二十二幕 軍議
さて。
二月の五日に黄巾は張角のもと、大決起を行った。
例の脅迫文が洛陽まで届いたのが翌日の六日。七日には何進の命にて王匡が洛陽に住まう諸将に声をかけ、八日には并州に向けて旅立った。
王匡の足で并州刺史の董卓に協力を取り付けて、洛陽に戻るまでが一週間。
未だ、二月も半ばなのである。
王匡によって届けられた書簡によって、呼び出された洛陽組の将たちは頭を抱えていた。
なんといっても、疫病拠点が厄介だった。
疫病拠点の割り出しを行う必要があったのだが、それに関しては比較的早い段階で、決が出ていた。
場所は割り出した。
しかし、そこに討伐の兵を向ければ、洛陽の守りが緩くなる。
そんな時、南から吉報が舞い込んできた。
座が沈黙している。
それだけ重たい情報が、もたらされていた。
青州東萊郡にて、疫病拠点を発見、拠点防衛にあたっていた黄巾賊の中隊長相当の将を撃退し、拠点を制圧。後に、精査を行い、万難を排してこの拠点を破壊した。
南方の勇・孫堅による報告に、各将は呆気にとられていた。
「ぐー。むにゃむにゃ」
いや、一人だけ、夢の中にいる者がいた。
皇甫嵩だ。
しかし、いつもなら殴って諫める立場にある朱儁も呆気にとられている。
皇帝や大将軍が居並ぶ軍議の間に、羽毛枕を持ち込んだ剛胆な怠け者を邪魔する者はいなかった。
「大金星だ! スゴいぞ!! よくやってくれた、文台殿!!」
何進が我に返り、そう言う。それに対して、孫堅は拱手をして答えた。
「黄巾の将を撃破できたのが大きいですな。これで向こうの流れを止めることができた」
王允が現状を分析した。
その意見に、廬植、朱儁も頷く。
「劉辟、何儀、黄邵は討ち取ったんですかー?」
そこに、もごもごと口を挟んだ者がいた。
突っ伏しながら顔を羽毛枕に埋めている皇甫嵩だ。
場に困惑の空気が漂ったことを感じて、皇甫嵩は仕方なさそうに顔を上げた。
「疫病拠点を守備していた中方長たちの名前ですよぅ。あ、中方長ってのは黄巾語で中隊長って意味ね。んで、黄巾は十二の中方長の上に三人の大方長がいる。張角と張宝と張梁のことやね。中方長の下には小方長がいるらしいけど、目立った名前は見られない。けど、中方長になると話は別だ。結構聞いた名前がちらほらしてる。去年までの散発的に起きてた黄巾の攻撃で官軍を退けてた指揮官の名前ばかりだ。その中でも厄介なのが『人喰い』何儀と『女喰い』黄邵。コイツ等はマジで厄介。文台殿。コイツ等討ち取れました?」
軍議が始まって、ずっと俯せになっていた皇甫嵩が途端に喋りだしたのに、孫堅は驚きながら、ばつが悪そうに首を振った。
「我が軍は拠点の破壊を第一目標としていた。奴らは退くのが早く、それを追撃できるだけの兵力は持っていなかった。残念だが」
孫堅は皇甫嵩の姿に戸惑いながら答えた。
しかし、他の将はそんな皇甫嵩に戸惑った様子はない。
普段は寝ていたりうとうとしている皇甫嵩が、急に鋭い意見を発するのはこれが初めてではないからだ。
そのくせ、半々の確率で話を聞いていなかったり理解していないことがあり、同じことを何度も聞いたり、自分で言ったことを忘れていたりと欠点も目立つ。
しかし、自分の出した案に固執せずに次々と新しい案を提案したり、黄巾軍の動きを相手の心理面から予測したりと、頭の回転の速さを発揮していた。
ここにいたって、各将は皇甫嵩に対して『こいつ、やればできるのだろうに………』と、朱儁が皇甫嵩に抱くのと同等の評価を下していた。
「さて、どう動くべきか」
「各個撃破ー」
何進がふむ、と顎に手をおいて考えようとしたところに、すかさず皇甫嵩が答える。
「ですが、皇甫様! 各個撃破を行うには敵が多方面に展開しています! この議論は以前も行いましたよ!?」
廬植に主将として連れられてきた阿瓊が声高に皇甫嵩に反論した。
皇甫嵩はやる気の無さそうな態度とは裏腹に、軍議が開催されてからというもの、ずっと主戦論を唱えていた。
しかし、洛陽の北南東の三方向に黄巾が駐屯しており、更に遙か東に疫病拠点が控えていた。
皇甫嵩が最初から言っている東征を行えば、洛陽に南北から黄巾軍が攻め寄せかねない。
そのため、その意見は他の三将から却下されていた。
「いやさ。その件に関しては状況が変わったでしょー。文台殿が疫病拠点を見事に完膚無きまでに破壊してくれたおかげで、ムチャな東征はしないですむ。穎川までなら、行ってもすぐに帰ってこれるでしょ。北には抑えとして一部隊を送れば、南の奴らが関を抜く前に東を取れる目がある」
そう言われて、その場の全員が机に広げられた地図を見る。
洛陽は方々の主要な街道を八つもの関で固められた要害である。その街道を外して進軍しても、大軍の通過は行えない。函谷関、虎牢関、泗水関など堅固な関が洛陽を守っている。
「しかし、だからといってなぜ東からだ? 南には大兵力の黄巾軍がいるのだぞ?」
何進の言葉にそれぞれが皇甫嵩を見た。
洛陽の南は張曼成、韓忠、趙弘の三将が駐屯して、洛陽を伺っていた。三将のそれぞれが三万の兵力を有しており、合わせると九万。その数は後漢として動員できる兵力の倍に近い。
そんな脅威を、野放しにするのは危険なのだ。
「それなら平気でしょー」
しかし、皇甫嵩はそれを踏まえて尚、揺るがない。
「仮におれらの動きを見て南が動いたとしても十万近い軍でしょ? 動きは鈍いし、行軍形態も間延びしたものになる。東征を仕掛けてる軍の内数千でも戻せば、横面を叩いたり輜重部隊を襲ったり、いくらでも対処ができる」
叔父にくっついて、転戦を重ねた皇甫嵩には当然のことだが、それを、他の将は言わないと理解できない。
兵力というのは、多ければいいというものでもない。さらに言えば、率いている将は大軍になれていない賊の将だ。数百と同じ感覚で動かせるのは千までだ。
五千を越えると、途端に兵を移動させるのは困難になる。
如何に街道が大軍を通すことを可能としていても、三万もいるような部隊がいくつも移動をするならば、指揮官の目が届かない場所も出てくる。
皇甫嵩としては、むしろ南を動かしたかった。
拠点を作られて、洛陽を包囲してくる戦法を採られれば、崩すのは途端に難しくなる。
だから、早い段階で洛陽を出る軍を作り、洛陽を狙って進軍する敵の背後を脅かせるような遊軍を作りたかった。
その真意が、ここにいたってようやく、他の将に通じた。
皇甫嵩は幼い頃から戦場を転々としていたので、戦い方も感覚で掴んでいる節がある。そのため、彼の説明もとてもわかりづらい。
適切な質問をして彼が何を考えているか知る必要があった。
今回に限っては、たまたま阿瓊がよい質問をしたために、皇甫嵩の意見に対して、他の者たちが理解を示した。
「まぁ、仮に南が動くのを渋ったとしても、その間に東を落とせりゃ、包囲網にも穴があく」
「南は南陽か。あそこの大守は褚伯献だ。もしかしたら、東征が終わるまで、持ちこたえるかもしれないぞ」
何進は皇甫嵩の言葉に頷き、言を続けた。
姓は褚、名は貢、字は伯献。以前は皇甫嵩の叔父・皇甫規の元で兵を率いて異民族の討伐にあたっていた男で、その突撃力には定評があった。
「あ、伯献さんが南陽大守か。まぁ、あの人が守ってるなら、南は持ちこたえるだろうな。でも、万が一も有り得る。遂高殿。兵力はどれだけ集まったんですか?」
「五万だ」
「………。あの、敵兵力は数十万ですが」
朱儁が冷や汗をだらだらと流しながら、何進を伺い見る。
何進は諸将から目をそらした。
「い、いやほら、うちのは精兵だから」
「いくら質が良くても、数の差がありすぎますよ!?」
朱儁の叫びはもっともだ。阿瓊も狼狽えている。しかし。
「五万かー。まぁ、思ったよりは集まった感じですかね」
「そう感じるかね、皇甫くん」
頭の後ろで手を組んでヘラヘラと言う皇甫嵩に、滅多に口を開くことのなかった王允が言葉を返す。
「最悪に限りなく近いですがねー。最悪の場合は、全軍合わせても敵の中隊一つに及ばないかと思ってましたもん」
「なるほど。遂高殿。全軍で五万とは、攻勢に出れる全兵力と考えてもよいのかな? いざいざの時に城内を守る守備兵の確保はできているかな?」
「それに関しては大丈夫だ。なぁ。張譲殿」
話を振られた張譲は頷く。
「十常侍を含めた中常侍の兵を動員する。虎賁の兵もいる。全体で一万はもてる」
虎賁とは虎賁中郎将のことを指し、宮殿警護のための兵権をもった役職のことだ。
それを聞いて、皇甫嵩は顔を明るくした。
「それならやっぱり、最初に討つのは東だな。三万を率いて同数の東を攻める。残りの二万は北だ。南は伯献さんに任せよう」
「ならば、東を攻める人員だが」
軍議は続く。
しかし、未だに厳しさは残るものの、絶望感は、もはや漂っていなかった。
2023年年内最後の更新です。
次回は2024年にお会いしましょう。
皆さま、よいお年を!
来年も新解釈三国志『新説三国志演義』をどうぞよろしく!
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