第28話:拡張計画とギルドの依頼
俺が街に戻ってから、数週間が過ぎた。
ルナが仲間に加わったことで、『異世界商店アルス』の運営は、劇的に効率化した。
俺が厨房で新商品の開発や調理に集中し、ミリアが持ち前の明るさと丁寧さで接客を担当。そして、ルナは、その鋭い観察眼で店内の警備や在庫管理、さらには客層の分析といった、裏方の仕事を完璧にこなしてくれた。
「店長、今日の客層は、午前中は主婦層が多く、午後は冒険者の割合が増加します。昼過ぎに、からあげやコロッケといった、持ち帰り用の惣菜を多めに用意すれば、売り上げがさらに見込めるはずです」
「……ミリアさん。レジの銅貨が、3枚足りません。さっきの、赤い帽子の男が怪しいわ。私が捕まえてきましょうか?」
「ルナさん、大丈夫です! きっと、私が数え間違えただけですから!」
三人の役割分担は、面白いように噛み合った。店の売り上げは、俺が王都へ行く前と比べ、さらに3割も増加していた。
その利益を元手に、俺は店の次なる計画に着手することにした。
『店舗の拡張』である。
ありがたいことに、店の隣の区画が、偶然にも空き家になっていた。俺は、商業ギルドのバルトロに相談し、その土地と建物を破格の値段で買い取らせてもらった。王女の後ろ盾と、クリムゾン商会との提携という看板は、こういう時に絶大な効果を発揮する。
「隣の建物を改装し、二つの店舗を繋げて、今の店の倍の広さにする。そして、新しく設けるスペースには、『ベーカリーコーナー』を作るんだ」
朝礼で、俺が計画を発表すると、ミリアとルナは目を丸くした。
「べーかりー……ですか?」
「ああ。つまり、パン屋だ。この世界のパンは、硬くてパサパサした黒パンが主流だろ? 俺たちが作るパンは、違う」
俺は【収納】スキルを使い、試作品として焼いておいたパンをテーブルの上に出した。
一つは、ふわふわで、雲のように白い『食パン』。
もう一つは、中に甘いあんこが詰まった『あんぱん』と、とろりとしたカスタードクリームが入った『クリームパン』だ。
「……な、なんですか、このパンは!? こんなに白くて、柔らかいパン、初めて見ました……!」
ミリアが、食パンの感触に感動している。
ルナは、無言であんぱんを一口かじると、その赤い瞳を驚きに見開いた。
「……甘い。この豆のペースト、不思議な味ね。でも、美味しいわ」
「だろ? こういう、柔らかくて甘い『菓子パン』や、ふっくらとした『食パン』は、この世界にはない。絶対に、うちの店の新しい名物になるはずだ」
改装工事は、すぐに始まった。
俺の描いた設計図――地球のモダンなパン屋を参考にしたもの――を見た街の職人たちは、またしても度肝を抜かれていたが、もはや誰も俺のやることに文句は言わなかった。
ミリアは、新しいパンのレシピを覚えるために、俺の指導のもと、一生懸命にパン作りの練習を始めた。ルナは、改装工事の監督から、新しい小麦の仕入れルートの確保まで、持ち前の分析能力で完璧にこなしてくれた。
そんな、新しい日常が軌道に乗り始めたある日のこと。
商業ギルドのバルトロが、珍しく神妙な顔つきで、俺の店を訪ねてきた。
「アルス君、少し厄介な頼みがある」
店の奥の事務所で、バルトロは単刀直入に切り出した。
「厄介な、頼み?」
「うむ。実は、この街の近郊にある『霧の湿地帯』で、最近、商隊の被害が多発しているのだ」
霧の湿地帯。
そこは、王都とこの街を結ぶ最短ルート上にあるが、一年中深い霧に覆われ、視界が悪く、さらには毒を持つ動植物も多いため、通常の商人は避けて通る危険な場所だった。
「被害、というと、モンスターか、あるいは盗賊ですか?」
「それが、分からんのだ。生き残った者の話によると、霧の中から、突然『歌』が聞こえてきて、それに気を取られているうちに、荷物をごっそりと奪われてしまうらしい。だが、不思議なことに、人的な被害は一人も出ていない。まるで、霞を掴むような手口でな」
歌声と、消える荷物。奇妙な話だった。
「冒険者ギルドにも調査を依頼しているのだが、あの『暁の剣』が解体されて以来、この街には高ランクの冒険者が不足していてね。調査は、一向に進んでいない」
そこで、俺に白羽の矢が立った、というわけか。
「……なるほど。俺に、その『霧の中の怪盗』の正体を突き止めてほしい、と」
「その通りだ。もちろん、これはギルドからの正式な依頼だ。成功報酬は、金貨50枚。それに、君がこの依頼を解決してくれれば、ギルド内での君の評価は、さらに盤石なものとなるだろう」
バルトロは、俺の商才だけでなく、俺が持つ未知の『力』にも期待しているのだ。
面倒な依頼ではある。だが、商業ギルドとの関係を良好に保つことは、俺のビジネスにとっても重要だ。それに、この街の物流が滞れば、俺の店の経営にも、いずれ影響が出るかもしれない。
「……分かりました。その依頼、お引き受けしましょう」
俺が承諾すると、バルトロは安堵の表情を浮かべた。
店に戻り、ミリアとルナに事情を話す。
ミリアは、俺が危険な場所へ行くことを、とても心配してくれた。
「店長、どうかご無理なさらないでくださいね……!」
「ああ、大丈夫だ。少し、様子を見に行くだけさ」
一方のルナは、目を輝かせていた。
「霧の中の怪盗……面白そうじゃない。私も行くわ」
「お前は、店の護衛が仕事だろう」
「ミリアさん一人では、心配でしょ? それに、調査には、私のようなプロがいた方が、効率的よ」
彼女の言うことにも、一理ある。ルナの索敵能力や戦闘技術は、未知の危険が潜む場所では、何より頼りになるだろう。
こうして、俺とルナは、霧の湿地帯へと向かうことになった。
それは、商人アルスにとって、初めての『冒険』と呼べる仕事の始まりだった。
そして、その湿地帯で俺たちを待ち受けていた出会いが、俺の、そしてこの世界の運命を、また少しだけ、変えることになる。
そのことを、この時の俺は、まだ知る由もなかった。
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