第二章 ④
忙しい。慣れないことばかりで混乱もしている。
本来は違う人物が座っているべきところに僕は座っていた。ロケット管制室の真ん中だ。
僕の本来の場所はもっと端っこの方で、打ち上っている最中のエンジンの数値を監視する役目を担当するはずだった。それが、打ち上げ全体を見る役目もするようになっている。打ち上げに何回か立ち会ったことがあるとは言え、当然、これまでやったことのない仕事だ。右往左往しながらやっている。
人がいないから、僕だけでなく、どの研究員も慣れない役割を兼務している。しかも仕事は膨大だ。現に定時の夕方六時が過ぎようとしていたが、誰も帰る気配はない。どの研究員も、だいたい夜の一時とか二時までやっているのが常だった。
疲れた雰囲気が管制室に蔓延していた。
「はっはっはー、元気を出せ、皆の衆!」
アスレーの空元気というか、勘にさわるというか、イラッとする声が聞こえた。この重苦しい雰囲気を変えようとして言っているのだろうけど、なんだか逆効果の気がする。まずいなあ・・・・・。
「ん?」
管制室に人が入ってきた気配がした。僕は椅子に座ったまま入口の方に振り向いた。
カーデフ少佐だった。
彼は僕の席までやってきて隣の席に座り、声を掛けてきた。
「大船サン」
「どうしました? カーデフ少佐」
「この地域の戦況をお伝えしようかと思いまして。打ち上げをするに当たって必要な情報でしょうから」
そうだった。目の前の仕事をこなすのに目一杯だったから、そこまで気が回らなかった。今のエステリアは戦時下にあるのだから、当然考慮しなければならない内容だった。
カーデフ少佐は、細かいことに気が付く。だけど嫌味もなく、物腰も柔らかく、腰も低いので、紳士的なホテルマンと話しているような錯覚を覚える。
「ありがとうございます。それはとても助かります」
「私も知りたいぞ。はっはっはー」
うざい人も僕の机に来た。他の管制室にいたメンバーも集まってきた。
カーデフ少佐は手に持っていた自分のノートパソコンを開き、僕の机の上に置いた。
クルフ市の地図だ。この宇宙研究所も記載されている。ゼルブ軍の占領地域と前線、戦闘箇所が示されていた。あまり好ましい状況ではないのはすぐに分かった。
「一番近いクルフ市街の状況ですが、今現在、ゼルブ軍がその半分近くを占拠しています。我々エステリア軍が交戦していますが残念ながら、まだ取り返すことはできていません。市街の至る所で一進一退の激しい戦闘が起きており、大勢の市民が巻き込まれてしまっています」
それはクルフ市街から避難してくる大勢の人を見れば容易に想像できる。宇宙研究所からは市街地の距離は十数キロで、ここからもビルやその他建物が見え、ミサイル攻撃によるだろう黒煙を僕は頻繁に目撃していた。
「ゼルブの攻勢を掛けているのでしょか? 最近、クルフ市街に対するミサイル攻撃の頻度が多くなっているように思いますが」
僕はそう聞いた。
「多くなっている? そんなことはないだろー」
アスレーは黙っていてほしい。それになんで「多くなっている」に反応するんだ。
「いや、大船さんのおっしゃる通りです。ゼルブ軍からのクルフ市街への攻撃はミサイルによる攻撃の頻度は増えています。前線が膠着状態になっていることと、エステリアの制空権をゼルブ軍が奪えていない状況を打開しようとしているのだと思っています」
カーデフ少佐はアスレーと対照的な存在だ。理知的だと思う。
「やっぱりそうですか。ミサイル攻撃が増えている・・・・・・ですか」
厄介だ。そんな状態でこの宇宙研究所からロケットを打ち上げることは難しい。
「宇宙研究所は迎撃ミサイルが機能しているので、打ち上げ前の今はロケットへの攻撃は問題ないですが・・・・・・」
カーデフ少佐は頭の回転がはやい。僕の質問を先読みして答えてくれた。
「打ち上げ後のロケットに対して、ゼルブがミサイルで攻撃してきたら、問題だと思います。打ち上げ後、エステリアのロケットとそれを追うゼルブのミサイルが一緒に飛んでいる中で、迎撃ミサイルがゼルブのミサイルだけを落とすことは難しいかもしれません」
僕はカーデフ少佐の言葉に頷いた。
「だとすると今のタイミングでロケットを打ち上げることはリスクがあるということですね」
少佐は少し考える仕草をした。
「そうなのですが、リスクが下がる期間があると思われます」
「リスクが下がる期間?」
何だが不思議な言葉をこの人は言っていると思った。
「どういうことです?」
僕は少佐に聞いた。
「ゼルブ軍のミサイルの発射拠点はクルフ市郊外のブルータです」
アーニャの街だ。今やミサイル発射拠点の街と化しているのか・・・・・・。
「見て下さい」
カーデフ少佐は彼のノートパソコンに衛星写真を映し出した。真っ直ぐな道路が遥か上空から撮った写真が目に入った。
「軍用車ですか?」
軍用車両、トラック、戦車、装甲車が一つの方向に向かって延々と連なっているのが見えた。直感でそれがゼルブ軍のものであると思った。
でもこれがさっきの話とどう関係があるんだろう?
カーデフ少佐は頷いて言った。
「クルフ市郊外のブルータに向かうゼルブ軍の軍用車両です」
こんなに多くのゼルブ軍が来たらひとたまりもない。クルフ市どころか、首都のカーフもあっという間に陥落する。
「いつブルータに到着するんですか?」
カーデフ少佐は僕の反応に笑みを浮かべた。
「このゼルブ軍の軍用車両はおよそ三十キロ続いています」
「えっ? 三十キロ?」
不思議だった。その笑みに緊迫感がなく、むしろ余裕があるように思えたのだ。
「この軍用車両は渋滞しているということですか?」
「そうです。この渋滞の先頭の橋は、エステリア軍によって落されています。つまりはこのゼルブ軍の軍用車の列はブルータには入ることが出来ず、足止めされ、ブルータにミサイルが補給されない状態となっています」
「つまり・・・・・・」
「近い将来、ゼルブ軍のミサイルの底が付き、彼らは打ち上げられたロケットをミサイルで打ち落とすことはできないということになります」
「おおおお、ゼルブ軍のミサイルが底を付くのはいつなんだ?」
突然、アスレーのハイテンションな声が聞こえた。暑苦しい。でもそれは僕もそれは知りたいかったことだ。
「近いうちにくると思います。おそらくは数日以内には」
「!」
驚きだった。
「そんな馬鹿な! あのゼルブ軍のミサイルがそんな短期間で底を付く訳がない!」
アスレーさん、驚きすぎてキャラが崩れていますよ。だけど僕も驚いていた。
カーデフ少佐の言葉が続いた。
「ゼルブ軍はそもそもエステリアを極短期間で占領できると思っていたようです。それに国境に配置していたゼルブ軍が本当に侵攻するということ自体が、極秘事項であったようで、そもそも準備が整っていなかったようです」
「やっぱり、そうだったのか・・・・・・」
アスレーのキャラは戻っていない。そろそろ言って気付かせた方がいいのかもしれない。まあいいか。あのキャラは聞いていて暑苦しいし。
僕はカーデフ少佐に言った。
「ということは、打ち上げ日はそれ以降になりますね」
「おっしゃられる通りです。ですが、橋がある一帯はゼルブ軍の支配下にあります。橋が直されたら、またミサイルが補給されることになります」
「・・・・・・」
ということは・・・・・・。
「はっはっはー、それは困ったな」
アスレーの楽しむような声が聞こえた。
「つまりロケットの打ち上げはミサイルの枯渇する数日後にピンポイントで行わなければならないということだな!」
キャラが戻ったようだ。なんで? この人は自分が窮地に陥ることを楽しいと感じる癖があるようだ。ゼルブ軍にミサイルが補給されると聞いて、なんで楽しいんだ?
「その通りです」
カーデフ少佐はいつのも丁寧な口調でそう答えた。
この人は本当に寛大だな。同じ研究所の職員の僕ですらイラッとするのに。
アスレーは元々、イギリスの大学にいたらしいけど、こんな性格だから追い出されたんだろうな。多分。
カーデフ少佐の声が聞こえた。
「あのロケットを打ち上げることは、エステリアにとって重要な意味を持っています。エステリアの多くの人が今、ゼルブ軍の侵略によって悲惨な目に合っています。家を破壊され、思い出や記録、財産を奪われたエステリア人は大勢います」
そう言ったニュースは今や日常となってしまっている。ゼルブ軍の攻撃は、エステリアの南と北、東から行われ、民間の住宅やマンション、スーパー、モールなどの施設を巻き込み、激しさを増していた。
彼は唇を噛んだ。
「・・・・・・」
そして呼吸をした。
「首都のカーフに私の妹夫婦が住んでいますが、つい先日のゼルブ軍によるミサイル攻撃で家を失いました」
彼の声は怒りを押し殺した声になっていた。声が震えている。
「えっ・・・・・・」
「まだ五歳の妹の子の右足はがれきに押しつぶされ、その場で切断せざるを得ない状況だったそうです。まだ五歳の子供ですよ? まだまだこれからいろいろなことを学び、笑ったり、泣いたりして生きてゆくというに、ゼルブ軍はその未来を奪った! とても許せることじゃない!」
カーデフ少佐の声はいつの間にか大きいものに変わっていた。アスレーのKY発言もさすがになかった。いつものハイテンションは消え、硬い表情で静かに聞いていた。
「つい一週間前は平和だったエステリアがいきなり侵略を受け、傷つけられ、市民が殺されていっています。平和だったエステリアがゼルブ軍によって蹂躙されている! そういった中でロケットの打ち上げは絶対にエステリアの人間へ希望を与えてくれると思います。あのロケットの打ち上げは絶対に打ち上げを成功させないといけないものだと思っています。この打ち上げはエステリアの未来が掛かっています!」
気が付くと周りに人が集まっていた。管制室に残っていた宇宙研究所の人間だ。カーデフ少佐の声に引き寄せられたのだろう。
「そうだ! その通りだ!」
「絶対にロケットを打ち上げよう!」
「エステリアに希望を届けよう!」
僕はエンジニアだから、根拠の薄いことに対し「できる」と言うことは好きではない。だけど、僕らは宇宙研究所でロケットの打ち上げの仕事をしている。それは人々に夢を与える仕事だ。
「大丈夫ですよ」
僕はそうカーデフ少佐に言った。
「絶対にロケットは打ち上がります」
「あっ、ありがとうございます。お願いします、大船サン!」
僕は立ち上がった。そしてカーデフ少佐と握手をしようとした。
「!」
突然、廊下側が騒がしくなった。壁を叩く音や、物が投げつけられる音がしている。
「軍の責任者を出して!」
若い女性の声だった。それはヒステリックなものに聞こえた。
少佐はその声に反応して管制室から廊下に飛び出し、僕も彼につられて廊下に出た。
一人のエステリア人女性がこっちに向って歩いてきているのが見えた。目はうつろで、視線は定まっていなかった。二十代だと思う。だけど、表情は疲れ切っていて、とても正常な精神状態に見えなかった。
距離を取りながら、その後ろをエステリア軍の兵士や宇宙研究所の職員が付いてきている。服装からすると、宇宙研究所の職員じゃない。おそらく管理棟の対面にある製造棟に避難してきたクルフ市民だ。
「だけど、どうしてこんなところに・・・・・・」
彼女は刃渡り二十センチくらいのナイフを持っていた。
そのナイフを振り回しながら、気が狂ったかのように怒鳴り散らしていた。正直恐怖を覚えた。同時に彼女を落ち着かせるのは難しいと思った。身の危険を感じるレベルだった。彼女が人を殺してしまうのではないかと思ったのだ。
「いつまで戦争をやっているのよ!」
「元々はエステリア軍が戦争をしたいと言って始まった戦争よね!」
「こんな戦争、侵略してきたゼルブ軍を受け入れれば終わるじゃない!」
言っていることが矛盾している。
訳が分からなかった。
金切り声を上げていた。
「もう耐えられない! そんな生活はもう耐えられない!」
「軍の責任者を呼んで!」
「呼んでって、言っているの!」
遠巻きにして、誰も反応しなかった。
そりゃそうだろう・・・・・・。
「誰かが死んでも知らないわよ!」
そう言って彼女は周りにいる人間にナイフを向け、怒鳴った。
「!」
カーデフ少佐が静かにナイフを持つ彼女の前へ進んだ。
「この地のエステリア軍の責任者をしているカーデフ少佐です」
こんな時でも、カーデフ少佐独自の丁寧な声だった。
信じられない。どうしてカーデフ少佐は前に出たんだ。二メートルくらいの距離しかないのに。相手はナイフを持っている。あれで刺されたらひとたまりもない。
異常な緊張を感じた。
「そう、あんたが・・・・・・」
彼女は立ち止まった。
「戦争を終わらせて・・・・・・」
声のトーンが変わった。
「もうこんなの耐えられない。父さんは市街戦に参加して死んでしまった。母さんは何の理由もなしに突然家に来たゼルブ軍によって殺された。弟は道を歩いているだけで殺された! そして私は・・・・・・」
僕は息を呑んだ。
「私はゼルブ軍にレイプされた! 何回も何回も! 抵抗したら殴られ、たばこの火を押し付けられた! そしてレイプされた!」
カーデフ少佐はすぐに言葉を返せないでいた。
「・・・・・・気持ちは分かります。ですが、落ち着いて・・・・・・」
「分かる訳がない! 分かる訳がない!」
その女性は怒鳴り返した。
「適当なことを言わないで!」
「・・・・・・」
「もう人として生きてゆけない」
その彼女はそう言った。
「もう耐えられない・・・・・・」
僕はどうしていいのか分からなかった。
そのシーンは来てしまった。
まるでスローモーションのように思えた。
彼女は持っていたナイフを首に持っていった。それを止めようとして手を伸ばすカーデフ少佐が見えた。スローモーションだった。全ての動きがゆっくり感じた。
僕も走り出した。
彼女はナイフで自分自身の首を刺した。
そこから血が一気に吹き出て、彼女はその場に倒れた。同時にナイフが床に落ちる音がした。悲鳴が聞こえた。
なんてことだ! なんてことだ!
そして時間の流れが戻った感覚に襲われた。
カーデフ少佐は真っ赤な血を浴びながら、止血しようと女性の首を抑えていた。女性は不自然にがくがくと震え続けていた。