第一章 ②
「今日はお越し頂いてありがとうございました! ゼルブの奴らが攻め込んでくるとか、こないとか言われていますが、今日はそんなことは忘れて、いっぱい飲んで楽しみましょう! 手にビールは行き届いていますでしょうか? それではエステリアと皆様の明るい未来に乾杯!」
店の奥に小さなステージがあり、そこでパブのオーナーがマイクを持って、早口で一気にまくしたて、乾杯の音頭を取った。ここはそういう店のようだ。とにかく、小柄で少し太った中年の店主が底抜けに明るい。
「乾杯! 乾杯!」
広い店内は満席に近かった。おおよそ百人はいるんじゃないだろうか? 一斉に彼らはジョッキを当て始めた。
「ん?」
延々と当てている。ああ、そうか、知らない人同士でもやっているのか。
実施、僕も何人もの全然知らない人とジョッキを当てた。
「ふう」
乾杯のラッシュが落ち着き、僕らはようやくビールを飲むことができた。
「おっ、美味いな」
エールを選んだ。なんだろう、とにかく美味い。ドイツのビールがいっぱいメニューにあるのだが、銘柄は聞いたこともないものばかりだった。なので、店員さんに聞いたら、これを薦められ、言われるがまま、それを注文した。
オーナーのいるステージにはギターとかの楽器も置いてある。後で演奏とかあるのかもしれない。期待したい。
「でしょ? おいしいでしょ?」
アーニャは言った。彼女は既に二杯目に入っている。ペースが早い。お酒が好きな人だったんだな。
「ビールは入れ方で、同じ種類でも味が全く変わってくるのよ」
「ほう」
「よく言われるのは三度注ぎで、三回に分けてビールを注ぐことで、適度に炭酸を逃がし、苦味を抑える方法が有名だわ。後は一度注ぎと言われるもので、一度に一気にビールを注ぐ方法なのだけど、この方法だと炭酸が逃げてゆくから、のど越しがすっきりしたものになるの」
「へー」
よく知っている。
それにビール飲むアーニャはかわいい。それを語っているのもかわいい。
「おっ」
隣に座っているクレイバはもう酔っぱらって潰れている。まだ一杯しか飲んでいないのに。なんて弱さだ。ソーセージもまだテーブルに運ばれてきていないのに残念な人だ。
酒場の中は笑い声が飛び交っていた。
前から思っていたが、エステリアの人の飲み方はちょっと独特だ。知らない人でも結構、普通に話しかけてくる。エステリア人はフレンドリーな人が多いと思う。
「アジアから来た人なのか?」
顔が真っ赤になった太ったおじさんがエステリア語で話しかけてきた。あーあ、エステリア語は苦手なんだけどなあ。特に話すのは。
「日本から来た。仕事で」
下手なエステリア語になっていると思う。
「おー、日本! アリガトウゴザイマス、コンニチワ」
外国に行くと、知っている日本語を並べる現地の人は多い。言われるのはいいのだが、会話をこの後、どう続ければいいのかがいつも困る。
「日本に言ったことがあるよ」
おっと、そうなの? だから日本語を言ってきたのか。
「驚いた。日本のどこに行った?」
「日本の京都でお寺とか神社とか見た」
エステリア語は難しいな。
日本に観光に行ったことがあるのか。
「日本はいいよね。ご飯がおいしい。礼儀正しいし、いつもお辞儀をしてくれる。それに公共の交通機関がいっぱいあって、便利だ。時間通りに来るし」
確かにエステリアは公共の交通機関は不便極まりない。時間は守らないし、バスならまだしも、電車も時間を守らない。本数のそんなに多い訳ではない。
なので、僕は自分の車を使って、アパートから宇宙研究所まで通っている。一方でそこに寝ているクレイバは、バスを使って宇宙研究所まで通っているというのだから、驚きとしか言いようがない。よくあのバスで毎日通えるものだ。
「だけど、時間に追われないというエステリアの習慣は、僕は好きだよ。日本人は時間に追われて日々を送っているから、あまりいい生活習慣ではないと思う」
僕はそう言った。海外にいると本当に日本人と言うのは律儀な人間が多いと感じる。国民性が真面目な人種なのだと思う。裏を返して言うと、面白みがないということだろうか。
「確かに、エステリア人は時間を気にしない。大らかだ。日本人は働きすぎるから、少しは見習うべきかもしれないな」
日本人が働くことが大好きだというのは海外では有名な話だ。いや、日本人だけじゃなく、その点はアジア人と言った方がいいかもしれない。不名誉な話だ。
「私も京都に行ったことがあるのよ」
アーニャの声だ。それは初耳だ。
「あの場所はいいわ。なんだかタイムスリップしたような感じがして」
「確かに昔からのお寺とか神社がいっぱいあるからね。金閣寺とか行った?」
「行ったわ」
「俺も行ったぞ」
僕の問いにアーニャと顔が真っ赤になっているおじさんが同時に答えた。
「この世に金の建物があるなんて驚きだったよ」
おじさんは上機嫌で答えた。
「だけど、エステリアにはかなわない。エステリアには中世の古い建物がいっぱいあるし、世界遺産もある。それに自然豊かでいい国なんだ。絵のような美しい景色がいっぱいある」
隣のアーニャもビールを片手にうんうん頷いている。
頬が赤くなってかわいい。
とても平和な光景だ。
「お兄さんはエステリア内でいろいろ観光したのか?」
おじさんは僕に聞いてきた。
「行っていない。だけど今度緑のトンネルとか言うところに行ってみたいと思っている。とても美しい場所と聞いているので」
おじさんは、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑い顔になった。何か言いたげな含みのある笑顔だ。なんなんだ?
「それは誰かと行く予定なのか?」
「ああ」
僕がその問いに答えようとした瞬間、アーニャの声が聞こえた。
「ねえ、エステリアの民謡が始まるって言っているわ」
さっきの小太りの店主がマイクを使ってそんなことを言っている。
「ドイツ風のパブなのにエステリアの民謡?」
「ドイツ風だけど、エステリアのパブだからいいんじゃない?」
アーニャはそう答えた。
まあ、いいか。
僕は疲れることは好きではないので、突っ込まないことにした。世の中、辻褄が合わないことやおかしなことは山ほどある。いちいち反応するのは無駄なだけだ。そもそもここはエステリアだ。ドイツじゃない。エステリアの民謡があったって何もおかしいことはない。
「まあ、そうか。まあいいか」
ステージにエステリアの民族衣装を着た若い金髪の女性が、数人立っているのが見えた。一斉に拍手が割れんばかりに鳴り響いた。指笛が飛びまくっている。
曲が鳴り始めた。
拍手は手拍子に変わった。
楽しい。とても愉快な気分だ。
ステージの後ろ側で、ギター持った中年の男達が音楽を奏でていた。そしてロングのワンピースのような民族衣装を着た彼女たちは、その音に合わせて歌いだした。
きれいな声だった。すばらしくきれいな声に思えた。
エステリア語だったから、すべての歌詞をキャッチできた訳ではないが、僕にはその歌が心を和ませ、落ち着かせ、喜びを与える歌に思えた。
百人近い客の中には、ダミ声で一緒に歌いだす者もいたし、酔っぱらいながらも曲に合わせて踊りだす者もいた。
「この歌は、私たちエステリアの人間にとって、とても大事な歌なの」
アーニャはほろ酔い顔で言った。嬉しそうだった。周りに座っているエステリアの人たちも目が輝いている。アーニャが言うように本当にこの歌はエステリア人にとって、とても大事な曲のようだった。
クレイバがテーブルからむくっと起きた。眠そうな顔だと思った。きょろきょろと周りを見て、何が起きているのか確認していた。
「大事な曲?」
僕はアーニャに聞いた。
「知っていると思うけど、第二次世界大戦のときにエステリアはゼルブ共和国に占領されたの。エステリア政府はさっさと降参して、白旗を上げたけど、市民は諦めずに抵抗を続けたわ。そしてゼルブ軍を遂には追い返した。戦いの合間にこの歌を歌って、士気を保っていたって聞いているわ」
すごいな・・・・・・エステリアの人々は。
すぐに諦める日本人とは全然違う。
戦いの合間に歌った曲か・・・・・・。
テンポのいい曲だ。詳しくは聞き取れないが、エステリアの山や川、平原、それらの自然を称えるような歌だったと思う。愛国をひたすら訴えるような歌ではなかった。まあそんな曲だったら、市民が自主的に歌うような歌として選ばれていないか・・・・・・。
「踊ろう!」
アーニャが僕に言った。そして席から立ち上がって、僕に手を伸ばした。
「え? 無理。無理無理無理」
「いいじゃない」
彼女は僕の腕をぐいっと引っ張った。僕はそれに引っ張られるような形で立ち上がってしまった。踊っているのは数人だ。この状態で踊ったら目立ってしまう。踊れるならまだしも、踊れないのだから、それは絶対に避けたい。
僕らの席に座っていたおじさんは楽しげに僕らの様子を見ながら、ビールを飲んでいた。若い奴はいいねえとでも言いたいようだ。
全くそうじゃないよ。
クレイバはテーブルで寝ている。この人はいったいここに何しに来たんだ。そもそも今回の飲み会を企画したのはお前だろーが。
アーニャの手は協力だった。そのまま僕の腕をぐいぐい引っ張り、僕をステージの前まで連れて行った。
えー。
エステリア人の客は突然の僕ら二人の出現に大喜びした。指笛まで飛んでいる。なんなんだ。本当に明るい人たちだ。
「ちょっ、僕は踊れないぞ」
「大丈夫よ。私も踊れないわ」
なんと。踊れない二人が踊ろうとしても、リードする人がいないから、踊れない二人のままなのではないだろうか? どうすればいいんだ? アーニャは頭の回転が速くて、知識もあって、とても賢い女性だと思うのだが、今日は酔っぱらっておかしくなってしまったのだろうか?
「ほら、手をちょうだい」
「え? ああ」
細い手だった。
まるでこの世で最も高貴なものを触るような感覚を覚えた。
僕は彼女の手を握った。
「そっちの手も」
「うん」
僕らは両手を握り、両腕を広げたかと思うと、何かの映画で見た中世の踊りを真似て、手を上げたり下げたりして、ステップを踏みながら踊り始めた。初めはお互いのステップが全く合わず、ぎこちない踊りだったが、その内、さまになってきた。
周りも盛り上がってきた。指笛が鳴った。笑い声が溢れていた。
どんどん踊りの参加者が増えてきた。
踊る場所がどんどん狭くなってゆく。
彼女と僕はその中心で踊っていた。みんな楽しそうだった。僕も楽しいと思った。ビールを飲み、笑い合い、楽しんでいた。
そして踊っていた。
彼女の笑顔は素敵だった。
金髪のポニーテールが僕らの動きに合わせて踊っていた。
平和だ。
本当にこの国は平和だと思った。
週が明け、水曜日になってようやくロケットの打ち上げ日程が、来週の水曜日に変更になったと発表された。
発表が遅れたのには理由があった。
今、隣国であるゼルブの大統領がエステリアのNATO加盟に反対して、国境付近に演習と称してゼルブ軍を配置して圧力を掛けている。このため、最近はゼルブ軍が国境を越えて侵略してくるだろうというニュースがエステリア国内で盛んに流れているが、心理的な安全バイアスが働いているからなのか、市民の反応は冷静なものであった。
エステリアの国土は日本の二倍ある。それを十万の兵で侵略できるとは思えなかったし、NATOには加盟していなかったものの、西側諸国とは友好な関係を持っている国に対し、ゼルブが攻め入ってくるとはとても思えなかったのだと思う。十万の兵を使って侵略を行うというのは旧世代の発想としか思えず、国境での演習はエステリアへの脅しだろうと勝手に解釈していた。
ただ、ゼルブには前科があった。
ゼルブはいくつもの国に軍の派遣し、クーデター支援をしていたのだ。
エステリア政府によるNATOへの軍事的加盟の検討も、それらクーデターを背景とした自国をゼルブから守るための行動の一環だった。当然の流れだろう。
ゼルブとNATOの関係は今も昔も微妙で、NATOの仮想敵国は、今も昔もゼルブで、ゼルブもまたNATOを仮想敵国としていた。ゼルブにとって隣国がNATO加盟国になることは許しがたい行為であり、絶対阻止すべき事項と考えていたようだ。
ゼルブの大統領の苛立った映像を最近よく見る。
相当、フラストレーションを抱えているように見えた。
彼はエステリアのやることなすことすべてが気に入らないようだった。突如、エステリアのロケットに関しても、ゼルブの安全に脅威を与えるものだと言ってきたのだ。
当然、その主張はおかしい。あのロケットは他国の民間衛星を載せたロケットなのだから、言いがかりにもほどがある。何を言っているのか訳が分からない。
だけど国際問題になる可能性もあることから、エステリア大統領まで話は行ったらしい。その結果、ゼルブの軍事演習が終わってからの打ち上げとなり、来週の水曜日が打ち上げの日となった。
とは言え、打ち上げのための仕事はほとんど終わっていて、後は燃料を入れて打ち上げをするだけなのだが、政治的な理由から僕らは後一週間待たないといけない。
僕は宇宙研究所の自分の席から外に目をやった。
まだ夕方の六時だというのに外は真っ暗になっている。二月は寒い上に陽が早い。ライトに照らし出された白いロケットが見えた。その姿はまるで背伸びをして、飛び立ちたくて、飛び立ちたくて仕方がないように見えた。
「・・・・・・」
なんだか変な感じだ。天候悪化を懸念して打ち上げを延期するとか、もしくは何かしらの不具合が見つかって、打ち上げ日が変更された経験はある。だけど他国の大統領の言い掛かりで打ち上げ日が決まるなんて経験はさすがにない。
エステリアの大統領の対応はまあ妥当だろう。なにせ相手は大国だ。エステリアとしては多少配慮を見せないと収まるものも収まらない。
「そろそろ帰るか」
新たにトラブルが出れば別だが、打ち上げるまでの間、僕のセクションにはほとんど仕事がない。こういうときはさっさと帰るに限る。
「お先」
僕はリュックサックを背負って、隣のブースのクレイバに声を掛けた。日本の宇宙開発センターのオフィスは、各研究員に机が一個与えられるだけなのだが、エステリアの宇宙研究所ではL字型の机を与えられ、そのエリアはブースとして高さ一・五メートルのパーティションで区切られる。椅子に座ればお互いが見えなくなり、とても快適だ。それに日本の三倍以上の面積がある。
クレイバのブースは日本のアニメのフィギアが所狭しに並べられ、おまけにポスターが壁に貼られている。本当にクレイバの部屋がそこにあるようだ。
「あ、ああ、お疲れ様」
パソコンでニュースを検索していたようだった。大方、今日のゼルブの動きを確認していたに違いない。本当にこの人は情報収集が好きなんだな。
そのゼルブ軍は演習をひたすら国境付近でやっているだけで、今日も何の動きも見せていない。一方で、アメリカ政府はゼルブ軍のエステリア侵攻は数日以内だといつも言っていた。
こういったアメリカの牽制が功を奏しているのか、国境付近の軍はただのエステリアへの脅しだからなのか、現時点でゼルブ軍はエステリアに侵攻はしていない。
このまま平和であってほしいと切に思う。
「そうだ」
僕は土曜日にドイツ風パブへ飲みに行ったときのことを思い出した。
アーニャのところにも寄ってみよう。あのパブで飲んで以降、僕は彼女に会えていなかった。彼女の部署は隣の棟にある。僕の部署と仕事の関係が深い割には距離があって、常々不便を感じていた。誰がこんな配置を考えたんだと言いたい。なので、食堂で会うか、合同会議で会うか以外はあまり会うことはなかった。
僕は廊下を歩いて階段に向かった。
歩きながら、彼女とパブで踊ったときのことを思い出した。
「楽しかった」
僕はなんだか彼女と話したくなった。もっと話したくなった。
今日、食事にでも誘ってみるか。
僕は階段を降りて、二階の渡り廊下を経由して隣の棟の彼女の事務所に入った。無数のブースが広がっている。同じようなパーティションで区切られているから、どこにアーニャのブースがあるのか、いつも分からなくなる。
記憶を辿りながら、アーニャのブースらしき場所に僕は足を運んだ。そしてブースの中を覗いた。
「あれ?」
そこには誰もいなかった。彼女は仕事熱心だから、定時に帰ることはないと思っていたがいなかった。彼女の部署も打ち上げまで何もやることがないのかもしれない。だからさっさと帰ったかもしれないな。
にしても・・・・・・このブースもクレイバと同じように独特だな。本がやたらある。全て理工書なのだが、ゆうに二、三百はあると思う。いや、もっとあるかもしれない。机に積まれている本、床に積まれている本、本棚にある本・・・・・・。
本当にこの人は勉強熱心な研究者なんだな。努力家で、正しいと思うことに対しては決して妥協しない。尊敬に値する。
でもいろいろ抜けているところもある。この間のパブでの飲みでも、結局、彼女は突然テーブルに突っ伏して寝てしまった。何かのスイッチが切れてしまったらしい。お酒の量は違うものの、結果はクレイバと同じだった。
僕はへべれけになった二人をタクシーで送る羽目になった。
自分で歩こうともしない人間を二人もタクシーに乗せる作業がなんと大変だったことか。店の店員さんの協力がなかったら、まず不可能だったと思う。まずはアーニャを送って、その後に僕と同じクルフ市街に住むクレイバを送っていったが、タクシーのお金はまだ頂いていない。
アーニャはブルータという郊外の街に住んでいた。中世ヨーロッパのような街並みで、少しお高めのアパートが多い地域だ。クルフ市街に比べ、宇宙研究所へは少し遠いのだが、郊外で自然豊かで、治安もいいことから、ブルータに住む宇宙研究所の人間は多い。
「どうかしました?」
僕の後ろを通りかかったアーニャと同じ部署の初老の細身のおじさんが僕に話しかけてきた。確か教授の称号を持っていたような気がする。
「あっ、あの、アーニャはいないかなって思って」
「残念ながら、もう帰ってしまいましたよ」
落ち着いた温かみのある声だった。あまり話したことのない人だったが、イメージ通りの声だった。
「来週の打ち上げまでの仕事はだいたい終わっているので、みんな帰りが早いんですよ。今週打ち上げ予定だったのが、ゼルブに配慮して打ち上げを延期しましたからね。後は待つだけです」
そりゃそうか。どこの部署も同じか。
ふと、机の前のブースの壁に飾られているいくつか写真が目に入った。山とか川とかの写真だ。滝の写真とかもある。純粋にきれいな風景だなと思った。
「アーニャの故郷の風景ですね。エステリアは本当に自然豊かで、どれも美しく、それは我々の誇りでもあります」
写真を見ていた僕に老教授はそう言った。
アーニャの故郷はエステリアのドーリア地方だったっけ。どれもきれいな景色だ。写真の中にはアーニャが言っていた緑のトンネルの風景もあった。青々とした木々が線路を囲うように長いトンネルを作っていた。
確かに実際にこの目で見てみたい景色だと思った。
「どれもきれいな風景ですね。驚きです」
僕は素直な感想を言った。
「私たちはエステリアという国が好きです。この国には美しい自然があります。過去、他国から侵略を受けた歴史もあって、国民は今も仲間意識が強く、共に助け合って生きています。かと言って、排他的でもない。基本的に人間が好きなので、外国の人を見たら、すぐに友達になりたがる。私はこの奇妙な国民性が好きなんです」
老教授はそう言って言葉を止めた。
そしてじっとアーニャの撮った写真を見つめてから、口を開いた。
「今・・・・・・ゼルブがこの国に侵攻するんじゃないかとアメリア政府が言っています。私にはその情報が正しいのかどうかは分かりません。だけどもし、そんな愚行をゼルブが起こしたら、私達はその侵略を許さないでしょうし、受け入れることは絶対にないと思います。きっと私達は銃を持って戦うことでしょう」
僕ははっとして老教授を見た。
彼の表情からは強い意志を感じた。
エステリアは第一次世界大戦のときに西側の侵略を受け、第二次世界大戦のときにゼルブに侵略されている。そしてその度に彼らの文化は殺され、国民性をつぶされそうになった。そんな過去は二度と受け入れられないということなのだろう。
「大丈夫ですよ。この国は侵略なんてされません」
僕は言った。
「何も根拠はないですけどね」
老教授は目を丸くして僕の顔を見た。そして笑った。
「そうですね。私もそうであってほしいと思います」
彼はそう言って、僕に手を振り、ゆっくりと廊下の方に歩いて行った。
老教授も帰る途中だったようだ。