第31話:異世界薬局と三人の歌姫
「月光花を……あなたが、手に入れられるですって?」
アリアは、信じられないといった表情で俺を見つめている。無理もない。セイレーンの里の運命を左右するほどの希少な薬草を、どこの馬の骨とも知れない人間の商人が、いとも簡単に口にしたのだから。
「ああ。俺には、少しばかり特別な仕入れルートがあってな」
俺はそう言うと、彼女たちの目の前で【収納】スキルを使ってみせた。
懐を探るフリをして、空間から一つのアイテムを取り出す。それは、地球の植物図鑑から検索して見つけ出した、『月光花』によく似た特徴を持つ、ヒマラヤの奥地にのみ咲くという『ヒマラヤン・ブルーポピー』という青いケシの花だった。もちろん、薬効があるかどうかは分からない。だが、今はハッタリが重要だった。
「こ、これは……! 月光花……!?」
アリアは、俺が差し出した青い花を見て、目を見開いた。
「まさか、本物か……? いや、香りが少し違う……。だが、これほどの魔力を秘めた植物、ただのものであるはずがない……!」
彼女たちの動揺を見て、俺は確信した。たとえ本物の月光花でなくとも、地球の希少な植物には、この世界の住人には計り知れない、何らかの力が宿っている可能性がある。
「どうだ? 俺の言ったことが、ただの戯言じゃないと分かったか?」
「……あなた、一体何者なの……?」
「ただの商人さ。アルスという」
俺は、彼女たちに改めて自己紹介し、自分の店で働くという提案を、再度持ちかけた。
「君たちの里に必要な薬は、俺がなんとかしよう。その代わり、君たちには、その歌声で俺の店を盛り上げてもらう。これは、罰なんかじゃない。対等な、ビジネスの取引だ」
アリアは、しばらくの間、俺の顔と、俺が持つ青い花を交互に見つめていたが、やて覚悟を決めたように、深く、深く頭を下げた。
「……分かりました。商人アルス様。私たち三姉妹、あなたのそのお話、お受けします。里の仲間たちを……私たちの家族を、救ってくださるというのなら、この身、あなたに捧げましょう」
こうして、俺は図らずも、セイレーン三姉妹を仲間に引き入れることになった。
リーダー格で責任感の強い長女、アリア。
少し内気だが、心優しい次女のセレン。
そして、泣き虫だが、天真爛漫な三女のシエラ。
彼女たちを連れて街に戻ると、当然ながら、ひと騒動になった。
「て、店長! この方たちは、一体……!? あ、翼が……!」
ミリアは、初めて見る亜人の姿に、目を白黒させている。
商業ギルドのバルトロも、俺からの報告を聞いて、頭を抱えていた。
「アルス君……君という男は、いつも私の想像の斜め上を行くな……。怪盗の正体が、伝説のセイレーンだったとは……。しかも、その彼女たちを従業員として雇うだと?」
だが、俺は彼らを説得した。
セイレーンたちの悲しい事情を話し、彼女たちの歌声が、客寄せとして、そして人々の心を癒す娯楽として、計り知れない価値を持つことを力説した。
最終的に、バルトロは「君がそこまで言うのなら」と、彼女たちを街に受け入れることを許可してくれた。もちろん、盗みの件は不問に付す代わりに、被害に遭った商人たちへの弁償は、俺の店の利益から支払うという条件で。
そして、数日後。
拡張工事を終えた『異世界商店アルス』は、リニューアルオープンの日を迎えた。
店の規模は倍になり、新設されたベーカリーコーナーには、焼きたてのパンの香ばしい匂いが満ちている。
そして、今回のリニューアルの最大の目玉。
店の奥に、小さなステージが設けられていた。
開店と同時に、店内は押し寄せる客でごった返した。誰もが、新しいパンや、珍しい商品に目を輝かせている。
そして、正午を告げる鐘が鳴ると、店の照明が少しだけ落とされ、ステージの上にスポットライトが当たった。
そこに現れたのは、お揃いの可愛らしいメイド服(これも俺がスキルで取り寄せた)に身を包んだ、アリア、セレン、シエラの三姉妹だった。
最初は、突然現れた美しい亜人の少女たちに、客たちは戸惑い、ざわめいていた。
だが、アリアが澄んだ声で歌い始めると、その喧騒は、水を打ったように静まり返った。
アリアの、心を震わせるような力強い歌声。
セレンの、優しく包み込むような柔らかなハーモニー。
シエラの、楽しげで、弾むようなコーラス。
三人の歌声が重なり合った時、それはもはや、ただの歌ではなかった。
店内にいる全ての者の心に直接響き、日々の疲れや悩みを、優しく溶かしていくような、魔法の音楽だった。
パンを食べていた子供は、目をキラキラさせて聞き惚れ、仕事に疲れた冒険者は、うっとりと目を閉じ、故郷を思う旅人は、そっと涙を拭っていた。
歌が終わると、一瞬の静寂の後、店内は割れんばかりの拍手と喝采に包まれた。
「最高!」
「すげえ! 天使の歌声だ!」
「もう一曲、お願い!」
セイレーン三姉妹のステージは、大成功だった。
彼女たちは、もはや人々を惑わす怪盗ではない。人々の心に、癒しと感動を与える、『歌姫』として、新たな人生の一歩を踏み出したのだ。
店のレジで、その光景を眺めながら、ミリアが感動に声を震わせていた。
「……店長、すごいです……! みんな、すごく幸せそうな顔をしています……!」
「ああ。そうだな」
店の隅のテーブルでは、ルナが珍しく、その赤い瞳を細め、穏やかな表情でステージを見つめている。
そして俺は、彼女たちの里を救うための、本格的な準備に取り掛かっていた。
【収納】スキルを使い、俺は「薬」「医療」「植物」といったキーワードで、地球の膨大なデータベースを検索し続ける。
月光花に代わる薬草、あるいは、病そのものを治療するための、根本的な解決策を探して。
それは、もはや単なる商売ではなかった。
俺は、この異世界で、小さな『薬局』、いや、『奇跡』を始めようとしていた。
商人アルスの、次なる挑戦。
それは、金儲けでも、復讐でもない。
ただ、目の前で助けを求める人々を、救いたいという、純粋な想いから始まろうとしていた。
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