな。そうすれば、命だけは助けてやる」
「……はは、ははははは! 寝言は、地獄で言え!」
アレクサンダーが、錆びついた剣を構え、俺に向かって駆け出してきた。
その瞬間が、合図だった。
俺は、天に向かって叫んだ。
「―――やれ、アリア!」
その声に応えるかのように、里中に、これまで聞いたこともないような、力強く、そして荘厳な『歌声』が響き渡った。
それは、アリア、セレン、シエラの三人が、全ての魔力と、故郷を想う怒りを込めて放った、セイレーン族に伝わる、古の『戦いの歌』だった。
その歌声は、癒しの歌ではない。
敵の精神を直接揺さぶり、その戦意を根こそぎ奪い去る、強力な呪いの歌だ。
「ぐ……っ!? な、なんだ、この歌は……!?」
「あ、頭が……! 身体に、力が入らねえ……!」
アレクサンダーの動きが、ぴたりと止まる。
周りのチンピラたちも、次々と武器を取り落とし、頭を抱えてその場にうずくまってしまった。
歌声の魔力に抵抗できたのは、Sランクパーティとしての地力がある、アレクサンダーたち四人だけだった。
だが、彼らの動きも、明らかに鈍っている。
「……貴様、これが狙いか……!」
「言っただろ。俺のやり方で、やらせてもらう、と」
俺は、不敵に笑うと、ついに【収納】スキルを発動した。
俺が取り出したのは、剣でも、盾でもない。
それは、無数のケーブルが接続された、黒くて巨大な、四角い箱。
―――大音量スピーカーだった。
そして、俺はスピーカーのスイッチを入れる。
その瞬間、セイレーンたちの戦いの歌が、何十倍にも増幅され、暴力的なまでの音の津波となって、アレクサンダーたちに襲いかかった。
「ぎゃあああああああああああああああああ!!!」
もはや、それは歌ではなかった。
ただの、超音波兵器だ。
アレクサンダーたち四人は、鼓膜が張り裂けんばかりの轟音の前に、なす術もなく地面を転げ回った。
これが、俺の戦い方。
異世界の魔法と、地球の科学技術の、融合。
商人アルスにしかできない、最強のコンボだ。
俺は、耳を塞ぎながら悶え苦しむ、かつての仲間たちの前に立ち、冷たく、言い放った。
「―――ゲームオーバーだ、勇者様」
評価、ブックマークしていただけるととても今後の励みになります!