第三章 ⑥
「くそっ!」
アーニャのアパートを見て、僕はそう怒鳴った。
レンガ造りで中世ヨーロッパ風の三階建てのアパートは半壊していた。あのおしゃれな建物は今やもう存在しない。予想はしていたが、それでもショックは大きかった。この建物は半壊で済んでいるから、他の建物に比べて運がいいかもしれない。だけど無残な風景としか言いようがなかった。
飲み会でへべれけになったアーニャをタクシーで送っていったときのことを思い出した。あのときのことが嘘のようだ。彼女は、陽気に笑いながら、千鳥足でアパートに帰っていった。
「ディビット!」
気が付くと僕は叫んでいた。
僕の声に反応して、ディビットは足を止め、振り返った。
「この建物は僕の知り合いの・・・・・・アーニャのアパートだ」
僕は声を振り絞った。そう言うのがやっとだった。唇を噛んだ。
ディビットはアパートを見上げた。
「建物の半分が残っている」
彼はそう答えると相変わらずの無表情で建物のアプローチへ足を向けた。
「生きている人がいるかもしれない」
そして彼は歩き出し、彼の部隊のエステリア兵もその後を追った。
僕もその後を追った。
アパートの階段が見えてきた。幸いなことに階段自体の破壊は免れていたものの、階段の右半分は完全に破壊され、瓦礫の山になってしまっていた。左半分は全壊ではないものの、三階や二階の壁はところどころ崩落していた。
エステリア軍兵士は銃を構えながら注意深く、生存者の確認を始めた。しばらくドアを開ける音がアパートのいたるところから鳴っていた。
「人がいるぞ!」
一人の兵士が声を上げた。同じ一階からの声だ。僕はその声に反応して、すぐに廊下へ出た。そして声がした方向に走っていった。
「どこですか!」
「ここだ!」
僕はその部屋に入った。そしてぎょっとした。
薄暗い部屋には、一人のエステリア人の老婆が部屋の隅に座っていた。窓ガラスはゼルブ軍の砲撃の影響だろう、そのほとんどが割れてしまっており、部屋の中は寒く、外にいるのと変わらないくらいだ。老婆は毛布を被って椅子に座っていたが、それではこの寒さには耐えられないはずだ。
「・・・・・・」
彼女は何もせずにじっと座り、背を丸くして、何もない空間を見ていた。魂が抜けてしまった人間のように見えた。しわが顔に刻み込まれ、疲労感が漂っている。顔色は悪く、痩せこけ、健康状態は良いようには思えなかった。
部屋は、おそらくゼルブ軍に物色されたのだろう、物が散乱し、荒れ果て、人間が住んでいる場所にはとても思えなかった。一人の兵士が照明のスイッチを入れようとしたが、電気は点かなかった。暖房器具も燃料がなくて使えないように見えた。
老婆はゆっくりと顔を僕らに向けた。
「もうここには何もない! 全て盗んでおいて、どうしてまた来るんだ! ゼルブ軍は今すぐ出て行け!」
彼女は突然、怒鳴り始めた。
「もう出て行ってくれ! あんたらは暖房器具、冷蔵庫、テレビ、洗濯機を奪って、食料も奪っていった! どうしてこんなひどいことをするんだ!」
「我々は・・・・・・」
ディビットの声だ。だけど老婆は彼の発言を許さなかった。
「あんたらはあたしの夫を殺した! 夫は優しい人だった。なのに、家に入っていきなり銃で殺すなんて、ひどすぎる! あんたらは悪魔だ! こんな酷いしうちをして、神は喜ぶとでも思っているのか!」
彼女は手元にあったガラスコップを僕らに投げつけてきた。
コップは僕らの足元で粉々に砕け散った。
「人を殺し、建物という建物を壊し、美しかったエステリアを破壊した! 返せ! 平和を返してくれ! 平和だったエステリアを返してくれ!」
老婆は怒鳴り続けた。
「ゼルブ軍にとって脅威となる人間がここにいたとでも言うのか? ゼルブ軍に対抗できるミサイルや銃をこのアパートの住人が持っている訳がない! 馬鹿じゃないのか? お前らは本当に狂っている!」
悲痛な叫びだった。
「すべてのゼルブ軍の人間は死んでしまえ! ラーケン大統領も死んでしまえ! すべてのゼルブ国民に血の雨を!」
我を忘れて怒り狂っていた。
「死ね! 死んでしまえ!」
「聞いてください! 我々は・・・・・・」
僕はたまりかねて言った。
「出ていけ! 出ていけ!」
老婆は聞く耳を持っていなかった。
戦争とは簡単に人を狂わせてしまう。戦争の前は普通の日常を過ごしていただろう人たちを極度のストレスに晒して、まともな精神状態とは言い難い状態にしてしまう。
話が通じない。どうしようもないと思った。何もやりようがないと思ってしまった。




