第二十四話 夜風に囲まれれば
ギルドを出て、少し歩く。
町に迫る脅威が去ったことが、もう周知されたのだろう。小さい町だが、歩く人は皆、どこか浮き足立っている。
時折吹く冷たい風が、蒸し暑さを和らげるようで心地良かった。
話の種はそう多くないが、そんなにかしこまって話すことでもない。多少静かな環境ならどこでも良かった。
俺は意を決して、横をちょこちょこと一歩くフローリアに尋ねた。──彼女が俺とパーティを組む理由を、知るために。
「フローリア。お前は……なんで冒険者になったんだ?」
「え、冒険者になった理由ですか? そうですねえ、色々とあるんですけど……笑わないで聞いてくださいね?」
フローリアの言葉に頷くと、彼女は恐る恐る喋り始めた。喋り出したフローリアの、額から流れ落ちる汗が印象的だった。
「私、人を探してるんです。──誰を探しているかは覚えてないんですけど」
「……は?」
「……誰か、大切な人が、いたはずなんです」
「大切な人」
「はい。家族……多分お姉ちゃんです」
「なるほど……?」
姉を探すために冒険者になった。
まあ、世界中を旅することもある冒険者だ。そういう動機でなる人間は一定数いる。
だが、ピンと来ないのは、それを覚えていないということ。
「姉は、冒険者になってるはずなんです」
「ん……? 〈トルドラムの葬式〉か?」
「ええ。姉からの手紙も、残っていたはずなんですけど……」
「消えちまったのか」
俺が聞くと、彼女はコクリと頷いた。
トルドラムの葬式──この世界に伝わる不思議な言い伝え。覚えのない名前が、身近に潜んでいるという不思議な出来事を指す。
トルドラムの葬式の奇妙なところは、知らぬ間に現れて、知らぬ間に消えてしまうことがままあるということだ。
確かにそこにあったはずの、書類や看板などに書かれていたはずの知らない名前が、いつの間にか消えてしまっているのだ。
「書かれていたことが、消えてしまうこと」や、「覚えのない名前が書かれていること」は、間違いなく存在する。
戦時中なんかは、一部隊が丸ごとトルドラムの葬式で付け加えられていたこともあるらしい。
なのに、それを誰も理屈を説明できない。曰く、猫人族の悪戯。曰く、魔術的な洗脳。
世界全体に被害を及ぼすほどの魔術なんて、存在するとは誰もが思っていない。結局、そこに起こっている出来事を「そういうもの」として受け入れてしまっている。
「気のせいではないんだよな」
「はい。……私には、姉がいました」
神妙に、しかしはっきりと言い切ったフローリアの言葉に、俺は頷いた。
そういうことなら、確かに冒険者が一番近い場所にいる。〈トルドラムの葬式〉の種明かしなんて世界の秘密に迫るような仕事は、魔術の探究者か冒険者の仕事だ。
それに、冒険者だった人探しも並行して行うなら、冒険者という立場は都合がいいはずだ。
フローリアが冒険者になった動機は聞くことができた。だが──俺の目論見は少し外れていた。
──つまり、俺にこだわる理由があるなら、それを知りたい。
「もう一つ、聞きたいんだ」
目論見が外れたなら、ちゃんと正面から聞くしかない。俺の言葉に、またもやキョトンとした顔で、フローリアはこっちを見た。
俺の神妙そうな様子に、フローリアも真面目な話だと思ったのか、服の裾を正した。
「……? はい、なんでもどうぞっ」
「フローリアは……なんで俺とパーティを組みたいんだ?」
一度断って、追いかけられて。
あの時の答えは、「泣きそうに見えた」だったか。
今も、その言葉の真意は分からない。
それこそ、そのクエストから帰還した後、流れがあったとはいえ、俺について回る必要もなかったはずだ。
──ああ、そうだ。
俺は、あの分かれ道の、その後の、お互いの真意を聞きたいのだ。
また冒険に行きたいと、どうして思ってくれるのか。俺は、それをどうして受け入れたのか。
そしてどうして、俺を迎えに来るまでしたのか。
フローリアが直情的なのはわかる。
けれど、それだけじゃないはずだ。
「んー……そうですね……難しいんですけど、」
歩いているうちに、川沿いの通りに来ていた。
川で冷やされた風が、やっぱり心地いい。
街の灯りが、水玉のように滲んで見える。
俺はその中で、ただじっと、次に来る言葉を聞いていた。
「一番近いのは、勘です。この人はここで逃しちゃダメだ。それをすれば私の願いは叶わなくなる。そういう勘で──全然論理的じゃなくて申し訳ないですし、何より、自分勝手なんですけど、そういう理由です」
「……そうか」
勘、か。勘なら仕方ないのだろう。
答えを出されて、俺は冷静さを取り戻していた。
同時に、自分がもしや、すごく恥ずかしいことをしているのではないかと思い至る。
そう、たとえば、自分がなんで好かれているのか分からなくて不安症に陥っている彼氏のようではないか。
自分の振る舞いに脳みそが沸騰しそうだ。
でもどうやら、沸騰しそうなのは俺だけじゃなかったらしい。
なぜかフローリアまで、目を回し始めている。
「……冷静に考えたらおかしいですね、私。ただの勘でソロさんの宿を特定までして、朝っぱらから出待ちして……!? いや待ってもっと前から? こんなの私ストーカーじゃん……!?」
──そんな様子に、ちょっと吹き出してしまった。
「……いいんだよ、フローリアはそのままで」
くるくると自問自答して苦しんでいる様子が面白くて、思わずシスターハット越しに頭を撫でた。
すると、フローリアはジッとこっちを見た。
「……あのっ」
「嫌だったか? 悪い」
手を急いで離そうとすると、むしろフローリアはその手を捕まえ、自分の頭に押し付けた。
もっと撫でろと強請る動物や子供のようで、その仕草は微笑ましい。
「そうじゃなくてっ! 私の呼び名っ」
見当違いな言葉にイラついたのか、少し声を荒げながらフローリアは続ける。
「フローリアって長いので、短くていいですよっ」
「そ、そうか……じゃあ、リア」
「はいっ」
俺が短い呼び名で名前を呼ぶと、フローリアは嬉しそうに返事をした。微笑ましい。
「……それで、なんでそんなこと聞くんです? ようやく正式にパーティ組んでくれる気になったんですかっ?」
「いやー……正式なのはまだ前向きに検討に検討を重ねる方向で……」
「むぅ……」
キラキラとした表情で聞いてくるフローリアに申し訳ない気持ちになりながらも、俺はまた、自らの決断を先送りにした。
「もういっそ既成事実作っちゃうか……?」
そんな様子に流石に業を煮やしたのか、なんか怖いこと言い出した。なんだよパーティの既成事実って。……いや今の状況って割とそうじゃないか。
俺が聞きたかった話も終わり、二人並んで喋りながら川沿いの道を歩く。
随分と打ち解けて、色々な話をすることができるようになってきた。フローリアの出身の村の話や、修行した神殿の話。俺が王都でどんな生活を送っていたのか。
そうしているうちに、分かれ道がやってきた。
「リアはこの後どうするんだ?」
「んー……帰ります」
「そうか。そしたら、ここでお別れだな」
俺の言葉に、リアは頷いた。
もう、一緒に冒険してくれるかなんて、聞く必要もない。
けれど、言わなきゃいけないことがあった。
「リア、俺がこの町を出るかもしれないって言ったら、どうする」
「ついて行きますよっ」
俺の問いかけに、リアは当然だと言わんばかりに頷いた。
「わかった。詳しい話は、また明日話そう」
「はいっ! ……それじゃあ、ソロさんっ! また明日!」
俺の言葉に、リアは元気よく返事をして、宿の方へ歩いて行った。
俺はそれを、分かれ道から見送っていた。