第21話:王女からの呼び出し
オークションでの一件は、俺が想像していた以上の波紋を広げていた。
翌朝、俺が宿の食堂で朝食をとっていると、周囲の客たちが遠巻きにこちらを窺い、ひそひそと噂話をしているのが聞こえてくる。
「おい、あれが噂の商人アルスだぞ」
「バウマイスター子爵を、オークションで完膚なきまでに叩きのめしたっていう……」
「クリムゾン商会のセシリア会頭の後ろ盾も得たらしい。とんでもない成り上がりだな」
一夜にして、俺は王都の有名人になっていた。
街を歩けば、好奇の視線が突き刺さる。それは決して心地よいものではなかったが、商人としての知名度を上げるという目的は、これ以上ない形で達成されたと言えるだろう。
そんな喧騒の中、一通の、ありえない手紙が俺の元に届けられた。
宿の主人が、震える手で持ってきたその手紙には、国王の紋章である『黄金の獅子』が蝋で封印されていた。
王家からの、正式な召喚状だった。
「……はあ?」
俺は思わず、間の抜けた声を出してしまった。
隣で手紙を覗き込んでいたルナも、珍しくわずかに眉をひそめている。
「王家からの呼び出し……。あなた、一体何をしたの?」
「俺が知りたいよ。オークションで少しばかり派手にやりすぎたか……?」
「少し、かしら……」
理由はともあれ、王家からの召喚を断ることはできない。断れば、その時点で反逆者と見なされてしまう。
俺は、急いで身なりを整え、召喚状に記された時間に、指定された場所――王城の謁見室へと向かうことにした。セシリア会頭に相談しようかとも思ったが、これは俺自身の問題だ。自分の力で乗り切らなければならない。
ルナも、護衛として同行してくれることになった。もちろん、彼女が謁見室に入れるわけではないが、城の近くで待機してくれるだけでも心強かった。
荘厳な王城の門をくぐり、幾人もの衛兵が警備する長い廊下を歩く。
やがて、巨大な扉の前にたどり着いた。
「商人アルス様、ご到着です!」
衛兵の声と共に、重々しい音を立てて扉が開かれる。
その先に広がっていたのは、ただただ、広い空間だった。
天井は高く、壁には歴代国王の肖像画が飾られている。磨き上げられた床には、俺の緊張した顔が映り込んでいた。
そして、その奥。
玉座が置かれているはずの場所には、しかし、国王の姿はなかった。
代わりに、一人の少女が、そこにちょこんと腰掛けていた。
年の頃は、俺より少し下だろうか。15、6歳くらいに見える。
陽光を編み込んだような、きらびやかな金髪の縦ロール。宝石のアメジストを嵌め込んだような、紫色の大きな瞳。純白のドレスに身を包んだその姿は、まるで精巧な人形のように、この世のものとは思えないほど美しかった。
だが、その表情は、退屈そうにぷくりと頬を膨らませている。
俺が困惑していると、少女の隣に控えていた、宰相らしき老人が咳払いをして口を開いた。
「面を下げよ、商人アルス。御前であるぞ」
「はっ……」
俺は慌てて、片膝をついて頭を垂れた。
「して、アルスとやら。そなたをここに呼んだのは、他でもない。そこにいらっしゃる、我が王国の第三王女、アリーシャ・フォン・エルドラド様、ご自身の思し召しである」
王女……だと?
俺が驚いて顔を上げると、アリーシャ王女と目が合った。彼女は、興味深そうに俺を見つめながら、鈴を転がすような、しかしどこか有無を言わせぬ響きを持つ声で言った。
「あなたが、アルスね。噂は聞いているわ。なかなか面白いことをするじゃない」
「……お褒めにあずかり、光栄の至りにございます」
「堅苦しい挨拶はいいわ。単刀直入に言うわね。アルス、あなた、わたくしのものになりなさい」
「…………はい?」
あまりに突拍子のない言葉に、俺は再び間の抜けた声を出してしまった。
王女様のものになる? どういう意味だ?
俺の混乱をよそに、アリーシャ王女は楽しそうに話を続ける。
「あなた、面白いものたくさん持ってるんでしょ? お湯を注ぐだけの麺とか、シュワシュワする黒い水とか、指で火がつく道具とか! わたくし、退屈なのよ! 毎日毎日、お勉強とお作法ばかり! 城の外にも出してもらえないし! あなたがいれば、きっと毎日が楽しくなるわ!」
どうやら、俺の店の噂は、王城の中にまで届いていたらしい。
そして、この箱入り娘の王女様は、俺の扱う商品を、新しい『おもちゃ』くらいにしか思っていないようだ。
宰相が、困り果てたような顔で補足する。
「……つまり、王女様は、そなたを専属の『御用商人』として召し抱えたいと、そう仰せなのだ」
御用商人。
聞こえはいいが、要するに王女様個人の便利屋になれ、ということだ。そうなれば、俺の自由な商売は大きく制限されるだろう。クリムゾン商会との提携も、反故にせざるを得なくなるかもしれない。
俺は、丁重に、しかしはっきりと断ることにした。
「大変光栄なお話ではございますが、王女様。私のような若輩者には、その大役はとても……」
「嫌なの?」
俺の言葉を遮り、アリーシャ王女が紫色の瞳を潤ませる。
その表情は、欲しいおもちゃを買ってもらえない子供そのものだった。
「わたくしのお願い、聞いてくれないの……? ひどいわ……ぐすっ……」
まさかの、泣き落とし。
宰相が、慌てて俺に耳打ちする。
「頼む、アルス殿! 王女様のこの『我儘』に付き合ってやってはくれまいか! ここ最近、ずっとこの調子で、我々もほとほと困り果てておるのだ! もちろん、悪いようにはせん! 相応の報酬は、国から出すと約束しよう!」
どうやら、この王女様は相当なじゃじゃ馬らしい。
だが、俺としても、ここで王家の機嫌を損ねるのは得策ではない。
俺は、頭をフル回転させた。
この状況を、俺にとって最も有利な形で切り抜ける方法は……。
「……分かりました。王女様」
俺は、覚悟を決めて顔を上げた。
「私が、御用商人をお引き受けしましょう。ただし、一つだけ、条件がございます」
「条件?」
アリーシャ王女が、ぴたりと泣き止んで、興味深そうにこちらを見る。
俺は、この国で最もわがままな少女に向かって、不敵な笑みを浮かべて言った。
「はい。私と、勝負をしていただきます。もし、王女様がその勝負に勝てたら、私は喜んであなたのものになりましょう。しかし、もし私が勝ったなら……王女様には、俺のビジネスに、全面的に協力していただきます」
俺の、王家に対する前代未聞の『賭け』。
それは、俺の運命を、そしてこの国の未来すらも、大きく左右する一手の始まりだった。
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