第二章 ③
打ち上げ許可はすぐに下りた。
あの後、カーデフ少佐に相談しに行ったとき、彼は上層部と相談してみると言っていた。てっきり彼の上長に相談するだけと思っていたのだけど、話は上に行って、更に上に行って、大統領まで行った。
まあ、戦時下だからな。ロケットの打ち上げは、ゼルブ軍を必要以上に刺激するかもしれない。政治的な判断が必要だから、まあ、そうなるか。
「大統領からはエステリアの国威を示すものであるから、失敗のないよう最善を尽くすようにとのお言葉だったとのことです」
プレッシャーの掛かるお言葉が、侵攻後、初めて開催されたロケット打ち上げ会議でカーデフ少佐から宇宙研究所のメンバーに伝えられた。
「おおお、大統領!」
「やろう! エステリアのために!」
会議室の集まっていた五十人程の研究所メンバーの士気が一気に上がった。
大統領の影響は凄いな。オンラインで日本から会議に参加していた日本の宇宙開発センターの研究員も、この様子に驚いているだろう。
エステリアは侵略された歴史を持つからか、国家という概念は、日本とは全く異なる。独立は先人たちによって得られた貴重なもので、自分たちはそれを守るという意識が強い。故に大統領という存在は彼らにとって特別な存在だった。
それにここ最近のエステリア大統領の人気というか、信頼度は半端ない。ゼルブの暗殺部隊が入り込んでいる中、首都のカーフから逃げることなく、身を挺して、エステリアをリードしていることが、国民に伝わっていることが大きいのだと思う。
しばらく大統領の言葉に興奮した状態が続いていたが、会議室の興奮が収まった頃を見計らって、アスレーが口を開いた。
「ゼルブに占拠されたブルータに住む所長の消息は依然不明だ。まず、誰を打ち上げリーダーの代理とするのか伝えたい。はっ、はっ、はー」
今回の打ち上げのような非常に重い責任を伴うポジションは敬遠されるだろうな。誰が引き受けたんだろうと思う。そう言ったアスレーが、それは自分だと言うような気がする。本人からもそのオーラを出している感がするからそうかもしれない。
「それは・・・・・・」
もったいつけている。にやにやしている。なんなんだ。
「ロケットの心臓部であるエンジン設計担当が、打ち上げのリーダー代理をやるべきだ。はっはっはー」
アスレーが自信満々にそう言った。
「え?」
予想外の言葉が来た。エンジン設計担当というのは僕のことを言っている。エンジン設計の人間がなんでリーダーになるべきなんだ? なんで自信満々なんだ。意味が分からない。それに僕よりポジションが高い人間はいっぱいいる。その人間がやるべきだ。
「大船サンをリーダーとしたい。はっ、はっ、はー」
「ちょっと・・・・・・」
「大船サンがリーダーだったら、日本の協力が得やすい」
「確かにそうだな」
「今回の打ち上げは日本の宇宙開発センターの協力がないと、とても無理だ」
アスレーによって流れを作られた格好だ。自分がやりたくないものだから、他のメンバーも同調したこと言い始めている。
これまで打ち上げには何回も参加しているが、当然、二十代後半の僕が、打ち上げのリーダーなんて見たことがない。経験がないと無理だ。アスレーはこの打ち上げを失敗させる気なのか!
「リーダー、まずは重要なことを決めないといけないぞ。はっはっはー」
何が「はっはっはー」だよ。暑苦しい。
「僕よりリーダーに適した人間は他にいる!」
「大船サン、打ち上げはいつにするんだ?」
この人、全然、聞いていない! マイペースにもほどがある。そもそもスタッフが足りていないこの状況で打ち上げの日程なんて決めることなんてできない。
「大船サン、いつにするか決めよう」
また言ってきている。僕は苛立ちを感じた。
「スタッフがどれくらいいるのか、その限られたリソースの中でどれを確認するのか、どれを省くのかをまずは確認しないと打ち上げ日程なんて決められません」
僕はそう言ったが、アスレーは「ああ、そうだね」という顔は全くしなかった。この人はマイペースで、一度そう思ったら違うことは絶対に受け入れない感じがする。暑苦しい上に面倒くさい。
「本来は先週に打ち上げる予定だった。だから確認なんていらないはずだ。はっはっはー。それに打ち上げ日を決めておいた方が、目標があっていい」
やたら日程を決めたがっているなあ。なんだろ。理由が分からない。
たぶん、性格の差が出ている。アスレーの性格は大雑把なんだ。慎重さを求める宇宙開発に向いていない。今までどうやって仕事をこなしてきたんだ? 確かにアスレーの言う通り、本来、ロケットは先週に打ち上げる予定だったから、各ユニットの確認は済んでいるはずだ。だけどそれは想像であって、僕らは何も確認できていない。それでOKとは言えない。
「少しデータベースを調べただけでも、エビデンスがないユニットがいくつかありました。この状態では打ち上げの判断はできません。とは言え、元々は先週に打ち上げる予定だったことを考えると、データはどこかにあるはずです。それを手分けして探しましょう」
僕はそう言った。そして言葉を付け足した。
「大統領からの指示があったようにこの打ち上げは絶対に失敗はできません。慎重にいきましょう」
膨大なデータベースの中からエビデンスを探すのは大変だが、それはやるべきことだ。その上で、必要ならば再確認を行い、且つモニタへ上がってくるデータに問題がなく、プログラムで行う打ち上げの自己診断テストに問題がなければ、打ち上げができると判断してもいいかもしれない
失敗しているロケットは過去に数多くある。慎重にことを進めるべきだ。もしロケットの打ち上げに失敗したら、エステリアの人々の心は折れて、ゼルブの侵攻を受け入れてしまうかもしれない。それは絶対に避けなければならないことだ。この打ち上げは絶対に失敗はできない。
「面倒くさいかもしれませんが、協力をお願いします」
僕は会議室に集まっていたメンバーにそう言った。
「リーダーの大船サンがそう言うなら仕方がないな!」
アスレーは不満そうにそう叫んで明後日の方向を見た。なんだろ、この人は全てが暑苦しい。
「ん? 待ってください!」
僕のことをリーダーと言っていた。僕がリーダーなったという流れになっている。
「依頼されていた日本側の協力はまだ回答できる段階にないです」
突然、目の前に置いていたスピーカーから声がした。
こっちも何を言っているんだ?
日本の宇宙開発センターからの声に僕は反応した。
「どうしてですか! 加藤さん!」
僕は日本側、つまりは僕の上司に突っかかった。そして言った。
「日本側から軌道計算、各ユニットへのサポートがない限り、今、エステリアの宇宙研究所のスタッフだけでロケットの打ち上げを行うことは不可能です。お願いです、ロケットの打ち上げに協力して下さい」
「日本側がエステリアのロケットを打ち上げる協力をした場合、ゼルブの反発が予想されます。我々はこれからそれが国際問題にならないか確認するつもりです」
ああ、なんて予想通りの言葉だ。日本の宇宙開発センターの研究員は公務員だ。御多分に漏れず、一旦、自分たちの責任範囲外と判断すると、絶対に手を出さないし、助けることはしない。それどころか、責任範囲内であっても、絶対にリスクを取ろうとはしない。
僕もつい二年前はそこにいたからよく知っている。
だけど引けない。
今回のロケットの打ち上げはエステリアの命運が掛かっている。
「そもそも今回の打ち上げはエステリアと日本の共同プロジェクトなんですよ? 契約には、打ち上げに関して日本は協力するという記述になっています。協力して下さい」
「非常事態が起きた場合はその限りではないと書いてあるはずです」
確かに書いてある。くそっ、記憶力がいい。
「加藤さん、今、エステリアはゼルブに侵入され、窮地に陥っています。この状況でロケットの打ち上げを断念し、ゼルブ軍にロケットを破壊されたら、エステリアは侵略者であるゼルブに屈したことになります。加藤さん、なんとか日本の協力をお願いします」
「いいですか、大船君」
彼は急に日本語に切り替えてきた。現地の人に聞かれたくないときに使う手だ。この僕の上司はこの手をよく使う。
「何も意地悪をしている訳ではないんです。ゼルブという国は、我々とは異なる常識を持った国です。現にあのロケットをミサイルだと彼らは主張していて、その打ち上げに協力する日本は、ゼルブの安全保障を脅かす存在となってしまいます。大船君は、日本がゼルブと戦うことになってもいいと言うんですか?」
「それは・・・・・・」
日本側から違う声も聞こえてきた。
「人事の上大岡です。そもそも大船君がいまだにエステリアに留まっていて、そっちで業務をしていることだって、日本とゼルブとの緊張を高める危険があるんです。これは高度な政治問題と直結しています。政府がエステリアを支持するという明確な判断がない限り、我々は何も行動できません」
人事の上大岡さんも出てきた。いつもアイロンの掛かった白いワイシャツを着る几帳面な人だ。だから型通りな回答をする傾向がこの人にはある。
それはそうかもしれない。
だけど、それは僕の行動基準と違う。正しいことじゃない。
「だからと言って、エステリアの困っている状況を無視するというのはあまりにも薄情ではないですか?」
「人事の上大岡です。薄情とは思いません。これは高度な政治問題と直結しています。本来なら大船君には今すぐ帰国してほしいところですが、戦況からそれが難しい状況も理解しています。ですから、今は何もしないで、戦況が改善するまで待ち、落ち着いたら直ちに帰国して下さい」
また高度な政治問題とか言ってきた。日本の宇宙開発センターはこういう官僚的な人が多くて本当に面倒くさい。それにいちいち「人事の上大岡です」と言っているのもいらっとする。
「待って下さい。我々は政治家じゃなくてロケット屋ですよ? 我々は自分たちの仕事をすべきで、ゼルブのご機嫌とか顔色を見るのは、私たちの仕事ではないはずです」
僕は言葉を続けた。少し興奮していたと思う。
「エンジニアは人々が幸せになることをするのが仕事のはずです。技術で人々の生活をより便利で、より豊かで、より幸せで、より楽しいものにするのが、我々エンジニアの使命なはずです。それを放棄して、政治を伺い、怖気づくのは賛成しかねます」
そう言い切った。
だけど日本側の反応はなかった。
人の心を変えるのは難しい。人の心を打つなんて尚更だ。
日本側の言い分は正しいだろう。この状況下でエステリアのロケットの打ち上げに協力するか否かは、日本の研究所の人間が扱えるレベルを遥かに超えている。だけど、日本側の協力なしでは、あのロケットを打ち上げることなんて不可能だ。
「・・・・・・」
突然、掠れた男の声の英語がスピーカーから聞こえてきた。
「お願いします。日本の皆さん、どうかエステリアのロケット打ち上げに協力して下さい」
きれいな発音ではない。エステリア訛りの英語だ。だけど誰が話しているのか分からないな。いったい誰が話しているんだろう?
「人事の上大岡です。突然なんなんです? 今、日本側でロケットの打ち上げには協力できないと話しているところなんですが。だいたい・・・・・・」
彼はむっとした感じの英語で返した。露骨に上から目線の口調が出ている。この人はプライドが高いからなあ。知らない人を相手にそんな態度をしていいのか?
いや、待てよ。この声はどこかで聞き覚えがある。この掠れた声は独特だ!
「上大岡さん、そこまで!」
僕は思わず口を挟んだ。それこそ国際問題になる。オンになったビデオを見て確信した。
「あっ」
上大岡さんの声が聞こえた。さすがに驚いたようだ。
エステリアの大統領であるバーレスク大統領が会議室のモニタに映っていた。
流石に僕は緊張した。モニタ越しとは言え、国家の元首がいる会議に参加したことなんて、今までの人生で一度もない。日本にいたときですらない。まあ当然か。
「ロケットの打ち上げは我々のエステリア人の勇気を奮い立たせてくれます。エステリアの国民の心を支えてくれます。ただ、ゼルブの侵攻のせいで打ち上げのための人が足りていません。日本の皆さんの協力を頂ければ、我々は本当に助かります」
流ちょうな英語ではなかったが、彼の気持ちは伝わった。一方で上大岡さんは自分の気配を完全に消していた。自分の存在を消して外交的リスクとやらを回避しようとしているのだろうか?
「加藤さん」
代わりに僕は日本側の自分の上司の名を呼んだ。そして言った。
「日本のサポートをお願いします」
「お願いします」
カーデフ少佐の声が続いた。
「お願いします」
そして五十人はいるだろう会議室の中はその言葉で沸いた。エステリアの宇宙研究所の研究員、エステリア兵士が同じ言葉を発していた。
「お願いします」
「お願いします」
「お願いします」
すごい、大合唱になった。こんなに「お願いします」が言われる光景は見たことがない。
どうするんだ? どうするんだ? 日本?
「日本の宇宙開発センターの加藤です」
加藤さんの声が聞こえた。
一瞬にして会議室は静かになった。
しばらくの沈黙の時間があった。
僕は息を呑んだ。
そして加藤さんは言葉を続けた。
「日本の宇宙開発センターはエステリアのロケット打ち上げを支援します」
「えっ、加藤さん?」
僕は思わずそう反応してしまった。
「遠隔で日本からどういう援助ができるのか検討させて下さい。我々は政治家でなくロケット屋です。我々はエンジニアとして自分たちの仕事をすべきだと思っています」
僕が言った言葉だ。彼はそれを英語で僕たちに言った。
「大船君の言葉が素直にいい言葉だと思ったんですよ。素直にそうだと思ったんだ。それにこんなに多くの人からお願いされて、NOとは言えないですよ」
「あっ・・・・・・」
想いが通じたんだ。
「加藤さん、ありがとうございます!」
僕はうれしくてそう叫んでしまっていた。
エステリアの大統領の声が続いた。
「日本の皆さん、ありがとうございます。そしてよろしくお願いいたします。私からも日本の大統領へ正式に協力をお願いするつもりです」
「大統領、そうやって頂けると我々もやり易いです。よろしくお願いします」
加藤さんはそう答えた。
ああ、大統領、日本に大統領はいませんよ。あまり知られていないかもしれませんが。
「大統領、次の予定が・・・・・・」
秘書官らしい男性の声をマイクは拾ったようだ。
エステリアの大統領は間違いなく今世界で一番大変で、ストレスの掛かる仕事をしている。エステリアの四千万人の命を守るために働いている。ゼルブ軍の侵攻の中で、夜も昼も関係なしに対応しなければならないことが発生しているだろうし、それに対して判断をしているだろう。おそらく休みもなしに。
「あの・・・・・・」
僕は言葉を発した。大統領が大変な状況にあるのは十分分かっていたが、今は彼に頼るしかなかった。
「大統領、エステリアを、エステリアを守って下さい。あなたの国民を守って下さい。ブルータに住んでいた宇宙研究所の仲間の多くが、連絡が取れない状態になっています。どうかお願いします。ブルータを解放して、彼らを助けて下さい」
気が付いたら僕はそう言ってモニタに頭を下げていた。お願いをするときに頭を下げる文化は、この国にはない。だけど、そうする以外に僕は僕自身の真摯さを示すことができなかった。
僕は宇宙研究所の仲間を助けたかった。
アーニャを助けたかった。彼女を助けたかった。
僕はアーニャをずっと好きだった。
「分かりました。私はあなたの仲間を助けるために全力を尽くしましょう」
大統領はそう言ってくれた。その声は僕たちの状況を理解しようとしてくれている声だった。僕にはそう思えた。
「ありがとうございます」
僕の頬に温かい物が流れた。大粒の涙を流して泣いた。溢れ出る感情を止めることがどうしてもできなかった。僕は声を出して泣いてしまっていた。