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新説三国志演義 シーズン1 黄巾の乱編  作者: 青端佐久彦
第一集
9/181

八幕 ある烈士の死



 (ちょう)(きん)の朝は早い。

 空が白み始めた頃に目を覚ますと、隣で寝ている妻を見て顔を綻ばせ、生後半年の娘の頭を撫でる。

 庭に出ると、槍、刀、戟のそれぞれを用いて演舞を行い、弓に矢をつがえて射を行う。

 それが終わる頃には、火照った体は汗ばみ、冬の朝などは体から湯気が立ち上る。

 その熱を沈めるかのように、頭から冷水をかぶり、室内に入る。

 以上が、姓は(ちょう)、名は(きん)(あざな)()(れつ)という男の日課である。



 年は四十を超えた。

 子宝に長い間恵まれなかったが、遂にその機会を得ることができた。今まで、子を授かれなかった妻には肩身の狭い思いをさせてきてしまった。

 しかし、それも去年までの話だ。

 どこか寒々しい空気の家庭が、まるで新婚の頃を思い出したかのように華やいだ。

 子は偉大だ。

 それがあるだけで、日々の暮らしに張りができる。

 子に恥じぬ親になろうと、生きることができる。

 張釣は登庁しながら、そう思った。



 張釣は(ろう)(ちゅう)という役職に就いていた。いわゆる、下級文官で、皇帝の警護兵の指揮や、使者を任される役職だ。

 警護兵の指揮を行うとはいっても、あくまで文官である張釣は、しかし、己を鍛えることはやめなかった。

 地方の(たい)(しゅ)()()を拝命するには、郎中を経験するのが通例だ。いわば、出世の足がかり的な役職である。

 しかし、張釣はこの郎中に任じられてからもう二十年が経っていた。

 大した才もなく、ただただ日々を過ごしていた。



 「おや、これは糸烈殿」

 「は」

 登庁して詰め所に待機していると、使者を用立ててほしいとの連絡が入った。

 呼んだのは(じゅう)(じょう)()の筆頭、(ちょう)(ちゅう)だった。

 趙忠は皇帝・(りゅう)(こう)から『我が母』と呼ばれるほど信の厚い(かん)(がん)で、『我が父』とされる(ちょう)(じょう)と並ぶ権力者の一人だ。

 顔には出さないが、張釣はこの男が嫌いだった。

 というより、宦官が嫌いだった。

 宦官が世を乱しているのは誰よりも明らかだったからだ。しかし、それをどうにかする力を張釣はもっていない。それどころか、長い宮仕えのおかげで、十常侍から顔を覚えられた張釣はしょっちゅう雑用を頼まれていた。

 「実はな。()(うん)が病を患った。見舞いをしたいのでな。これを夏惲の家まで届けてほしい」

 そう言って、趙忠は見舞い品を包んだ風呂敷を張釣に手渡した。

 「畏まりましてございます」

 それを受け取り、張釣は礼をして趙忠の部屋を退室した。



 この届け物が、宦官たちの運命を狂わすとは趙忠ですら預かり知らぬところだった。



 「夏惲様。趙忠様からお届け物にございます」

 家を守る衛兵に用向きを伝え、待つこと三十分。

 張釣は中に入ることを許され、夏惲の居室の前に立った。

 「………あぁ。お入りなさい」

 か細い声が聞こえる。その声に、張釣は嫌いな相手だというのも忘れ、驚き、心配してしまった。

 戸を開ける。

 中に入った張釣は思いがけない光景に立ち尽くした。

 夏惲の前に長身のやせ細った男がいた。

 髪の色素は薄く、気配すらも薄い男。

 「あ、の」

 言葉を詰まらせる張釣に、夏惲がにこりと笑った。

 「こんな格好ですまないねぇ。今、ちょうど神医と謳われる先生をお招きしていてね。君にも紹介しようと思っていたんだ」

 普段の夏惲からは考えられない、覇気のない声だった。

 思わず、夏惲の元へ駆け寄る。

 「夏惲様。どうか、持ち直してください。これは、趙忠様からの見舞い品でございます。みな、心配しております」

 そんな張釣の言葉に、夏惲は目を潤ませる。

 病で弱った体には、張釣のような実直な男の素直な心配が、何よりも暖かな見舞い品だった。

 「先生。先生。夏惲様は治りますか?」

 その言葉に、長身痩躯の医師は笑って頷いた。

 「ええ。今から治療を行うところです。それが済めば病は快癒しますよ」

 そう、(ちょう)(かく)は言った。



 ()(げん)()(らく)(よう)に潜伏してよりひと月。

 年は変わって一八四年になっていた。

 「バゲン兄さん。十常侍の夏惲が病だ。十常侍に楔を打ち込む好機だよ」

 ()(ほう)のもたらした情報を携え、(りょう)()は本拠の(たい)(ざん)(ぐん)に走った。

 そして、(ちょう)(かく)は堂々と洛陽に入ったのだ。

 張角が洛陽に着いてすぐ、馬芳は更なる情報を張角に与えた。

 郎中の張釣が趙忠の使いとして夏惲の邸宅を訪れるという。

 「張糸烈は去年子供ができました。それ以来、この王朝をより良くできないか、と憂えています」

 馬芳はいつもどこからかこの様な情報を仕入れてきた。時には秘事となる様なことですら、当たり前のように知っている。

 「よしわかった。ありがとう、馬芳。かねてよりの計画通り、糸烈殿には踊ってもらおう」

 その言葉とともに、諜報部隊が動き出した。



 「では、夏惲様。まずは、この黄布を頭に巻いてください」

 張角が差し出した布を、夏惲と張釣が不思議そうに見る。

 「(まじな)いと薬湯の双方を用いて病を癒します。黄は五行において、新生を表す色にございます。この布を身につけ、これまで行った自身の行動を省みてください。病はまったくの善人にはかかりませぬ。そして、世に生きる人々は、悪行を全く行わない者はいませぬ。新たな生を受けるために、古い命において行った罪を自覚するのです。その後に、この薬を溶かした水を飲み干せば、たちどころに病は快癒するでしょう」

 そう、夏惲に向かって言い、次いで張角は張釣に向き直った。

 「あなたがいては、夏惲様も病を治しづらいでしょう。見舞いが終わったのでしたら、どうか、お引き取りください」

 その言葉に、張釣は頷いた。

 (まじな)いなどは全く信じていなかったが、張角の言葉には不思議な説得力があった。より良く病が治るようにとの願掛けの意味があるのだろうと、張釣は納得する。

 「それでは、夏惲様」

 「ああ、ありがとうね。糸烈殿」

 その場を退室しながら、張釣は夏惲の快癒を願った。



 張釣が詰め所に戻ると、年若い同僚たちが顔を寄せあって何やら話していた。

 不思議に思って、張釣が近寄ると、それに気づいた者たちが、立ち上がって拝礼してきた。

 「何の話だい?」

 張釣が尋ねると、

 「黄巾賊の話さ」

 と、甲高い声が返ってきた。

 ギョッとしてその声の主を張釣は見る。

 「これは、(りょ)(きょう)様。気づきませんで、申し訳ありません」

 張釣が拝礼を返した相手は呂強という宦官だった。

 彼は宦官の中にあって異色とされる男で、先代の(かん)(てい)の代より後漢に忠勤していた。

 汚職を憎み、公明であり続けるその姿勢は、十常侍にその名を連ねることを良しとせず、年若い官吏を導く老練な師範として、政治に携わっていた。

 「糸烈くん。君も混ざんなさい」

 そう言って手招きをしてくる呂強に、張釣は思わず苦笑する。

 長く、官界にあって、彼のことを未だにくん付けで呼ぶ存在がいることがおかしかったのだ。

 「それで、呂強様。黄巾賊とは?」

 洛陽から出ることもなく、市中にもなかなか赴く用事のない張釣にとっては初めて聞く名だ。

 「現在、巷を騒がせている賊だそうだよ。打倒後漢を謳い文句に立ち上がってね。構成員は、頭に黄色い布を巻くそうだ。だから、黄巾と呼ぶ」

 「なるほど。新生の黄ですか」

 「おや? 糸烈くんは五行思想に詳しかったのだっけ?」

 呂強が意外そうな顔で張釣を見た。

 張釣は勉学家というわけではない。無論、五行思想に関して、知らないこともないだろうが、黄布を頭に巻いていると言うだけで、新しい天下を形作ろうとする無言のスローガンであるとまで発想がいくとは思えなかった。

 「あ、いえ。先ほど、夏惲様のお宅で、同じ話を聞きましたから。しかし、そんな集団がいるのですか。寡聞にして知りませんでした」

 呂強の目がキラリと光る。しかし、張釣はそれに気づかなかった。

 「夏惲か。病と聞いたけれど、具合はどうなのだ?」

 「かなり弱っておいででした。けれど、神医と評判の先生をお招きしていたので、直に良くなると思います」

 張釣が眉尻を下げながら、言う言葉に、またしても呂強の目がキラリと光った。

 「そうか。彼もいい年だからねぇ。ところでもしかして、その神医に会ったのかい?」

 「はい。まるで仙人のような方でした」

 「なるほど。新生の黄、という話もその人かな?」

 「ええ。なんでも、(まじな)いと薬水で治すとかで。頭に黄布を被って、罪を懺悔し、薬水を呷れば、病も治るそう、です………」

 張釣が喋りながら思案顔になる。

 「あは、は。まるで、先の話に出てきた賊のようですね」

 「そういえば、そうですな」

 呂強はニコニコと笑う。

 「………呂強様? 何をお考えですか?」

 張釣は呂強の笑顔を崩すことはできなかった。



 「奴には子が産まれた」

 蝋燭だけが灯された暗い部屋で声が響く。

 「奴には嫁ができた」

 その声は、高く、しかし、女のものでも子どものものでもない不思議な声音だった。

 「代が変わり、二十の年が経とうとしている」

 月明かりもなく、蝋燭で照らされた部分だけが、この部屋の中の視界となっている。

 「その年月をしても未だ世は混迷」

 炎に映し出された先は、紙に墨に筆。

 何かを書いているようだった。

 「幾人もの士が、無為に命を散らしていった」

 その筆の動きも止まる。

 「(りゅう)(こう)殿よ」

 声は、劉宏、と言った。

 陛下、とは言わなかった。

 「あなたの道を助けましょう。幾らかの、楔を打ちましょう」

 字の書かれた紙を折り畳んでいく。

 「なぁに。心配はいりませんぞ」

 片づけを終えて、最後に火を消そうと燭台を持ち上げる。

 「今になって、この命、惜しみますまい。糸烈くんより先に、動いてみせましょう」

 炎に照らされた呂強の顔は、穏やかなものだった。



 「いったい、今度は何事だというのだ!?」

 張譲は苛つきながら、歩を進めていた。

 呂強が皇帝に(じょう)(そう)を行ったのだ。

 上奏というのは、皇帝に対して意見を述べることを指す。漢に仕える官吏は全ての人間に上奏を行う権利が保障されていた。しかし、その上奏を管理するのが(ちゅう)(じょう)()だった。

 中常侍が権力を持ったのはそのためだ。自分たちに都合の悪い上奏はもみ消すことができる。

 しかし、何事にも例外はある。

 中常侍が皇帝に対して上奏を行う際、簡単に上奏が通るのだ。なにせ、皇帝に聴かせるのに相応しいかどうかを確かめる当人が、上奏するのだ。

 ノーチェックで通すことができる。

 公に残ってはまずいものならば、皇帝の耳に直接入れればいい。

 皇帝の傍に侍っている中常侍には難しいことではなかったし、それを無礼だと憤る声も黙殺できた。

 それを逆手に取ったのが呂強だ。

 皇帝の寵愛を受けた張譲ら十常侍に対して、「不当な評価である」と声高に上奏したのだ。

 皇帝の売官についても辞めるようにと上奏した。

 結果は受け入れられなかったが、皇帝・劉宏はそんな呂強を遠ざけなかった。それが、十常侍たちには気に食わない。

 今回も、何やら呂強が上奏したらしいというのが伝わっている。

 (奴は目の上の瘤だ)

 張譲は忌々しげに歯噛みをした。



 趙忠、(だん)(けい)、夏惲、(かく)(しょう)(かん)(かい)(りつ)(すう)(こう)(ぼう)(そう)(てん)(そん)(しょう)(ちょう)(きょう)(ひつ)(らん)

 謁見の間には、既に十一人の十常侍と呂強がいた。

 皇帝・劉宏も既にいる。

 張譲は皇帝よりも後に来ておきながら、悪びれもせずに列についた。

 「揃ったね」

 劉宏が面々を見渡して言った。

 「今日は、呂強から上奏があった。その件について、皆の意見を聞きたいんだ。呂強。もう一度、皆の前で読み上げてもらえるかな」

 「は」

 呂強は拝礼をし、劉宏に目を向けた。

 「天下に悪逆の徒党が乱れており、民心は離れております。清濁を併せ呑み、民心の安んずるところを為してくださいませ」

 「悪逆の徒党など!」

 「黄巾だ」

 張譲の叫びを呂強が制する。

 「ふむ。黄巾。呂強、説明してくれるかな?」

 「黄巾党は教祖・張角による宗教団体に端を発する武装集団でございます。今、世は混沌とし、人々は日照りや虫害による農作物の被害、地震や日食などの天変地異に怯えています。そして、疫病までもが流行り始め、民衆も明日は我が身と嘆いております」

 「黙れ、呂強よ! その様な世迷い言を陛下に吹き込むな!!」

 「黙るのはそちらだ、張譲! 貴殿等の振る舞い、天は見ているぞ!!」

 呂強の言葉に焦った張譲が止めに入るも、呂強は更に力強く叫んだ。

 張譲は劉宏に対して、世はすべからく安寧であると言い続けていた。そうでないと、国は国庫を開いて民に施さなくてはならなくなる。

 自然、割を食うのは重臣たちである。

 「続けよ、呂強」

 しかし、劉宏は『父』と崇める張譲の言葉を退けた。

 張譲は歯噛みをする。

 今は呂強の言葉を聞くしかなかった。

 「そんな中、張角が立ち上がりました。彼の者は、何やら遊学を行っていたという話があります。しかし、隠遁しました。そして、彼が次に表舞台へと出てきた時には、流行病の特効薬を扱う神医としてでした」

 漢という国は前例を何よりも大事なものとしていた。次いで、占いである。そのため、上奏の際も故事を紐解き、星の動きを絡めて訴えを行うという、迂遠な方法が用いられてきた。

 しかし、呂強はそれを良しとはしなかった。

 上奏は伝わらなければ意味がないのだ。

 「張角は、その(わざ)を用いて民心を扇動し、大規模な徒党を組んでおります。その数は信徒を併せれば百万にものぼり、武装集団だけでも数十万もの強大な勢力となっております」

 場を沈黙が支配した。

 「た、たかが」

 張譲が喘ぐように言う。

 「たかが民衆の戯れ言であろう! 補給もままならず、瓦解するのが目に見えておる!!」

 「張角は、この乱の下準備に十年の歳月をかけている。その様な崩れ方をするとは考えられまい。また、仮にこの乱が短命であるとしても、少なく見積もっても十万を越える軍勢が一斉に洛陽に攻め寄せたらどうだ? たかが民衆とはいえ、侮ることはできぬ」

 張譲は唇を戦慄(わなな)かせ、言葉を絞り出そうとしたがうまくはできなかった。潰れた蛙のような声が出ただけだった。

 「大変恐れ多いことですが」

 ここまでは、序論だ。呂強が本当に述べたいことの、土台となる部分。呂強は、十常侍にとって、地位の剥奪が決定的となる話をするつもりだった。

 「私がこの国を短期決戦で落とそうと思うのなら、まず、初手として、調略を仕掛けます。武力でもって、正面から相対する前に、です」

 「無礼な!」

 叫んだのは趙忠だった。

 しかし、呂強は素知らぬ顔をする。

 「戦において、敵の立場に立って物事を話すのは、無礼とは言いませぬ。常に最悪の想定をこそ、すべきでしょう」

 呂強の言葉に劉宏が頷く。

 「神医と呼ばれた張角のこと。高官の誰かが病となれば、すかさず現れて、言葉巧みに教義を説くはず。高官は治療のつもりでも、その言葉に従い、黄布を頭に巻けば、本人にその気無くとも、言い逃れは難しかろう」

 視線が、自然と一人に集まった。

 その先にいる男―――夏惲は、真っ青になっている。

 張譲は内心で舌を打つ。

 (このあほうめ。嵌められおったか)

 しかし、呂強はそちらへの追撃はしない。この件は匂わせる程度で十分だ。

 「更に、思いを張角に重ねれば、薬学という、今をもって未開の分野に精通していることが伺えます。そうとなれば、今まさに猛威を振るっている疫病に対し、何らかの対策をもっている事に考えが至ります。最悪の場合、疫病の元を押さえられ、その蔓延をちらつかせながら攻め寄せられるやもしれません」

 「妄言だ!」

 趙忠がヤジを飛ばすが、大きな効果はなかった。



 「―――確かに」

 一泊の呼吸を置いて、皇帝・劉宏が頷く。

 「そのように動かれては、我が軍は疫病の元を探るのを第一の目標としなければならず、攻め寄せてくる賊軍に対して後手を取らざるを得ないな」

 この言葉が、場に浸透していくと共に、絶望的な表情を浮かべる者も増えていった。

 「はい。そこで今回の上奏です」

 しかし、呂強は策がある、と言った。その言葉に、十常侍も顔を上げる。

 「(とう)()(きん)(しゃ)(めん)をお願いしたいのです」

 再度、場が騒然となった。



 党錮の禁とはこの洛陽で起きた非武装の反乱に端を発する法令の事である。意味合いとしては『徒党を組むことを固く禁ずる』というようなものだ。

 この時代、いかな名士であったとしても、徒党を組むことは悪徳である、とされていた。

 徒党は派閥を生じ、派閥は内乱を誘発するからだ。

 そのため、人は公私において、特定の人間と付き合うことを良しとせず、自然、多くの人間と関係を持つか、人と(わたくし)において関係を持たないような生活を心がけた。

 しかし、集の力は個の力に勝る。

 宦官という一大徒党は黙認されており、それに対抗するために、憂国の士で構成された一党が現れ、宦官を弾劾したのだ。

 その騒ぎを収めるため、上記の法令が布告され、憂国の士たちは揃って()(めん)された。

 それを、恩赦でもって許し、再度参内させることが、呂強の真に言いたいことだった。

 「馬鹿な! 党固の禁を解除すれば、それこそ天下が荒れてしまう!!」

 趙忠が声を上げる。

 しかし、呂強は首を振った。

 「党固の禁によって謹慎の立場にある者たちは名士と呼ばれる者たちです。彼らが、民を味方につけている張角の下に流れることこそ、天下が騒然となりましょう。ここは恩赦でもって人材の流出を防ぐべきです」

 「(こう)()(すう)からも同様の上奏が来ているんだよね」

 皇帝・劉宏は言う。

 「ほぼ同時期に同じ上奏が行われるのは、それが事実で今が危急の時だからなのかな」

 (皇甫!? 皇甫義()(しん)かっ! あの引きこもりめが!! 再三の出仕の要請を拒みながら、どの面を下げて上奏などをするのだ!?)

 「陛下。今一度、臣を見直すべきでございます。信賞必罰をもとにして、過ぎたる報酬を臣下に与えてはなりませぬ」

 「黙れ、呂強。言い過ぎだ」

 劉宏は呂強の発言を咎めた。

 この辺りが落とし所であると、劉宏も呂強もはっきりと感じ取っていた。

 宦官一派は、力を付けさせすぎてもいけないが、かといって、彼らを弾圧しすぎて、十常侍が黄巾に内通するのも困った。

 事前に劉宏と呂強の間で取り決めてあったのだ。

 これを張譲は気づかない。

 挽回の機会だと感じた。

 「呂強よ。これまで忠勤してきた我らに酷いことを言うものだ。陛下。我々は陛下から受けた格別の恩義、忘れてはおりませぬ。我らはこういった国家の危急における時のために、財を蓄えておりました。我ら十常侍、倉を放ち、今回の軍費を受け持ちましょう」

 その言葉が誘導されたものだとは、張譲は思わない。

 莫大な財をため込んでいる張譲にしてみれば、国の復興のために金を払い続けるより、倉にある財物を一部、軍費に変える方がはるかに安上がりだった。

 それは参列している他の十常侍も同様だ。

 そうして、官軍の軍備が、水面下で整った。



 後日、呂強が薬を呷って自害した、との情報が洛陽を騒がせた。

 先の十常侍に対する弾劾の責任を取らされた形だった。

 それと時を同じくして、死罪となるはずだった、年老いた罪人が、牢から一人、姿を消した。

 そのことを知っているのは、劉宏と、呂強の家族のみであった。

十常侍登場。

霊帝の御代におけるガンのような存在。

でも、十常侍がいないと後漢のこの時代は存在していなかったかもしれない。

そんな、嫌いになりきれないあん畜生ども。


誤字、ルビ、表記ゆれの修正を行いました(2024年9月18日)。

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