第四章
朝からの雨が止み、空は晴れ始めていた。
柔らかな風が吹いている。
ブルータの悲劇と呼ばれるあの惨状を僕らが目撃してから二か月が経っていた。
僕は宇宙研究所の前にある広場から、ロケットの格納庫を眺め見た。
ゼルブ軍のミサイルは全て迎撃ミサイルによって打ち落とされ、ロケットは破壊されることなく、エステリアの希望として残った。もし宇宙研究所に司令部が置かれていなかったら、迎撃ミサイルの十分ではなかっただろうから、ロケットは今頃破壊された残骸となっていただろう。不幸中の幸いということになるのだろうか?
「・・・・・・」
ブルータの悲劇に関しては、各国の調査団が調査に入り、メディアによって、世界はゼルブ軍が行った非道を知ることになった。五百人近くの市民が殺されたあの悲劇は世界に衝撃を与えた。永久中立を保っていた国でさえも、エステリアの援助を申し出たほどだった。
あの惨劇を起こした人間と命令した人間は裁かれ、罰を受けるべきだ。絶対にそうならなければならない。人類は正義というものを後世に伝えるために絶対にそうしなければならない。
僕はそう思う。
戦争は続いている・・・・・・。
「あ・・・・・・」
僕は空を見上げた。
光の線が雲の間からいくつも伸びていた。
その風景は幻想的なものだった。天と地が繋がった光景のようにさえ思えた。もしかしたら、本当に天からこの戦争で亡くなった人たちの迎えが来たのかもしれない。多くの何の罪もない人たちを天は優しく迎え入れようとしているのかもしれなかった。
だけどその中にはアーニャも入っている・・・・・・。。
結局、ブルータに住んでいた宇宙研究所のメンバーは、アーニャを含め、所長も、他の所員も全員命を落としていた。ゼルブ軍の侵攻が予想以上に早く、ブルータの街から出ることができないまま、ゼルブ軍に捕まり、スパイ容疑の拷問に掛けられ、殺されてしまったり、アーニャのように抵抗運動中に殺害されてしまったりしていた。砲撃で家の下敷きになって亡くなった者もいた。
そして誰も宇宙研究所に戻ることはなかった・・・・・・。
僕は唇を嚙んだ。
「あのロケット・・・・・・」
僕は何としてでも打ち上げるつもりだ。でないと死んだ人間が浮かばれない。理不尽に殺された宇宙研究所の仲間も、あのロケットを絶対に打ち上げてほしいと思っているはずだ。
だけど、アスレーのスパイ事件を発端とした人員不足の問題は解決されないままだった。今も打ち上げが難しい状況には変わりはない。正直日本からのリモートでの支援だけでは対応は難しい。エンジニア不足をどう解決するかを決める必要があった。
ゼルブ軍との主な戦線はエステリアの東部に移ったものの、首都のカーフや、クルフなどの主要都市にはゼルブ軍からの執拗なミサイル攻撃が続いている。こういう状況では、当然、海外からのロケット開発者の補充は難しい。誰も戦争が継続されている国で、他国のロケット開発をしたいとは思わないだろう。
「だとしても、何としてでも、僕はあのロケットを打ち上げる・・・・・・」
雲から差し込むいくつもの光の線を僕は見つめた。
宇宙研究所にいた二千人の避難民の多くの人は、ゼルブ軍が去ったクルフ市街に戻って行った。だけど、おそらく相当辛い生活が待っているだろう。
建物の多くはミサイルや戦車の砲撃により壊され、水道やガス、電気などの社会インフラも破壊されてしまっている。店やスーパーは十分な流通経路を持っていないだろう。つい三ヶ月まで普通にあったこと、普通にできたことがクルフの街からなくなってしまった。エステリア政府の援助はあるのだろうが、社会自体が破壊されたんだ、復旧するにはいくらあっても十分じゃない。それに戦争で引き起こされた悲劇への悲しみと苦しみを乗り越えて、生活を復興させることになる。精神的にリカバリできていない中で、それは大変な作業になるだろう。雲を掴むような話にさえ思える。
大変だ・・・・・・言葉では言い表せないほど、それは大変だと思う。
「大船サン」
背後からカーデフ少佐の声が聞こえた。
僕は振り向いた。
いつもの物腰の柔らかな感じの彼がいた。彼は軍の制服を着ていなければ、とても軍人には見えない。ホテルマンとか、航空会社の乗務員とか、とにかく礼儀正しいお仕事をしている人にしか見えない。
「もう行かれるんですか?」
僕はそう応えた。
「ええ、北部からゼルブ軍は完全に撤退しましたし、国境の守りは固まってきています。私たちは予定通りこれから東部に向かいます」
宇宙研究所に置かれていた司令部は首都カーフにある中央指令本部に統合という形になった。戦線がエステリア東部に移ったため、エステリア軍は軍の再編を行い、一部の部隊を北部国境に配属し、残りは東部のエステリアの戦力補強に廻すことになった。
カーデフ少佐の部隊も戦闘支援のため東部に移動する。
「・・・・・・」
言葉をどう返すべきなのか分からなかった。
この三か月間という短い期間に僕の周りでは多くの死があった。いや「僕らの」だ。クレイバ、宇宙研究所のメンバー、クルフ、ブルータの人々、エステリア軍の兵士。そしてもし、戦争がなかったら、僕と付き合うことになっていただろう、アーニャ。
死が多過ぎだ。
ひどすぎる惨劇をカーデフ少佐やディビット達と経験し、僕らは一体感のようなものを持ち始めていたと思う。自分たちの悲しみや苦しみを理解できるのは、同じような経験をしてきた人間同士でなければ難しい。だからなのだと思う。皮肉なことにゼルブ軍が始めた侵略戦争は、元々知り合う機会さえなかった僕らを繋いでくれた。
彼らがいなくなることに寂しさを感じていた。
最近ゼルブ共和国は「東部地方を押さえることは、親ゼルブの民衆を救うのが目的だ」と喧伝している。今や彼らの目的は領土の割譲に変わっていた。エステリアのNATO加入を嫌ったゼルブはどこに行ったという感じだ。
東部への侵攻に関して、ゼルブはゼルブ軍の威信を掛け、激しい攻撃を行っているようだ。毎日のように東部で戦死した兵士、民間人の犠牲者のニュースが報道され、その数は半端ない。
この国は依然として人が死に過ぎている・・・・・・。
「大丈夫です。我々は死に行く訳ではないです。侵略者をこの国から排除するために行くんです。だからそんな悲しそうな顔はしないで下さい」
顔に僕の思っていることが出てしまっていたのだろう。カーデフ少佐はそう言った。
「絶対に死なないで下さい」
僕は彼にそう言った。
「もちろん、そのつもりです。我々は死にません」
その声は安心させるものあった。信じられる言葉に思えた。彼のリーダーとしての素質なのだろうか?
北部戦線において物量に勝るゼルブ軍の侵攻をクルフで留めることができたのは、彼が指揮する宇宙研究所の司令部による功績が大きかったという話をよく聞く。その司令部の責任者はカーデフ少佐だ。つまり彼の指揮がなかったら、クルフの防衛線は突破され、首都のカーフは陥落していたかもしれないということだったようだ。
彼の言葉は信じられる。
彼の部下もきっと同じだろう。
そして彼らは決して死なない。
「実は私は・・・・・・元々軍人になるつもりは全くなかったんです」
彼は突然そう言って笑った。
「へ?」
意外な言葉が来た。
「大学を出て仕事がなかったので、しかたなく軍に入ったんです。エステリア軍では大卒を幹部候補として扱ってくれますし、そもそも戦争に行くことなんて、絶対にないと思っていましたから。エステリアは平和でしたからね。戦争に行くことなく、定年を迎え、除隊すると思っていました」
相変わらずの礼儀正しい言い方で、彼は笑いながら言った。本当にホテルマンのようだ。元々はそっちの志望だったかもしれない。
「だけど、戦争はなくならないものですね。まさか、このエステリアが侵略に会い、多くの建物が破壊され、略奪が行われ、多くの市民が殺され、虐殺が起きるなんて、想像もしてもなかったですよ。本当にこんなことが起きてしまった」
それは僕も思っていたことだった。
「僕もエステリアがこんな状況になるなんて、想像もしたことがなかったです。エステリアはとても平和な国でしたから」
カーデフ少佐は僕の言葉に頷いた。
「残念ながら、北部からゼルブが撤退した今も、東部ではゼルブ軍の侵攻は続いています。この侵攻で、多くのエステリア軍兵士や民間人がゼルブ軍によって殺されました。民間人の中には多くの子供たちも含まれていました。彼らが殺される理由は何もなかった。なのに、彼らはゼルブ軍に残虐に殺されてしまいました」
一瞬、僕の脳裏にアーニャの遺体が映し出された。
銃殺され、戦車に轢かれた遺体だ。
身が凍る思いがした。
唇を噛んだ。
「大船サン、我々がゼルブの侵攻を受け入れることは絶対にありえません。そしてゼルブ軍の行ったことを許すことは絶対にないです」
この侵攻はおかしい。
何の理由もない。ゼルブの大統領が号令し、身勝手に始まった戦争だ。こんな意味ない戦争がいつまで続くんだと本当に思う。
「取り戻します」
僕はその声に反応し、カーデフ少佐を見た。
「必ず我々がエステリアに再び平和を取り戻します」
カーデフ少佐は僕に右手を差し出した。
僕はそれに応じて、僕も右手を差し、硬く握手した。
「それではまた会うときまで」
そう言って、彼は装甲車に向かって歩き出した。その後を多くの兵士が付いて行った。そして彼らの多くが僕に握手を求めてきた。
気が付くと他の宇宙研究所のメンバーも建物から出てきていた。カーデフ少佐たちが出発する姿が見えたからなのだろう。宇宙研究所の広場はさながら、宇宙研究所のメンバーとエステリア軍の兵士との握手合戦の会場になった。次から次へと右手がやってくる。ハグも何度もした。
こんな妙な場面に出会うのは、生まれて初めてだった。
「大船」
そこにはいつもの無表情のディビットがいた。彼もまた右手を差し出した。僕はそれに応じて僕らは握手をした。彼の手は大きかった。ゴツゴツとした固い手だった。
ディビットは無表情でいつも何を考えているのか分からない人間だったが、今は分かる。彼は僕との別れを惜しんでいるし、平和を望んで戦地に向かおうとしている。
「ディビットさん、絶対に死ないでください」
「ああ。絶対に死なない。やりたいことがあるからな」
僕はその言葉に驚いた。ディビットは不愛想で、表情が出ないから、てっきりそんなものは持ち合わせない、無趣味の人だと思っていたからだった。
「やりたいことがある?」
聞かなくていいことのような気がしたものの、つい聞いてしまった。
答えはすぐに返ってきた。
「婚約者との結婚だよ」
僕は驚いて、彼を見た。
言葉が出なかった。
全くの予想外の言葉だった。
僕は唖然としてしまっていた。
彼は笑ったように思えた。
僕の様子が滑稽に映ったのだろう。ディビットの笑顔は初めて見た。
そしてディビットは左手を上げ、手を振り、トラックの方へ向かって歩いて行った。
僕ははっと我に返った。
ああ、なんだ、この人、普通の人だ。
「けっ、結婚式! ディビット! 僕も、僕も呼んでくれ!」
僕は彼の遠のく後ろ姿にそう叫んだ。




