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時計台の贈り物

作者: 野茂やも


 年月を重ねた物には魂が宿るという。



 昔、あるところに魂を宿した時計があったそうな。


 大きな時計は高い塔の上にあり、街の人々に時間を知らせていた。


 人はそれを時計台と呼んだ。



 彼か彼女か、本人にも分かっていないので、ここでは仮に『ソレ』と呼ぼう。



 ソレは街をいつも見下ろしていた。


 騒々しく走り回る労働者や、馬車に乗る婦人。最近では荷台の下に輪っかを取り付けて奇妙な騒音を立てる乗り物たちをただ、眺めていた。



 振り子が揺れ、歯車がかみ合う。

 カチカチと音を鳴らし、ソレは動き続ける。




「老いぼれめ……時報の鐘も鳴りゃしねぇ」


 お前こそ。ソレは思った。

 男の髪が黒かった頃から、男はこの場所の手入れをしに来ていた。

 


 男は独り言の多い男だった。


 つまらねえだの、金が欲しいだの、頭が白くなる頃には関節が痛いだの。

 とにかく耳障りな、しゃがれた声でいつも何かをボヤいていた。


 ソレは思った。人間というのは随分()しんだ音を立てる生き物だなと。



 男がここで何をしているのか分からなかったが、定期的にハンドルをグルグルと動かし重りを巻き上げる。


 それを見てこれをしないときっと自分は動かなくなる、ということだけは何となく分かった。


 そういった事もあって、ソレは男に何となく借りがあるような気がしていた。



 しばらくするとしゃがれた声の男に代わり、髪の白くない別の男が来るようになった。


「じいさんがポックリ逝っちまったから、今度からオラがお前を動かしてやるからな」


 こんなに訛りの強い言葉をソレは初めて聞いた。



 逝っちまう、の意味はよく分からなかったが、もう二度と男はここに来ることはないのだとソレは思った。



「オラ、ジャンだ。これからよろしぐな」

 ジャンというその男は、ソレに挨拶をした。



 そう遠くないうちにコイツも逝っちまうんだろう。ソレは思った。

 


 しばらくするとジャンという男は、ソレに変化をもたらした。


「躊躇せずパンを買いたい」

「家族がいっぱい欲しい」


「オラにはいっぱい夢があるんだ」

 それがジャンの口癖だった。

 

 この人間からは軋んだ音は聞こえなかった。


 しかし夢を持ち、変化を望む人間の気持ちはソレには全く分からなかった。


 特段好ましいとも感じなかったが、ソレにはジャンがとても新鮮に感じられた。



「食堂に女の子がいるんだ。めんごくてなぁ。あんな子が嫁さんになってくれたらオラ幸せすぎるべ」

 

 ジャンが話すのは、ソレが初めて聞く人間の感情だった。

 興味深いとソレは思った。




「ここがオレの仕事場だ。時計台は見晴らしがいいから気持ちいいべ。君にも見せたかったんだ」


 ある日、いつもより小綺麗な服装をしたジャンが、一人の女を連れて階段を上がってやって来た。


「この時計台の時計はスゲェんだ。鐘はもう鳴らねぇけど、ちゃんとネジを巻いてやりゃ、こんな正確な時計他にはねぇんだ」


 当然だ。そのために時計はあるんだから。ソレは思った。 



 ジャンが連れてきたのは、特段優れた所の見られない、華やかさとは無縁の女だった。


 お日様みたいな赤毛は見事だったが、ソレには彼女が街にいる婦人達と同じ生き物には見えなかった。

 ジャンもまた、街の紳士とは違う生き物だから、似た者同士の二人に思えた。

 ソレには二人が鑑賞に値しない人間に映っていたが、ジャンと彼女の目がキラキラ輝くのを見て、自分と人間は美しさの基準が違うのだとソレは学んだ。

 


 しばらくしてジャンは、今度は彼とそっくりな目鼻立ちをした赤毛の子どもを連れてきた。


 ジャンは子どもにソレを紹介した。


「この時計台が父ちゃんの相棒だぞ。こいつのお陰でご飯を食えるんだから、ありがてぇこった」

 


 ハンドルを動かしネジを巻いてもらって自分は動いている。


 それが『ありがてぇ』ということだったのか、ソレは思った。



『ありがてぇ』を知ったソレは、少しだけ人間を好ましく思った。




 妻、子ども。そして孫。


 ジャンの話から人間には家族があることを知った。


 いつの間にかジャンの髪の毛も、逝った男と同じ色に変わっていた。



「お互い歳をとったもんだ。よく考えてみたら、オメェとは人生で一番長く一緒にいたなぁ……相棒であり、オメェはオレの家族だよ……」


 そう話すジャンの言葉に酷い訛りはなくなっていた。



 いつの頃か、ジャンがソレの所に来る回数が減っていた。


 ソレはジャンがここに来ないと時間が分からないことをかわいそうに思った。



 ある日ジャンの代わりに、若い日のジャンによく似た男がやって来た。


 ソレはまた話が聞けると期待したが、ジャンと似ていたのは外見だけで、男は無言で掃除をし、ただハンドルを巻いて帰っていった。


 同じに見えても人間はみんな違うんだ。

 ソレは知った。


 時計の針に氷柱ができる、寒い冬の日。

 

 苦しげに息を吐き、年老いた女が時計台へ上がって来た。



「……こんなに階段が急だったなんてね。あの時は全然感じなかったわ」


 ソレが久しぶりに聞いた人の声だった。


 ソレには人間がほとんど同じように見えていたから、老女が誰かが分からなかった。



「お久しぶりね。時計台さん……」


 お日様みたいな赤毛は見る影もなく、くすんだ雪の色へと変わっていた。

 


「相変わらず、あなたは働き者ねぇ」


 白い息とともに、老女はゆっくりと話し始めた。



「ここへ来たのは初めてのデートだったわね……」

 ジャンから聞いた話と違う部分もあったけれど大体は同じ、何の変哲もない話だった。



 ひとしきり話すと、老女はポケットから小さな時計を取り出した。

 時間くらい教えてあげるのに……。

 ソレは思った。


「……あらあら、もうこんな時間」

 


「これね、ジャンが私にプレゼントしてくれたの。懐中時計って言うんですって。私もあの人に時計を送りたかったんだけど、あなたがいるって断られちゃったのよ。まあ、お金もなかったんだけどね……」


 ソレはジャンが断ったのは当然だと思った。


 毎日、毎日、ジャンはここに来ていたのだから。


 掃除をし、床を磨き、定期的に振り子時計のハンドルを回す。



 正確に時を刻み、時間を告げる。それをジャンは立派なことだと、いつも褒めてくれた。



「ジャンがね、もうここに来れなくなったの……。すまねぇって。ありがとう相棒ってあなたに。私からも今までありがとうってお礼を言いに来たのよ」


 そう言い残し、老女は階段をゆっくり降りていった。




 今度、何かになれるなら懐中時計になりたい。


 肌身離れず、ジャンの側で時間を教えてあげよう。

 ソレは思った。




 

 道行く人が足を止めた。


「あの時計台、鳴るんだ」

「壊れてるから取り壊すんだろ。ほら、時間も狂ってる」



 時計台の鐘が陽の光でキラキラ輝き、街中に響き渡った。


 空高く響き渡るように、いつまでも鐘は鳴り響いていた。

 

誰かが読んでくれるといいなー

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