第14話:王都への旅立ち
王都での商談会まで、残された期間は二週間。
俺は、その準備に追われることになった。
まずは、店の留守をどうするか。これが一番の課題だった。
幸い、俺にはミリアという信頼できる従業員がいる。
「ミリア、俺は二週間ほど、この街を留守にする。その間、この店を君に任せてもいいだろうか?」
俺がそう切り出すと、ミリアは一瞬不安そうな顔をしたが、すぐに力強く頷いた。
「はい! お任せください、店長! 店長が安心して旅立てるよう、私がこの店をしっかり守ります!」
彼女のその言葉が、何よりも心強かった。
俺は彼女に、商品の仕入れ方――もちろん、【収納】スキルのことは隠し、「秘密の倉庫から定期的に補充する」という名目で――と、一日の売上金の管理方法を徹底的に教え込んだ。万が一のトラブルに備え、商業ギルドのバルトロとも直接連絡が取れるように手配も済ませた。
次に、商談会で発表する『商品』の選定だ。
王都の大商人や貴族を相手にするのだ。カップラーメンやライターといった、これまでの商品だけではインパクトが弱いかもしれない。彼らの度肝を抜き、俺という商人の価値を決定づけるような、切り札が必要だった。
俺は宿の自室にこもり、【次元連結収納】の検索ウィンドウと何時間もにらめっこを続けた。
キーワードは「高級」「革新」「贅沢」。
宝飾品や美術品も考えたが、それでは俺のオリジナリティが出ない。俺が扱うべきは、あくまでもこの世界の文化レベルを一歩先へと進めるようなアイテムであるべきだ。
そして、俺は一つの結論にたどり着いた。
「……これだ」
俺が選んだのは、『インスタントコーヒー』と、それに付随する一連の器具――コーヒーミル、ドリッパー、そして美しいデザインの『コーヒーカップ』だった。
この世界にも、興奮作用のある豆を煎じて飲む文化はある。だが、それは苦くて薬のような飲み物であり、嗜好品として広く楽しまれているものではなかった。
対して、地球のコーヒーは、深い焙煎技術と抽出方法によって、苦味だけでなく、香り、酸味、コクといった複雑な味わいを持つ、文化的な飲み物へと昇華されている。
王都の連中に、本物の『珈琲』の味と、それを楽しむ優雅な時間を提案する。
これならば、彼らの虚栄心をくすぐり、新たな市場を開拓できるはずだ。俺は、特に香りが高く、希少価値のある『ブルーマウンテン』という銘柄の豆を大量に仕入れることにした。
旅の準備は、着々と進んでいった。
バルトロが手配してくれたのは、乗り合いの大型馬車だった。王都までは、この馬車に揺られて5日ほどの道のりだ。
出発の日の朝、店の前にはミリアが見送りに来てくれた。
「店長、お気をつけて。それと……これ、お守りです」
彼女はそう言って、小さな布製の袋を俺に手渡した。中には、安らぎの効果があるというハーブが入っている。彼女が夜なべして作ってくれたのだろう。
「ありがとう、ミリア。大事にするよ。店のことは頼んだぞ」
「はい!」
彼女に力強く頷き返し、俺は馬車へと乗り込んだ。
馬車には、俺の他に数名の乗客がいた。行商人風の男や、故郷に帰るらしい老婆など、様々だ。俺は目立たないように隅の席に座り、出発を待った。
やがて、御者の威勢のいい掛け声と共に、馬車はゆっくりと動き出す。
窓から見える街の景色が、だんだんと遠ざかっていく。俺がこの街に来てから、まだ一ヶ月も経っていない。だが、その短い期間で、俺の人生は劇的に変わった。
(王都か……)
新しい舞台への期待と、ほんの少しの不安。
バルトロの言葉が、頭をよぎる。
『暁の剣』の背後にいる貴族。腐った国の構造。俺は、そんな大きな渦の中に、自ら飛び込もうとしている。
馬車が街の門を抜け、広大な平原に出た頃だった。
ふと、背後から感じる視線に気づいた。
乗り合わせた客の一人。フードを目深にかぶっているせいで顔はよく見えないが、どうやら俺と同じくらいの年頃のようだ。その人物は、馬車に乗った時から、時折こちらを窺うような素振りを見せていた。
(……気のせいか?)
俺は軽く会釈をしてみたが、相手はぷいと顔をそむけるだけだった。
警戒心が強いのか、あるいは人見知りなのか。特に害意は感じられなかったため、俺はそれ以上気にかけるのをやめ、窓の外の景色に意識を戻した。
旅は、最初のうちは順調だった。
街道は整備されており、馬車は快適な速度で進んでいく。俺は道中、スキルで取り寄せた『文庫本』を読んだり、コーヒーのプレゼンテーションの練習をしたりして過ごした。
異変が起きたのは、出発から三日目の夕暮れ時。
馬車が、鬱蒼とした森の中を通る街道に差し掛かった時だった。
「ヒヒーンッ!」
突然、馬が甲高い嘶き声を上げ、馬車が急停止した。
何事かと乗客たちがざわめく中、御者の絶叫が聞こえてきた。
「と、盗賊だ! 皆、伏せろ!」
その言葉と同時に、森の中から十数名の武装した男たちが姿を現した。錆びついた剣や斧を手にし、下卑た笑みを浮かべている。
「ひひひ、運が悪いなあ、お前ら。この森を通るなら、通行料を払ってもらわねえとなあ!」
リーダー格らしき大男が、そう叫ぶ。
乗客たちはパニックに陥り、悲鳴を上げたり、貴重品を隠そうとしたりしている。
俺は冷静に状況を観察した。盗賊の数は12人。装備は貧弱で、統率も取れていない。おそらく、元は農民か何かだろう。大した脅威ではない。
(俺が、やるしかないか)
スタンガンや防弾シールドを使えば、彼らを無力化することは容易い。
俺が腰を上げようとした、その時だった。
「――チッ、面倒ね」
凛とした、少女の声が響いた。
声の主は、俺の隣に座っていた、あのフードの人物だった。
彼女――声からして、若い女性だろう――は、億劫そうに立ち上がると、ゆっくりと馬車の外へと歩いていく。
「おい、姉ちゃん! どこへ行くんだ!」
御者が慌てて制止しようとするが、彼女はそれを無視した。
盗賊の一人が、彼女の姿に気づき、下卑た笑みを浮かべる。
「お、女だ! こいつはいいや! まずはてめえから、身ぐるみ剥がしてやるぜ!」
男が、汚い手を伸ばしながら彼女に近づく。
その瞬間。
閃光が、走った。
次の瞬間には、男の身体が、首のないまま地面に崩れ落ちていた。
鮮血が、夕暮れの森を赤く染める。
何が起こったのか、誰も理解できなかった。
ただ、フードの少女の手には、いつの間にか一振りの小太刀が握られていた。その刃に付着した血を、彼女は無造作に振るって払う。
「……私の邪魔をする奴は、死ぬわよ」
その声は、氷のように冷たかった。
彼女はフードをゆっくりと外し、その素顔を夕陽の下に晒す。
銀糸のように輝く髪。血のように赤い瞳。
そして、その美しさとは裏腹な、全てを拒絶するような冷徹な表情。
それは、俺が開店準備中に人混みの中で見かけた、あの謎の人影と、同じ顔だった。
彼女は、一体何者なんだ?
盗賊たちは、仲間の無残な死を前に、恐怖に顔を引きつらせていた。
だが、少女はそんな彼らに一切の容赦を見せなかった。
彼女の身体が、霞む。
そして、無数の斬撃が、悲鳴と共に森の静寂を切り裂いていった。
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