第27話:日常への帰還と新たな芽吹き
王都での目的は、すべて果たされた。
俺は、商人として揺るぎない地位と、王家という最強の後ろ盾を手に入れた。そして、俺を追放した『暁の剣』は、自らの驕りによって、その栄光の座から完全に転げ落ちた。
「……帰るか」
俺は、王都の喧騒を背に、小さく呟いた。
帰る場所。俺には今、そう呼べる場所がある。
ミリアが待つ、あの『異世界商店アルス』へ。
王都を発つ日、セシリアとアリーシャ王女が見送りに来てくれた。
「もう行ってしまうの、アルス? つまらなくなるわ」
アリーシャ王女は、名残惜しそうに唇を尖らせている。俺との『講義』の時間が、彼女にとっては退屈な城の生活で、唯一の楽しみになっていたようだ。
「ええ。俺は商人ですから。店を開けて、客を待たせるわけにはいきません。ですが、定期的に王都へは顔を出します。その時はまた、新しい『おもちゃ』を持ってきますよ」
「本当!? 約束よ!」
セシリアは、そんな俺たちのやり取りを、母親のような微笑みで見守っていた。
「アルス君、これは餞別よ。受け取ってちょうだい」
彼女が差し出してきたのは、一枚の羊皮紙だった。そこには、クリムゾン商会の紋章が刻印されており、国内のどの関所も顔パスで通過できる『特別通行許可証』であった。
「これがあれば、あなたの商売も、よりスムーズになるでしょう。あなたの次なる一手、楽しみにしているわ」
二人の強力なパートナーに見送られ、俺はルナと共に、帰りの馬車に乗り込んだ。
行きとは違い、帰りの馬車はクリムゾン商会が手配してくれた、快適な貸し切りだった。
「……ずいぶんと、大物になったものね」
向かいの席に座るルナが、呆れたように、しかしどこか楽しそうに言った。
「そうか? 俺はただ、自分の店を繁盛させたいだけの一介の商人に過ぎないさ」
「その『一介の商人』が、国の王女と大商会会頭を手玉に取るのかしら」
軽口を叩き合う。
行きとは違う、この穏やかな空気。それは、ルナとの間に、確かな信頼関係が芽生えた証拠だった。
彼女は、俺の護衛として、そして相棒として、これからも俺の隣にいてくれるだろう。彼女自身の目的はまだ謎のままだが、今はそれでいいと思えた。
五日後、俺たちは懐かしい街の門をくぐった。
市場は、相変わらずの活気に満ちている。俺は、その喧騒の中に、自分の店の姿を探した。
あった。
ガラス張りの、一際目立つ俺の店。その前には、俺が出発した時と変わらず、長い行列ができていた。
俺がいない間も、ミリアが一人で、この店をしっかりと切り盛りしてくれていたのだ。
胸に、温かいものがこみ上げてくるのを感じた。
俺は、店の裏口からこっそりと中に入った。
厨房では、ミリアが汗を流しながら、一生懸命にからあげを揚げていた。その姿は、俺が初めて会った時よりも、ずっと逞しく、自信に満ちて見えた。
「……ただいま、ミリア」
俺が声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせ、ゆっくりとこちらを振り返った。
そして、俺の顔を認識した瞬間、その大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
「て、店長……! お、お帰りなさい……!」
彼女は、持っていた調理器具を放り出すと、そのまま俺の胸に飛び込んできた。
「うわっ!?」
油の匂いと、彼女の温かい体温。そして、小さな嗚咽。
「……よかった……。無事に、戻ってきてくださって……! 私……店長がいない間、ずっと不安で……!」
「ああ、悪かったな。心配かけた。だが、見ての通り、ピンピンしてるさ」
俺は、彼女の背中を、優しくポンポンと叩いてやった。
「それに、よく頑張ったな、ミリア。店、すごい繁盛じゃないか。全部、君のおかげだ」
「そ、そんな……! 私は、店長に教わった通りにやっていただけで……!」
彼女は、顔を真っ赤にさせながら、慌てて俺の胸から離れた。
その時、彼女は俺の後ろに立っていたルナの存在に気づき、きょとんとした顔をした。
「えっと……こちらは?」
「ああ、紹介するよ。こいつはルナ。王都で知り合った、俺の新しい仲間だ。訳あって、これからこの店で一緒に働くことになる」
「……ルナよ。よろしく」
ルナが、無愛想に、しかし丁寧に頭を下げる。
ミリアは、突然現れた絶世の銀髪美少女に、一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐにぱあっと顔を輝かせた。
「わあ……! 新しい仲間の方ですか! よろしくお願いします、ルナさん! 私、ミリアです! これで、人手不足も解消されますね! 店長、本当によかったですね!」
その、あまりにも純粋で、裏表のない歓迎の言葉に、今度はルナの方が面食らっていた。
彼女は、これまでの人生で、こんな風に無条件で好意を向けられた経験が、ほとんどなかったのだろう。
「……え、ええ……」
珍しく、しどろもどろになっているルナの姿が、何だか可笑しかった。
こうして、『異世界商店アルス』に、新しい仲間が加わった。
真面目で献身的なミリアと、クールで腕利きのルナ。
対照的な二人の少女と、俺。
俺たちの、奇妙で、賑やかな共同生活が、この日から始まった。
その日の夜、俺たちは三人で、ささやかな帰還祝いの食卓を囲んだ。
俺が腕によりをかけて作った、地球の家庭料理『オムライス』を、二人は目を丸くしながら、美味しそうに頬張っている。
「美味しい……! 卵がふわふわです!」
「……この赤いソース、甘酸っぱくて、クセになるわね」
その幸せそうな顔を見ていると、俺の心も、自然と温かくなっていく。
王都での華々しい成功も、権力者たちとの駆け引きも、もちろん刺激的だった。
だが、俺が本当に手に入れたかったのは、こういう、ささやかで、温かい日常なのかもしれない。
俺は、この日常を、この店を、そしてこの仲間たちを、何があっても守り抜いていこう。
心に、新たな決意を固める。
商人アルスの物語は、一つの大きな区切りを終え、新たな章へと歩みを進める。
それは、世界を変えるような大冒険ではないかもしれない。
だが、温かい料理と、大切な仲間たちの笑顔に満ちた、どこまでも優しい物語の始まりだった。
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