第1話:役立たずの荷物持ち
初投稿です。
「おい、アルス! ポーションだ! 早くしろ、グズが!」
怒声が洞窟内に響き渡る。声の主は、俺が所属するSランクパーティ『暁の剣』のリーダー、勇者アレクサンダー。金色の髪を振り乱し、聖剣を振るって巨大なミノタウロスと対峙しながら、苛立ちを隠そうともせずに叫んでいた。
「は、はい! 今すぐに!」
俺は慌てて背負っていた大きな背嚢から、中級回復薬を取り出し、前線で戦う彼らに向かって駆け寄ろうとする。しかし、その足はすぐに別の怒声によって止められた。
「馬鹿野郎! てめぇみてぇな雑魚が前に出てくんじゃねぇ! 邪魔だ!」
パーティの盾役である大男、戦士のゴードンが吐き捨てる。彼の巨大なタワーシールドは、ミノタウロスの突進を辛うじて受け止めているが、その表情は苦痛と怒りに満ちていた。
「す、すみません!」
俺は咄嗟に謝罪し、後衛の魔術師であるリリアナにポーションを投げて渡す。彼女は優雅な所作でそれを受け取ると、的確なコントロールでアレクサンダーの口元へと放り投げた。
「アレク様、どうぞ!」
「ああ、助かる、リリアナ。それに比べてどこかの荷物持ちは本当に気が利かないな」
アレクサンダーはポーションを呷りながら、憎々しげに俺を睨みつける。その視線は、まるで汚物でも見るかのようだ。
これが、Sランクパーティ『暁の剣』における俺の日常だった。
俺の名前はアルス。役職は『荷物持ち』。
戦闘能力は皆無。使えるスキルは、アイテムを異空間に保管できる【収納】ただ一つ。このスキルのおかげで、他のパーティよりも多くの物資をダンジョンに持ち込めるという一点だけで、俺はこのパーティに拾われた。
最初は、憧れのSランクパーティに参加できるとあって、天にも昇る気持ちだった。いつか彼らのような立派な冒険者になりたい。その一心で、どんな雑用も率先して引き受けた。戦闘で傷ついた装備の修理、野営の準備、食事の用意、そしてもちろん、大量の物資やドロップアイテムの運搬。パーティが冒険に集中できるよう、俺は身を粉にして働いてきたつもりだ。
だが、現実は非情だった。
俺の【収納】スキルは、確かに便利ではあった。しかし、それだけだった。戦闘が激化し、より高難易度のダンジョンに挑むようになるにつれて、戦闘能力のない俺は、徐々に「お荷物」として扱われるようになっていった。
「アルス君、ごめんね。みんな、ちょっと気が立っているだけだから……」
戦闘後、いつもそう言って慰めてくれるのは、魔術師のリリアナだ。艶やかな銀髪を揺らし、心配そうな表情で俺を見つめる彼女は、このパーティにおける唯一の癒やしだった。
「いえ、俺がもっとうまく立ち回れれば……」
「そんなことないわ。アルス君はいつも頑張ってるもの。私、知ってるから」
彼女の優しい言葉に、俺はどれだけ救われたことか。この言葉があるから、明日も頑張れる。そう、信じていた。
その日、俺たちは『深淵の迷宮』の第30階層、ボス部屋の前に立っていた。ボスは『深淵の支配者』。Sランクパーティでも苦戦は必至の強敵だ。
「いいか、全員。作戦は打ち合わせ通りだ。ゴードンがヘイトを稼ぎ、俺とリリアナで削る。セラは回復に専念しろ」
「はい、アレク様!」
「おう!」
「……わかった」
僧侶のセラが静かに頷く。彼女はいつも無口で、俺とはほとんど口を利いたことがない。
「アルス。お前は絶対に前に出るな。いいな、絶対にだ。俺たちの邪魔だけはするなよ。お前の仕事は、俺たちがアイテムを要求した時に、即座に差し出すことだけだ。いいな?」
「……はい」
念を押すようなアレクサンダーの言葉に、俺は唇を噛み締めながら頷いた。わかっている。俺はただの荷物持ち。戦闘の足手まといでしかないのだから。
ボスとの戦いは、熾烈を極めた。
深淵の支配者は、その名の通り、闇の魔力を自在に操る厄介な敵だった。ゴードンの盾を溶かす呪いのブレス、リリアナの魔法障壁をいとも容易く貫通する闇の矢。パーティはじりじりと追い詰められていく。
「くそっ! マナポーションだ! リリアナ!」
「アルス君、お願い!」
「はい!」
俺は即座に【収納】からマナポーションを取り出し、リリアナに投げる。何度も繰り返してきた連携だ。しかし、その時だった。
「――愚かなる者共よ、深淵に沈め」
深淵の支配者が、これまでとは比較にならないほどの巨大な魔力球を生成し始めた。その術の名は『アビス・エンド』。喰らえばパーティが半壊、いや、全滅しかねない大技だ。
「まずい! 総員、退避! リリアナ、防御魔法を!」
「ま、間に合わない……!」
リリアナの顔に絶望の色が浮かぶ。アレクサンダーの聖剣も、ゴードンの大盾も、あの絶望的な質量を持つ闇の前では無力に見えた。
その瞬間、俺は考えるより先に体が動いていた。
(俺が、壁になるしかない!)
何の力もない俺が前に出たところで、気休めにしかならないかもしれない。それでも、みんなを守れるなら――。
「アルス!?」
俺は仲間たちの前に飛び出し、両腕を広げた。死を覚悟した、その時。
「――邪魔よ」
背後から、冷たい声が聞こえた。リリアナの声だった。
直後、俺の足元に魔法陣が展開し、固い岩の蔓が俺の体を拘束する。土属性の拘束魔法『アース・バインド』。
「え……リリアナ、さん?」
動けない。なぜ?
混乱する俺の耳に、信じられない言葉が飛び込んできた。
「ちょうどいいわ。あの役立たずを盾にすれば、アビス・エンドの威力を少しは削げるでしょう!」
「なっ……!?」
リリアナの言葉に、俺は絶句した。いつも優しかった彼女が、俺を『盾』にすると言ったのだ。
「さすがだ、リリアナ! 名案だ!」
アレクサンダーが賛同の声を上げる。ゴードンもセラも、何も言わない。それが、彼らの総意だった。
――ああ、そうか。
最初から、俺は仲間だなんて思われていなかったんだ。
ただの、便利な『道具』。そして、いざとなれば切り捨てられる『盾』。
目の前に、絶望的な闇の塊が迫る。
俺は、ここで死ぬのか。こんな、犬死にか。
不思議と、恐怖はなかった。ただ、底知れないほどの虚しさが胸を満たしていた。
――しかし、アビス・エンドが俺に直撃することはなかった。
絶体絶命の窮地を救ったのは、アレクサンダーが隠し持っていた、使い捨ての超高位防御魔法のスクロールだった。眩い光の壁が闇を打ち消し、パーティは九死に一生を得た。
だが、俺の心は、すでに死んでいた。
ダンジョンからの帰り道、誰も俺に話しかけなかった。雰囲気は最悪だった。
そして、冒険者ギルドの前まで戻ってきた時、アレクサンダーが足を止め、俺に向き直った。その目は、凍るように冷たかった。
「アルス。お前は今日限りでクビだ」
予感はしていた。だが、いざ宣告されると、心臓が握り潰されるような痛みが走る。
「……な、ぜ、ですか」
「なぜ、だと? よくもそんなことが言えたものだな! ボス戦で、お前が勝手に前に飛び出したせいで、俺は切り札のスクロールを一枚無駄にしたんだぞ! あれがいくらするか分かっているのか!?」
理不尽な言い分だった。俺が飛び出さなければ、彼らはスクロールを使う間もなく全滅していたかもしれないのだ。
「ですが、あれは……!」
「言い訳は聞きたくない! そもそも、戦闘能力のないお前は、もはや我々の足手まといでしかない。そうだろ、みんな?」
アレクサンダーが同意を求めると、ゴードンが唾を吐き捨てた。
「ああ、そうだ。てめぇみてぇな雑魚、とっくの昔にクビにすりゃよかったんだ」
セラは相変わらず無言で、ただ冷たい視線を俺に向けるだけ。
そして、リリアナは――悲しそうな顔で、こう言った。
「ごめんなさい、アルス君……。私も、もう庇いきれないわ。あなたがいると、アレク様たちの連携が乱れてしまうの……。私たちパーティのためなの。わかってくれるわよね?」
その言葉が、俺の心を完全に砕いた。
パーティのため? 違う。お前たちが、俺を切り捨てたいだけじゃないか。
「これが手切れ金だ。餞別代わりにくれてやる」
アレクサンダーが、銅貨数枚を地面に投げ捨てる。それは、まるで物乞いに施しを与えるかのような仕草だった。
これまで俺が【収納】に入れていたパーティの共有財産、俺が集めた素材、稼いだ金、その全てが彼らのものになる。俺に残されたのは、着の身着のままの薄汚れた服と、地面に転がる僅かな銅貨だけ。
「さっさと失せろ。二度と俺たちの前に顔を見せるなよ、無能」
背を向け、ギルドの中に消えていく四つの背中。
俺は、その場に一人、立ち尽くすしかなかった。
空は赤く染まり、夕暮れの喧騒が遠くに聞こえる。
信じていた仲間からの裏切り。奪われた居場所。そして、手元に残った絶望。
「……これから、どうすればいいんだ……」
呟きは、誰の耳に届くこともなく、雑踏の中に消えていった。
この時、俺はまだ知らなかった。
彼らに無能と罵られた俺の【収納】スキルが、世界で唯一、次元すら超えるほどの可能性を秘めた、とんでもないユニークスキルであったということを。
そして、この追放こそが、俺の本当の人生の始まりになるということを。
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