六十三幕 曹操出立
三月十五日。
「さて、向かうぞ」
曹操。字は孟徳。
大将軍である何進から任命を受けた曹操は、できる限りの伝手を頼って人数を集めた。
受けた任は、右中郎将の朱儁麾下として、黄巾軍を撃滅することだ。
「ああ」
口数少なく無表情に曹操に応えたのは、夏侯惇。字は元譲。
「いっやー、まさかこの規模の軍に加わることがあるとはねー」
手を頭の後ろに組みながら、気楽な声を上げる夏侯淵。字は妙才。
「どわっはうはうはう。腕が鳴るわい!」
年若い外見に似合わない独特な笑い声と喋り方で空を仰ぎながら笑う曹純。字は子和。
曹操の親族が集まった集団はこれから始まる大戦を前に、気負いすぎる様子もなかった。
しかしその一団には、普段いるはずの人間がいない。
「ショウ。ジンとコウには連絡つかなかったか」
ため息混じりの曹操の呟きに、頭巾を深く被り、目元以外を隠した曹邵、字は子義が頷いて返した。
この場にいない二人。
曹仁。字は子孝。そして、曹洪。字は子廉。この二人を除いた曹ファミリーが集結していた。
彼らはそれぞれが曹操の従兄弟という関係で、年も近いため、曹操を中心にして常におもしろおかしく過ごしている。
そんな曹操に男女が近づいた。
「曹くん。今回はよろしくねー。シウ共々、うまく使ってやってよー」
「リャウ。無礼だぞ。すみません、曹殿。此度はよろしくお願いいたします」
そう言ってくる二人。
女の方は姓は顔、名は良、字は美麗。男の方は姓は文、名は醜、字は字濁という。
この二人、生まれは烏丸族である。もちろん、烏丸族には烏丸族の言語があり、名前がある。
漢と同盟関係にあるため名を漢字で表すことが多いが、字という概念はない。
顔良はガンリャウ。文醜はブンシウという名前があり、それに漢字を当てたのだ。
二人は袁紹に仕えており、字は袁紹からつけられたものだった。
今回、袁紹は洛陽に残り、大将軍である何進の補佐をする事になっていたが、友人である曹操のために二人を送り出していた。
「顔さん。文さん。二人の武があれば頼もしいですよ」
声をかけられた曹操は二人に笑いかける。
そんな和やかな光景の背後では、鬱々とした空気を醸し出している人物がいた。
そのどんよりオーラを誰にはばかることなく発し続けている人物に、少年が話しかけた。
「おれさー。確かにさー。お前に兵卒として戦線に加えるって約束してもらったよー。でもさそれさ。お前が指揮する軍に加えてもらうってことだと思ってたぜー。いやまさか、どっかの誰かの行軍に間借りさせてもらうってことだったとは」
「不敬にも程があるんじゃがっ!?」
丁布。字を奉先という少年に、袁術。字を公路という少女が掴みかかった。
曹操がそちらに目を向ける。
「おい、ジュッちゃん。暴れんなよ」
「不敬不敬ふーけーいー! おい阿瞞! 妾は河南尹じゃぞ!? お主のような門番風情とは、格が違うんじゃ、格が!!」
曹操が字を名乗るようになる前の呼び名で、袁術は曹操を見下したように呼ぶ。
「でも、その門番風情の組下に入らないと、戦場にも立てないんだろ? なら少なくとも今はのじゃ姫が下じゃんよ」
しかし、そうやって胸を張って精一杯に強がる袁術を、丁布が横からつついてくる。
「頭をつつくなほーせん! のじゃ姫言うなほーせん!! 不敬にもほどがあるじゃろ!?」
そんな袁術を、曹操は困ったように見る。
そこにがたいのいい男女が進み出てきた。少なくとも見た目だけは。
「あー、曹将軍。すみませんが間借りさせていただきますよ」
紀霊。字を幽元という男と、張勲。字を君馬という『男』だ。
「いやいや、将軍はやめてくださいよ、幽元殿」
「では、孟徳殿」
ふ、と笑って紀霊が拝礼をする。
「うちのおひぃ様がどうもすみません」
そうしなを作って謝ってくる張勲に、曹操は苦笑いしながら返した。
「いや、ジュッちゃんとは昔からの知り合いだから慣れてるし大丈夫。あいつのおしめを替えたこともあるんですよ」
「ふぎゃ~~~~~!? 忘れろ阿瞞! アホ! バカ~~~~!!」
周りからにやにやと笑いを向けられ、袁術の羞恥の悲鳴が木霊した。
「そそ様。用意はできてますよー。どうぞ」
庁舎から出ると、許千代が人数分の馬を用意していた。
それに全員が跨るのを確認し、十二人は出発した。
ちなみに、袁術配下の閻象は今回は留守番をしている。袁術の河南尹としての仕事を代わりに執り行ってくれている。
曹操の友人である張邈は既に戦地に向かい、袁紹と仲良くしている許攸は袁紹の補佐を行うことになっている。曹操が述べていた最低人数をわずかに超えた人数。それがなんとか集まった人間たちだった。
しかし、運命的な出会いという物は存在するものだ。
城下町を半ばまで歩いたところで、曹操は馬の足を止めることになった。
馬の前に一人の子供が飛び出してきたからだ。
「おい、なんだ!? 危ないぞ、どけ!」
曹操は声を荒げるが、子供は首を振り、曹操に強い視線を向けた。
「おれも連れてってくれ!」
それだけ言うと、子供はまた強い視線で黙った。
口を真一文字に結んでいる。
髪は長いがぼさぼさで、服も質素なものだった。近頃洛陽に増えた流民の一人なのだろう。しかしまだ幼い。丁布よりも少し下のように見えた。
「これそこ」
袁術が前に進み出る。
「急になんじゃお主は。妾たちは数は少ないが正規軍じゃ。お主のような孤児を使えるような軍ではないぞ」
「お前たち、あれだろ? 潁川の黄巾軍に当たりに行くんだろ? こないだ、皇甫将軍と朱将軍が出て行ったやつ。早く討伐しないとヤバいもんな。いつ、南や北から黄巾軍が来るかわからない」
袁術の言葉を無視して続けた子供の言葉に、しかし一同は顔を見合わせた。
混乱を誘発する恐れがあるので、洛陽市民には南や北の情勢は明かされていないはずだ。
「お主、その情報をどこで聞いた?」
袁術が探るような視線を向ける。しかし、子供は不思議そうに首を傾げた。
「どこでって………普通に考えればわかる。今焦って洛陽の外に軍を出すってことは、そうしないとヤバい状況に陥るからだ。ならヤバい状況ってのは? ここが四方から包囲されることだ。そうだろ?」
「なぜ西を外した?」
「西は并州だ。少し奥地に行けば異民族の統治下になるから黄巾も増えにくい。対して洛陽の北は異民族が荒らしてくる幽州までもまだ距離がある。北は黄巾が増える可能性がある。南は広大な土地がある。なら黄巾はどこからでも湧いて出る。黄巾軍は民兵で構成されてる。民がいればどんどん増える。逆に民が他のことで手一杯なら黄巾は増えにくい。異民族の襲撃とかな」
袁術は子供の目を覗き込んだ。
にやりと笑う。
知性の光を、彼女はその子供の目に見た気がした。
「大将殿。この子供、連れていくぞ」
「ああ、異論はない」
曹操も二つ返事で了解した。
ある意味、曹操も袁術も後漢の中では異色の立場だ。それが故に、こういう才覚を持った者にはどうしても甘くなってしまう。
「お主、名は?」
「宮」
「姓はないのか?」
「さあ………」
「ふむ。………………ん? お主、まさか女か?」
「え? ああ」
「………………そうか。苦労したんじゃの。すまぬが急ぐ。身を清めるのは任地に着いてからにしてもらうぞ。文字は読めるかの?」
「読めない」
「ではそこも教えるとしよう。大将殿」
「ああ、俺も手伝おう」
曹操も笑顔で頷いた。
「さて、お主にまず教えることがある。目上の者には喋り終わるたびに『です』をつけよ。それだけでもだいぶ印象が変わるぞ」
「わかったです!」
宮と名乗った子供は素直に従った。
「なんか違うのー」
その反応に袁術はがっくりと項垂れた。
こうして、曹操一行は十三人となり、一路輪氏を目指した。
急がなければならなかった。
曹操は何進から渡された書簡の入っている巾着に手を添わせた。
『南陽郡宛城陥落。郡太守褚貢、討ち死に。黄巾軍は宛城に駐屯したまま大きな動きを見せず、周辺の諸城を落としている模様。現在北進の兆し、無し』
書簡に書かれている内容を、早く皇甫嵩たちに伝えなければならない。
馬を駆りながら、曹操は焦れる心を抑えていた。
主要人物が揃いました。
これで、ようやく場面が動き出す予感。
章番号修正(2024年9月28日)。
誤字、ルビ、表記ゆれの修正を行いました(2024年11月29日)。




