八十九幕 鉄門峡攻略 そのニ
劉備たちが鉄門狭へ攻め込む二日前。
修羅場となる戦地に訪れた二つの人影があった。
「わー! わーー!! すっごい!! すっごいですよ!! あんなに遠くまで見える!! わー!! わーーーーー!!!」
「いやいや、え? お前のいた場所もそこそこ山あったよな?」
「でもやっぱり違う感じなんですもん!! あねえねえ! あっちにあるの村ですか!?」
「あー? あー、そうみたいだな」
「おっきい!!」
「よかったなー」
「楽しんでもらえているようで何よりよ」
寂山の山頂からとても楽しそうに風景を見ては指さす女と、呆れたように苦笑しながらも女に付き合っている男。そんな二人に声をかけたのは張宝だ。
「!?」
男の顔が張宝を見て強ばる。
そんな男に構わず、張宝は続けた。
「こんにちは。初めまして。私は張宝。地公将軍として黄巾軍の作戦総括を行っている者よ」
そんな張宝の言葉に、理解が追い付いていなかった女の方もギョッとしたような顔になる。
そんな二人に張宝は満足げに笑った。
「そうそう。その顔が見たかったのよ。うふふ。驚かせてごめんなさいね。ようこそいらっしゃいました。『巳』中方第一小方長、周倉。そして、『巳』中方第二小方長、玖等。私たちはあなたたちを歓迎します」
元黄巾軍『巳』中方第一小方長の周倉、同じく、第二小方長の玖等。
二人は青州の東萊郡にあった、疫病拠点を守備していた『巳』中方中方長の劉辟の指揮下にいた。
しかし、劉辟の仲間を捨て駒にするような戦い方や、同じく拠点防備にあたっていた『卯』中方中方長の黄邵、『申』中方中方長の何儀の残虐さに嫌気がさし出奔。北で作戦行動を行っているという地公将軍・張宝の指揮下に入ることはできないかと二人で旅をしていたのだ。
途中で路銀を稼いだり、馬を手に入れたりしながら少しずつ北上し、小説にしたら巻数にして一巻分に相当するような密度の濃い旅を経て、遂にこの日、張宝たちの軍に合流することができたのだ。
「青州からここまで大変だったでしょう。数日はゆっくり休んでちょうだい。周倉は武に秀でていると聞いてるから鄧茂の中方は馴染むと思うわ。玖等は程遠志の中方かしら。とにかく、数日休んで、それぞれの中方の人と交流をとってみて決めるといいわよ」
いきなりの最高幹部のお出ましに、張宝が席を外した後も、周倉と玖等は呆然と固まってしまっていた。
しかし、じわりじわりと、張宝の言葉が頭に沁み込むにつれ、周倉の表情には明るさが戻ってきていた。
「う、うおおお! 聞いたか、玖等! こ、これがホワイト企業!! 所属を事前知識無しで決められたりしないし、数日も休みをもらえる!! なんて理想の職場環境!! 決めた! 俺はここに永久就職する!! 張宝様のしもべになる!!!!」
「いやちょっとそれはやめましょう!? 嬉しすぎたのと疲れすぎたのでテンションおかしくなってるだけですよそれ!! 落ち着いてください、周倉さん!!」
玖等が半泣きで周倉に詰め寄り、周倉も少し自分を見つめ直し、落ち着いた。
恥ずかしそうに咳払いしてから、周倉はそれでも、と続ける。
「いやあ、最悪処断されるかもしれなかったから、そうならないどころかこの扱いは嬉しいもんだろ。まあ、しもべは言いすぎたかもしれないけどな」
そう嬉しそうに言う周倉を玖等は恨めしそうに見つめる。
「うう。私はちょっと微妙です。周倉さんは鄧茂様の中方で、私は程遠志様の中方になっちゃうんですよね? 周倉さんと離れちゃうじゃないですか」
「いや、別に離れ離れになったっつっても、『牛』と『未』は張宝様直属でいつも作戦行動は一緒だし、完全にばらけるわけじゃないと思うぞ。離れても前線と後方くらいなもんだろ」
「それは、そうですけど」
まるできつく叱られたかのようにシュンとする玖等に、周倉は気まずげに頭を掻いた。
しばらく行動する中で、周倉と玖等は夜を共にした。
周倉も玖等に対して愛情を感じては、いる。
しかし、玖等の周倉に対するそれは愛情、というよりも執着に見えた。
それが周倉の心に細波を生じさせる。
自分はもしかして、大変な間違いを犯しているのではないだろうか。
弱った女に付け込んでいるだけの男なのではないだろうか。
そんな朧げな不安が周倉を包んでいた。
(早く、休暇とやらを終えて、戦場で暴れたい。そうすりゃ、余計なことも考えずに―――)
周倉は着物の裾を掴みながら項垂れる玖等から目を逸らし、空を見上げる。
青い空に白い雲が、やけに高く、遠くに見えた。
(確かに、暴れたい、とは思ったけど!!)
『未』中方の第三小方長・黄乞から、襲撃を受けていると聞いた周倉は、駐屯地の中を走っていた。
今、玖等は程遠志の中方の女性たちと一緒に寝泊まりしている。程遠志が女であるためか、他の中方よりも程遠志の中方は女性の比率が高い。全員が戦闘に参加するわけではないが、食事を作ったり、武器を作ったりと、軍の支援をおもに行っている。
それは、鄧茂の中方に慣れるためにそちらで寝泊まりしていた周倉の幕舎からは少し距離があった。
「玖等!!」
玖等から聞いていた幕舎に周倉が飛び込むと、同時に小さな塊が周倉の胸に飛び込んできた。
「周倉さん!!」
「旦那が来た!」「いーなー………」「妬けるねこのこの」
同舎の女性たちがからかう中、玖等は嫌な予感がして周倉を仰ぎ見た。
周倉の表情から、玖等は危惧していた事態が現実のものとなりかけていることを痛感する。
陣が、落とされる。
それは、二人にとっては二度目の、修羅場だった。
「あんだよ。分断とか、せっこい真似すんなぁ。………………あ、ビ兄や、王や甘英姉ちゃんはやべえのか。………………………………………しょうがねえなあ!!」
敵の波に呑まれた張飛は、最初楽しそうに蛇矛を振るおうとしたが、非戦闘員や護るべき大将がついてきていたことを思い出し顔をしかめながら、蛇矛を中天に掲げた。
「おらおら! 張翼徳はここだぞぉ! ウー兄! 芭! 魯! まずは合流すっぞ!!」
「おらおら! 張翼徳はここだぞぉ! ウー兄! 芭! 魯! まずは合流すっぞ!!」
そんな叫び声と共に、人の群れの中から蛇矛がそびえ立った。
芭はそれをちらりと見ながら、ため息を吐く。
(参ったなぁ)
芭の前には、宇炉がいた。
「呼んでるぜ?」
「うーん、そうだねぇ」
欲をかきすぎた。
芭は内心舌打ちをする。
身軽さを生かして黄巾軍の囲いをいち早く脱した芭は、そのまま兵舎の間を駆け抜けた。
目指すは隊長格の首だ。
山頂に布陣している黄巾軍は大方長の張宝が率いている軍だ、と郭は言っていた。
郭の集めた情報は確かだ。それならば、ここには大方長と、中方長もいるはずだ。
位の高い人間が寝ていそうな幕舎を探す。
それはすぐに見つかった。
他のものより一回り大きい。幕舎の中からはまだ気配が漏れていない。今なら寝込みを襲える。
しかし、宇炉は気配を消して放った芭の一撃を、芭が一瞬漏らした僅かな殺気に反応して躱した。
そして今に至る。
幕舎の外に弾き出され、宇炉の一撃を受けた右腕は折れている。
しかし。
宇炉も細かい傷をいくつか負っていた。
芭の攻撃は速く、死角を突くのが上手い。
それでも、宇炉の体にはわずかな傷が走る程度だった。
「まったく、割に合わない」
芭が不快そうに呟いた時、宇炉が先に動いた。
敵兵に取り囲まれた。
そうだとしても、魯は特に何も感じなかった。
敵の槍よりもこちらの武器の方が長い。
ちらりと横の関羽を見ると、同じように考えているようだった。
さて、と考える。
(よりによって、あのくそヒゲと同じ場所に分断されるとはな。俺とこいつで連携とか無理に決まってるじゃんさ。くそヒゲは右、俺は左でそれぞれが個別に動いた方がよっぽどやりやすいか)
そう考えた魯は、関羽に告げようとして、慌てて頭を下げた。
頭の上を関羽の武器、『青龍偃月刀』が通り過ぎていく。
足を見事に運びながら、ぐるりと回転しつつの一閃。
関羽たちの動きを封じようと槍を手ににじり寄ってきていた黄巾兵の最前列全員の首と胴が泣き別れた。
「お、おま、何つ―攻撃をしてやがる!? 俺もいるだろ!? なあ! 見えてるよな!?」
危うく関羽の振るった青龍偃月刀の柄に殴打されそうになった魯は、関羽に掴みかかる。
しかし。
「うむ。見えている。当然だ」
関羽はそんなことを言ってくる。
「おやあ!? そうですかぁ!? それで俺がいるのに攻撃とはまたずいぶん舐めたことしてくれるじゃねえか!? 避けなかったら死んでたぞ!?」
「? だが避けるだろ?」
「―――――――――――――――」
魯が呆けたように黙ると、関羽は魯の手を着物から引きはがした。
「まったく。じゃれている場合ではないぞ。敵がいるのだからな」
そうして、関羽は視線を敵兵に戻す。
しかし、周りの黄巾軍の兵たちは、すっかり関羽に怯えて腰が砕けてしまっていた。
その時。
「おらおら! 張翼徳はここだぞぉ! ウー兄! 芭! 魯! まずは合流すっぞ!!」
そんな声が聞こえ、張飛の武器である蛇矛が中天を指し示す。
「おお、ヒー、見事だ。向かうぞ、魯」
関羽はそう言うと、へたり込んでいる黄巾兵の囲いに、無防備に近づいていく。
「武器から手を離せば攻撃はしない。我らは虐殺が目的ではないのだ」
関羽の言葉に、兵たちが一斉に武器を放す。それを見て、関羽は満足そうに頷くと、黄巾兵の中へと足を踏み出した。
「お、おい、あぶ」
魯が関羽に注意をしようとした時。
関羽が通り過ぎたところにいる兵の目に、ギラリと殺意の光が灯ったのが見えた。
「ッカ野郎が!!」
反射的に武器を構え、振るった。
魯の武器は、関羽と同じ偃月刀だ。
関羽の武器が『青龍偃月刀』という銘なのは、刃の付け根の部分に龍の彫刻がしてあるからだった。その龍が、『青龍』を表しているとして、『青龍偃月刀』という銘になったのだ。
魯はここでも関羽に対抗した。
魯の武器も偃月刀だ。関羽のものと違うのは、刃の付け根の部分には虎の彫刻がしてある点。
銘を『白虎偃月刀』。
関羽の持つ青龍偃月刀よりも少し細くしてあり、振り回しがききやすいようになっている。
関羽よりも技の出が速くなるのだ。
関羽に殺意を向けた兵が槍を持つと同時。
魯の白虎偃月刀が、槍を持った黄巾兵を貫いた。次いで、ズパン、と大きな音を立てて槍を持った黄巾兵の体が両断された。
魯が驚いたようにその攻撃の出所を視線で追うと、関羽が驚いたように目を丸くしてこちらを見ていた。
(俺が何をしなくても―――)
関羽が自分で対処できたことを意味もなく助けようとしていた自分に気づき、顔が赤くなる。
「よ、余計な世話をしたみたいだな」
何とかそう絞り出すと、関羽は首を少し傾げた。
「いや、魯の方が早かった。助けられたな。ありがとう」
そう言って歩いて行ってしまう。
後には魯だけが顔を真っ赤にして残された。
周りの黄巾兵たちがそろりそろりと武器を拾おうとするのを八つ当たりも込めてひと睨みし、関羽に倣うように自分も兵の中を歩み進んでいった。
「おらおら! 張翼徳はここだぞぉ! ウー兄! 芭! 魯! まずは合流すっぞ!!」
そんな声が聞こえ、周囲に動揺が走った。
各個撃破しようとしたにもかかわらず、敵を撃破しきれないどころか、分断をものともしないかのように合流しようとしている。
そのあまりの規格外ぶりに、劉備は敵である相手に同情してしまう。
しかし。
どんなに同情しても、相手が動揺することで生まれた隙を、逃すわけにはいかない。
兵の垣根が、乱れ、敵の指揮官と劉備の間に遮るものが無くなった。
ぐ、と足に力を入れ、踏み出した。
その瞬間、劉備の姿が、その場の全員の視界から消えた。
一秒にも満たない瞬間の間に、劉備は敵の指揮官―――蝉羽に肉薄し、その首を切り裂く―――。
その直前に。
「小方長! 包囲を受けていた奴らが勢いを盛り返し始め―――」
蝉羽の部下の一人が、絶妙なタイミングで蝉羽に戦況の報告をするため、劉備と蝉羽の直線の間に入った。
『!?』
その驚愕は、その場にいた全員が感じたものだった。
部下の首から突然鮮血が噴出したのを目の当たりにした蝉羽も、突如背後から首を刺し貫かれ、自分の首元から鈍色の剣と赤黒い血が浮き出しているのを見た兵も、必殺のタイミングを狙って駆け出したのに途中で障害物によって阻まれた劉備も、三者が三様に驚愕し、うち一名はそのまま訳もわからずに絶命した。
「なん、つー、速さだ、おい!?」
蝉羽が武器を構えるのを見て、劉備は死体となった黄巾兵をどかして、距離を詰めようとする。
(全然目で追えなかった! 躱すのも弾くのも無理だ! なら―――!!)
蝉羽が左腕を横にして喉の前に、右腕を縦にして胸の前に持ってきた。
「――――――!!」
劉備の動きが一瞬止まり、視線で背後を気にしだす。
劉備の持っている細身の剣では腕の防御は擦り抜けられない。
守っている間に、周りの兵が劉備を取り囲んでくれるだろう。
(ていうか退いてくれ! あとはその剣でちまちま斬っていくしかできないだろ!? 痛いじゃん! やだよ俺!!)
そんな蝉羽の心の叫びが聞こえたのか、劉備の体から力が抜けた。
そして、蝉羽は目に熱さを感じた。
初めて人を殺したのは半年ほど前の話だ。
武闘大会。
闇の勢力が集い、力比べをすることでお互いの威信を保ち、無駄な激突を起こさないようにする意図で開かれる大会。
その大会が開かれている村に、商いの帰りに小遣い稼ぎに寄った。
そして、そこで戯雁という賊に襲われたのだ。
武闘大会に参加していた闇の人間たちを、そうとは知らずに雇い、そして、彼らを指揮して戯雁を討ち取った。
戯雁を討ち取ったのは、他でもない、劉備だ。
それが初めての人殺しだった。
それまでも、山賊紛いの黄巾が村に攻め込んで来たことがあった。
罠に嵌めたりして、命を奪ったこともある。
しかし。
自分の意思で、自分の武器で、相手の命を直接絶ったのは、戯雁の時が初めてだった。
しかし。
気づけなかった。
相手の命を直接奪ったことにも。
その時の感覚が、特に自分の中で印象深く残っていないことにも。
どれも後からそういえば、と思い出したに過ぎない。
龍騎団を名乗り始めてからの最初の戦い。
そこで、簡雍と甘英は青い顔をしながらも気丈に振舞っていた。
それを見て、思った。
あれが普通の『初めて』なのだ、と。
自分はどこかおかしいのだ、と。
別に人の命が消えていくのを些事だとは思わない。
生きている者は生きているべきだし、理不尽な理由で命を奪われていいはずがない。そして、命を奪う理由に理不尽でないものなどあるはずがない。
それは劉備とて理解している。
理解した上で、しかし、なぜかはわからないが、必要ならば、相手の命を奪うことにも躊躇いが起こらなかった。
そういうものなのだ、と簡単に割り切れてしまった。
今回もそうだ。
簡単なことだ。
人体の急所のほとんどを固められた。
劉備の細い剣では、腕を落とすこともできない。
だから、劉備は、少し嫌な顔をして、剣を横一文字に振るった。
「っがああああぁぁぁぁぁ!!」
劉備の素早い動きを警戒したのだろう。
蝉羽は両の目でしっかりと劉備を見ていた。
死角を作るのを嫌がったのだろう。
胸の前で十字に構えた腕は、目を防いではいなかった。
ならば斬るだけだ。
「あ、だ、く、そおおおおおお!!」
蝉羽は防御を崩し、斬られた両目を押さえ、絶叫した。
「余計な抵抗しなければ楽に殺してやる。諦めろ」
視界を喪った蝉羽に劉備が語り掛ける。
「………………………」
そんな劉備の声の方向に、蝉羽は背筋を伸ばして、ふらつきながら向き直った。
「あー、くそ。まさ、か、俺が、真っ先に、脱落、か。まあ、速攻で、狙われ、るとか、指揮官、冥利に、尽きる、ってなもんかぁ」
痛みを堪えながら、蝉羽は呟く。
そして。
「お前ら! もう少し耐えろ! 中方長はすぐに来る!!」
胸を張り、声高にそう叫んだ。
次の瞬間、劉備が蝉羽の喉を掻き切る。
「あー、もう! 厄介だな、ホント!!」
そんな言葉を聞きながら、蝉羽は地面に倒れた。
蝉羽の言葉に、間近で蝉羽の敗北を目撃した黄巾兵たちは崩れ切らず、踏みとどまった。
その士気が、伝播し、黄巾兵たちに勢いがつき始める。
その事実に、劉備は苦い顔になる。
(は、はは。指揮官には、誉め言葉だぜ………)
薄れゆく意識の中、笑った蝉羽の言葉は、口から出ることはなかった。
「わ、わ、玄徳がやったよ、ケンちゃん!」
「そうみてーだな!」
甘英と簡雍が、幕舎に火をつけて回りながらも、一手進んだ戦況に興奮の声を上げる。
「そろそろまた移動しましょう! 支えきれなくなってきました」
「了解だ、少年! 任せっきりにしちまって悪いな」
現在、簡雍、甘英に襲い掛かってくる敵兵は、全て王が対応している。その事実に申し訳なさを感じながら、簡雍はちらりと劉備の動向を見る。
「こっちだ、二人とも。次はこっちに向かうぞ」
そうして動いた先は、ちょうど劉備が動いているのと逆方向だった。劉備が敵をひきつけ、注意が向けられた方向とは逆に進んでいく。
幼馴染の阿吽の呼吸で、劉備と簡雍はお互いがお互いの邪魔にならない位置取りを維持していた。
そこに。
「いい加減にしてもらおうか!」
声が聞こえ、何かが飛んできた。
王がそれを何とか弾く。
そして飛んできた方に武器を構えようとして、視界が一回転した。
「!?」
声の主が、暗器を投げ、注意を引いた隙に急接近して、王の襟首を掴んで地面に投げつけたのだ。
目の前が赤くちかちかとして、呼吸が止まる。
まずい。避けろ。死ぬ。
頭の中で体に命令を送るが、衝撃に体が上手く動かせない。
襲撃者が投げつけた勢いをそのままに小刀を構え、王の喉元に突き立て―――。
「させるかよ!」
―――る直前、簡雍が大剣を構えて大きく振った。
「くっ」
王の前から飛びのいた襲撃者―――黄乞は目元以外を隠した腹面の奥から忌々しそうに簡雍を睨んだ。
「きゃ!?」
簡雍の背後で甘英の悲鳴が聞こえる。
「奥方様!?」
簡雍が振り向こうとするが、それを黄乞がさせない。距離を詰めてきて、小刀を振るってきた。
「よくも! よくも!!」
女性の声が聞こえる。
「ケンちゃん! 大丈夫!! こっちは自分でなんとかするよ!!」
甘英の声が聞こえて、簡雍は改めて大剣で敵の攻撃を防ぎながら、周りの状況を確認する。
王が咳き込んでいるが、意識はあるようだ。
彼が復帰するまで何とか持ちこたえれば優位に進める。
相対する敵は気配を消すのが上手く、死角に入りこんでくるが、それだけだ。大剣の大きさを盾にした防御力を突破するのは難しいらしい。
それに。
(まあ、速さっていうなら、徳っちほどではないよなぁ)
その素早さに簡雍が慣れるのも時間の問題だった。
「まったくよう。うるせえよなぁ。明日、はええってんだろうが」
「そうやって文句を言うなら、そのにやけ面をなんとかしなさいよ。説得力ないわよ」
「そうはいうけどよ。俺は今、とても嬉しいんだ。わからねえだろうけどな」
「わかるわよ。一方的な蹂躙よりもしっかりと戦いになる方が楽しいんでしょ?」
「おー! おめーもわかってくれるかよ」
「………………やっぱり二人、仲いいよね?」
『そんなわけないです』
「はいはい。それじゃあ、ウモーくん。シーちゃん。鼠狩りだよ!」
「おうさ!」「了解です!」
混沌としたこの戦いに、更なる人員が加わろうとしていた。
鉄門陜の戦いは演義やそれを原典にした作品で採用されることが多い話です。
出典は吉川英治先生の三国志で、張宝が最初に難敵として登場するシーンとして描かれます。
鉄門陜に布陣して風による特殊な矢で敵軍を奇襲してきます。この時は、確か朱儁、だったかな?
で、劉備たちは高所に拠った張宝の部隊を崖裏から上って奇襲をかける、というものです。
今回のお話は、そこに朱儁の位置関係と劉備の位置関係を考えた時に朱儁を採用しなかったために起こったできごとです。
章番号修正(2024年9月28日)。
誤字、ルビ、表記ゆれの修正を行いました(2025年1月7日)。




