第2話:覚醒する【収納】スキル
日が沈み、街に魔法の灯りがともり始める頃、俺はまだ冒険者ギルドの前から一歩も動けずにいた。行き交う人々が、地面に座り込む俺を奇異の目で見ていく。中には、俺が『暁の剣』の荷物持ちだったと知っている者もいるだろう。彼らの視線が、嘲笑が、無数の針となって全身に突き刺さるようだった。
「これから、どうすれば……」
呟きは、誰に拾われることもなく夜の闇に溶けていく。
懐には、アレクサンダーが投げ捨てた銅貨が数枚。今日の宿代にもなりはしない。そもそも、今の俺には冒険者としての身分証すらない。パーティを追放されたということは、ギルドへの登録も抹消されたに等しい。宿に泊まることすら、ままならないだろう。
これまで俺の人生は、『暁の剣』のためにあった。朝起きてから夜眠るまで、四六時中パーティのことだけを考えてきた。装備の手入れ、食料の買い出し、次のダンジョンの下調べ。全ては、彼らが最高のパフォーマンスを発揮できるように、という一心からだった。
それなのに、結果はこれだ。
俺の献身は、努力は、想いは、ただの「足手まとい」という一言で切り捨てられた。リリアナのあの冷たい声、アレクサンダーの侮蔑に満ちた目、ゴードンの吐き捨てた唾。それらが脳裏に焼き付いて離れない。
「くそっ……くそっ!」
込み上げてくる怒りと悔しさに、アスファルトを拳で殴りつける。皮が剥け、血が滲むが、痛みは感じなかった。心の痛みに比べれば、こんなものは物の数ではない。
いつまでもここにいるわけにはいかない。衛兵に見つかれば厄介なことになる。
重い体を引きずるように立ち上がり、俺は当てもなく歩き出した。煌びやかな大通りを避け、汚水と生ゴミの匂いが漂う裏路地へと足を進める。せめて、雨風をしのげる場所を探さなければ。
やがて、崩れかけた建物の軒下を見つけ、そこに力なく座り込んだ。冷たい石の壁が、体温を容赦なく奪っていく。腹の虫がぐぅ、と情けない音を立てた。最後にまともな食事をしたのはいつだったか。
俺は無意識に、自分のスキルについて考えていた。
【収納】スキル。
ただ、物を出し入れできるだけの、何の変哲もない生活系スキル。戦闘には全く役に立たない、いわゆる『ハズレスキル』だ。
「こんなスキルしか、持てなかったから……」
自嘲の言葉が漏れる。もし俺に、アレクサンダーのような剣技の才能や、リリアナのような魔術の素養があれば、こんな惨めな思いをしなくて済んだのだろうか。
ぼんやりと、意識の中にスキルのウィンドウを開く。半透明のスクリーンが目の前に現れ、いつも通り【収納】空間の中身が表示される。
……いや、いつも通りじゃない。
「なんだ……これ?」
ウィンドウの隅に、見慣れないアイコンが点滅していた。それはまるで、いくつもの歯車が絡み合ったような複雑なデザインだった。今まで、こんなものは一度も表示されたことがなかった。疲労による幻覚かと思い、何度も目をこする。だが、アイコンは消えるどころか、むしろ存在感を増しているようにすら見えた。
恐る恐る、そのアイコンに意識を集中させてみる。
すると、ウィンドウの表示が切り替わり、目の前に現れた文字列に、俺は息を呑んだ。
【次元連結システム:起動待機中】
【接続可能座標:地球(Japan)】
【ステータス:不安定(プライマリ・リンク未確立)】
「じげん……れんけつ? ちきゅう……?」
意味が分からない。聞いたこともない単語の羅列に、頭が混乱する。俺はついに気でも狂ってしまったのだろうか。
空腹と寒さ、そして絶望が、俺におかしな幻を見せているのかもしれない。
そう思い込もうとした時、腹が再び大きく鳴った。
強烈な空腹感が、思考を支配する。
(ああ……腹が減ったな……。温かいものが、食べたい……。そうだ、昔、母さんが作ってくれたみたいな、ただ塩で握っただけの、あの……温かい、おにぎり、が……)
それは、何の気なしに思い浮かべた、ただの願望だった。
その瞬間だった。
目の前のウィンドウが、閃光としか言いようのない眩い光を放った。
「うわっ!?」
思わず腕で顔を覆う。光が収まった後、おそるおそる目を開けると、ウィンドウの表示がさらに変化していた。
【プライマリ・リンク確立】
【キーワード『温かいおにぎり』を検知】
【異次元ストレージよりアイテムを検索しますか? Y/N】
もはや、何が何だか分からなかった。だが、俺はまるで何かに導かれるように、「Y」を念じた。
すると、ウィンドウ内にいくつもの商品画像のようなものがリストアップされる。
・『コンビニエンス・ストア“セブン”謹製 手巻きおにぎり 紅しゃけ』
・『ほかほか亭 こだわり塩むすびセット』
・『料亭“雪月花” 特製焼きおにぎり(醤油焦がし風味)』
知らない店名、知らない商品名ばかりだ。だが、そのどれもが信じられないほど美味そうに見えた。
混乱しながらも、俺は一番シンプルそうな『こだわり塩むすびセット』という項目を選択する。
【アイテムを現実空間に転送します。よろしいですか?】
頷く。
いつものように【収納】からアイテムを取り出す感覚で、空間に手を差し入れた。すると、指先に確かな温もりと、ずっしりとした重みが伝わってきた。
そっと引き抜いたそれを見て、俺は言葉を失った。
それは、竹の皮に包まれた、人の拳ほどもある大きさの、真っ白なおにぎりだった。ほかほかと湯気が立ち上り、食欲をそそる米と塩の香りが鼻腔をくすぐる。
「……嘘だろ」
夢でも見ているのか。
裏路地の汚れた地面に、ありえないほど場違いな、完璧な『塩むすび』が鎮座している。
ゴクリ、と喉が鳴った。震える手でそれを掴み、おそるおそる一口、かじりつく。
「―――っ!?」
口の中に広がったのは、衝撃的なほどの美味さだった。
ふっくらと炊き上げられた米の一粒一粒が舌の上でほどけ、絶妙な塩加減が米本来の甘みを最大限に引き出している。温かい。優しい。今まで生きてきて、こんなに美味いものを食べたことはなかった。
夢中で、貪るように食べた。涙が、自然と頬を伝っていく。
それは空腹が満たされていく喜びだけではなかった。絶望のどん底で、この温かさが、この美味さが、凍えきっていた俺の心を内側から溶かしていくようだった。
二つのおにぎりをあっという間に平らげ、俺は自分の掌を見つめた。
ようやく、理解が追いついてきた。
俺の【収納】スキルは、ただの収納じゃなかった。
次元を超えて、別の世界――おそらくは『地球』という場所から、物を『取り寄せる』ことができるスキルなんだ。
その事実に気づいた途端、全身に鳥肌が立った。
これは、とんでもない力だ。
俺は、今度は「冷たい水」と念じてみた。
ウィンドウには、またしても見慣れない容器に入った水の画像がいくつも表示される。適当なものを選ぶと、手の中にはひんやりと冷たい、透明な容器に入った水が現れた。蓋をひねって飲むと、雑味のないクリアな味が喉を潤していく。
次に「温かい毛布」。出てきたのは、信じられないほど手触りが滑らかで、驚くほど軽いのに温かい布だった。
これは、本物だ。俺のスキルは、覚醒したんだ。
無能なんかじゃない。ハズレスキルなんかじゃない。
世界でただ一人、俺だけが持つ、奇跡の力。
「は……はは……ははははは!」
笑いが込み上げてきた。それは、絶望を乗り越えた者の、歓喜の雄叫びだった。
アレクサンダー、リリアナ、ゴードン、セラ……。彼らが無能だと切り捨てたこの力は、彼らの聖剣や魔法なぞ足元にも及ばない、規格外の代物だったのだ。
復讐、という言葉が頭をよぎる。
だが、すぐにその考えを振り払った。今の俺にとって、彼らはもはやどうでもいい存在になりつつあった。もっと、やるべきことがある。
「そうだ……商人になろう」
この力を使えば、この世界にはない珍しい品々を『地球』から仕入れ、売ることができる。冒険者のように命を危険に晒す必要もない。誰かに見下されることも、理不尽に扱われることもない。自分の力だけで、自由に生きていける。
俺を捨てた『暁の剣』が、必死にダンジョンに潜って稼ぐ金額など、瞬く間に超えてやれるだろう。
それが、俺なりの最高の『ざまぁ』になるはずだ。
温かい毛布にくるまりながら、俺は決意を新たにした。
裏路地の冷たい暗闇の中で、俺の心には、未来を照らす確かな希望の光が、力強く灯っていた。アルスの新しい人生は、今、この瞬間から始まるのだ。
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