第三章 ③
クルフ市街に着いた。
車で十五分も掛からなかった。宇宙研究所からこんなに近かったんだ。だけど、このクルフの街は目を覆いたくなく程、ひどい状態になっていた・・・・・・。
何度もクルフの街にゼルブのミサイルが落ちているのは宇宙研究所から見ていた。黒い煙が立っている風景を何度も見た。だからある程度は想像していたが、こんなにひどい状態だったとは思わなかった。
ただ唖然とするしかなかった。
高層建築のほとんどがミサイルによって半壊し、低層住宅も例外なく破壊されていた。半分が削られた建物、外側だけが残った建物、火災で真っ黒になってしまった建物がそこら中にあった。道路には焼かれた後の車や、破壊された戦車もあった。
住人の姿が時折見えた。だけど彼らのほとんどは疲れきった様子で、破壊された建物の付ける作業を行っていた。
見ているのが辛い。
僕は唇を噛んだ。
「本当にこの戦争はなんなんだ。何も生まない、何の正義もない戦争が、どうしてこの国で起きているんだ!」
道端の緑地には不自然に盛られた塚がいくつもあった。そしてその上には木製の十字架が建てられていた。ゼルブのクルフ市内への攻撃で亡くなった人たちの墓だ。街が市民の墓地になってしまっている。ミサイルが着弾する中、亡くなった人を止むを得ずその場に埋葬したのだろう・・・・・・。
「くそっ」
僕は車を止めた。
もう精神状態をキープすることが難しい。息をするが辛い。運転ができない。僕はハンドルに覆い被った。目を閉じた。そして深くゆっくりと呼吸をした。それを何回も繰り返した。
「・・・・・・」
なんなんだ。この状況はいったいなんなんだ・・・・・・。
もう一回、深く息を吸い、それを吐き出した。
この地獄絵に正直発狂しそうだった。
いくら考えても分からない。そもそも、このゼルブによる侵略に意味なんかない。突然、国境を越え、人を殺し回ることに対して、正当な理由付けを行うことは絶対に不可能だ。
「・・・・・・」
ゼルブは無差別に人を殺し、恐怖を植え付け、人々の心を折ろうとしている。奴らに心を折られるのは嫌だ。こんな残虐で非道を行う人間の皮を被った悪魔に屈したくはなかった。それは絶対に受け入れたくないことだった。
ハンドルを強く握り、それと同時に唇を強く噛んだ。
「こんなところで止まっているな! それこそゼルブの思い通りだ!」
僕はハンドルを叩いた。そして僕は車のアクセルを踏み始めた。
ゼルブ軍とエステリア軍の激しい戦闘があったのだろう。道路にはところどころくぼみが点在し、大小のアスファルトやコンクリートの欠片が散らばっていた。何度も車はそれらに乗り上げ、やがて車は市街地を抜け、ブルータへ繋がる道に入った。
道路の状態は悪いままだった。
次第に家はまばらになり、畑や林の割合が増えてきた。だけどその家々ですら戦闘に巻き込まれ、無残にも破壊されてしまっている。こんなんで、この先に続くブルータの街はどうなっているんだと思う。
ブルータはゼルブ軍の侵攻が行われたその日に占領されたことから、そんなにひどいことになっていないかもしれないと勝手に思っているが、ゼルブ軍の無分別さを目の当たりにした今、恐ろしいことが無数に起きているように思えて仕方がなかった。
「がっ」
くぼみの段差を感じて車が大きく縦に揺れた。車は跳ねて、その後着地した。パンという音が車の下から鳴ったかと思うと、急にハンドル操作が難しくなり、車の運転が不安定になった。そしてタイヤの付近から、地面を擦るような大きなノイズが響き始めた。
「くそっ、パンクした!」
僕は車を急停止させ、車から降りた。
やっぱりそうだ。車の前に行くと右側の前輪のタイヤが破裂している。タイヤだったゴムが皮状に変形し、車輪のホイールに巻き付いていた。
「・・・・・・」
振り返ると車の後ろに道路のくぼみがあった。直径二十センチで、深さ十センチくらいのそれで、地面に着地したときタイヤが穴の淵に当たったのだろう。
「くそっ」
スペアタイヤに交換するための工具なんて積んでいないから、何もできない。
誰もいないブルータに繋がる道で僕は途方に暮れた。
周りは森林ばかりで、人が住んでいるような家は見えない。助けを求める場所がなく、正直成す術がない。おそらく目的のブルータまではまだ二十キロはある。徒歩でゆうに四時間は掛かるだろう。
「とは言え、歩くしかないか・・・・・・」
僕は空を仰いだ。
「あ」
今日の空は雲一つない晴れた空だったのか。本当に青い空だと思った。吸い込まれそうに思えるほど澄んだ空だった。今の今まで気がつかなかった。
きれいな空だった。
この空の下でこの国はゼルブからの侵略を受けている。多くの人が財産を破壊され、傷つけられ、命を奪われている。子供、老人、男女区別なしにあらゆる人がこの戦争で犠牲になっている。
不公平だ。空の美しさと差があまりにもありすぎだ。下界は本当に無残で無慈悲な悲劇で満ちている。
僕はブルータに向って歩き出した。遠く青い空を一羽の鳥が横切るように真っ直ぐ飛んでゆくのが見えた。春が近いとは言え、まだ三月のエステリアは寒い。僕は両手をジャンパーのポケットに入れながら歩いていた。
静かだった。僕の足音以外は、音が全くない世界だった。
誰もいない世界だった。
本来ならこの道路はクルフ市街とその郊外を結ぶ主要道路のはずなのだが、往来は全くない。あるのはくぼみと道路の破片が散在する荒れた道路だけだった。
そして一羽の鳥が今さっきの鳥を追うように真っ直ぐ飛んで行った。
三十分くらいたった頃だと思う。
「!」
そこには破壊されたゼルブ軍の戦車があった。
僕は思わず足を止めた。
戦車は黒く焦げ、ところどころ赤く錆びつき、激しい戦闘のためか戦車の主砲や部品が周りに散らばっていた。その後ろには同じように黒焦げた装甲車がひっくり返っている。
僕は戦車に歩いて近づき、その前に立った。最近ニュースでよく聞く携帯ミサイルのジャペリンに撃たれたのかもしれない。その後爆発し、炎上したのだろう。
「中に人がいるんだろうな・・・・・・」
おそらくその遺体は回収されていない。ゼルブ軍には戦友の遺体を回収しないのが普通らしい。前線のエステリア軍の人が宇宙研究所へ報告に来た際にそんなことを言っていたのを思い出した。おそらくこの戦車を操縦していた兵士もそうだろう。
僕は周りを見た。
ゼルブ軍兵士の遺体が数体、道路に放置されていた。
見たくないものを見た。
「・・・・・・」
死にたくなかった人間もいるはずだ。
家族だっていたかもしれない。
その彼らは今さっき通過したクルフ市街を破壊し、多くのエステリアの人を殺してきた。ゼルブ軍の中には命令で仕方なしにエステリアに攻撃をしている兵士もいたかもしれない。だけど、彼らは命令一つで人を殺し続けていた。
「くそっ、どうして人間として守らなければならない絶対的なルールより、組織としての命令の方が優先されるんだ・・・・・・人間として守らなければならない絶対的道徳をどうして捨てられるんだ! どうして個々の正義を優先できないんだ!」
僕は怒鳴った。
「どうして、どうして人が人を殺すんだ!」
答えは返ってこなかった。
何の音もなかった。
風の音すらなかった。
僕はゼルブ軍の破壊された戦車を少しの間だけ見ていたが、やがてくぼみや瓦礫が散在している真っ直ぐに伸びた道路を歩き出した。
そしてしばらくの時間歩き続けた。
おそらく一時間くらい経った頃だったと思う。
「!」
突然、車のクラクションが後ろの方から聞こえてきた。振り返ると緑色の軍用車が僕の方へ走ってくるのが見えた。
冷たい風が走った。凍えるように冷たい風だった。僕は立ち止まって振り返り、エステリア軍の軍用車が近づいてくるのを見つめていた。
それは僕の前で止まった。その軍用車は市販のRV車より一回り大きく、厚そうな鉄板に覆われ、タイヤは厚さが想像できないほど厚いものに見えた。なるほど、普通車と違って、軍用車というのは多少の道路のくぼみや瓦礫で影響がないようにできている。
「大船サン」
カーデフ少佐が車から下りてきた。僕は少しの緊張を感じた。
一般人は戦闘地区であるクルフ郊外に行くことは許可されていない。なのに、僕は宇宙研究所を勝手に飛び出し、今、ブルータへ繋がる道にいる。厳重に注意され、連れ戻されるかもしれないという考えが心の中に過った。
僕はカーデフ少佐を見た。
「突然、出てゆくから驚きましたよ」
いつもの誠実な彼がそこにはいた。丁寧で腰の低い言い方だった。
「少佐・・・・・・どうしてここに?」
「大船サンが心配でしたのでね」
まるで聖人君子のような言い方だった。
「それに元々私もブルータには向かう予定でしたので」
それはそうだったのかもしれない。予定はあったのかもしれない。だけど・・・・・・。
「さあ、これを着て下さい。物事は何によりも準備が大切です」
そう言って、軍用車から迷彩色の軍用ヘルメットと防弾チョッキを取り出し、僕に渡した。重かった。ずっしりと重たかった。命を守る重みなのだと思った。
「行きましょう。ブルータに」
「えっ?」
カーデフ少佐の言葉に驚いた。僕にそれが許されるとは思わなかったからだった。
「行きたかったのではないのですか?」
僕はすぐに答えた。
「行かせてください! お願いします!」
彼は僕の勢いに押されつつも笑いながら、運転席に乗って言った。
「分かりました。ブルータに行きましょう。大船サンも装甲車に乗ってください」
僕もその隣の助手席に乗った。ディーゼルエンジンの音が車内に響いていた。彼は装甲車を動かし始めた。そして言った。
「でも大船サン、無茶はいけません。司令部の人間に聞きましたが、恋人がブルータにいるのだそうでね。ですが、いくら好きな人のためといっても、命を危険に晒すことは避けるべきだと思います」
カーデフ少佐はそう僕に言った。諭す内容だったが、僕を尊重する言い方だった。
この人は立派だ。本当のリーダーだ。
「カーデフ少佐、すみませんでした」
僕は素直に謝罪した。
「あと、その、僕の好きな人は恋人とか、そういうんじゃないです」
僕は訂正した。どうやら司令部で間違った情報が流れているようだ。
「宇宙研究所の同僚で、片思いの相手です。彼女はとても賢くて、とても勇敢な人だった。物怖じしないで、いつも正しいことを言っていました」
夕方、宇宙研究所でロケットを背に二人で歩いたときのことを思い出した。
風に揺れる長い金色の髪の毛を思い出した。
「僕は彼女のために何かをしたかったんです。その感情を抑えられなかったんです。だから彼女がいるブルータに行きたかったんです」
僕は拳を握り締めた。悔しさがあった。
「僕はいずれ彼女に自分の気持ちを言うつもりでした。だけど、戦争が始まって、彼女に会えなくなって、今はそれができないままでいます」
そうだ、あのとき彼女は言っていた。
「私の故郷は自然豊かで、とても美しい景色のある場所なの。特に木々のトンネルが有名なのよ。大船サンにもいつか案内して見せてあげたいわ」
あの日、彼女が言っていた言葉だ。
木々のトンネルか・・・・・・。
行ってみたい。僕は彼女とその場所に行ってみたい。
「振り返ると、自分の気持ちを言う機会はいくらでもありました。だけど僕はその機会を逃していいました。自分の気持ちを彼女に言うことで、良好だった彼女との関係が崩れてしまうことを恐れていたんです。情けないですよね。三十歳手前の男がこんなことを恐れていたなんて」
笑われると思った。滑稽に思っただろう。だけどカーデフ少佐が笑うことはなかった。
彼は首を振った。本当に紳士的な態度だった。
「そんなことはないです。人間誰しも告白に関してはそんなものです。例外なんてないと思いますよ」
ディーゼルの音が鳴り響く装甲車の中でカーデフ少佐はそう言った。
目の前には真っ直ぐな道と真っ青な空が広がっていた。
「私は慎重な性格でして、妻にプロポーズしたときは初めに決意してから一年も経っていました。その間、彼女の返事がイエスなのか確約的なものをずっと探していたんです。妻には待たせすぎて、プロポーズをしたときは怒られました」
カーデフ少佐は笑ってそう言った。
装甲車がガクンと揺れた。
「彼女に会えたら・・・・・・」
僕は呟いた。
「ブルータで彼女に会えたら、僕は絶対に彼女に僕の気持ちを伝えます。もう後悔はしたくないので」
そうきっぱり言った。一瞬の不安が僕の心の中をよぎった。
装甲車がガクンと揺れた。




