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第23話:王女の涙と新たな契約

謁見室の静寂を破ったのは、アリーシャ王女の、か細い声だった。


「……あなたの、勝ちよ、アルス」


彼女は、ドレスの袖で乱暴に涙を拭うと、まっすぐに俺を見つめ返した。その紫色の瞳には、もはや子供じみた悔しさはなく、代わりに、これまで見たことのないような、真摯な光が宿っていた。


「わたくしは、生まれてこの方、誰かに負けたことなんてなかった。欲しいものは何でも手に入ったし、わたくしの言うことは、誰もが聞いてくれた。それが、当たり前だと思っていたわ……」


彼女は、自嘲するように、ふっと笑った。


「でも、あなたは違った。わたくしを子供扱いせず、一人の人間として、わたくしの過ちを正面から指摘してくれた。……こんなことをしてくれた人、あなたが初めてよ」


その言葉に、宰相をはじめとする周囲の者たちが、息を呑むのが分かった。


俺がやったことは、一歩間違えれば打ち首ものの不敬罪だ。だが、この聡明な王女は、俺の行動の真意を、正確に理解してくれたのだ。


「約束通り、あなたのビジネスに協力するわ。いいえ、協力させてほしいの。わたくし、あなたのようになりたい。自分の力で、何かを成し遂げられる人間に」


「……姫様……」


宰相が、感動に声を震わせている。


俺は、そんな彼女に向かって、深く頭を下げた。


「そのお言葉、恐悦至極に存じます。ですが、王女様。俺があなたに望むのは、一方的な協力ではありません」


「……え?」


「俺と、ビジネスパートナーとして、対等な契約を結んでいただきたいのです」


俺のその言葉に、今度こそ謁見室の全員が、度肝を抜かれた。


王族と、一介の商人が、対等な契約を結ぶ。それは、この国の歴史上、前代未聞のことだった。


「……ふふっ」


最初に沈黙を破ったのは、アリーシャ王女だった。彼女は、堪えきれないといった様子で笑い出した。


「あはははは! あなたって、本当に面白い人ね、アルス! 分かったわ、いいでしょう! その前代未聞の契約、結んであげる!」


こうして、俺と第三王女アリーシャとの間に、奇妙で、そして極めて強力なパートナーシップが誕生した。


契約の内容は、こうだ。


一、アリーシャ王女は、王家の権威をもって、『異世界商店アルス』の公式な後援者となる。これにより、俺の店は事実上、王家御用達の店として、絶対的な信用を得ることになる。


二、その見返りとして、俺は、定期的に王女に『新しい商品(地球のアイテム)』を献上し、彼女の『退屈しのぎ』に付き合うこと。


三、そして最も重要なのが、俺は王女に対し、商人として、そして一人の人間として、定期的に『講義』を行うこと。その内容は、経済の仕組みから、リーダーシップ論、果ては庶民の生活に至るまで、多岐にわたる。


最後の項目は、俺が提案したものだった。彼女は聡明だが、世間を知らなすぎる。彼女がいつか、この国を背負って立つ人間になるのであれば、王城の外の世界を知ることは、絶対に必要だと考えたからだ。


「まさか、王女様の家庭教師役まで仰せつかるとはな……」


王城からの帰り道、俺は隣を歩くルナに、事の顛末を話しながらため息をついた。


ルナは、俺の話を聞き終えると、呆れたような、それでいて少し感心したような、複雑な顔をした。


「……あなた、本当に命知らずね。でも、結果的に最高のカードを手に入れたんじゃないかしら。王族の後ろ盾なんて、どんな大商会でも欲しくてたまらないものでしょ」


「まあな。これで、バウマイスター子爵はもちろん、その背後にいる連中も、俺に迂闊な手出しはできなくなるだろう」


俺の狙いは、まさにそこにあった。


王女との契約は、俺という存在を、誰にも手出しできないアンタッチャブルな領域へと引き上げてくれたのだ。


宿に戻ると、俺を待っていたのは、クリムゾン商会の会頭、セシリアからの伝言だった。


『王城での一件、聞き及んでおります。あなたの常識外れの行動には、もはや驚きもしませんわ。つきましては、今夜、祝杯をあげましょう。私の隠れ家へ、お一人でいらしてください』


「……一人で、か」


俺は、意味ありげな文面に、苦笑いを浮かべた。


ルナが、じっと俺の顔を見つめている。


「……罠、かもしれないわよ」


「ああ。だが、行かないわけにはいかないだろうな」


セシリアとの関係も、ここでしっかりと築いておく必要がある。王女という新しいカードを手に入れた俺に対し、彼女が何を考え、どう動くのか。それを見極めなければならない。


その夜、俺はルナに宿の護衛を頼み、一人で指定された場所へと向かった。


そこは、貴族街のさらに奥、人通りの少ない路地にひっそりと佇む、小さなレストランだった。看板も出ていない、まさに隠れ家と呼ぶにふさわしい場所だ。


店の扉を開けると、セシリアが一人、テーブルでワイングラスを傾けながら俺を待っていた。


店内には、俺たち以外に客はいない。貸し切りなのだろう。


「よく来たわね、アルス君。まずは、座ってちょうだい」


彼女は、妖艶な笑みを浮かべて、俺の向かいの席を指し示した。


テーブルの上には、豪華な料理が並べられている。


「まずは、乾杯しましょう。あなたの、前代未聞の勝利に」


俺たちは、ワイングラスを軽く打ち合わせた。


カチン、という涼やかな音が、静かな店内に響く。


「……さて」


ワインを一口含んだ後、セシリアは、その青い瞳で俺を射抜くように見つめた。


「あなたは、王女様という最強の手駒を手に入れた。おめでとう。でも、忘れないでちょうだい。あなたを最初に評価し、王都の舞台に引き上げたのは、誰だったかしら?」


彼女の言葉には、甘い響きの裏に、棘が含まれていた。


これは、牽制だ。俺が王女と組んだことで、クリムゾン商会との約束を蔑ろにするのではないか、と釘を刺しているのだ。


俺は、グラスを置くと、彼女の目をまっすぐに見返した。


「もちろん、忘れてなどいませんよ、セシリア会頭。俺が、あなたとの提携を反故にするとでも?」


「さあ、どうかしら。男というものは、より若く、権力のある女に乗り換えるのが常ですもの」


嫉妬、だろうか。


いや、違う。これは、ビジネスウーマンとしての、冷静な駆け引きだ。


俺は、ここで彼女を安心させ、同時に、俺たちの関係がより強固なものであると示さなければならない。


俺は、おもむろに【収納】スキルを発動した。


そして、テーブルの上に、一つの小さな箱を取り出す。


「これは……?」


セシリアが、怪訝な顔をする。


俺は、その箱を彼女の前に、そっと押し出した。


「会頭への、感謝の贈り物です。開けてみてください」


彼女は、一瞬ためらった後、ゆっくりと箱のリボンを解いた。


そして、蓋を開けた瞬間、彼女は息を呑んだ。


その中に入っていたものの輝きに、店の明かりの光が、乱反射していた。

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