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第20話:偽りの剣と束の間の休息

オークション会場の混乱を後にした俺は、セシリア会頭に手配してもらった馬車に乗り込み、宿屋への帰路についていた。


隣に座るセシリアは、扇子で口元を隠しながらも、その目が楽しそうに細められているのを見れば、今日の騒動を心から満喫したことが窺える。


「見事だったわ、アルス君。力でねじ伏せるのではなく、知恵とハッタリで敵の心を折る……。あなた、本当に面白い商売をするのね」


「お褒めにあずかり光栄です。これも、セシリア会頭の資金援助あってのことですよ」


「ふふ、投資した甲斐があったわ。これでバウマイスター子爵家は、王都の笑いもの。クリムゾン商会としては、目の上のたんこぶが一つ消えて清々したわ」


軽口を叩き合いながらも、俺の心は別の場所にあった。


宿に戻れば、ルナがいる。今日のオークション、彼女は護衛として完璧に仕事をこなしてくれた。まずは、その労をねぎらわなければ。


宿屋の自室に戻ると、ルナは窓辺の椅子に腰掛け、月明かりを浴びながら小太刀の手入れをしていた。彼女の周りだけ、時間がゆっくり流れているかのような、静謐な空気が漂っている。


俺の帰還に気づくと、彼女は手元の作業を止め、その赤い瞳をこちらに向けた。


「……お帰りなさい。無事だったようね」


「ああ、お前のおかげでな。護衛、ご苦労だった」


俺はテーブルの上に、街の屋台で買ってきた温かいミートパイと、甘い果実水を置いた。


「夜食だ。まだ何も食べてないだろ?」


「……別に、お腹は空いていないわ」


そう言いながらも、彼女の視線はパイから立ち上る湯気に、一瞬だけ釘付けになっていた。素直じゃないところは相変わらずだ。


俺は構わず、パイを二つに切り分けると、片方を彼女の前に差し出した。


「いいから食え。これも、ビジネスパートナーとしての命令だ。最高のパフォーマンスを維持するためには、栄養補給も仕事のうちだからな」


俺が少し強引に言うと、ルナは小さくため息をついた後、しぶしぶといった様子でパイを手に取った。そして、小さな口で、おそるおそる一口かじる。


サクッとしたパイ生地の食感と、熱い肉汁の旨味が口に広がったのだろう。彼女の赤い瞳が、わずかに見開かれた。


「……美味しい」


「だろ? 王都で一番人気の店らしいぞ」


それから、俺たちはしばらく無言でパイを頬張った。


静かだが、気まずくはない。むしろ、共に大きな仕事をやり遂げた後の、心地よい沈黙だった。


先に口を開いたのは、ルナだった。


「……あの偽物の剣。よくできていたわね。私でも、間近で見なければ見分けがつかなかったかもしれない」


「だろ? 異世界の職人の技術は、すごいんだ」


「あなたって、本当に不思議な人間ね」


ルナは、果実水の入ったカップを両手で包み込みながら、どこか遠い目をして呟いた。


「あなたは、私みたいな暗殺者を怖がらない。貴族を相手にしても、物怖じしない。それどころか、手玉に取ってしまう。……今まで、そんな人間には会ったことがなかったわ」


「そうか?」


「ええ。普通の人間は、私を恐れるか、道具として利用しようとするか、そのどちらかよ。あなたのように、対等な『パートナー』として、夜食のパイを差し出す人間なんて」


彼女の声には、自嘲と、ほんの少しの戸惑いが混じっていた。


彼女は、ずっと孤独に生きてきたのだろう。人を殺す技術だけを磨き、誰にも心を開かず、ただ合理性だけを信じて。


そんな彼女にとって、俺の存在は、理解の範疇を超えた、奇妙な闖入者なのかもしれない。


俺は、椅子から立ち上がると、彼女の隣に歩み寄った。


そして、ためらうことなく、彼女の頭にそっと手を置いた。


「……!?」


ルナの身体が、びくりと硬直する。その赤い瞳が、驚きと混乱に見開かれ、俺の顔を見上げていた。無理もない。彼女のパーソナルスペースに、ここまで踏み込んだ人間は、きっと俺が初めてだろう。


彼女の銀髪は、月の光を浴びてキラキラと輝き、見た目とは裏腹に、驚くほど柔らかかった。


「な、……何をするの……!」


「いや、何となく、だ。お前、たまにすごく寂しそうな顔をするから」


俺がそう言って、わしわしと少し乱暴に彼女の頭を撫でると、彼女の身体から力が抜けていくのが分かった。


抵抗するでもなく、かといって受け入れるでもなく、ただされるがままになっている。


「……やめなさい。子供扱いしないで」


「はは、悪い悪い」


口ではそう言いながらも、俺は撫でるのをやめなかった。


やがて、ルナは観念したように、ふいと顔をそむけてしまった。その白い頬が、月明かりの下でも分かるくらいに、ほんのりと赤く染まっている。


「……あなたの手、温かいのね」


ぽつりと、呟かれた言葉。


それは、俺にしか聞こえないほどの、小さな小さな声だった。


その瞬間、俺たちの間に流れる空気が、少しだけ変わった気がした。


ビジネスパートナーという、乾いた関係性の下に隠れていた、もっと柔らかくて、温かい何か。


俺は、このクールで合理的な暗殺者の少女が、たまらなく愛おしく思えた。


「ルナ」


「……何よ」


「これからも、よろしく頼むぜ。相棒」


俺がそう言って笑いかけると、彼女は顔をそむけたまま、さらに小さな声で、こう呟いた。


「……好きにしなさい。ばか」


その言葉が、最高の報酬だった。


王都の夜は、まだ始まったばかり。


俺たちの、奇妙で、少しだけ甘い共犯関係は、この夜を境に、新たな段階へと進んでいくことになる。

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