第11話:悪意の噂と仕組まれた罠
『異世界商店アルス』の新装開店から一週間が過ぎた。
店の経営は完全に軌道に乗り、俺とミリアは目が回るような忙しい毎日を送っていた。
「店長! からあげ、あと5つで売り切れです!」
「了解! すぐに揚げる! ミリアはレジをお願いできるか?」
「はい!」
ミリアは今や、俺の右腕と呼んでも差し支えないほどに成長していた。最初は戸惑っていた接客もすっかり板につき、常連客の顔と好みを覚えるほどの気の利きようだ。彼女の真面目で誠実な働きぶりは、店の評判をさらに高めてくれていた。
俺は彼女の給金を相場よりかなり高く設定したが、彼女の働きはそれ以上の価値があった。
「ミリア、いつも助かるよ。君がいてくれなかったら、この店は回らなかった」
休憩時間にそう言うと、彼女は顔を赤らめて俯いてしまった。
「そ、そんなことありません……! 私を拾ってくれた店長に、恩返しがしたいだけですから……」
彼女の過去については、まだ詳しく聞いていない。だが、彼女が「拾ってくれた」という言葉を使ったことに、俺は少しだけ胸が痛んだ。俺もまた、『暁の剣』に拾われ、そして捨てられた身だ。彼女には、そんな思いはさせないと心に誓った。
順風満帆に見えた店の経営だったが、その流れに僅かな澱みが生まれたのは、開店から10日ほどが経った頃だった。
市場で、俺の店に関する悪意のある噂が、どこからともなく流れ始めたのだ。
「聞いたか? あの『異世界商店』の肉、どこの馬の骨とも知れない怪しいルートから仕入れてるらしいぜ」
「ああ、お湯を注ぐだけの麺も、何か身体に悪い魔法薬が入ってるって話だ」
「子供に食べさせるのはやめておいた方がいいかもしれないわね……」
根も葉もない、完全なデマだ。
だが、噂というものは尾ひれがついて広がるのが常だ。これまで見たことのない食品を扱っているという事実が、その噂に妙な信憑性を与えてしまっていた。
客足が、目に見えて少しずつ減り始めた。常連客は変わらず来てくれるが、新規の客や、物見遊山で来ていた客層が明らかに遠のいている。
「店長……どうしましょう……」
ミリアが、不安そうな顔で俺を見上げる。
「気にするな、ミリア。あんなものは、俺たちの店が繁盛していることへの嫉妬だ。誠実に商売を続けていれば、いつか客は戻ってくる」
俺は彼女を励ましながらも、内心では腸が煮えくり返る思いだった。
こんな陰湿な嫌がらせをする輩に、心当たりは一つしかない。
(……『暁の剣』の連中だな)
力で俺を屈服させられないと分かった連中が、次に打ってきた手。それは、商人にとって最も致命的になりかねない、『信用』を毀損させるという卑劣な手段だった。
直接的な証拠はない。だが、奴ら以外に考えられなかった。
そして、その予感が確信に変わる事件が起こった。
その日の昼過ぎ、店が少し落ち着きを取り戻した頃だった。
店の前で、一人の少年が突然、腹を押さえて苦しみ始めた。
「う……ううっ……お腹が、痛いよ……!」
年の頃は10歳くらいだろうか。土埃に汚れた服を着た、見かけない顔の少年だった。
彼の叫び声に、周囲の通行人たちが足を止め、何事かとこちらに注目する。
すると、どこからともなく現れた大柄な男が、少年に駆け寄り、わざとらしい大声で叫んだ。
「坊主、どうしたんだ! 大丈夫か!」
「おじさん……さっき、あそこの店で『からあげ』っていうのを食べたら、急に……!」
少年はそう言って、俺の店を指さした。
その瞬間、周囲の空気が一変する。
遠巻きに見ていた人々が、ざわざわと囁き始めた。
「おい、見たか? あの店の食い物で、子供が腹を壊したぞ!」
「やっぱり、あの噂は本当だったんだ!」
「なんてひどい店だ! 子供に毒を食わせるなんて!」
大柄な男は、待ってましたとばかりに俺の店に詰め寄ってきた。その顔には見覚えがあった。以前、アレクサンダーたちと一緒にいた冒険者の一人だ。
「おい、てめえ! うちの甥に何を食わせたんだ! このガキがどうなってもいいってのか!」
甥? 嘘をつけ。完全に仕組まれた芝居だ。
俺は冷静に状況を分析する。少年はおそらく金で雇われたのだろう。腹痛を訴えているが、その顔色に苦痛の色は薄い。見事な三文芝居だった。
だが、周りの野次馬たちはそうは思わない。彼らの目には、俺が悪徳商人として映っている。
噂を流して下地を作り、食中毒という決定的な事件をでっちあげる。そして、群集心理を煽って俺の店の評判を完全に叩き潰す。実に用意周到で、悪辣な計画だった。
「さあ、どうなんだ店主! 慰謝料を払え! それとも、衛兵を呼んで、この店を営業停止にしてもらおうか!」
男が勝利を確信したように、下品な笑みを浮かべる。
ミリアは、店のカウンターの陰で、青ざめた顔をして震えていた。
絶体絶命のピンチ。
衛兵が来れば、事情聴取のために店は一時的に閉めなければならないだろう。一度「食中毒を出した店」というレッテルを貼られれば、客足が戻ることは二度とないかもしれない。
俺はゆっくりと息を吐いた。
そして、カウンターから一歩前に出る。
パニックに陥るでもなく、怒りを露わにするでもなく、俺の心は不思議なほどに静かだった。
(……面白い。そこまでやるか)
お前たちがその気なら、俺にも考えがある。
お前たちが仕掛けたこの汚い罠、そっくりそのまま、お前たちに返してやろうじゃないか。
俺は芝居がかった男と、地面でうずくまる少年、そして俺を非難の目で見つめる群衆を順に見渡し、静かに口を開いた。
その声は、喧騒の中でも奇妙なほど、よく通った。
「お騒がせして申し訳ありません。ですが、ご安心ください。うちの店には、万が一の時のために、とてもよく効く『薬』も用意してあるんですよ」
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