第三章 ④
ブルータまでの道のりで、僕らは炎上した後の一般車両を何台も見た。車は黒く焦げ、一部は錆で赤くなっていた。熱で窓ガラスはなくなり、車のフレームは歪んでしまっていた。
どれだけの炎に包まれたのだろう、どれだけの高温だったのだろう。車の中は灼熱の地獄だったに違いない。そして今や黒く焦げた遺体となった人たちはそれに苦しみながら死んでいったのだ・・・・・・。
道路に女性の遺体が何も衣類を着けていない状態で放置されていた。その肌は冷凍焼けしたように黒く変わり、とても人の肌には思えないものだった。ゼルブ軍に暴行され、殺された後、放置されたのだ・・・・・・。
想像に絶する。本当に恐ろしいことがここで行われていた。とても人が行った行為には思えなかった。正気を保てない。気が狂いそうだった。せめて安らかに・・・・・・そう思うのがやっとだった。
「ゼルブ軍はとても一国の軍隊がやることには思えない戦争犯罪を行っています。彼らが行った行為は残酷で非道で非人間的なものとしか言いようがないです・・・・・・」
装甲車を運転していたカーデフ少佐はそう呟いた。いつもの丁寧な口調に思えたが、冷静すぎるようにも思えた。それは怒りを押し殺した声だったのかもしれない。
装甲車が瓦礫に乗り、車が大きく跳ねて着地した。それはとても大きなものだったようだ。どこかに飛ばされる感覚すら覚えた。道路の状態が悪すぎる。
「あっ・・・・・・」
そこでも激しい戦闘があったのがすぐに分かった。
破壊されたゼルブ軍の戦車が五台以上ある。大きな爆発もあったようだ。爆発によって、もはや何の部品だったのかも分からなくなった何かが、無数に道路に散乱している。大きいものから小さいものまで、それらはあった。
「さっきよりもひどいな・・・・・・」
道路にはゼルブ兵らしき遺体も多くあった。エステリアからのミサイルによって命を落としたように思えた。実際、ミサイルの爆発によると思われる蟻地獄のような深い穴がいくつかあった。
空はどこまでも青かった。本当に対照的だ。青く澄んだ空と目の前に広がる地上世界とは本当に対照的だった。
ここには破壊と死しかない・・・・・・。
エステリアに侵入し、最後は異国の地で命を落としたゼルブ軍兵士は、自分の死に誇れるものを見出して死んでいったのだろうか? 彼らはエステリア人の財産を強奪し、女性を暴行し、一般市民を殺害した。そして最後はエステリアの攻撃で命を落とした。
決して人に誇れる人生ではないし、誇れる死じゃない。
ただの犯罪者のただの犬死だ。何の意味も価値もない死だ。
どうしてそんな生き方を選んだのだろうか?
どうしてそんな死を選んだのだろうか?
「この戦争は・・・・・・いったい何なんですかね? 他国の土地を奪取することが人の命より価値があるんですか? 元首の支配領域を拡大したいという欲のために、大勢の人間が死んでゆくというのはおかしくないですか?」
僕には理解できなかった。
本当になんなんだ。
意味が全く分からない。
「ゼルブの考えは私にも分かりません」
そう言って、カーデフ少佐はハンドルを強く握った。
「領土を拡大するために人の命が犠牲になっていい訳がありません。ゼルブの侵略には強い怒りを私は感じます。彼らはこの国を土足で踏み荒らし、破壊を尽くし、人を殺し、財産、家族、平和、自由を奪っていった。それは絶対に許されない行為です。そもそも人あっての領土であり、領土あっての人ではないはずです。ゼルブが行っている侵略は、ただのテロ行為であり、それ以上でもそれ以下でもありません」
カーデフ少佐は言葉を止めた。そして言った。
「エステリアに侵入し、戦争を引き起こし、多くの人が命を落とすことになった責任はゼルブに取ってもらわなければなりません。ゼルブのラーケン大統領は法に乗っ取って裁かれるべきです。罪を起こした者は必ず報いを受けなければなりません。そうでなければ、死んだ人たちは報われません」
カーデフ少佐は小さく震えていた。怒りを抑えているのだと思う。みんなそうだ。この理不尽な侵略に対して怒りを感じている。本当にこの戦争は何なんだと思う。
僕は頷いた。
そして窓の外に流れる風景を見た。
民家がぽつぽつと見えてきた。
そしてブルータに入ったことを示す看板が見えた。
「あ・・・・・・」
ブルータの風景を見て、僕は動揺を隠せなかった。
「WEBカメラと映像と同じことになっている。どこもかしこも破壊されている・・・・・・どうして・・・・・・」
目に入る建物は全てと言っていいほど、半壊、もしくは全壊していた。本当にひどいことになっていた・・・・・・ブルータはエステリア軍の反攻する時間もなく占領された街なのにどうしてこんなことに・・・・・・。
「おそらくゼルブ軍は自軍が攻撃されるリスクを低減しようと建物を破壊したのだと思います。エステリア軍や市民が潜んでいることを懸念したのだと思います。市民の生活よりも、占領統治をしやすい方法を選んだのでしょう」
カーデフ少佐はそう言った瞬間、急ブレーキを踏んだ。
「・・・・・・」
道路の歩道にいくつもの死体があった。それは戦闘で命を落としたゼルブ軍の兵士のものではなかった。それはいくつもあった。
「一般市民の死体が・・・・・・」
僕は言葉を止めた。あまりにも悲惨な光景に言葉が続けられなかった。
カーデフ少佐は装甲車のハンドルを両手で叩いた。顔が真っ青になっていた。彼は何も言わずに装甲車から降りた。僕もそれに続いた。
「あああ、なんてことだ・・・・・・」
僕は絶望にも似た感情を覚えた。強いショックを受けた。
そこには手首を背後で縛られた一般市民の遺体が転っていた。一体や二体じゃなかった。点々と続いていた。彼らは抵抗できない状態で殺されていた。
縛られていない遺体もあった。散歩の最中に撃たれただろう遺体、買い物帰りの途中で殺されただろう人間の遺体があった。自転車に乗っている途中で撃たれたのだろう、そばに自転車が転がっている遺体もあった。
歳も性別も関係なしのようだった。もはや無差別大量殺人としか言いようがない。 残酷すぎる。一般市民の遺体がまるでそれが当たり前の風景ように点在していた。本当になんなんだ!
「!」
砂利を踏む音が聞こえた。見ると、そこにはエステリア軍の二人の兵士が立っていた。少し先にエステリア軍の数台の軍用車が停まっているのが見えた。目の前の光景が衝撃過ぎて、僕らの目に入らなかったようだ。
「カーデフ少佐」
エステリア軍の若い男の兵士はそう言って敬礼した。その敬礼した手は震え、明らかに動揺して様子が分かる。当然だろう。こんな状況で冷静でいられる方がおかしい。
カーデフ少佐は敬礼を返した。
「何が起きているんだ」
カーデフ少佐から怒りが溢れ出し、いつも丁寧で腰の低い彼はどこにもなかった。そんな彼を今まで見たことがなかった。
「至る所に同じような一般市民の遺体があります。現場の記録を取り始めていますが、路上に放棄されていた遺体に関して、既に五十体を確認しています」
「五十! なんてことだ! くそっ、なんてひどいことが起きているんだ!」
カーデフ少佐は怒鳴った。
「ゼルブ軍は・・・・・・」
カーデフ少佐に報告していた兵士は言葉を止めた。
辛そうだった。見かねて、もう一人の兵士が代わりに報告を続けた。
「ブルータに入ったときの戦闘でゼルブが撤退した際、トラックに載せられず、置き去りとなったゼルブ軍兵士から聴取した情報なのですが」
僕はこの地に取り残された哀れなゼルブ兵士の姿を思い出した。
「?」
僕は違和感を覚えた。その兵士の呼吸は時折、深くなったり、浅くなったりしている。もう一人の兵士同様、不安定な精神状態にあるのかもしれなかった。
「ゼルブ軍はこの街に外出禁止令を出していたと言っていました。反対運動ができないようにするのが目的だったようです。そして外に出ている市民は見つけ次第、命令違反者として射殺していたようです」
「なっ・・・・・・」
僕は驚いて、報告を行ったエステリア軍兵士を見た。
「おかしくないですか? 外出禁止令が侵略した土地の人を殺す法的根拠だなんて、絶対にありえないです!」
僕は抗議するようにその兵士に言った。彼は味方だ。敵は侵略者であるゼルブ軍なのだが、その兵士に対する僕の声は強いものになってしまっていた。
「その通りです。実際、異議を唱え、止めさせようとしたゼルブ兵士も中にはいたようですが、裏切り者として処刑されたそうです」
その兵士は僕の勢いに少し戸惑いを見せながら、そう答えた。
「・・・・・」
ゼルブ軍にも良心のある人間が存在していた。だけど殺された。ゼルブは本当に簡単に人を殺す。それは自国民であってものようだ。本当になんなんだと言いたい。
一般人の遺体が点々と続いている風景に目をやった。
目がくらむ光景だ。
ひどい。本当に残虐でひどい。どうしてゼルブ共和国の幹部には、人間としても基本的な良心を持った人間はいないのか!
「そして結果的に五十人もの一般人がゼルブに殺された・・・・・・」
カーデフ少佐はそう言って唇を噛んだ。
「残念ながら、もっとひどい状況になっているかもしれません」
僕はその言葉に反応した。
「もっとひどいことになっている? そんな、これ以上ひどい状況なんて・・・・・・いったい何を言って・・・・・・」
僕は動揺してしまっていた。言葉が上手く出なかった。
「そんな・・・・・・ことがあっていい訳がない・・・・・・」
カーデフ少佐の静かな声が聞こえた。
「報告を続けて下さい」
若い兵士は辛そうな顔を見せた。
「はい・・・・・・ゼルブ軍の連中は・・・・・・」
兵士は言葉の声は悲痛な声になっていた。
「一般市民へのスパイ狩りを頻繁に行っていたそうです。その尋問はひどいものだったと拘束したゼルブ軍兵士は言っています。殴る蹴るの暴行に加え、爪を剥いだり、目を潰したり、高圧電流を体に通したり・・・・・・」
その兵士は言葉を止めた。辛そうだった。しばらくして彼は意を決したように言葉を再開した。
「とてもこの現代に行われる尋問とは思えないものだったと言っていました。多くの市民がそれによって命を落としたと言っていました」
「・・・・・・」
「ゼルブ軍は殺した市民を重機で掘った一つの穴に投げ入れ、埋めたと言っていました」
「重機で掘った穴に投げ・・・・・・」
僕の顔は恐怖で強張った。とても人間がすることに思えなかったからだ。
カーデフ少佐はその兵士に質問をした。
「犠牲者はどれくらいなんですか?」
「正確な数は分かりませんが、百は超えるかもしれません・・・・・・」
そう返した兵士の声は涙声になっていた。悲鳴に近い声になっていた。
「百!」
カーデフ少佐の声は取り乱したものになっていた。
「虐殺だ!」
カーデフ少佐は怒鳴った。
「ここで虐殺が起きていた!」
ディビット少佐の声は辺りに響き渡った。
その場にいたエステリア軍の二人の兵士はそれに反応して、泣き始めた。悔しいのだと思った。亡くなった人間を守れなかったことに悔しくて仕方ないのだ。
淡々とした呟くような声が僕の背後から聞こえた。
「ここでは本当にひどいことが起きている」
振り向くとそこにはディビットがいた。道路に放置されている遺体を見ながら彼はそう言った。いつもの無表情な顔だったが、怒っている雰囲気はすぐに伝わった。
ディビットはカーデフ少佐に敬礼をした。
「遺体の下に地雷を置いているケースもあった。人を殺しておいて、それでも飽き足らず、遺体を扱ってトラップを作っている。人間のやることではない。奴らは悪魔だ」
「なんてことだ・・・・・・」
カーデフ少佐の声は悲痛なものに変わっていた。
この戦争は、エステリア共和国のNATO加盟を不快に思ったゼルブ共和国大統領のラーケンが、エステリアを占領するために始めた戦争だ。だけどそのねじ曲がった野望に対し、今起こっていることは手段として正しいものとはとても言えない。多くの人を殺したことで、エステリア側に自分達への深い遺恨を刻んだだけだ。どうしてゼルブはそれに気が付かないんだ。
「!」
ふとディビットの足元に気配を感じた。
見ると大型の犬が静かに座っていた。ベージュでゴールデンレトリバーに似た犬だった。痩せこけていた。ご飯を十分に食べることができなかったように見えた。
「ディビットさん、その犬はどうしたんですか?」
僕はその犬を見つめながら言った。犬は僕を見て弱弱しく尻尾を振った。
「半壊した家の前にいたのを連れてきた」
相変わらず、説明が短くて分からない。理解できていない僕の様子が分かったのか、ディビットは言葉を付け加えた。
「その家はゼルブの戦車砲でやられたようだ。反攻勢力が隠れそうなところを全て破壊することがゼルブの目的だったのだろう。犬はそこから動くことを嫌がったが、あまりにも痩せているから、抱きかかえて連れてきた」
「飼い主の人は亡くなったんですか?」
ディビットは僕の問いに頷いた。
「半壊した家に入ってみると、家の下敷きになって一人の老婆が亡くなっていたよ」
「老婆・・・・・・」
「遺体の損傷から大分前に亡くなったと思う。侵攻直後かもしれない。家の中は物色されたように荒らされ、電化製品は全てなくなっていた。引き出しという引き出しは開けられ、泥棒に入られた家のようだったよ」
「・・・・・・」
もはや何も言葉が出ない。僕はディビットの足元にいる犬をじっと見つめた。
「僕はこの犬を知っています・・・・・・」
唇を噛んだ。
ハウスキーパーのレニーさんの犬だ。僕は僕の部屋を掃除してくれた老婆を思い出した。この犬はいつも老婆の横にいて、掃除のときは部屋の玄関前で行儀よく彼女の仕事が終わるのを待っていた。あの犬だ。礼儀正しく、賢く、おとなしい犬だった。首輪も確かにこの首輪だった・・・・・・。
僕は泣きそうになった。
僕は屈んでゆっくりとその犬の頭を撫で始めた。犬は警戒することもなく、気持ちよさそうに目を閉じた。尻尾を振っていた。この犬は僕のことを知っている。そして僕はこの犬を知っている。だいぶ痩せてしまっているけど、間違いない、彼女の犬だ。
「お前の知り合いの犬なのか?」
「僕の家のヘルパーさんが飼っていた犬です」
僕は犬を撫でていた手を止めた。
「レニーさんは亡くなっていたんですね・・・・・・」
いつも一緒にいて、お互いに支えあっていた彼女らをゼルブ軍は砲弾で引き離してしまった。人と犬の関係だったが彼女らの絆は固かった。だからこそ、レニーさんの犬は痩せこけてもレニーさんの家の前に居続けたのだろう。レニーさんが家の瓦礫で亡くなってもそこにいたのだと思う。
ゆっくりと歩くレニーさんの後ろを、この犬は彼女の歩調に合わせてゆっくりと歩いていた。レニーさんはしわの寄った手で、よくこの犬の頭を撫でていた。
ゼルブ軍が心底許せないと思った。
僕は小さいころから正義感が人よりも強かった。常に正しいことを選択できるように努めてきた。一方でそれが本当に正しいことなのか自問自答してきていた。それによって自分の公正さを担保することができると思っていたからだ。人間は常に正しいことを判断できるほど優秀にはできていない。
でもそんな物差しなんて必要がないくらいはっきりした不正義が起きている。悲劇が起きている。
犬は止めた手に戸惑いを見せた。
「ごめん、不安にさせてしまったな」
僕は犬をまた撫で始めた。犬はじっとしていた。そして安心した様子を見せた。
だけど本来は僕じゃない。
本来はレニーさんだ。
そのレニーさんはゼルブ軍に殺されてしまっている。怒りで喚き散らしたい衝動が僕の心の中から溢れ出た。それがどうにも止められなかった。
この戦争では身近な人間が死んでいる。クレイバが死んで、レニーさんも死んでいた。一ヶ月前は生きていたにもかかわらずだ。ゼルブ大統領のラーケン大統領の命令でエステリアへの侵略が始まり、多くの人が命を落とした。
「こんな理不尽が続いて言い訳がない・・・・・・」




