第四十八話 取引
氷の障壁が、迸る紫電を防ぐ。
リッチーはそれを意外そうな目で見ていた。
「あら、強いのね」
言いながら、二人の魔術師の視線が交差する。──これは止めなければマズい、と直感的に理解した。
「待て! 待て待て、待ってくれ! 俺はリッチーに頼みがあって来たんだ! 飲んでくれるなら討伐もしない! ──取引をしたい!」
「取引?」
俺の言葉に、リッチーは予想外だと言わんばかりに、目をパチパチとさせた。
「……ああ、そうだ。取引だ。一度二人で話したい。…‥リア、アマネ、ちょっとだけ待っててくれないか」
「はぁ!? アンタ正気!?」
俺の言葉に、アマネは驚嘆の声を上げた。
彼女の反応はわかる。相手はモンスターだ。お互いに理解し合えるとは限らない。取引が成立するのか、さらに俺が無事で済むのかは未知数だ。
だから、せめてアマネは取引を行うなら、俺を守るつもりだったんだろう。
けれど──俺の"隠し事"は、二人にも話せない。
「……アンタが私を殺さないという保証は?」
「そうだな……」
リッチーの言葉に、返答に詰まる。
けれど──俺にできるのは、誠意を見せることだけだった。
右腕を覆う包帯を外して、リッチーに見せてやる。その上で──俺は全ての武器を取り外し、その場に置いた。
「……いいだろう」
リッチーは認めてくれたのか、再び玉座にどっかりと腰を下ろした。肘をついて退屈そうに待っている。これは、早く行かないとまずそうだ。
けれど、なんとか話し合いを設けることができたと一安心していると、アマネは俺に詰め寄った。
「アンタなに考えてんの!? 私も話すわよ!」
「いや、アマネは多分警戒されてる。それに……誰かがフローリアを守ってやらなきゃ、だろ?」
「それは……そうだけど……」
ここまで話して、こんな言い方をすれば、またフローリアが重荷に感じてしまうだろうかと不安になり、チラリとフローリアの方を見た。
フローリアは──なんともない顔で、俺を見ている。無条件の信用とでも言えばいいだろうか。
……そこまで俺は信用されるような人間ではないのだが、と言いたい。
そこで、俺の視線に気づいたのだろう、フローリアはずいと距離を詰めた。
その青色の瞳が、まっすぐに俺を見つめる。その瞳に映る俺は、何とも困ったような顔をしていた。
「……それで、ソロさん。貴方がリッチーとたった二人になろうとするのは、理由があるんですよね?」
「……ああ。これは二人にも言えない。……すまない」
俺の言葉に、アマネは拗ねたのか、フンとそっぽを向いてしまった。
フローリアもやれやれ、という感じに軽く戯けて見せると、俺の胸をぽんと拳で殴った。
もちろん、胸当てのおかげでほとんど感覚はない。けれどその感触は、確かに俺に、ズドンと響くようだった。
「そのうち話してください」
「…‥約束は、しかねる」
どこかで俺は彼女がすでにもう知っていて、その上で俺と一緒にいてくれる、ということを期待している。
けれど、それは──ズルというものだろう。
正直に言った俺に、フローリアははあ、とため息をつくと、不敵な笑みでこっちを見た。
俺とフローリアの目線が交錯する。それに思わず立ち止まってしまうと、フローリアの声が確かに俺に伝わった。
「言わせてみせます、そのうち」
「──ああ。努力はするよ」
そう挨拶をかわして、俺は二人を、尖塔の入り口の扉の外まで見送った。
王宮尖塔の地下室。
一応地上に繋がる階段も内壁を伝うように置かれているが、おそらく何年も使われていないものだろう。苔が張っていた。
そんな今にも崩れそうな石造りの建物の中で、玉座にふんぞりかえるリッチーに対して、俺は一人で向き合っていた。
「それで? 取引とは」
「こいつを……治してほしいんだ」
答えながら、俺は再び右手をリッチーに見せた。
「……これは?」
「純粋魔術を凝縮した魔弾を受け止めたのを、氷魔術で凍結処置したんだ」
「なるほどねえ……」
リッチーは興味がそそられたのか、玉座から立ち上がると、俺の右手に顔を近づけた。
そして──。
「──────っ」
リッチーは俺の腕を一舐めした。
感覚は残っていないが、その生理的な気持ち悪さだけはまじまじと焼き付けられる。
今すぐここで叩き斬ってしまいたいが──我慢だ。
「──プ、クク、クハハハッ」
「……おい」
「ごめんなさいね、あまりにも《《滑稽》》だったもので」
そんな俺の姿を見たリッチーは、突然笑い声を上げた。その嘲笑に、リッチーをぶん殴りたい衝動に駆られるも、リッチーはふふふふと笑うと、玉座に戻った。その悪趣味さに嫌気がさす。
「お前──分かっててやっているな?」
「──ええ」
だが、悪趣味なのは…‥俺も同じだ。
「そいつは──呪いね」
「知っているよ」
「それも、ただの呪いじゃない。……お前の隣にいた小娘、あの娘の魔弾ね? 見るからに、僧侶」
リッチーの推測に頷く。そんなことも分かってしまうとは、リッチーというのは本当に、魔術に長けているらしい。
「さて、どこまで話せば面白いかしら──」
「────ッ」
女の挑発に、俺は奥歯をギリぃ、と噛んで堪えた。
「──うん。全部言うのが面白いわね。あの僧侶の純粋魔術、効かないわよ、アンタには」
「……だろうな」
「あら、知ってたの」
「ああ」
フローリアの魔力には、物理的な影響力──すなわち、人間に渾なす力さえ入っている。
もちろん、その光はモンスターにも効力を持つものだ。だが、今回俺を蝕んでいるのは、前者。すなわち、人間を倒す呪いだ。
そういうものは、俺には効かない。
なぜなら──。
「アンタ…‥何者なのよ」
「俺は──《《食人》》だ」
「ふぅん? ふうん……なるほどね。アンタ、人間が言う"食人"じゃなくて……」
「ああ。……俺は種族としての、《《食人》》だ」
──俺は、半分は魔物だからだ。
アンデッドモンスター、食人族。
「もう半分は?」
「俺のもう半分はリザードマンだ」
「…‥面白い。面白いわッ! 《アイツら》、そんな愚を犯すなんてね!」
「……は、はあ? 何を言ってる?」
「何とか、そういうのナイわよ! アンタ、他のリザードマンに聞いてみなさいッ! 誰もが言うわよ! 《アンタはリザードマンじゃない》って!」
「ま──待て待て! 何を言っている!?」
「ああ、それに、あの女──」
止め、なければ。
止めなければ、いけない。
この先は、違う。
この先は、この女の口から聞くのは間違っている。
「──ッ!」
「──私を殺さない、契約よね?」
左手で殴る寸前。
俺の動きは、まるで時間が止められたかのようにピタリと止められた。
「アンタが《アンデッド》の流れを汲むなら、覚えておくといいわ。──霊種に契約は絶対よ」
言うが早いか、リッチーの紫電は俺の左手を地面に縫い止めた。まるで、強力な磁石同士がくっついているかのように、地面に付着させて動かさない。
「いいわ。その右腕は治してあげる。──と言っても、凍結を解くだけでいいのでしょう?」
「──ああ」
動かない左手を諦め、俺は少し後ろに下がるようにどっかりと腰を下ろした。
リッチーの指先から放たれた魔術は、俺の右腕の凍結を溶かしていく。自由に動かせるようになった右腕は、もはや痛みも痺れも、何の異常もなかった。──強いて言うなら、久々の肌感覚は喪失感とも似て、何とも奇妙なものだ。
「とはいえ──アナタがいる限り、この場所も時間の問題よね。私は倒した、そういうことにしなさい」
リッチーはそう言い残すと指をパチンと鳴らす。その瞬間そいつの姿は無くなり、同時に、俺の左手を拘束していた紫電もなくなった。
「──クソッ」
両手で頭を掻いた。
完全に──完全にリッチーを舐めていた。
だが……この場所に座り込んでいても、仕方がない。俺は自分を無理やり納得させ、扉から外に出た。




