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第18話:価値の創造

「いくらで売る気だ、と聞いている!」


ゲルハルト会頭の、欲望に満ちた声が会場に響く。


周囲の商人たちも、固唾を飲んで俺の答えを待っていた。彼らの目もまた、ゲルハルトと同じ色をしていた。この『珈琲』という未知の飲み物が、とてつもない価値を持つ金のなる木であることに、彼らは気づき始めていたのだ。


ここで、安売りをしてはいけない。


俺が売るのは、ただの飲み物ではない。『珈琲を飲む』という新しい文化、新しい価値そのものなのだから。


俺はゆっくりと首を横に振った。


「申し訳ありませんが、この『珈琲』……豆そのものを、今の段階で皆様に卸すつもりはありません」


「なにぃ!?」


俺の意外な言葉に、ゲルハルトだけでなく、周りの商人たちも驚きの声を上げた。


「貴様、我々を愚弄する気か! 金儲けの絶好の機会を、みすみす逃すというのか!」


ゲルハルトが激昂するが、俺は冷静に言葉を続けた。


「いいえ、愚弄などとんでもない。むしろ、この『珈琲』の価値を最大限に高めるための、最善のご提案をさせていただきたいのです」


俺は、テーブルの上に並べたコーヒーカップとミルを、指で示す。


「この『珈琲』は、ただ飲めばいいというものではありません。豆を挽き、お湯を注ぎ、香りを楽しみながら待つ。その一連の『時間』こそが、この飲み物の真の価値なのです。そして、その価値を最大限に引き出すためには、それにふさわしい『器』と『道具』が必要不可欠です」


俺は、純白のコーヒーカップを一つ、手に取ってみせた。


「例えば、このカップ。これは、珈琲の色と香りを最も楽しめるように、異国の高名な職人が特別に設計したものです。この滑らかな口当たり、手にしっくりと馴染む重み……。これ以外の器で飲んだのでは、珈琲の魅力は半減してしまうでしょう」


俺の口から語られる言葉は、半分は真実で、半分はハッタリだ。


だが、そのハッタリが、商品の『物語』となり、『付加価値』となる。


商人たちは、俺がただの田舎者ではないことを悟り始め、真剣な表情で俺の言葉に聞き入っていた。


「ですので、皆様にご提案したいのは、豆の販売ではありません。この珈琲を楽しむための一式――豆、ミル、ドリッパー、そしてこの特製のカップとソーサーをセットにした、『珈琲入門セット』の独占販売契約です」


「独占販売契約……だと?」


「はい。この王都において、我が『異世界商店』の珈琲セットを独占的に取り扱う権利を、皆様に競り落としていただきたいのです」


俺の提案の意図を理解した商人たちの間に、どよめきが走った。


豆だけを売れば、いずれ模倣品が出回るだろう。だが、専用の器具とセットにし、さらに『独占販売権』という形にすれば、その価値は守られ、価格競争に陥ることもない。そして、その権利を手にした者は、王都における新しい文化の流行を、一手に握ることができるのだ。


ゲルハルトは、ゴクリと喉を鳴らした。その目は、もはや完全に商人のものだった。


「……面白い。小僧、面白いことを考える。して、その独占販売権とやらの、最低落札価格はいくらだ?」


「金貨100枚から、とさせていただきます」


会場が、再び大きくどよめいた。


だが、ゲルハルトはもはやその金額に怯まなかった。彼は、このビジネスが成功すれば、その何十倍、何百倍もの利益を生むことを見抜いていた。


「……買った! その話、乗ったぞ! 金貨100枚、我がゴールデン商会が出そう!」


ゲルハルトが叫んだ、その時だった。


「お待ちください、ゲルハルト会頭」


凛とした女性の声が、輪の外から響いた。


人々が振り返ると、そこには、炎のように赤い髪を持つ、美しいドレス姿の女性が立っていた。その胸元には、ライオンの紋章が輝いている。この国の二大商会の一つ、『クリムゾン商会』の若き女会頭、セシリア・クリムゾンその人だった。


セシリアは、優雅な足取りで俺のブースまで歩いてくると、俺が淹れておいたもう一杯のコーヒーを、許可もなく手に取った。


そして、その香りを確かめ、一口含むと、その青い瞳をわずかに細めた。


「……素晴らしいわ。噂には聞いていたけれど、これほどのものとはね」


彼女は俺に向かって、蠱惑的な笑みを浮かべる。


「アルス君、だったかしら? あなたのその『珈琲』、そしてその商才、気に入ったわ。独占販売権、金貨150枚で、我がクリムゾン商会に譲ってくださらない?」


「なっ……セシリア! 貴様、横槍を入れる気か!」


ゲルハルトが怒りの声を上げる。


「あら、これは競争でしょう? ゲルハルト会頭。より良い条件を提示した者が、権利を得る。それが商売の基本ではございませんこと?」


セシリアは、ゲルハルトを挑発するように微笑む。


こうして、俺のブースは、いつの間にか商談会の目玉となり、二大商会による熾烈な競りの舞台へと変わっていた。


「金貨160枚!」


「では、こちらは200枚でいかが?」


「ぬうう……210枚だ!」


「250枚。それ以上出すというのなら、私はこの勝負、降りますわ」


セシリアが最終提示額を告げると、ゲルハルトはぐぬぬ、と唸りながら顔を真っ赤にした。金貨250枚は、さすがの彼にとっても即決できる額ではないのだろう。


やがて、彼は悔しそうに顔を歪め、引き下がった。


「……お見事です、セシリア会頭。独占販売権は、クリムゾン商会に」


俺が宣言しようとした時、セシリアは俺の言葉を手で制した。


「待って。少し、条件を変えたいの」


「……と、言いますと?」


「独占販売権ではないわ。私は、あなたという商人と、『業務提携』を結びたい」


セシリアの目は、真剣だった。


「あなたには、これからも自由に、革新的な商品をこの世に出し続けてほしい。そのための資金や販路、人材は、我がクリムゾン商会が全面的にバックアップするわ。その代わり、あなたが新たに生み出す商品の優先交渉権を、私たちにいただきたいの。どうかしら? この方が、お互いにとって、より大きな利益を生むと思わない?」


独占販売権を売ってしまえば、俺の儲けはそこで終わりだ。


だが、業務提携ならば、俺はクリムゾン商会という巨大な後ろ盾を得て、自分のビジネスをさらに拡大していくことができる。


彼女は、目先の利益ではなく、俺という『金の卵を産む鶏』そのものに投資しようとしているのだ。


この女、ゲルハルトとは格が違う。


俺は、目の前の美しい女会頭に、初めて心の底からの賞賛を覚えた。


「……分かりました。そのご提案、お受けします。セシリア会頭、これからよろしくお願いします」


俺が手を差し出すと、セシリアは優雅な仕草でその手を取った。


「こちらこそ、よろしくね。アルス君。あなたの『物語』、これから楽しみにしているわ」


こうして、俺は王都に来てわずか一日で、王国最大級の商会と手を組むことに成功した。


そのニュースは、瞬く間に会場を駆け巡り、俺を見る周囲の目は、侮蔑から畏敬へと完全に変わっていた。


商談会は、大成功に終わった。


だが、俺の本当の戦いは、これからだ。


俺は懐で温めていた、王家主催のオークションの招待状を、そっと握りしめた。


次なる舞台は、欲望渦巻く競売会場。


バウマイスター子爵との、直接対決の時が、迫っていた。

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