第三話 夜、焚き火を囲めば
「はあ? 俺が?」
フローリアは俺の疑問に頷いた。泣きそう? 俺が?
「どこがだよ」
そもそも、リザードマンが泣きそうとかわかるのかよ。
悪態をつく俺に、フローリアは少し困った様子で、笑いながら話した。
「ソロさん、貴方、相当強いですよね」
「……それは、まあ」
ソロでもゴブリンの狩場に突っ込んでいけるくらいの戦闘力はあると自負している。
そもそも種族柄、人間よりはよっぽど頑丈だ。
「そんな人が、パーティに勧誘もされない、されても断ってるなんて、変じゃないですか。……あの冒険者ギルドは、おかしいです。イジメですよ」
そう言ったフローリアの言葉に、俺は少しだけ微笑ましい気持ちになった。
リザードマンがイジメられるのは、正直おかしいことではないと思う。人とは違う見た目、種族による偏見。王都で物心ついた時から奇異の目で見られていたし、真っ当な職にはありつけそうもない。
ただ、俺が微笑ましいと思った理由は、フローリアの考え方が珍しいからではなかった。そう思ってくれるのが嬉しかったのだ。──だからこそ、伝えなければならないと思った。
「いや……そういうんじゃないんだ」
「へ?」
「これは、俺に対する罰なんだよ」
俺は独り言のように、自分に言い聞かせるように、そう言った。
そうだ。
今、俺が招いたこの状況は、罰なのだ。
ソロで戦わざるを得ないような、ギルドでの孤立も。それによって、俺のこの先の道が、閉ざされていたとしても。
「……でも、」
「でもも何も、俺は納得してるんだよ」
今の俺の冒険者ランク──銀等級。
二流程度。言い換えれば「一般的」な冒険者達の到達点。
金等級、その先の虹等級は冒険者の中でも一握りしかなれないような才能の世界。
英雄と目される冒険者達のランクである。
金等級の昇格クエストは、とある迷宮の踏破。そしてその迷宮は、銀等級のパーティで挑むことが条件となっている。パーティを組めない俺は、言ってしまえば、銀等級から先にはいけないのだ。
それもこれも、全て身から出た錆だ。
他の誰が許しても、俺は許せない。
これは俺の贖いなのだ。
「んん……はあ」
頑なな俺の姿を見て、フローリアは顰めっ面でなんとか反撃を試みるも、結局ため息をついた。どうやら諦めたらしい。
「だから──納得してるから、泣いてないし。泣いてたとしても、放っておいてくれ」
俺の言葉に、フローリアはまた、顔を顰めた。そして、吐き捨てるように、言った。
「泣いてる人がいたら慰める。困っている人がいたら助ける。……そんなの、当然じゃないですか」
その言葉は、あまりにも眩しい。
若さゆえの輝きだ。
また俺は、少しだけ微笑ましい気持ちになった。
どうかその善を失わないでほしいと、そう思った。
もう完全に日も沈んだ頃、ふと様子をみると、盾使いと槍使いはいつの間にか二人揃って寝落ちていた。その目尻には涙が薄らと浮かんでいる。……きっと二人とも、思うところはたくさんあったに違いない。
「お前も寝てもいいんだぞ」
「いえ。……ソロさんがいれば問題ないでしょうけど、流石に夜の森は危険ですから」
羽衣の魔術を掛けようとする僧侶に言うも、断られた。よく分かっている。何歳かは分からないが、年の割にしっかりしたものだ。
ギルドでは、若い冒険者、と侮った言い方をした。けれど、若さゆえの無鉄砲さの反面、ゴブリンを殲滅する実力やしっかりした部分も兼ね備えている。そうそう出会うことのない、どうにも不思議な手合いだ。
「……お前、出身は?」
「お? パーティ組む気になりました?」
「うるせえ」
と、思えば茶化した言い方もするし、どうにも掴みどころのない。俺は諦めて、視線を焚き火に戻した。
二人で並んで、じっと燃える焚き火を見つめる。
パチパチと、木が燃える音だけが、静寂の暗闇の中に響いている。
煙は、どこか空高くへと、消えていってしまうようだった。
することもなしに、それをぼんやりと眺めていると、不意にフローリアが口を開いた。
「──ソロさんがここにいるって、受付嬢さんが教えてくれたんです」
「あいつが? この森の危険度はわかっているだろうに」
この森は植生豊かであると同時に、難易度もそれなりにある。パーティを組んでいるなら新人でも大丈夫だろうが、僧侶を一人で来させるような場所ではない。──パーティを組んでいても、さっきみたいに危機に瀕することはあるような森なのだ。
「私、一応銅等級ではありますから」
「あえ、うそ!?」
「嘘じゃないです。ほら」
思わず素が出てしまった。
銅等級は冒険者ギルドの下から二番目。初心者を卒業して、一人前とされるランクだ。この若さで銅等級なら大したものだ。
フローリアが見せてくれた冒険者カードは、生年月日に加えて、確かに銅等級の証が刻まれている。
「一人で?」
「いえ。──パーティ、組んでたんです。幼馴染だったんですけど」
「そうなのか」
でも考えてみれば、ゴブリン殲滅もできるし、確かにそれくらいの実力は十分に備わっている。冒険者ギルドでの未熟な振る舞いから早合点してしまっていた。
「どんなパーティだったんだ」
「私と僧侶がもう一人いて、前衛の戦士のスリーマンセルです。……楽しかったなあ」
俺が聞くと、フローリアは答えて、心の底から懐かしそうな目をした。
この話はあまり深入りしない方がいいだろうかと思っていたら、ぽつぽつと一人で語り始めた。
「私はバフと攻撃魔法、もう一人が回復魔法で戦士を援護して。結構なスピードで成長してたんで、新進気鋭って地元では話題だったんですよ?」
「へえ」
まあ、それくらいはよくある話だ。
「でも……ある時、魔術師が入って」
あ、ちょっとよくない方向に進み始めた。
この先はかなり分かりきっている。
「辛かったら、言わなくても──」
「私、あっという間にお役御免でした」
いい、という前に、フローリアは言い切った。
いわゆる、パーティからの追放。
冒険者は、生死を賭けた命懸けのビジネスだ。
より強いメンバーと交代で、と言うのはそこまで珍しい話じゃない。
──もっとも、交代して上手くいくのかと言う問題はあるが。
寂しそうに話すフローリアに対して、俺はどうするべきなのか分からなかった。
「辛かったな」と言ってあげることすら、表面上の、口先だけの慰めにしかならないような気がするのだ。
だから、ただ──ただ、フローリアの頭に、ぽんぽんと手のひらを置いた。
嫌がられたとして、別に明日には別れる関係性だ。それにどうせ、冒険者ギルドではすでに悪名高い存在だ。セクハラ親父なんて悪口が増えたって、今更なことだ。だったら、たまにはこうして人を慰めるのも、悪いことではないだろう。
九つも違う少女だ。女の子というより、娘のような感覚が近かった。
「……ゴツゴツしてますっ」
「そりゃ、な」
俺の右手は、十年間も武器を振り続けて来た手のひらだ。傷だらけ、マメだらけでボロボロだ。
けど、フローリアはそんな俺の右手を、慈しむように触った。
「……でも、あったかい」
照れ臭くて思わず、グル、とリザードマン特有の声が喉からなった。
こうした生体音は、制御できないのだから困りものだ。
「うふふ。リザードマンなんて、初めて見ましたし、お話しました」
「まあ、な。俺も、俺以外のリザードマンは数えるほどしかないな」
王都でちらりと見かけることはあるが、それも数えるくらいだ。隔離政策が廃止されて二十年。この国じゃあ、まだまだリザードマン差別は根深い。
公的に差別なんてできなくなった王都でこそ見ることはある。それでも、俺が行けば物珍しい表情、あるいはそれどころか、ちょっと嫌そうな表情までされることもある。
口ぶりから察するに、フローリアは王都出身じゃないのだろう。そんな場所なら、リザードマンと会ったことがないと言うのは当然だ。
「俺だって、リザードマンなのは半分だけだからな。親には会ったこともねえし」
「そうなんですか?」
「ああ。もう半分は……秘密だ」
「えー? 人間……じゃないですよね」
「教えねーよ」
さっき出身をはぐらかされた仕返しに、そう言ってやった。
言わなかったのは、仕返しだけじゃない。
俺の正体を知って、嫌われるのが怖かった。
──たとえ、いつかそれが、バレるとしても。