第30話:歌姫たちの事情
「GYAAAAAAAAAAAAAAHHH!!!」
崖の上に設置された、俺のドローンの小さなスピーカーから、常人の鼓膜を破壊しかねないほどの、絶叫と轟音が迸った。
それは、美しい歌声が響いていた静かな谷間には、あまりにも不釣り合いな、冒涜的とすら言えるノイズだった。
「―――っ!?」
崖の上にいた三人のセイレーンは、その突然の轟音に、美しい歌声をかき消され、耳を塞いでその場にうずくまった。
彼女たちの歌声は、繊細な魔力の波長をコントロールすることで成り立っているのだろう。そこに、全く異質な音の暴力が叩きつけられ、魔法が完全に霧散したのだ。
周囲を覆っていた濃霧が、嘘のように、すうっと晴れていく。
「な、なんなのよ、今の音は!?」
「耳が……耳がキーンってする……!」
セイレーンの少女たちが、混乱しているのが見えた。
好機、逃すべからず。
「ルナ、行くぞ!」
「……ええ!」
俺とルナは、崖の麓へと一気に駆け出した。
崖は切り立っていたが、所々に足場があり、身体能力の高いルナにとっては、平坦な地面も同然だった。俺も、日頃の荷物運びで鍛えた体力で、必死に彼女に食らいついていく。
俺たちが崖の上にたどり着くと、三人のセイレーンは、俺たちの姿を認めて、怯えたように後ずさった。
「に、人間……!?」
「なぜ、私たちの歌が……!」
彼女たちは、戦闘タイプの種族ではないのだろう。その美しい顔には、戦意ではなく、純粋な恐怖と混乱の色が浮かんでいた。三人とも、まだ若く、おそらく俺と同じくらいの年齢に見える。
リーダー格らしい、一番年上に見える少女が、震えながらも、妹たちを守るように前に立った。
「……あなたたち、何者なの? 私たちに、何の用……?」
「それは、こっちのセリフだ」
俺は、ドローンを回収しながら、冷静に答えた。
「あんたたちこそ、ここで何をしている? 最近、この辺りで商隊を襲って、荷物を奪っているのは、あんたたちだな?」
俺の言葉に、三人はびくりと肩を震わせ、顔を見合わせた。
その反応が、全てを物語っている。
ルナが、音もなく彼女たちの背後に回り込み、小太刀の切っ先を突きつけた。
「……動かないで。下手に動けば、その綺麗な喉を切り裂くことになるわよ」
「ひっ……!」
完全に、包囲した。
リーダー格の少女は、観念したように、悔しそうに唇を噛んだ。
「……そうよ。やったのは、私たちだわ。殺すなら、殺しなさい。でも、この子たちには、手を出さないで……!」
彼女は、妹たちを庇いながら、俺を真っ直ぐに見据える。その瞳には、恐怖と共に、強い覚悟の光が宿っていた。
俺は、そんな彼女たちの姿を見て、ため息をついた。
どうにも、話が違う。彼女たちからは、金儲けのために盗みを働くような、悪党の匂いがしない。むしろ、何か切羽詰まった、悲壮な覚悟のようなものを感じる。
「……殺すつもりはない。ただ、話が聞きたいだけだ。なぜ、こんなことをしている?」
俺が、できるだけ穏やかな声で言うと、彼女は少しだけ警戒を解いたようだった。
「……あなたたちに話して、どうなるというの? 人間なんて、どうせ私たちのことなんて……」
「話してみなければ、分からないだろう。俺は、商業ギルドから依頼を受けて、ここに来た。だが、あんたたちがただの盗賊には見えない。何か、事情があるんじゃないのか?」
俺のその言葉に、一番年下の、まだ幼い雰囲気のセイレーンの少女が、わっと泣き出してしまった。
「う……うわあああん! アリアお姉ちゃん……! もう、やだよぉ……!」
「シエラ、泣かないで……!」
アリアと呼ばれたリーダー格の少女が、妹を必死になだめている。
その姿を見て、俺はルナに目配せをした。ルナは、こくりと頷くと、小太刀を鞘に納める。
俺は、彼女たちの前にしゃがみこみ、視線の高さを合わせた。
「……何に困っているんだ? 食料か? それとも、誰かに追われているのか? 話してくれなければ、俺も助けようがない」
俺のその態度に、彼女たちの警戒心が、少しずつ解けていくのが分かった。
やがて、アリアは、ぽつり、ぽつりと、自分たちの事情を語り始めた。
彼女たち三姉妹は、もともと、この湿地帯のさらに奥深くにある、小さな隠れ里で、仲間たちとひっそりと暮らしていたのだという。
だが、数ヶ月前、彼女たちの里に、病が流行った。
それは、セイレーン族だけがかかる、特殊な風土病で、特効薬となるのは、遠い雪山にしか自生しない、『月光花』という希少な薬草だけだった。
里の若者たちは、薬草を求めて旅立ったが、誰一人として帰ってくることはなかった。
里に残された仲間たちは、次々と病に倒れていく。
アリアたち三姉妹の両親も、その病で命を落とした。
「……私たちは、このまま里で待っていても、死を待つだけだと思った。だから、里を飛び出したの。月光花を手に入れるために。でも、私たちには、お金なんてない。だから……だから、仕方なく……!」
商隊から盗んだのは、金目のものではなく、薬や、高値で売れそうな香辛料だけ。それらを、人里離れた場所で、旅の薬師と交換し、病に効く薬草を探していたのだという。
人的な被害を出さなかったのも、彼女たちが、本質的には心優しい種族であり、人を傷つけることを、避けていたからだった。
全てを聞き終えた俺は、深い溜息をついた。
なんという、悲しいすれ違い。
彼女たちは、生きるために、必死だっただけなのだ。
「……話は、分かった」
俺は立ち上がると、アリアに向かって言った。
「あんたたちの事情は、理解した。だが、盗みは盗みだ。このまま見過ごすわけにはいかない」
「……ええ。分かっているわ。どんな罰でも、受けるつもりよ」
アリアは、覚悟を決めたように、目を閉じた。
俺は、そんな彼女に、思いもよらない提案をした。
「罰、ねえ。そうだな……。じゃあ、罰として、あんたたちには、俺の店で働いてもらうことにしようか」
「……え?」
アリアだけでなく、ルナまでもが、呆けたような顔で俺を見た。
俺は、ニヤリと笑うと、続けた。
「あんたたちのその歌声、ただの魔法じゃない。人を惹きつけ、癒す力がある。その力を、人を傷つけるためじゃなく、人を楽しませるために、使ってみる気はないか? もちろん、給金は払う。それに……」
俺は、一呼吸置くと、彼女たちに告げた。
「あんたたちが探している『月光花』って薬草、もしかしたら、俺が手に入れてやれるかもしれないぜ?」
俺の【次元連結収納】は、この世界のアイテムだけでなく、地球の、あるいはそれ以外の世界のアイテムすら、取り寄せることができるのだから。
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