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第12話:逆転の一手

俺のその一言に、店の前の喧騒が一瞬だけ静まり返った。


芝居がかった男も、地面でうずくまる少年も、そして周りの野次馬たちも、俺が何を言っているのか理解できないといった表情でこちらを見ている。


「薬……だと?」


男が、訝しげに呟く。


「ああ、薬だ。異世界から取り寄せた、どんな腹痛にも即座に効く、とっておきの霊薬でね」


俺はそう言うと、わざとらしくゆっくりとした仕草で懐に手を入れた。もちろん、実際には【収納】スキルからアイテムを取り出すためだ。


俺が取り出したのは、小さな白い錠剤が数個入った、透明なシートだった。


――強力胃腸薬。


地球では、どこの薬局でも手に入るごく一般的な薬だ。だが、この世界の人々にとっては、未知の物体にしか見えないだろう。


俺はシートから錠剤を一つ、プチリと押し出すと、それを男の目の前に突きつけた。


「さあ、坊やにこれを飲ませてやってくれ。水も用意しよう。これを飲めば、どんな食あたりだろうと、3分もすればケロリと治るはずだ」


俺の自信満々な態度に、男の顔がひきつった。


彼らの計画では、俺が狼狽し、言い訳をし、最終的に慰謝料を払うか、衛兵に連行されるか、という筋書きだったはずだ。まさか、その場で腹痛を治すと言い出すとは、夢にも思っていなかったのだろう。


「ま、待て! てめえの店の、そんな怪しい薬が飲めるか! もしそれが毒だったらどうするんだ!」


男は慌てて叫ぶ。その反応こそが、彼らが仕組んだ罠であることの何よりの証拠だった。


周囲の野次馬たちも、男の言うことに一理あると思ったのか、「そうだそうだ」「毒見もなしに飲ませる気か」と同調する声が上がり始める。


「ご心配なく。もちろん、毒見はさせてもらおう」


俺はにやりと笑うと、今度は自分用に、もう一錠、薬を取り出した。


そして、集まった群衆によく見えるように、その白い錠剤を高く掲げる。


「いいかい、皆さん。俺は今から、この薬を自分で飲む。もしこれが毒なら、俺はここで倒れるだろう。だが、もし俺が何ともなければ、この薬が安全であることの証明になる。それで、文句はないな?」


俺はそう言うと、用意しておいた水を一口含み、錠剤をためらうことなく飲み下した。


ゴクリ、という喉を鳴らす音が、やけに大きく響いた気がした。


全ての視線が、俺の一挙手一投足に注がれている。


もちろん、ただの胃腸薬だ。体に害などあるはずもない。


俺は腕を組み、堂々とした態度でその場に立ち尽くす。


1分、2分……。


時間が経つにつれて、野次馬たちの囁き声が変化していくのが分かった。


「おい、あの店主、平然としてるぞ……」


「毒じゃないのか……?」


「だとしたら、本当に効く薬なのかもしれない……」


そして、芝居がかった男と、地面の少年の顔からは、急速に血の気が引いていく。自分たちの仕掛けた罠が、根底から崩れ去ろうとしていることに、ようやく気づいたのだ。


俺は男に向き直ると、にっこりと笑いかけた。


「さあ、ご覧の通り、俺はピンピンしている。これで、この薬が安全なことは証明された。次は、坊やの番だ。早く飲ませてやらないと、可哀想じゃないか」


俺は再び錠剤を差し出す。


男は完全に追い詰められていた。ここで薬を飲ませなければ、腹痛そのものが嘘だったと認めることになる。そうなれば、自分たちが詐欺師として衛兵に突き出される番だ。


かといって、もし万が一、この未知の薬に本当に腹痛を止める効果があったら? それはそれで、彼らの計画は失敗に終わる。


「……くっ……!」


男はギリ、と歯噛みすると、乱暴に俺の手から錠剤をひったくり、地面でうずくまる少年のもとへ向かった。


「おい、小僧! これを飲め!」


半ば無理やり、少年は錠剤と水を飲まされる。


さあ、ここからが見ものだ。


俺は心の中でカウントダウンを始める。


胃腸薬の効果は、絶大だった。


薬を飲んでから1分も経たないうちに、腹痛で苦しんでいた(フリをしていた)少年が、むくりと体を起こした。


「……あれ?」


少年は自分のお腹をさすり、不思議そうな顔をしている。


「……痛くない……。お腹、痛いの、治っちゃった……」


その言葉は、純粋な驚きから出たものだった。


その瞬間、周囲の野次馬たちから、どよめきとも感嘆ともつかない声が上がった。


「おおっ! 本当に治ったぞ!」


「すげえ! あの白い粒、本当に霊薬だったんだ!」


「あの店の食い物は安全だったんだ! むしろ、病気を治す薬まで持ってるなんて!」


形勢は、完全に逆転した。


俺に向けられていた非難の目は、今や尊敬と称賛の眼差しに変わっている。


そして、その視線は、次に立ち尽くす大柄な男へと移っていく。


「……なあ、あんた。さっき、あの店のせいだって決めつけてたよな?」


「そうだぜ。自分の甥だって言ってたが、本当か?」


「もしかして、あの店を陥れるための、芝居だったんじゃないのか?」


群衆の囁きは、今や男に対する明確な疑惑となっていた。


男は顔を真っ青にさせ、脂汗をだらだらと流している。


「ち、違う! 俺は、こいつが苦しんでたから……!」


しどろもどろに言い訳をするが、もはや誰も彼の言葉を信じようとはしなかった。


俺は、そんな男に近づき、静かに、だがはっきりと聞こえる声で告げた。


「あんたの甥御さんの腹痛が治って、本当に良かった。慰謝料は、もちろんもう必要ないですよね?」


俺の言葉は、最後の追い打ちだった。


男は「ひっ……!」と短い悲鳴を上げると、治ったはずの少年をその場に置き去りにして、群衆をかき分け、一目散に逃げ出していった。


その無様な姿を見て、群衆は全てを察した。


「やっぱり、詐欺師だったんだ!」


「『暁の剣』が用心棒についてるチンピラだろ、あいつ!」


「ひでえことしやがる!」


後に残された少年は、どうしていいか分からずオロオロしている。俺は少年に近づくと、その頭にそっと手を置いた。


「坊主、もう大丈夫だ。腹が減ってるなら、からあげでも食っていくか? もちろん、タダでご馳走するぜ」


俺のその対応に、周囲からは温かい拍手が巻き起こった。


『異世界商店アルス』の信用は、失われるどころか、この一件でさらに強固なものとなったのだ。


店のカウンターの陰から、ミリアが潤んだ瞳でこちらを見ていた。


俺は彼女に向かって、そっとウインクをしてみせる。


これが、商人アルスの戦い方だ。


そして俺は、逃げ去った男が向かった先――『暁の剣』が根城にしているであろう冒険者ギルドの方角を、冷たい目で見据えていた。


このまま、やられっぱなしで終わらせるつもりは、毛頭なかった。

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