第32話:里への道と不穏な影
セイレーン三姉妹のステージは、『異世界商店アルス』の不動の看板となった。
彼女たちの歌声当てに、遠方からわざわざ客が訪れるほどで、店の売り上げは留まるところを知らなかった。アリアたちは、自分たちの力が人を幸せにできることを知り、日に日にその表情を明るくしていった。
だが、俺たちの本来の目的を忘れたわけではない。
彼女たちの故郷、セイレーンの隠れ里を、謎の病から救うこと。
俺は、店の仕事の合間を縫って、【収納】スキルのデータベース検索に没頭した。
そして、ついに一つの可能性に行き着いた。
セイレーンたちが罹っている病の症状――高熱、呼吸困難、そして徐々に魔力が失われていく――は、地球の医学でいうところの、ある種の『ウイルス性肺炎』に酷似していた。そして、その病を引き起こしているのは、おそらくこの世界の特殊な環境にのみ存在する、未知のウイルスなのだろう。
だとすれば、月光花という薬草は、ウイルスの活動を抑える、いわゆる『対症療法』のための薬に過ぎない。病を根絶するためには、ウイルスそのものを叩く、『抗ウイルス薬』か、あるいは里の民の免疫力を高めるための、根本的な体質改善が必要だった。
俺は、スキルを駆使して、地球から様々な医薬品と医療器具を取り寄せた。
強力な抗生物質、栄養価の高いビタミン剤、点滴用のブドウ糖液、さらには簡易的な血液検査キットまで。俺の【収納】空間は、さながら最先端の野戦病院のようになっていた。
「準備は、整った」
リニューアルオープンから一ヶ月が経った頃、俺はアリアたち三姉妹に告げた。
「君たちの里へ、行こう」
「……! 本当ですか、アルス様!」
アリアの目に、希望の光が強く灯る。
店のことは、ミリアに任せることにした。彼女は、もはや俺がいなくとも、一人で店を完璧に切り盛りできるまでに成長していた。
そして、今回の旅には、もちろんルナも同行する。彼女の戦闘能力と索敵能力は、未知の危険が潜むセイレーンの里への道中、不可欠なものとなるだろう。
こうして、俺、ルナ、そしてセイレーン三姉妹の計五名は、隠れ里を目指して旅立つことになった。
里の場所は、霧の湿地帯を抜け、さらに険しい山道を三日ほど進んだ先にあるという。
旅の道中は、これまでのどんな冒険よりも、賑やかで、そして穏やかなものだった。
アリアは、里の仲間たちを救えるという希望からか、常に明るく、リーダーとして的確に俺たちを案内してくれた。
セレンは、道端に咲く花の名前を教えてくれたり、傷ついた小鳥を手当てしてやったりと、その心優しさを発揮していた。
シエラは、ルナに懐き、いつも彼女の後ろをちょこちょことついて回っては、質問攻めにしていた。
「ルナお姉ちゃんは、どうしてそんなに強いの?」
「……訓練したから」
「どうして、いつも難しい顔をしてるの?」
「……別に、していないわ」
「お歌は、好き?」
「……嫌いじゃ、ない」
クールなルナが、純真無垢なシエラにペースを乱され、タジタジになっている姿は、見ていて非常に微笑ましかった。
ルナ自身も、満更ではないようだった。彼女の表情が、俺と出会った頃とは比べ物にならないほど、豊かになっていることに、俺は気づいていた。
だが、そんな穏やかな旅路に、不穏な影が差し始めたのは、里まであと一日の距離に迫った頃だった。
「……おかしいわ」
先行して周囲を偵察していたルナが、険しい表情で戻ってきた。
「どうした、ルナ?」
「この先の道に、複数の人間の足跡と、野営の跡がある。それも、かなり新しい。少なくとも、十数人規模の集団よ」
アリアの顔色が変わる。
「人間……!? まさか、私たちの里の場所が、人間に……?」
セイレーンの隠れ里は、その存在を固く秘匿されてきたはずだ。彼女たちの話では、里の場所を知る人間など、いるはずがない。
「どんな連中だ?」
「装備からして、ただの旅人や商人じゃない。おそらく、手練れの冒険者か、傭兵の類ね。……それに、気になるものを見つけたわ」
ルナはそう言うと、懐から一枚の、引き裂かれた布切れを取り出した。
そこには、見覚えのある紋章が、刺繍されていた。
――交差する二本の剣と、昇る太陽。
それは、かつて俺が所属し、そして王都で無様に敗れ去ったはずの、Sランクパーティ『暁の剣』の紋章だった。
「……! なぜ、奴らの紋章が、こんな場所に……!」
俺は、愕然とした。
王都で全てを失ったはずの彼らが、なぜ?
アリアが、はっとしたように声を上げた。
「……まさか! 里の若者たち……! 薬草を探しに旅立ったまま、帰ってこない、私たちの仲間……!」
最悪の可能性が、俺たちの頭をよぎる。
里の若者たちが、薬草探しの道中で、『暁の剣』の残党と接触した。そして、拷問か何かで、里の場所を吐かされてしまったのではないか。
全てを失い、落ちぶれた彼らが、一発逆転を狙って、伝説の亜人族であるセイレーンの里を襲い、その身柄や財産を奪おうとしている。
十分に、考えられる筋書きだった。
「……急ごう! 里が、危ない!」
アリアの悲痛な叫びを合図に、俺たちは全速力で、険しい山道を駆け抜けた。
穏やかだった旅は、一転して、時間との戦いへと変わる。
頼む、間に合ってくれ……!
俺は、胸にこみ上げる焦りを抑えながら、ただひたすらに、前へと進んだ。
因縁の相手との、予期せぬ再会。
それは、セイレーンの里の運命を、そして俺自身の過去との決着を意味する、最後の戦いの始まりを告げていた。
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