第三章 ⑧
目を開けると、テントの天井が目に入った。
僕はそれをベッドに横たわりながらじっと見ていた。
しばらくじっと見ていた。
軍特有の緑色だった。エステリア軍のテントの屋根だ。ああ、エステリア軍のベースキャンプにある診療所のベッドの上にいるのか・・・・・・。
テント隅から明るい光が差し込んでいた。あの爆発からだいぶ時間が経っているようだ。爆発があったときは雨が降っていたから、少なくとも日は跨いでいるようだ。
「そうか、僕は助かったのか・・・・・・」
左腕がギブスで覆われているのが見える。指は動くものの、左腕に鈍い痛みがある。骨折したのをギブスで処置をしてくれたようだ。大きなガーゼが僕の額にテープによって貼られていた。あとは体の全身に痛みがあった。
「・・・・・・」
あの凄まじい爆発に巻き込まれながらも、この程度で済んだのは本当に運が良かった。死んでいてもおかしくはなかった爆発だったと思う。
他のメンバーはどうだったのだろう。テント内にはベッドが十以上あるのだが、ベッドに寝ているのは僕だけということを考えると、他のメンバーは無事だったと思うべきかもしれない。とりあえずよかった。
「?」
人の話声がした。
僕はベッドに寝たまま、その方向に目をやった。
テントの入り口にエステリア軍の若い男女の兵士が立っているのが見えた。そこには白衣を着ている赤毛の中年男の姿があって、その風貌から推測するにこの診療所の軍医のようだった。
「聞きましたか? ブルータ聖堂教会の話」
男の兵士がそう赤ひげの軍医に言った。
「聞いている。すごいことになっているようだな」
「投降したゼルブ兵の証言から、地面を掘り返しているのですが、最新の情報では確認された遺体の数は既に二百を超えたそうです」
「なんてことだ・・・・・・」
軍医は信じたくないというように首を横に振った。
ここに来たときは百くらいと言ったのにそうか遺体は二百も確認されたのか・・・・・・。
僕はその兵士の言葉を聞きながらそう思った。
「街中に死体があるというのに、更に二百もの遺体が発見されるとは・・・・・・」
「まだ掘り返せていない場所が数か所あるので、最終的には四百を増えると思います。犠牲者のほとんどが一般市民で、拷問にかけられた痕も確認されています」
「拷問・・・・・・」
軍医はそれ以上何も言葉が出なかったようだ。
四百・・・・・・そんな多くの人をゼルブは拷問し、殺していった・・・・・・。
「・・・・・・」
狂っている。ゼルブは本当に絶対に許されない罪を犯した。奴らは簡単な善悪も判断できない人間だ。いや、もはや人とは言えない。いとも簡単に人を殺す奴らを人間とは言いたくなかった・・・・・・本当に人が死に過ぎている。
僕はゆっくりと半身を起き上がらせた。左腕が重くて自由に動かせず、上手く起き上がれなかった。
「くっ」
凄まじい痛みを感じた。痛い、本当に痛い。叫びたいのを堪えながら、どうにか耐えた。
男のエステリア兵士の声が聞こえてきた。
「ゼルブ兵の証言では、ゼルブ軍の中に抗議運動をしていた市民を徹底的に捕まえて、拷問して仲間の名前を吐かせていた部隊があったと言っていました」
「なんと・・・・・・」
赤髭の中年の男の軍医は目を閉じた。
「そして次の人間を捕まえて、名前を吐いた人間は殺し、また拷問をして仲間の名前を吐かせる。中には女性もいたそうですが、容赦なく拷問したそうです。暴行もあったと言っていました」
僕ははっとした。全身の血が一瞬にして凍り付いたような感覚を覚えた。
「その、抗議運動を起こして殺された市民の中に・・・・・・」
僕は声を振り絞って言った。
エステリアの軍医と兵士たちは一斉に僕の方を見た。
「アーニャ・エステルという人はいませんでしたか?」
僕は彼女の名前を言った。
一応聞いただけだ。僕は「まだ分かりません」という答えを望んでいた。二百もあれば、遺体の身元を確認するのは容易ではないはずだ。仮にアーニャの遺体があったとしても「分からない」という答えが返ってくるはずだ。それが普通だ。
僕はそう思っていた。
「アーニャさん・・・・・・」
一人の女性兵士が僕の声に反応した。今気が付いた。彼女は宇宙研究所の指令室にいたミラーという女性兵士だ。彼女はおそらく僕が宇宙研究所の研究員のアーニャを探していることを知っている。だから僕の声に反応したのだろう。
彼女は目を地面に落とした。
僕は嫌な予感がした。
彼女の声が聞こえた。
「アーニャさんは亡くなっています。今朝遺体を確認しました」
「えっ?」
亡くなった・・・・・・。
思考が止まり、頭の中が真っ白になった。
何を言っているのか分からない。
理解ができない。
言葉が理解できない。
頭の中が真っ白になった。
自分がどこにいるか、今はいつなのか、僕は誰なのか?
「アーニャが亡くなった? そんな訳がない。彼女が死ぬ訳がない! 彼女は絶対に死なない 彼女の何を知っているんだ! 推測で物を言わないでくれ!」
僕は凄まじい剣幕で彼女にそう言ったのだと思う。狂ったように怒鳴ったのだと思う。そしてその場の雰囲気は一瞬にして凍ってしまったと思う。だけど、僕にはそれを感じとることはできなかった。気にする余裕などなかった。
僕はベッドを下りた。そしてミラーのところへ歩いて行こうとした。
だけど上手く歩けなかった。
体じゅうが痛い。だけど混乱している僕には、それがどこの痛みで、どれくらいの痛みなのか処理することはできなかった。もうまともな状態じゃなかった。
だけど僕は歩いた。
そしてどうにか彼女のところまで辿り着いた。
「アーニャは僕より頭がいいし、いつも正しい判断をする。どんな過酷な状況でも生き残ることができる。彼女は間違ったことは選ばない・・・・・・」
そこまで言って僕は言葉を止めた。
自分の言っていることに矛盾があった。
そうじゃない。
そうじゃない!
そんなことは、僕自身、一ミリも思っていない。アーニャは僕と同じ感覚を持っている。よく知っていることじゃないか!
「違う! アーニャは間違ったことは許さないし、決してそれをそのままにしない! 絶対に逃げたりはしない!」
僕はそう怒鳴った。
「だからアーニャは真っ先にゼルブ軍へ抗議する・・・・・・エステリアへの侵略は不当で許されるものではないと」
僕はミラーを見た。
実際に戦っている人だ。指令室では真面目で、誠実な人の印象がある。その彼女に感情のままに当たってしまった。なんて馬鹿なんだ。
「ミラーさん、すみませんでした・・・・・・僕はどうかしていました」
僕はミラーに謝罪した。
面倒くさがりではあるものの、正しいことをすることが僕の行動基準だ。にもかかわらず、正しいことが全くできていない。僕は本当に精神的に弱い。
僕は深呼吸をした。そして言った。
「彼女が亡くなっていた状況を教えてください」
ミラーは唇を噛んだ。悔しそうな表情だった。
「ゼルブ軍は侵略に対しての抗議運動を嫌い、反対派のメンバーを根絶やしにしようとしていたようです」
彼女はそう言って僕を見た。赤毛の軍医と隣にいた男の兵士も僕を見ていた。
「彼女の遺体は複数の十数人の遺体と路上にありました。抗議デモをしているときに殺されたようです」
「・・・・・・」
僕は拳を強く握った。
「アーニャさんは宇宙研究所の身分証明書を携帯していました。カーデフ少佐から宇宙研究所の被害者に関しては、随時、本部に連絡するように指示が出ていましたので、今日の朝、アーニャさんの遺体確認の連絡を受け取り、我々もそれを知ることができました・・・・・・」
「・・・・・・」
カーデフ少佐は僕に配慮をしていてくれた。それによって今日、僕はアーニャの死を知ることができた・・・・・・だけど、それはこれ以上ないくらい悲しいことだった。
「彼女は・・・・・・彼女はどうやって殺され・・・・・・」
その言葉を聞いて、ミラーは辛そうな表情を浮かべ一瞬視線を逸らしたが、意を決したように僕を真っ直ぐ見た。
「銃で撃たれ、戦車に轢かれた痕があったそうです」
「・・・・・・」
残酷すぎる・・・・・・。
息をするのも難しくなってきた。
そんなことが許されていいのか?
人をそんな方法で殺害することがあっていいのか!
そのゼルブの兵士は戦車で人間を轢くことに何も感じなかったのか!
ゼルブが憎い。
本当に憎い・・・・・・。
彼女を殺したゼルブ軍が憎い・・・・・・。
僕はその感情に取り込まれ、飲まれる恐怖を感じた。
「大船サン!」
ミラーの声が聞こえた。
「・・・・・・」
僕は呼吸をした。
深く呼吸をした。
そしてまた呼吸をした。
「大丈夫です・・・・・・」
「検視は済んでいて、明日、埋葬します・・・・・・今からお会いになりますか?」
彼女の声は躊躇いがちのそれだった。
僕は正直辛かった。本当に辛かった。
「はい・・・・・・」
そう答えるのが精一杯だった。
「先生」
ミラーは軍医を見た。白衣を着た赤毛の男の軍医はミラーに頷いて言った。
「大船サンの左腕は骨折しています。まだ歩くのは難しいでしょう。車椅子を用意しましょう。准尉、お願いします」
そう言われた男の兵士は、頷いてテントの隅から車椅子を出してきた。
「私が大船サンの車椅子を押します」
ミラーはそう言った。彼女の声は僕のことを気に掛けてくれているものだった。彼女だけじゃない。ここにいる准尉と呼ばれた若い男の兵士、赤髭の軍医も僕を気に掛けてくれている。有難かった。そして本当に申し訳なかった。
「検視と身元確認が済んだ遺体は、ここから少し離れた教会に置かれています。その後、公園に埋葬することになっています」
「・・・・・・」
僕らはかつてショッピングモールだったエステリア軍のベースキャンプを出た。
そして教会に向かった。
道路の状態は良くない。戦闘により破壊された場所や建物の瓦礫、戦車や装甲車の破片が無数にあった。そこを車椅子で通行するのは易しいものではなかったが、ミラーはそういった破片を片付けながら、根気よく車椅子押してくれた。
市民の遺体はまだ道路に置かれたままだ。だけど、昨日の風景より少なく見えた。検視を終えた遺体は順次移動させているとミラーは言った。
「・・・・・・」
だけど戦争が始まる前はみんな生きていた。
生活があった。
そして誰かの大切な人だった。
かけがえのない人だった。
その誰かの大切だった人、かけがえのない人はゼルブ軍に殺されてしまった。
「僕はアーニャが好きでした」
僕は道路の先に見える教会を見ながら言った。
「彼女はいつも正しくて、やさしくて、美人で、笑顔がかわいくて、格好がよかった。彼女と一緒にいると楽しくて、いつもうれしかった。僕の憧れでした。いつまでも一緒にいたかった」
車椅子がガタンと揺れた。小石に乗り上げたのだと思う。
アーニャのことが思い出された。
彼女の姿が走馬灯のように思い浮かんだ。
戦争の前の話だ。
戦争が始まって、平和だった日常は変わった。
彼女に自分の気持ちを何も言えないまま、彼女はゼルブ軍に殺されてしまった。
戦争が始まる前は、彼女に僕の気持ちを伝える機会はいっぱいあったのに、今はもうそれは不可能なことになっている。
「彼女が僕のことをどう思っていたのか知りたかったです」
そう言って僕は苦笑した。
「まあ、彼女は僕のことをただの同僚と思っていたかもしれませんが」
ただの日本人の同僚と思っていたかもしれない。
ただの男友達と思っていたかもしれない。
もしくはなんとも思っていなかったかもしれない。
「だけど、結局聞けずじまいでした」
僕は下を向いた。
「勇気がなかったのもありますが、いつでも聞けるからと先延ばししていたことがいけなかったと思います。時間は無限にあると勘違いし、何も行動しなかった。まあ自業自得ですね」
夢でもいい、幽霊でもいい、僕はもう一度アーニャに会いたい。
ふと、僕はあのロケットでの作業が終わって、一緒に管理棟へ歩いて帰っている途中、彼女が僕に言ったことを思い出した。
「でも、まんざら脈がなかった訳ではなかったと思っています」
空の雲はいくつか残っていたものの、澄んだ青い空がそこにはあった。自然の景色というのは本当に美しい。人間が起こす殺戮と破壊と比べる対象にすらならない。
「戦争が始まる前に彼女の故郷のドーリア地方に遊びに行こうって約束していました。珍しい景色があるからと言って。ちょっと遠いですよね。クルフからは」
西部のドーリア地方はクルフから百キロはある。高速道路を使っても、車で二時間近くは掛かるだろう。気のない人にはそんなお誘いはしないだろう。
「ドーリア地方・・・・・・」
ミラーは僕の言葉を繰り返した。その声には不思議な響きがあった。なんというか、含みがある言い方に思えたのだ。気のせいかミラーの声は少し明るいものに変わったように思えた。
「大船サン、ドーリア地方のどこへ遊びに行こうって、アーニャさんは言っていたんですか?」
彼女はそんな質問をした。
変な質問をする。
「どこ? どこって・・・・・・」
ぱっとは思い出せない。珍しい景色だと言っていた。自然系だ。それははっきりと覚えている。
「森の何か・・・・・・いや、違う言葉だったような気がする」
思い出せないな。
「・・・・・・」
そうだ、思い出した。
「緑のトンネルって言っていたと思います」
「緑のトンネル・・・・・・」
ミラーは呟いた。そしてうれしそうに言った。
「それって、鉄道の周りに木々が覆い茂って、緑のトンネルのようになっているところですよね?」
「確か」
確かにアーニャはそう言っていた。
ミラーは僕に言った。
「それって、別名、愛のトンネルという場所なんですよ」




