二十九幕 戦利品
一八四年、三月二十一日。
黄巾南方主攻軍は、南陽郡の郡治、宛城をその支配下においた。
褚貢が城外で討ち死にしたあと、程なくして、城内の民たちが、門兵の静止を押し切って、城門を開けた。
城内の制圧は、趙弘が指揮をとった。
その制圧作業も佳境に入った現在、城内の大通りには、城にいながら黄巾の数に怯え、出陣しなかった兵や高みの見物を決め込んでいた文官たちが並べられていた。
「褚太守はすごかっただなぁ。危うく、うちの総司令がやられるところだっただ。あの人たちが、命をかけてる間、アンタらは何をやってただ?」
「わ、我々の本業は政治だ! 戦の趨勢は我々の責任ではない! 太守殿の命令だったのだ。我々は反対した!!」
一人の文官が声高に叫ぶ。
間違ったのは自分たちではない。間違ったのは、自分たちの上司だ。だから自分たちに責任はない。
そんなことを言う文官に、趙弘はめまいがした。
「治安の維持ができず、民による開城を行われ、それで自分たちに非がないって言うだか?」
「あれは民たちが勝手に行ったことだ! 我々の指示を聞かずに、民たちが勝手に―――」
「もういいだ」
趙弘は刀を抜いた。
上の人間が勝手に動いた。だから自分たちに非はない。
下の人間たちが勝手に動いた。だから自分たちに非はない。
素晴らしい責任転嫁だ。
そして、彼らはそれを間違いとは思っていない。
目に、まだ希望を残している。
自分たちに非はないのだから、許される。
そう、思っている。
城内から褚貢を支援するでもなく、民たちを守るでもない。
(………これが、『今』か)
趙弘の目が、怪しく光る。
(こんな奴らのために、健土は畑を潰されたのか。こんな奴らのために、伯考は使い潰されたのかっ!!)
「中方長の名の下に命ず! 全兵全官の区別なく、皆殺せ!!」
無念と嘆き、悲しむ友たちの幻影を目に写しながら、趙弘は剣を振るった。
宛城の全兵士と全文官は徹底的に皆殺された。
しかし、それを非道と断じる民はいなかった。
それもそのはずだ。
文官も、兵たちも、民の目の前で責任逃れの言い分を垂れ流したのだ。
最早、誰一人として、この国に忠誠を誓う者などいなかった。
漢は、自分たちを守ってはくれない。
ならば、どうすればよいのか。
民たちは、黄巾のために、食料を渡し、城を明け渡し、更には、己の頭に黄布を巻いた。
『蒼天、すでに、死す』
自分たちの生まれ育った国は、すでに死んでいた。
今あるのは、国の亡霊だ。
その国を治めているのは、亡者たちだ。
そのことをはっきりと感じ取った民たちは、しかし、新たな光を感じ、涙した。
これは聖戦だ。と、誰かが言った。
城を抑えるのは、とりあえず、うまくいった。
しかし、懸念が韓忠には残った。
他の二人の様子がなにやらおかしい。
趙弘は開城後の処刑の後、なにやらぶつぶつと呟くようになった。
そして、黄巾に所属していない者の名前を呼ぶようになった。
孫夏を『健土』と呼んだり、孫仲を『伯考』と呼んだ。他にも、何人もの『いない人間』の名で、仲間を呼んだ。
しかし、まだこちらはいい方だ。
趙弘の指示は理に適ったものだし、名前の呼び違いなど、目を瞑っても良かった。
問題は総指揮官の張曼成だ。
日がな一日、ボーッとしている。
裁可を仰ごうにも、こちらの話を聞いているのかいないのか、生返事を返すばかりとなった。
しかし、ここで止まってもいられない。
韓忠は張曼成、趙弘の小方長も借りて、北方三城に攻撃を仕掛けた。
万を越す軍勢に、三城は戦わずして降伏した。
逃げ出す民も多かったが、そちらは深追いをさせなかった。
ことここに至っては、情報の漏洩は気にすることではなかった。
逆に、情報が漏れ出すことで、洛陽には動揺が走り、北や東の黄巾軍が、動きやすくなるはずだ。
三月三十一日。
北方三城を落とし、守備兵を配置し、連絡手段を構築した韓忠が、宛城に戻った。
しかし、他の二将は、未だ、闇の中にいた。
また話が飛んでた。
挿入(2024年10月12日)




