三十三幕 龍騎団の歩み~蘇張編その二
陶謙との会見が終わった後、劉備たちは再度、幽州横断の旅を続けていた。
馬を駆りながら、劉備は首を捻る。
自分は、引きこもりとまではいかないまでも、安定したルーチンを最上のものとする人間だったはずだ。
それがこの所、おかしい方向に進んでいるように思えてならない。
そう、自問するが、返ってくるのは『そんなこたない』という自答のみだった。
劉備玄徳という男は、いつだって何かの流れに乗って動いていた。
人からの依頼。巻き込まれの事故。不幸にも選ばれた標的。
今までも、いくつものイベントが起こり、それを仲間たちと解決してきた。
今回もそれと同じ事だ。
ただ。
今までは村レベルのイベントだったのが、いつの間にか、州を動かすような規模のイベントと化してしまっている、というだけだ。
―――あまり大事にならなければいい。
ことここに至って、劉備はまだそんなことを思っていた。
遼東郡襄平県に入る。
ここから薊県まで四日、そして薊県を日帰りで出て襄平県までまた四日。
可能な限り、早く、速く。
襄平県までたどり着いた時には、遠出に慣れている公孫瓚たちや男である劉備、簡雍ならばまだしも、女の甘英や子供の田などはめっきり口数も減ってしまっていた。
それでも、八日。
後を任せた呂たちは既に青衆に向かっているだろう。
ならば、早く蘇張に報告を上げ、すぐに劉備たちも青衆に向かわねばならない。
「デンちゃん。大丈夫か?」
簡雍が田に声をかける。
それに対して、田も疲れた声で、大丈夫、とだけ答えた。
劉備も甘英をチラリと見るが、疲労は色濃い。
馬に乗るというのは、ただ乗っていればいいわけではない。
馬の歩みに合わせて、体を上下させる際、体幹をずらさないように、調整しなければならない。そうでないと、重心が左右にぶれて、馬の体力が消耗される。
それには、腹筋と背筋、そして腿の筋肉を使う。
馬は乗り物であると同時に、生き物なのだ。
主導するのは人だが、馬に合わせていかねばならない。
それが全身運動となり、体力を使う。
劉備の村にも馬がいた。
村の若者たちは、遊び感覚で馬を乗りこなしていた。
それは女である甘英も同様だ。
また、賊である田も馬は慣れ親しんだ相棒である。
しかし、乗れるのと遠乗りができるのは、また別の話だ。いくらその筋肉を使うことに慣れていようと、使い続けるのには慣れていない。
二人は少し休ませるべきか、と劉備は考えながら、蘇張の住まう商家に向かった。
「やぁ。劉さん。お疲れ様。早速だけど、時が惜しい。先ずは取り付けた約束を教えてくれ」
客間に劉備たちを通した陳は、労いの言葉をかける時間すら惜しい、というように即座に本題に入った。
九鬼の歴史は長い。
陳が幼い頃には既に九鬼の存在はあった。それから代を重ね、支配する賊が変わり、現在の九鬼となっている。
その事実があるために、九鬼を併合することができれば、それは幽州の歴史に足跡を残す事になる。
つまり、偉業の達成といえるのだ。
その事実に、普段は冷静な陳ですら、その気持ちは高ぶっていた。
それに対して、劉備は陶謙から提示された条件を答える。
「あー、まずは課題その一。九鬼をまとめ上げて一団とすること。課題その二。黄巾軍の隊長格の首を取ること。課題その三。九鬼が半数以上、賊を辞めること、だ」
劉備は指を三本立てて話す。
「まず、課題一の達成報酬は肩書きだ。遼東属国長史が募集した正式な義勇軍として扱われる。少なくとも州内では県令や太守の協力も要請できるように各地に通達も行ってくれるらしい」
「ほう。九鬼を併合しても三百ほどの兵力しかないと思っていたけど、そうやって通達してくれるなら兵の増員も望めそうだねぇ」
州で正式に認められた義勇軍ともなれば、一旗上げたい血気盛んな若者が参加したいと名乗りを上げることは十分に考えられる。
劉備は陳の言葉に頷き、続ける。
「課題二の報酬はわかりやすい。首と引き替えに金一封だそうだ。黄巾軍では隊長のことを方長って呼ぶらしい。小、中、大の方長を討ち取ればその危険度によって報奨金を出すらしい。ただ、具体的にいくら出すかはその首をあらためて決めるとさ」
「それに関しては、明示されないのか。まあ、仕方ないかね」
これは陶謙からすれば逃げ道の報酬だ。最悪、反故にされかねないものだ。
「ああ。あまり多くを求めるのはやめておいた。刺史様の誠意を信じるしかない。それよりも次の報酬が大きい」
そして、劉備は最後の報酬を話す。
「課題三の報酬は、領地、だそうだ。ただし、隊長格の首三つ以上」
「―――」
その、報酬は破格だった。
一介の賊が、公的に領地を得る。
それがうまくいくのなら、確かに九鬼を解散するメリットが出てくる。
「赦免もしてくれるってさ。ただ、あくまでも、刺史様がそう働きかけるだけで、確約はできない、そうだ」
そう、ばつが悪そうに言う劉備に、陳はすぐに言葉を返せない。
(劉さんはよっぽど、刺史さんに気に入られたんだね)
この時代、上の人間は下の人間を都合よく使うことを考える者ばかりだ。
そんなときに、わざわざ下の人間に予防線を張るような真似はしない。
予防線など張らずとも、「そんなことは知らん」と言ってしまえばお終いなのだ。
『尽力はするが、できないかもしれない』
この言葉には、紛い物で劉備を使い潰そうという陶謙の思惑は無いように見える。
その事実が、そのまま、陶謙の誠意に見えた。
この誠意を見たからこそ、劉備は二つ目の報酬を曖昧なままにしても大丈夫と判断したのだろう。
「まあ、及第点かな」
しかし、値を吊り上げようと思えばできるものばかりだ。
そこは、劉備の年齢にしてはよくやった方だと、そう思うことにする。
(やれやれ。私も甘くなったもんだ)
そんな自分に苦笑して、陳は席を立ち、劉備に拝礼をする。
「よくわかった。劉さん。私は劉さんに付くことにするよ」
次いで、厳も劉備の前に立つ。
「どれほど力になれるかはわからんが、全力で劉さんに従う。よろしく頼む」
蘇張の頭領と副頭領が劉備に揃って拝礼した。
ここに、劉備は九鬼を構成する賊団の内二つを併合することに成功し、九鬼全てを合わせた兵力の半数を、味方に付けることに成功した。
劉備に付くと決めた陳には、蘇張を長年率いてきた参謀役として、やらなければならないことが多い。
その最初の仕事に、早速取りかかることにした。
すなわち、
「劉さん。君は九鬼についてどれくらい知ってるんだい?」
「うん。正直、全然わからんな! おっきい賊が九いる、って感じか?」
「まぁ、大まかには間違ってないよ。ただ、実体についてもう少し知ってもらいたいな」
劉備の教育である。
「まず、九鬼はその名の通り、九つの賊団なのだけれど、この中で純粋な賊は三つだけ。他の六つは民の側に付くか国の側に付くかはわかれても、ある程度弁護のしようもある活動も行ってるんだ。ちなみに、純粋な賊は烈把、虻蛇、そして沌狼だ」
その言葉を聞いて、劉備たちは田へと視線を向ける。
その視線を受けて、田は肩を竦めてみせた。
「ま、否定はしませんよ。確かに、わっちたちは他の六つに比べたら天と地の差がある人非人です。ただ、言わせてもらえるなら、虻蛇と同列はやめてほしいですね」
「沌狼も結構容赦ないと思ったけど、虻蛇ってのはそれ以上なのか?」
劉備の疑問に、陳は苦い顔で頷く。
「虻蛇ってのは、一言で言えば九鬼の中の問題児集団さ。沌狼や烈把は生きるための略奪だが、虻蛇は気分で動く。幸いなことに、去年の大会で虻蛇は劉さんに借りがある。奴らは恩は大事にする。代わりに、恨みも大事にする奴らさ。道で子どもが虻蛇の構成員にぶつかりでもすれば、その子どもの住んでいる村は滅びる。そんな厄介な奴らだ」
「それは………」
簡擁が渋い顔をする。
そんな奴らを引き入れても良いのだろうか。
「まぁ、実力は折り紙付きだよ。ただ、本当に奴らを仲間にするかは、劉さん次第だ」
陳の言葉に、劉備は神妙に頷く。
世の法から外れた集団を率いるのなら、必ずぶつかる問題だった。
「とりあえず、虻蛇は後回しだ。他の六つは?」
それに頷くと、陳は順番に話し始めた。
「さて、残った六つの賊だが、さっきも言ったように、官吏と癒着して、討伐が難しくなった賊と、民に支持されて、討伐が難しくなった賊がいる。私たち蘇張は前者だね。国に良馬を献上することで、立場を得ている。それともう一つ、臥顎がそれにあたる。臥顎は情報屋で、彼らに調べられない情報は無いとまで言われている。官吏たちの不正を余さず把握しているらしいから、余計な手出しができないんだよ」
陳はにこやかに言う。
「そして、残りの四つは民の側に立ちすぎたために、国と敵対している者たちだ。雷万は義賊。郡太守や県令が不正にため込んだ蓄財を、盗み出しては民に配っている。皓龍は正義の名の下に悪を討伐しているが、その討伐対象は官吏すらも含まれる。愚馬は力自慢が集まって、勝手に自警団を名乗っている。青衆は若者の集まりで、国に見捨てられた遼東属国を取りまとめている。青衆と愚馬は国の許可なく、人を裁いたりもするから、国に目を付けられたんだ」
そうつらつらと説明されても、劉備の頭にはまったく入ってこない。
「んーと、要するに、沌狼の他にひっどい賊と普通の賊がいて、後は蘇張の他に泥棒とヒーローと情報屋と力自慢とチーマーがいるって感じか」
「………チーマー」
劉備のざっくりとした解釈に、厳が顔をひきつらせる。間違いと言い切れないのがもどかしい。
「それで劉さん。沌狼、蘇張ときて、お次の標的はどうするんだい?」
微妙な顔をしている厳を尻目に、陳はそう尋ねてくる。
「チーマーの青衆だ。沌狼の呂さんとオレの義弟たちが向かってる。念のため、属国長史の従兄弟さんも合流してるよ」
劉備がそう言うと、厳の顔つきが険しくなった。
「青衆に義弟、だと?」
「え、なに、なんかまずい?」
「青衆の頭は戯雁の一件以来、あんたに大分、惚れ込んでる。あそこは烏丸の自治領だから馬を重要視してて、ウチの上客だから何度か話をしているんだが、最近はアンタのことを『兄貴』と呼んでた」
「え、そうなのか?」
いまいちわかっていない劉備に陳が苦笑して付け加える。
「自称弟分の所に、義弟と名乗る男と、最初に仲間になった男が来るって事さ」
そう言って、陳は遠い目をした。
「こりゃ急がないと、属国は大荒れだろうね」
静まり返った部屋の中、陳の言葉がいやに重く響いた。
章番号修正(2024年9月25日)。
誤字、ルビ、表記ゆれの修正を行いました(2024年10月20日)。
長吏と長史を間違えていたのに気づいたので修正しました(2025年4月5日)。