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第三章 ⑤

「我々はブルータ西部の被害調査が担当だ」

 装甲車の中でディビットは部隊のメンバーにそう伝えた。いつもの飾り気のない淡々とした口調だった。ディーゼルエンジンの音が装甲車の中でうるさいほど鳴り響いていた。

 僕はエステリア軍のベースキャンプのテントで夜を過ごし、今日の朝を迎えた。朝から小雨が降り、気温も五度くらいまで下がっていた。春が近いとはとても思えない寒さだった。

 ブルータ西部はアーニャの住む地域だ。

 ディビットの部隊が西部エリアの被害調査を担当すると聞いて、カーデフ少佐に彼らと同行できないか頼み込んだ。安全上の問題から、なかなかOKと言ってくれなかったが、最後は根負けして、いろいろ注意事項を言った後、最終的にOKと言ってくれた。本当に有り難いとしか言いようがなかった。

 ディビットの声が聞こえた。

「ゼルブの戦争犯罪を調査、記録し、エステリア検察庁にレポートを出す。そのレポートに基づいて、国際裁判所にゼルブ共和国を告訴する予定だ」

 装甲車の中には五人のエステリア軍兵士と僕と中年の男性軍医が乗っており、五人の兵士の内、二人が女性兵士だった。

「遺体の検死はトラスト先生が行う。記録はメリーが行ってくれ」

 メリーとは女性兵士の一人の名前だ。元々は看護師だったが、この戦争が始まって、エステリア軍に志願したと言っていた。エステリア軍にはそういった人も少なくない。ゼルブ軍の侵略に許せないという感情がそうさせているようだ。

 そうだ、検死した遺体・・・・・・。

「検視した後の遺体はどうするんですか?」

 僕はディビットにそう聞いた。そのことに関する説明がなかったからだ。異常に多い遺体をどこにどういう手順で回収するのか確認しておきたかった。相当大がかりな作業になるはずなのだが、その気配がなかった。

 この街に放置されている遺体は冬の寒さで腐りもせず、冷凍焼けで肌が黒く変色してしまっている。どれくらい放置しているのか全く分からなかったが、少なくとも二日や三日ではない。中には侵攻が始まった一か月前に殺されてしまった遺体もあるはずだ。そのまま放置することはあり得ない。

「そのままだ。我々はレポートを優先する」

 僕は血の気が引く感覚を覚えた。唇を噛んだ。

「そのまま? レポートを優先?」

 声も変わっていたと思う。僕は怒りに似た感情を覚えていた。

「今でも多くの遺体が、この冷たい雨の中で放置されたままになっているというのに何をいっている! 意味が分からない! それでいいと思っているのか!」

 僕は怒鳴ってしまっていた。

「プロアーナの悲劇」

 僕の感情に任せた声に対して、返ってきたディビットの声は冷静なそれだった。

「いったい何を・・・・・・」

 装甲車がガタンと大きく揺れた。

 僕はその発言の意味が全く理解できなかった。

「五年前、自分の故郷のプロアーナはゼルブ軍によって軍事介入され、親ゼルブの政府が樹立した。今もゼルブがのさばっている。親ゼルブ政府はゼルブそのものだったからだ」

 説得力のあるような言い方だが、いつものように肝心なところを省略している。理解が難しい。

 あのとき大勢のプロアーナ市民がゼルブ軍に対して抗議のデモを起こした。戦車の前に立ち、銃を持つ兵士の前に立った。にもかかわらず、ゼルブ軍は何の躊躇いもなく市民を攻撃した。あのとき多くの人が殺され、その悲劇を僕は覚えている。

「あのときの市民虐殺の罪に関して、誰も訴えられていないし、裁かれてもいない。同じことはこの戦争では許されない」

 僕はそのディビットの言葉で、彼の言いたいことが理解できた。

「このブルータで起きた全て犯罪を絶対に告訴まで繋げる。今度こそ、ゼルブには自分たちが起こした全ての罪を償ってもらう。だから今は調査を優先する。それが終わったら、彼らの遺体を回収する」

 ディビットの言っていることは正しいかもしれない。

 だけどすぐには受け入れられなかった。

「アーニャはもう死んでいるかもしれない・・・・・・」

 僕はその言葉を口にしてしまっていた。ずっと思っていたことだった。

 アーニャは曲がったことは許さない。

 アーニャは街を破壊するゼルブ軍を絶対に許さない。

 アーニャは人を殺すゼルブ軍を絶対に許さない。

 アーニャは泥棒を働くゼルブ軍を絶対に許さない。

 アーニャは女性を暴行するゼルブ軍を絶対に許さない。

 アーニャは絶対に正しい選択をする。

 そうなんだ。彼女は正しい選択をするんだ・・・・・・。

 彼女はゼルブ軍に対して抗議をしたに違いない。ゼルブ軍が殺すと脅しても、それに屈服せずに抗議をし続けたかもしれない。そしてゼルブ軍に退却を求めただろう。

 彼女の性格だったらありえる。彼女はそんな人だ。絶対に曲がったことは許さない。それが僕の好きな人の性格だ・・・・・・。

「彼女はゼルブに・・・・・・」

 この先はもう考えたくなかった。

ブルータの家という家は破壊され、道端には市民の死体が放置されている。車が何台も焼かれていた。その中には死体があった。この人間の尊厳を全く無視した風景はこのブルータでは至る所で見ることができた。

 装甲車が再びガタンと揺れた。

 これから僕らは彼女のアパートのある地域に入り、ゼルブに殺された市民の遺体を確認し、どうやって彼らが殺されたのかを確認する。その遺体の中にもし、彼女の遺体があったら・・・・・・道路に放置されていたら・・・・・・。

「僕は彼女を雨に打たれたままに放置はできない」

 僕はディビットを見た。

「大船、お前の言っていることは正しい。間違っていない」

 ディビット表情は悔しくて仕方ないそれだった。僕は戸惑った。そんな彼を見たことがなかったし、イメージしたこともなかった。

 僕はそれ以上何も言えなくなってしまった。

 そして装甲車が止まった。しばらくしてバンという音と共に後部のハッチが開き、外の景色が目の前に現れた。

「・・・・・・」

 真っ直ぐ伸びている道に見覚えがあった。ここはアーニャのアパートの近くだ。

 僕はこれから見ることに対して覚悟しなければならない。どんなにひどいことを見ることになっても、目を逸らさず、僕はそれを現実として受け入れなければならない。

 僕は唇を噛んだ。

 そして装甲車を下りて、視線を上げ、街の風景を見た。

「ひどいな・・・・・・」

 その絶望さに唖然とした。他の兵士も同じように呆然と目の前のそれを見ていた。

 ここでゼルブ軍からの激しい攻撃があったのは明らかだった。

 この付近は石造りの中世ヨーロッパの風の建物が多かったはずだが、今は見る影もない。それが今は半壊、全壊の建物ばかりだ。徹底的にやられている。カーデフ少佐が言っていたようにゼルブは反対勢力が隠れそうなところを破壊しているんだ。しかも「隠れそうなところ」という定義は、「全ての建物」だったんだ・・・・・・。

 ブルータの街は本当にひどいことになっている。人気もなく、虚しく寂しい瓦礫の街になっていた。霧雨が降っていた。その雨は瓦礫となった石を静かに濡らしていた。

 軍のポンチョが配られ、僕らはそれを着た。

「行こう」

 ディビットは淡々とした口調でそう言って歩き出した。彼の後にエステリア兵士が続き、僕もそれに続いた。地雷を警戒し、且つゼルブ軍の残党をいないことを確認しながら、ゆっくりと進んでいった。

「・・・・・・」

 ここにも街の入口で見た同じ景色があった。

 ゼルブ軍の内規に戦時下ではあらゆる犯罪をやっていいと書いてあるのではないかと疑うほどだ。人を殺すことに対して全く躊躇いがない。彼らの人の殺し方を見ていると、人の命に対しての価値観が我々とは全く違うもののように思えた。

 ゼルブ軍は本当に非道だ。

 本当にひどい。

 男女年齢問わず遺体があった。手を後ろで縛られて撃たれた遺体や、ただ歩いていたところを撃たれた遺体、夫婦で撃たれた遺体もあった。それらは明らかに一般市民の遺体だった。

 なんてひどい。どうしてこの人たちは殺されなければならなかったんだ。この人たちは一般市民だ。ゼルブ軍に殺される理由なんて、あるはずがない。かつて生きて、泣いたり笑ったり怒ったりしていた人間だ。その人たちを殺すなんて・・・・・・。

 今は・・・・・・今は雨に濡れた大きな塊になってしまっている・・・・・・。

「くそっ」

 兵士から漏れてきた声だ。

 エステリア軍兵士は遺体の下に地雷が嚙まされていないか確認し、その確認が終わると軍医に死因の確認を依頼していたが、遺体の下の状況が分からない遺体に関しては、遺体に太いナイロンの紐を結び、二メートルくらい離れたところから、遺体を引きずることで確認を行っていた。幸い地雷が仕掛けられている遺体はなかったが、その様子を見ることは相当辛いものがあった。

 中年の男の軍医は跪いて個々の遺体を確認し、死因を述べ、それを女性の兵士が記録していった。

「絞殺」

「銃殺」

 遺体一つに五分も掛けていない。目で見て確認するだけで、死因がすぐに分かる遺体ばかりのようだ。その軍医は淡々と仕事をこなしていた。全ての遺体に対し、動じることなく死因を特定していた。感情というものをどこかに捨ててしまっているように見えた。おそらくそうでもしなければ、人間性を保てないと考えたのかもしれない。

 無残に道路に放置され、冬の寒さで腐りもせず、その代わりに肌の色が冷凍焼け、もしくは凍傷になったように変色した遺体の死因を調べることは、相当に心の負荷が掛かっているはずだ。人としての感情を潰さなければ、どんな人間でも発狂してしまう。

「刺殺」

「銃殺」

 この通りだけで十人は超えるのではないだろうか? 路上で殺され、そのままに放置された遺体があまりにも多い。この異常な風景が当たり前になってしまっている。こんな残酷な風景がこの街では普通になっている。

「!」

 中年の軍医は突然動きを止めた。

「なんてことを・・・・・・」

 その遺体を見ている軍医の体は小さく震えていたように思う。軍医の様子は明らかにおかしかった。僕は軍医の先を見た。

 首のない遺体が雨に濡れていた。

 衝撃としか言いようがなかった。吐きそうになった。気を失いそうだった。立っているのがもう難しい。

 軍医の言葉が聞こえた。その声は怒りで満ちていた。

「なんなんだ! 銃で撃たれていないし、刺されてもいない! 首を切られて殺された! 生きているまま殺されたんだ!」

 もはや人間が行うことではない。

「ああああ!」

「ゼルブ軍の奴ら!」

「ゼルブ軍の奴ら!」

「絶対にこの罪を償ってもらう! 絶対に!」

 エステリア兵士は叫んだ。叫び続けた。その声は誰もいない道路に響いた。

 絶望しかない。

 悲劇しかない。

 雨が静かに降っていた。

 破壊された街は雨に濡れていた。

 街は灰色に見えた。街は廃墟にしか見えなかった。無残に破壊された廃墟だ!

 いたたまれなくなった。

「エステリア軍だ! 生きている人はいるか!」

 先頭のディビットが突然叫んだ。

「いたら出てきてくれ! 我々はエステリア軍だ! もうこの地域は安全だ!」

 ディビットは叫んだ。必死に叫んでいた。その声は大きかった。

 他の兵士もディビット続いた。

「安心してくれ! 我々はエステリア軍だ! 生きている人がいるのなら出てきてくれ!」

だけど、反応はなかった。ディビットたちが発する声以外、何も聞こえない。

「生きている人がいたら出てきてくれ!」

 街に誰もいないように思えた。

 雨がただ降っていた。

 とても寒かった。僕にはとても寒く感じられた。

 破壊され、瓦礫となった建物ばかりだった。

 この街で多くの人が殺されてしまった。ひどい・・・・・・本当にひどい。

 僕は唇を噛んだ。

 胸が針で一斉に刺されたように痛くなった。


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