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第17話:王都の洗礼

オークションへの参加を決めたものの、その前に片付けなければならない本題がある。


そう、商談会だ。


これは、商業ギルドマスター、バルトロとの約束であり、俺が王都で足場を築くための重要な第一歩となる。


商談会の会場は、王城に隣接する、貴族や大商人専用の迎賓館だった。


その壮麗な建物に足を踏み入れた瞬間、俺は場違いな場所に迷い込んでしまったかのような感覚に襲われた。


天井には巨大なシャンデリアが輝き、磨き上げられた大理石の床には、絹やビロードの豪華なドレスをまとった貴婦人や、いかにも高価そうな仕立ての良い服を着た商人たちの姿があった。


俺の服装は、街で新調したとはいえ、ごく普通の旅着だ。ミリアが繕ってくれたお守りの袋を懐に忍ばせているのが、唯一の心の支えだった。


そんな俺の姿は、明らかに周囲から浮いていた。


あちこちから、侮蔑や好奇の視線が突き刺さる。


「おい、見ろよ。どこの田舎者だ?」


「商業ギルドの推薦枠らしいが、今年は人材不足なのかね」


「みすぼらしい格好……。ああいう輩がいると、会場の品位が下がるわ」


聞こえよがしに囁かれる悪意。


それは、かつて『暁の剣』にいた頃に浴びせられたものと、よく似ていた。


だが、今の俺はもう、そんな言葉に心を揺さぶられたりはしない。むしろ、好都合だとすら思った。今は好きに侮っていろ。後で、その歪んだ鼻っ柱をへし折ってやる。


俺は、自分に割り当てられた小さなブースへと向かった。


そこには、小さなテーブルと椅子が二つあるだけ。周りのブースが、美しい刺繍の施されたテーブルクロスや、金銀の装飾品で飾り立てられているのに比べると、あまりにも貧相だった。


俺は持参した荷物の中から、今回の『商品』を取り出し、テーブルの上に並べていく。


純白の陶器でできた、洗練されたフォルムのコーヒーカップとソーサー。


手動式のコーヒーミルと、ガラス製のドリッパー。


そして、封を切った瞬間に、芳醇な香りをあたりに漂わせる、最高級のコーヒー豆『ブルーマウンテン』。


俺が準備を始めると、周囲の商人たちが、物珍しそうに、しかし小馬鹿にしたような態度でこちらを覗き込んできた。


「なんだあれは? 見たこともないガラクタだな」


「豆……か? あんなものを売りに来たのか、あの田舎者は」


俺は彼らを意に介さず、持参した魔法のコンロでお湯を沸かし始めた。


やがて、ブースの前に一人の男が立った。でっぷりと太り、指にはこれみよがしに宝石の指輪をいくつも嵌めている。確か、この国でも五指に入る大商会、『ゴールデン商会』の会頭、ゲルハルトとかいう男だったはずだ。


「おい、小僧。貴様がバルトロが推薦してきたというアルスか」


ゲルハルトは、俺を見下しながら、尊大な態度で言った。


「いかにも。俺が商人アルスです」


「ふん。バルトロも耄碌したか。こんな小僧に、何の価値があるというのか。貴様、その奇妙な豆とガラクタで、我々を満足させられるとでも思っているのか?」


典型的な、権威を笠に着た小物だ。


俺は、そんな彼ににっこりと微笑みかけた。


「言葉で説明するよりも、実際に味わっていただくのが一番でしょう。さあ、会頭。俺が淹れる、至高の一杯を試してみませんか? もちろん、無料ですよ」


俺の挑戦的な態度に、ゲルハルトは一瞬眉をひそめたが、すぐに下卑た笑みを浮かべた。


「ほう、面白い。そこまで言うのなら、その度胸だけは買ってやろう。飲んでやる。だが、もし俺の舌を満足させられなかった時は……どうなるか、分かっているな?」


脅し文句を背に、俺はコーヒーを淹れる準備を始めた。


まず、ミルで豆を挽く。ゴリゴリという小気味よい音と共に、先ほどよりもさらに濃厚で、甘く香ばしいアロマがブースの周辺に満ち満ちていく。


そのただならぬ香りに、ゲルハルトだけでなく、周りで見ていた他の商人たちも、ざわめき始めた。


次に、挽いた粉をドリッパーにセットし、ゆっくりと、円を描くようにお湯を注いでいく。


ポタリ、ポタリと、琥珀色の液体がサーバーに落ちていく。その光景は、まるで一つの儀式のようだった。


俺は、この日のために、地球の動画サイトでプロのバリスタの動きを何度も見て、完璧にマスターしていたのだ。


やがて、抽出が終わったコーヒーを、温めておいたカップに注ぐ。


漆黒の液体が、白い陶器の上で美しく映える。


「さあ、どうぞ。熱いうちに」


俺は、カップをソーサーに乗せ、ゲルハルトの前に恭しく差し出した。


ゲルハルトは、まだ半信半疑といった顔でカップを受け取ると、まずはその香りを嗅いだ。


その瞬間、彼の太った身体が、ぴくりと震えた。


「な……なんだ、この香りは……!? 薬草の類とは全く違う……甘く、深く、そしてどこか心を落ち着かせるような……!」


彼は、恐る恐るカップに口をつけ、その黒い液体を一口、含んだ。


そして、時が止まった。


ゲルハルトは、目を見開いたまま、完全に硬直している。その表情は、驚愕、混乱、そしてやがて、恍惚としたものへと変わっていった。


「……う……うまい……」


絞り出すような、か細い声。


「……なんだこれは……!? 最初にガツンと来る力強い苦味、その後に追いかけてくる柔らかな酸味、そして鼻から抜けていく、花のような甘い香り……! 全てが、完璧に調和している……! こ、こんな飲み物、生まれてこの方、一度も口にしたことがないぞ……!」


彼は、まるで憑かれたように、夢中でコーヒーを飲み干していく。


そのあまりの絶賛ぶりに、周りで見ていた商人たちの態度が、明らかに変化していた。侮蔑の表情は消え、誰もが固唾を飲んで、ゲルハルトの次の一言を待っている。


カップを空にしたゲルハルトは、はぁ……と陶然としたため息をつくと、震える手でカップをソーサーに戻した。


そして、血走った目で、俺を睨みつけた。


「……小僧。この飲み物……『珈琲』と言ったか。これを、いくらで売る気だ?」


その声には、先ほどの尊大な響きは微塵もなかった。あるのは、商人が極上の獲物を見つけた時の、剥き出しの欲望だけだ。


俺は、計画通りに事が進んでいることを確信し、口の端に笑みを浮かべた。


王都の商人たちよ。


これが、俺のやり方だ。


異世界の文化で、お前たちの常識を根底から覆してやる。


商人アルスの、王都での第一幕は、最高の形で幕を開けた。

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