第十四話 変異ゴブリン
ゴブリンは、変異するモンスターとして最も名前が知られている。
それは、変異したゴブリンが極めて大きな脅威として認識されるからだ。
冒険者たちがまことしやかに囁く噂として、ゴブリンには地下帝国がある、というものがある。
それは、あながち間違いというわけでもない。
ゴブリンは自らの拠点を洞窟に設け、必要であれば洞窟の周辺に、竪穴住居を建造する本能を持つ。
だが、ゴブリンの帝国は洞窟の周辺ではなく、地下に生成される。洞窟を下へ下へと掘り進めるのに、竪穴住居と同じ建築技術で洞窟の補強を行うことが確認されている。
しかもそれを、アリの巣のように分岐させながら、地下へ地下へと潜っていくのだ。
そうして彼らによって生み出されたゴブリン迷宮は、まさしくゴブリンの地下帝国と呼ぶに相応しい。
その地下帝国には、人間の帝国さながらの社会が築かれるからだ。
他のモンスターや動物との共生や、他の群れのゴブリン同士の共生。労働と
それを可能にするのが、四種類のゴブリン。
ゴブリンの中で戦闘に特化した、大柄な変異種であるホブゴブリン。
ゴブリンの中の知識階級である、魔術を扱う変異種、ゴブリンメイジ。
ゴブリンを束ね、軍隊を率いる変異ゴブリン、ゴブリンジェネラル。
そして、それらの上位ゴブリンすべてを束ねる、ゴブリンたちの王、ゴブリンキング。
キングが生み出すゴブリンの軍団と人類の衝突は、さながら戦争だ。
普段ゴブリンを狩る銅等級冒険者では、決して敵いはしない。せいぜい一兵士としての役割を期待される程度で、迷宮内ではゴブリンとの相打ち覚悟の上で運用される。
少なくとも銀等級、できれば金等級程度の実力のある者が、ゴブリン迷宮の攻略には求められる。
しかもそれが、王都から馬車で一晩程度の町で発生したともなれば大問題だ。
報告を受け、ヴァルトの町の冒険者ギルドは一気に騒がしくなった。
「変異ゴブリン……もうそこまで行っているか」
机に肘をついて顔の前で手を組み、ギルド長は報告を聞いていた。
事態は非常に悪い。即断即決が肝要だ。
「王都に騎士団派遣の要請。冒険者たちに緊急令と研修クエストの補充。あとはゴブリン迷宮の規模の調査」
「わかりました!」
ギルド長の指令を受け、ギルド長室から数人の職員がバタバタと出てくる。
早馬を王都に向かわせ、クエストボードの取り替え、緊急令の交付。それらの動きは、救援クエストから帰還し、遺品を納付したソロとフローリアにも届いていた。
「な、なんだかとんでもないことになっちゃいましたねっ……」
「ああ。……変異ゴブリンってのは、それだけで大問題だからな」
ゴブリンは通常、三匹から五匹で一グループという小さな群れしか作らない。
しかし時々、ゴブリンには大規模な群れが発生し、統制の取れた動きをし始めることがある。
それは、ゴブリンの変異が大きく関わっている。
「変異ゴブリン……」
不安そうに、フローリアは自分の杖をぎゅっと握った。
見たことはなくても、大変なことが起こるのだ、ということは知っているのだろう。
実際、三匹から五匹程度の群れであれば、ゴブリンの討伐は銀等級冒険者一人でも成立してしまう。
けれど、それだけの群れになると話が変わってくる。しかも、魔術を扱うゴブリン、ゴブリンメイジまで出現するのだ。
メイジやホブといった変異したゴブリンが加わると、銀等級冒険者でも一人ではゴブリンのグループと戦うことは怪しくなってくる。パーティを組んで、やっと対等に戦えるだろう。
奴らはそれほどまでに脅威なのだ。
何より厄介なのは、その数。
規模にもよるが大抵の場合、メイジやホブの混ざった五体一組が、両手の指で収まらないほどにいるのだ。
鼠くらい一体が強くないのなら無視もできるが、ゴブリンの戦闘力でそれだけの数がいれば無視はできない。
迷宮は狭いから大多数に囲まれることはないが、だからこその波状攻撃は恐ろしいものがある。
少ない人数で無計画に進めば、前にも進めず後ろにも戻れない、結果圧死。そんな状況に陥りかねない。
「……まあ、大丈夫だ」
王都に騎士団の派遣を要請したと聞いている。ならばきっと大丈夫だ。この国の騎士は優秀なのだから。
ゴブリン迷宮の規模の調査のクエストが出ているが、今日は救援依頼を連続で二回、クエストにして四つもこなしたのだ。疲れも来ているし、流石にここは休むべきだろう。
「とりあえず今日はこれで終わりにしよう」
俺の言葉に、ようやくかという様子でフローリアも流石に苦笑いしながら、それでも頷いた。
冒険者ギルドから武器屋に訪れ、防具を揃えた後、俺たちは各々の宿へと戻った。
武器屋から分岐路に入る前の道には、朝に一悶着を起こしたあの冒険者達がいた。絡まれるかとも思ったが、向こうから何も反応はない。フローリアの魔術の前では敵わないと踏んだのだろう。
いつも絡まれたりやっかみがあっても無視し続けていたが、今回のように実力行使をさっさとしておけば、今のような事態にならなかったのかもしれない。……いや、何を考えてるんだ俺。
俺のギルドでの扱いは、罰なのだ。
そこに不平を感じるなど間違っている。
俺は男達とすれ違ったのち、必死に自分に、そんなことを言い聞かせていた。
翌朝、起きて宿から出ると、またフローリアがそこにいた。
「奇遇ですね、これは運命なのではっ?」
「どこがだよ」
思わずツッコんでしまった。
そもそも、昨日は引いてただろうに、俺の何がいいのやら。
実力か? そこだけは少しだけなら納得できるが、それでもただの銀等級冒険者だ。
金等級のクエストをクリアして、エース冒険者と呼ばれるようにこそなった。けれどそれだって、本当にそれ相応の実力があったかはわからない。緊急性の高い、敵も把握できないような臨時クエストが、いい方向に転がっただけなのだから。
昨日の救援クエスト受注の時に言っていた通り、これで金等級クリアは、オイシイ話だったのだ。
本当に全く、そんな俺の何がいいのやら。
「寝れたか?」
「はい、ばっちりですっ」
昨日はゴブリンの変異と聞いて震えていたのに、今ではもうそんな様子は微塵もなく、元気な様子だ。──そう、振る舞っているだけかもしれない。
この子に対して、変異の原因はお前かもしれないなんて、そんなことは俺には言えなかった。
冒険者ギルドに着くと、武装を着込んだアグロ達エニス魔導と出会った。革鎧など、比較的軽装だが、パーティはどこか緊張感に包まれていた。
「ソロ! ……昨日は本当に、重ね重ね感謝するよ」
アグロの言葉に頷く。俺も彼らが無事で良かったと思う。
「クエストに行くのか?」
「ああ。……ゴブリン迷宮の調査だ。迷宮の規模の調査に、探知魔法で助けて欲しいんだとよ」
──止めるべきなのではないか、そう思った。
「大丈夫か? 昨日の今日だし、疲れているだろう」
「大丈夫だ! みんなもそうだろ?」
俺の言葉に、アグロは快活な笑顔を浮かべた。パーティの面々に振り向いて確認すると、エニス魔導の面々は頷いた。
「──それに、さ。負けっぱなしじゃいられない。今、森に入らなかったら、二度と入れなくなる」
そう言った、アグロの拳は震えていた。
彼だって怖いのだ。──それでも、その恐怖を押し殺して、前に進もうとしている。
それを止めるのは、野暮というものだろう。
「それに、大丈夫だ。他にも銀等級パーティ何人かの大所帯だし」
確かに言われてみれば、アグロ達の奥にも武装を整えた銀等級冒険者の面々が何人もいた。
みな、変異したゴブリンの脅威度は分かっているのだろう、どこか覚悟を決めた顔つきだ。
「きっと、この人たちなら大丈夫ですねっ!」
「そうだな」
フローリアの言葉に頷いた。
頼りになる顔ぶれだ。全員が、冒険者としても長く務めている。彼らならきっと大丈夫だ。
俺はせめて彼らが町から出るまで、迷宮の調査隊を見送ることにした。
冒険者たちは、草原の向こう側に消えていく。
俺とフローリアはそれを、ただジッと、眺めていた。