二十幕 疫病拠点攻防戦②
孫堅軍孫策後詰部隊。
「よし。うまくいったな」
孫策はガッツポーズをしながら周りの兵と肩を叩きあった。
孫策は肉壁陣を壊滅させていた。
青い顔をしながら拳を振るう年若い指揮官の姿を見て、率いられていた兵たちも奮起した。そのため、肉壁陣は予想よりも早く落ちた。
しかし、その落とした孫策には目もくれず、黄邵は本陣に向かって突撃をしている。しかし、これも周瑜から聞いていた話の通りだった。
「さて。オレらも公覆さんたちのあとを追おうぜ。ユーたちを守ってやらんと」
そう言って部隊を纏めていた孫策の耳に、
「ぎ、いやあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
すぐ近くで悲鳴が聞こえた。
孫策の部隊の後方でその声は起こっている。
「どうしたっ!?」
恐怖で身を引かせている兵を押しのけて孫策は声の元に走った。
「あ、ぎ、い、がああぁぁぁぁぁぁ」
声はまだあがっている。
そして、孫策はその声の発生源を見た。
丸い肉塊が、兵の上に覆い被さっている。兵の下は、兵から流れ出た血で赤く濡れていた。
「厳!」
孫策が兵の名を呼びながら、その肉塊に蹴りかかった。
しかし、肉塊は兵の体を持ち上げながら、後ろに飛びすさる。
そこで初めて、孫策はその肉塊の全身を見た。
丸々とした体に、小さな頭。そしてその小さな頭に不釣り合いな大きな口と、対称的に小さな目。
人間としての形のバランスが崩れたかのような巨漢だった。
「は、はぐぶざまぁ! にげでぐだざ「あ~~~ん」」
叫ぶ兵の頭に、肉塊が口を近づけ、その大きな口を開く。
兵は孫策に逃げることを促している途中で、頭と体を噛みきられた。
頭を無くした兵の体がショックでビクンビクンと踊る中、肉塊は口の中に頬張った兵の頭をゴキンバキンと咀嚼し始めた。
有り得ない光景。
それを見せられた孫策部隊の兵たちは恐慌状態に―――、
「て、めえぇぇぇぇぇ! 何、儀ぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
陥る寸前に、孫策の言葉で我に返った。
何儀はそんな孫策には構わず、口の中のモノを飲み込むと、まだ活き良く動いている兵の体に目を向ける。
涎をだらだらと垂らしながら、その兵に手を伸ばし、
「それ以上厳に触んじゃねぇ!」
孫策が何儀の頭に蹴りを入れた。
「ん~も~う。だれ~?」
そこで初めて、何儀は孫策を視界に収めた。
「おでのご飯だぞ? 久しぶりの新鮮なお肉だぁ。邪魔すんなぁ」
そんな抗議に、孫策は余計に眉を怒らせる。
他人に非道な行いをするのはまだ許せた。しかし、身内に非道を行うのは許せない。
「く、らえっ!!」
先手必勝とばかりに、孫策は足を踏み出した。
「『朧地縫』っ!」
暗殺者の少女、泰が使っていた技だ。それを見様見真似で使う。
「ぬ?」
何儀の体が固まる。
そこに孫策は拳を叩き込もうとして、横からの衝撃に吹き飛ばされた。
「なんだぁ? 今のぉ。体がビクッてなったぞぉ」
何儀の動きを止められたのは一瞬だけだった。その停止から回復した何儀が振るった腕に孫策はもろに当たってしまったのだ。
「な、ぐ、はぁ」
鍛え上げている孫策の体が悲鳴を上げていた。
(たった一撃でこれだと? 戦鐙の上からだぞ!? あいつ、体が重いだけじゃない。なんつー筋肉してやがる!!)
何儀はニヤリと笑う。
先ほどの兵士より、目の前の子供が美味そうだ。
衝撃でまだ動けない孫策を持ち上げる。両の手で持ち上げ、締め上げ、頭からかぶりつこうとした。
孫堅軍朱治遊撃部隊。
「ありゃヤバいかな?」
朱治は遠目に孫策と何儀の激突を見ていた。
「そろそろ音を上げてくんないかなぁ」
朱治の目の前には、黄巾軍の将がいた。先ほど名乗りを聞いたが、巳中方第一小方長、周倉とかいった。所属が長すぎて覚えていられるかは不安だが、まだ覚えているらしい。
「そっちこそ、諦めたらどうだ? そちらさんの弱兵じゃ、勝てないってわかっただろ?」
周倉の部隊は強かった。
八百の朱治の部隊を百ほどの手勢で止め、さらに、朱治の部隊を半壊させている。
兵一人一人が強く、それを纏める周倉もまた、強かった。
遊撃部隊として、展開されている肉壁陣を迂回するように敵本陣を攻めようとしていた朱治の眼前に現れ、朱治の進路を妨害してきたのだ。
「敵は八百。お前ら。一人八殺な」
そんなことをのたまう周倉は、しかしあっという間にそれを実現してしまっている。周倉配下の兵のうち何人かもそのノルマを達成し、さらにあちらにはいまだ被害を与えられていない。
「若い力が育つのはおじさんとしては歓迎なんだけどなぁ。じゃあ、こうしよう。俺も退くからあんたも退いてくれ」
「できるわけないだろが!」
困ったなぁ、と朱治は頭をかく。
周倉は強弱を見分ける目を持っている。
朱治の旗本四百に届く寸前で周倉は攻撃を止めた。朱治の部隊のうち半数は都尉から授けられた兵だった。だから弱い。
拮抗状態に陥った朱治はチラリと期待の若手、孫策の方を見やる。
そこに援軍が入ったようだった。
「これでこの戦もしまいじゃない?」
朱治の指差す方向を見た周倉は肩を落とす。
「どうやらそのようだな」
黄巾軍肉壁陣跡地。
「が、ぐ」
何儀は孫策を両の手で持ち上げ、締め上げ、かぶりつこうとした。
そこへ。
「招待状をもらってまかりこしたが、遅れてしまったかな?」
「ちょっとちょっと。その人殺すのは私の仕事なんです。標的取らないでくれますか?」
どこか芝居がかったような男と少女が乱入した。
「久方ぶりだな、南の子虎。開演には間に合わなかったが、座持ちの役割ならこなしてみせよう。蟷螂鬼の刃、安くはないが満足いくはずだ」
そう言いながら、男―――鈴蟷螂は何儀の両腕に小刀を放った。二本の小刀が何儀の両腕に突き刺さり、何儀が孫策を手放す。
それを少女―――泰が受け止めた。
「ご無事ですか、殿」
「ほほう。糸繰り人形は繰り手を変えたのか。随分と身の軽いことだ」
「ええ、ええ。今、人形は感情のお勉強中です。まさか、あなたは健気に人になろうとしている人形の邪魔をするなんて無粋はしませんよね?」
泰の皮肉に鈴蟷螂は面白そうに笑う。
「そうだな。精々精進することだ。鼻が高く伸びてしまう前にな」
絶対的な死地にあってもこの二人は軽口を止めない。まるで何儀が眼中に入っていないかのようだ。
「と、いうかですね。殿」
と、泰はこの半月のうちで何度か会っている内にいつの間にか使い始めた孫策への呼称を口にする。
「遠目に見てましたけど、あれじゃ駄目です。朧地縫はそんな技ではありませんよ」
そう言うと、泰は構えた。
鈴蟷螂は面白そうにそれを見ながら、孫策の横に侍る。
「朧と地縫は個別の技です。朧は気配を薄くする技、地縫は気配を爆発的に増大する技。見ていてください」
泰は薄目になり、呼吸を整えた。
何儀は突然の乱入者にどう対処すべきか戸惑っていたが、目標を泰に定めると襲いかかろうとする。
そこに。
「『朧―――』」
「う!?」
泰がそう呟くと、泰の気配が急激に消え去った。目の前に確かに存在するのに、その存在に確信が持てない不思議な感覚。
「『―――地縫』」
そして、そう呟き、泰は無防備に歩き出す。
その瞬間、敵対している何儀だけでなく、孫策と鈴蟷螂すらも、自身の体の硬直を感じ、目を見開いた。
「虚無の後の絶大な気配。種明かしをすれば簡単です。ただの気当たりって奴ですよ。恐怖を感じれば体は固まりますよね。それとおんなじです」
泰は言いながらゆっくりとその歩を何儀に進める。
その間も、誰も動けない。
「見ればわかると思いますが、私は動いている間も重心を偏らせていません」
その言葉で、鈴蟷螂は得心がいった。
「なるほど。どこに動くのか、今を以てして定まらない。幽玄の妙だな。その肉塊に歩を進めながらも、俺か、子虎に飛び込んでくるかもしれない」
そう言われて、孫策はハッとなった。
泰が突然飛び込んでくればそれを支えなければならない。
その事実が孫策を動かせない要因だ。同時に、何儀にはどのタイミングで攻撃されるかわからない。
「まぁ。そういうことです」
泰はニコリと笑うと、何儀の体に両手を添えた。
泰を間近に見て、何儀が目を剥く。
「お、おめえ、女かぁ?」
ピシリと。
空間が凍ったように感じた。
「私が女でなければ、何に見えると言うんですか?」
「女は来んなよぉ。おで、女はまずいから嫌いだぁ」
「それは残念ですが」
「おめ、パッと見、男に見えたのになぁ。残念だなぁ」
「………」
泰を中心にしてとてつもなく重たい空気が流れる。しかし、何儀はそんなことはお構いなしに泰を無遠慮に攻めた。
「まぁ。あんまり変わらんけどなぁ。女は不味いんだよなぁ」
あまつさえ、そんな事を言ってのける何儀に、泰の頬が引くつく。
「殺します」
泰が短く言い、剄を流し込むと、冗談のように何儀の巨体が吹き飛んだ。
それと同時。
ジャーンジャーンジャーンと、大きな鐘が黄巾本陣から鳴り響いた。
黄巾軍黄邵中方。
女。
女女女女女女女女女。
渇く。
欲す。
嗜虐を。
快楽を。
充足を。
満足を。
いつからこうだったのかはわからない。わからないが、気付いたらこうなっていた。
黄邵は常人よりも精力が強い。
満たされない欲望は、黄邵から様々なものを奪った。
なんのことはない。
大切なものも、大事なものも、黄邵の欲望によって破壊された。
欲望を満たし、大切なものを、大事なものを壊し尽くしてから呆然と、その壊れたモノの前に立ち尽くした。
家族を、恋人を、友人を、彼は己を律する間すらなく、残虐に散らしていった。
そして何度目かの絶望の後、黄邵はタガが飛んだように、周囲を蹂躙していった。
賊に身を落とし、悪逆の限りを尽くしながら黄邵は笑う。
壊してみろ。壊してみろ。大事なものを失う前に、俺を壊してみろ。
黄邵は女を求め、奪い、壊した後に、欲望を満たしながらも満足しない自分を感じていた。
しかし彼は気付かない。
自分の真の望みは、壊れたその身に終焉を与えてくれる存在であることを。
気づかないまま、彼は欲望に身を任せて走る。
ジャーンジャーンジャーン。
大きな音が響く。
その音に兵が動揺した。しかし、黄邵には聞こえない。
丘の陰に女の部隊がいる。
軍人の女を抱くのは初めてだ。体はどうだろう。熟しているのだろうか。それともまだ未熟なのか。
そんな想像に股間の一物が大きくなる。
その時だった。
横合いからいきなり殴られる。
「バカやろう! 落ち着いて周りを見ろ!! 退却だよ!」
黄邵を殴り飛ばしたのは、『巳』中方中方長の劉辟だった。
劉辟は玖等に鐘を鳴らさせた後、玖等と別れて軍を動かした。
玖等を何儀の回収に向かわせ、劉辟自身は黄邵の方に向かった。
疫病拠点に駐屯している三将のうち、何儀と黄邵は一度夢中になると、なかなか命令を聞こうとはしない。
「てめぇ。何しやがる、劉辟! 俺に指図するんじゃねえよ! 何様のつもりだ!?」
「言ってる場合かよ。後ろを見てみろ」
食ってかかってくる黄邵に劉辟はため息とともに後ろを指差す。
後方では、指揮官の黄邵が指揮を放棄したために、いいように黄蓋と韓当の二将に翻弄され半壊した黄邵の中方があった。
その瓦解を確定的にしようと追いすがる黄蓋・韓当の両部隊と、それを防ごうとする劉辟の中方の姿も見える。
「退け。こんなところで無駄死にする気か」
劉辟の強い視線を受けて、黄邵は落ち着きを取り戻していく。
しかし。
「だから俺に指図するな。俺とお前は同格だ。後ろは構うな。前進するぞ」
黄邵は落ち着きを取り戻してなお、そう言った。
「バカか!?」
その言葉を無視して、黄邵は丘を駆け上がった。
いつものように勢いに任せて何儀と黄邵が突撃し、それぞれが一人ずつでも獲物を手中に収めれば。
そうすれば、いつものように、敵は戦意を失い恐慌状態に陥る。
そんな黄邵の思惑は。
丘の先、眼下に広がる隙のない布陣によって覆された。
騎兵の真骨頂はその機動力にある。歩兵よりも素早い動きが可能で、陣の変形や進退すらも容易に行える。
しかし反面、その機動力が故に、御しきるのも難しい。行き当たりばったりで軍を動かせば、その綻びも目立つ。
しかし、眼下の討伐軍にはその綻びが見られない。丘下への布陣までが、討伐軍の指揮官にとっては予定調和だったということだ。
長く賊軍を率いてきた黄邵にはそれがわかる。
「わかるだろ。退き時だ」
追いついてきた劉辟が黄邵の肩を掴みながら静かな声でそう言った。
「ぐ、っそ」
黄邵は力無く、『孫』と描かれた敵の旗を見る。
忘れぬように。
自分に屈辱を与えた敵をその目に焼き付けた。
孫堅軍朱治遊撃部隊。
孫堅軍から見て左方では朱治と周倉が睨み合い、膠着状態を作り出していた。
ジャーンジャーンジャーン。
そこに鐘の音が響く。
それに周倉は顔をしかめ、朱治は喜んだ。
「退却だよぉ」
「わかってるさ」
朱治の声に、しかし周倉は動かない。
いや、動けないでいた。
ここで退けば追撃を受ける。
兵数では劣り、練度では勝る。そんな兵同士が、正面から向かい合うから損害を受けなかった。
しかし、退却ならば敵に背を向けねばならず、そうなればさしもの周倉の育て上げた兵もひとたまりもないだろう。
それがわかっているから、周倉も退けない。
「今退くなら追わないよぉ」
「ほざけ」
将として当たり前の返答を受け、朱治は無精髭の目立つ顎を掻く。
(年を取るのはイヤだねぇ。こういう若手が後から後から成長してくる)
けれど、そういった若い芽を潰そうとしているのも、また彼らなのだ。逃がすわけにはいかない。
「周倉様、お退きください」
周倉の周りの兵がそう言って、身を乗り出す。
(兵が守りたくなる将かぁ。どうしてそちらさんに着いたんだか)
それを見て、朱治はまた、やりきれない思いを抱える。
しかし、周倉はその発言を受けてにたりと笑った。
「いや。退くのはお前らだ。この殿、修羅が受け持つ」
そう言った周倉が、前に出た兵より更に前に出る。
そのあまりの埒外な行動に朱治は目を見張り、兵たちはどよめいた。
周倉は前に進み出るとそのまま、右手を開いて顔の左半分を覆うように持ってくる。
「へ~んしん、ってな」
ニヤリと笑って、そのまま、周倉はまるで見えない仮面を外すかのような所作をした。その後に現れたのは、能面のような無表情だった。
そして右手を背の後ろに回し、もう一度、前に持ってくる。
その手の形は、何かを掴んでいるように開いていた。
イヤな、予感がした。
「廉! 射て!!」
朱治の掛け声に、弓兵が一人、素早く矢をつがえ、射った。
彼は朱治部隊の中で一番の弓取りだ。その一射が、周倉に放たれる。
しかし。
顔を右手で覆った周倉は次の瞬間、迫り来る矢を左手で掴んだ。
「な!?」
驚愕する朱治の頬を何かが掠める。
「ごぶっ!?」
背後で声が聞こえた。
振り返ると、廉の喉から矢が生えており、廉は白目を剥いて倒れた。
「なんだとぉ!?」
朱治の目には、先ほどまで相対していた人間とは思えない形相の周倉が映っていた。
「お前ら。邪魔だ。下がれ」
そう静かに言う周倉は、心なしか、先ほどまでより一回り大きく見える。
「君理殿どうした!?」
「殿はただ一人、好機ぞ!!」
周倉の兵たちが怯えるように退き始める中、二の足を踏んだ朱治を叱咤するように、二人の巨漢が飛び出した。
朱治配下の麦兄弟である。
二人は今までも、どんな壁すら打ち破ってきた。その自負が、一人の男に怯むのを良しとしなかった。
朱治が止める間もなく、二人はいつもの連携技を繰り出した。
左右から二本の鉄槌が、周倉を襲う。
それを、周倉は嘲笑うかのように、一歩、後退してかわす。
返す刀で兄の首を両断し、目を剥いた弟の顎を蹴り上げた。
視界が揺れる弟はたたらを踏み、それが決定的な隙となって、首を一閃のもとに分かたれる。
今度こそ、朱治部隊は恐慌状態に陥った。
「………っ、………! 狼狽えるなぁっ!!」
しかし、その状態でも、朱治は崩れきらなかった。
「まったく、すさまじいね。まるで別人だよ。暗示ってやつかい?」
「あ? なんだ。種は割れてんのか」
(よし!)
と、思った。
朱治が投げかけた言葉に何の気なしに答えた周倉。しかし、その短い受け答えに、朱治は活路を見いだした。
「横陣を布け。目の前の賊将は構うな」
「………なんのつもりだ?」
「君の勝利は仲間が逃げきること。だからさぁ。君は俺らを後ろには通せないよね。なら俺らは固まらなければいい」
指揮官である朱治を狙おうとも、軍は止まらない。そういう風に朱治は部隊を育てている。朱治が見いだした四百人は、戦局を見ることができる。
「勝ちは譲ってあげるよぉ。けれど、これ以上、俺らは戦わない。君も退くといいさぁ」
周倉はそれこそ、追いすがる兵がいれば討ち取ろうとしていた。
しかし、朱治は動かない。
「つまらねえ奴だ」
そう言い残して、周倉は退いた。
無論、背後への警戒は怠らない。
しかし、朱治はやはり、動かなかった。
黄巾軍肉壁陣跡地。
とどめを刺せなかったのは痛い。
その場にいた三人が気づいた時にはもう遅かった。
孫策は殴られた時に、鈴蟷螂は放ったナイフの刺さり具合から、そして泰は剄を流し込んだ際の手応えで気づいた。
何儀の巨体が、鍛え上げられた筋肉の固まりだということに。
衝撃は水を通り伝わる。脂肪は水に近く、剄の伝導体として機能する。
しかし、筋肉はその衝撃を緩和する人体の防衛機構だ。
故に、泰の放った剄は何儀に致命傷を与えられていなかった。それに気付いて追撃を三人がかけようとしたとき、ジャーンジャーンジャーン、と大きな鐘の音が黄巾軍から響いてきた。
一拍、二拍。時間が止まる。
何儀がこのまま退くのなら、追うべきか。それとも、追わずに退くべきか。孫策らも刹那の迷いを見せる。
最初に動いたのは孫策だった。
(コイツは、見逃せねえだろっ! ここで生かしておいたら、この先どれだけの人が惨たらしく死ぬんだ!!)
その思いが孫策を動かし、
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい通りますーーーーっ!!」
刹那の逡巡が玖等を何儀の下へ駆けつけさせた。
玖等は馬に騎乗して孫策に向かって突進してきた。真横からの突撃に、なんとか身を躱す孫策。玖等はほとんど落馬するように馬から飛び降りて、何儀に駆け寄った。
「ごめんなさいごめんなさい何儀様起きて起きてくださいごめんなさいごめんなさい何儀様何儀様早く起きてごめんなさいごめんなさいごめんなさいーーーーっ!」
何儀をゆさゆさと揺すり、涙目になりながら剣を構え、謝りつづける玖等に、孫策たちは毒気を抜かれる。
しかし、この少女は敵だった。
孫策は気を抜かずに歩み寄る。
「ひっ! 来ないでください来ないでください来ないでくださいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
なおも謝ってくる少女に罪悪感を覚えつつ、孫策は拳を握った。
せめて、一撃で意識を刈り取ろうと、その拳を振り上げ、振り下ろそうとして、
―――ギャギ。
間に割り込んできた剣に止められた。
「おい、こんな所で何してる」
「ぁ? 周倉、さん?」
(なんかカッコイい登場の仕方で新手が来やがった!?)
周倉が割り込むと同時、退いてきた劉辟と黄邵の軍も合流した。
孫堅軍本陣。
「つ、つつつ、追撃! 追撃を早く!」
黄蓋、韓当の二将によって、辛くも本陣壊滅の憂き目を回避した孫堅軍は、再度丘の上に陣を布きなおして、仰天した。
予定では既に孫策たちは退避しているはずだった。それが、未だに戦場のただ中にある。
それが、周瑜には目の前が暗くなるほどの衝撃だった。
それは孫策の父、孫堅も同様だ。
「全軍! 向かうぞ!!」
虎の一喝により、今度は正真正銘の全軍突撃が敢行された。
黄巾軍肉壁陣跡地。
「おおお女だぁ! 女ぁぁぁっ!!」
「やってる場合かバカ」
泰を見て再び理性を失いかけた黄邵を劉辟が止める。
背後では地鳴りを響かせて孫堅たちが突撃をしてきていた。
孫策は、視界の端に何儀が頭を振りながら起き上がるのを見て、しかし冷静に拳を構えた。
「ん? 君は確かこないだ偵察に来てた子か? なあ、周倉。そうだよな」
「あー。あんたが情報流せって言ってきた奴か。そういやそうだな」
孫策と周瑜は先月に一度この拠点を見に来ていた。その時に、上司を嫌っている兵に出会い、拠点を治める三将の話も聞いたのだ。
黄邵と何儀の食事風景も見せられた二人は、その情報が嘘ではないという確信のもとに今回の作戦を立てた。
「あの覗き見ね。俺が許可だしたのよ。今までにも何組かに見せてきたけど、ビビらずに立ち向かってきたのはお前らが初めてだよ」
劉辟はそう言って笑い、
「で、やる気か?」
ギゴリ、と。その笑みを歪めた。
「オレたちが少しでもお前らを止めれれば、後は追撃に来てる奴らがどうにかするさ。それにそもそも」
お前たちみたいな外道を逃がしたら大変なことになる。
そんな言葉を飲み込みながら、言葉の途中で孫策は動く。
それに合わせて鈴蟷螂と泰も動き出そうとし、
「笛、鳴らせ」
それらの行動の機先を制するように劉辟が言った。
突如、地面から槍が何本も突き出てきた。
疫病拠点を守る兵は、二種類いる。
というのも、何儀は帯陣しているひと月の間に、兵を数百ほど、『保存食』に変えてしまい、残された兵たちは恐ろしさに逃げ出してしまったからだ。
黄邵の中方に所属する兵は、黄邵が犯し壊した女を目当てに集まっていた。
一方劉辟の中方はそんな黄邵や何儀の被害にあった者たちを慰撫した。
それにより、一部の者たちは劉辟を救世主のように崇めていた。
劉辟のためならば命も捨てる。
そんな決死隊を、劉辟は二人のおぞましい悪性のおかげで難なく手に入れていた。
もちろん、生半可な道ではない。時には夜通し語りかけ、時には敵意がないことを示すために黙って殴られた。
そういった積み重ねをひと月の間、ほぼ寝る間もなく行った。
その結果。
決死の兵たちは我先にと土の中に槍を携えて埋まったのだ。合図の笛が鳴るまで出てくるな、という命にも何の疑問もなく頷いた。八割方が窒息で死んだが、劉辟のために命を捨てられると、死んだ兵等は最後まで笑顔だった。
そして今、残った数十の兵が、笛の音と共に槍を突き出した。
かくして、劉辟の洗脳兵は戦場に飛び出した。
黄巾軍肉壁陣跡地。
「あはっ、あははははははっ、ごぼぢ、あははごぶっはははは」
孫策の背後で狂ったような笑い声が響く。
「え、この声」
その声に反応したのは、孫策たちではなく、玖等だった。次いで劉辟が顔をしかめ舌打ちをする。
孫策が振り返ると、後ろにいた兵が、地下より這い出てきた兵を打ち取ろうとしていた。その中央に幽鬼のような女がゆらりと立っていた。
長い髪を振り乱し、目には正気の光がない。そして、裸体となっている腹からはおびただしい血が流れ、明らかに致命傷だ。
劉辟が肉壁の中に忍ばせていた女の一人だ。
そして。
「お姉ちゃん!?」
玖等の姉でもあった。
玖閃。それが彼女の名前だった。黄邵に捕まったこの姉妹は、それぞれが一日中、陵辱の限りを尽くされた。玖閃の陵辱が先に行われ、続いて玖等の番となった。玖等にはその日一日の記憶がない。
次に気がついたのはその日から数日が経っていて、目の前に劉辟がいた。
劉辟からは姉が無事だったとは聞かなかった。姉がいることすら、玖等は劉辟に言えなかった。そうすることで決定的な事実を聞くのが恐ろしかった。
姉の姿を目にすることもなかったので、玖等はもう諦めていた。
しかし、その姉が今ここにいる。
「あははごぶっ、あはははははは。りゅうへきさまぁ、やりましたぁよぉ」
血を吐きながらゆらゆらと、壊れた笑顔でそう言う。
「ああ、玖閃。良くやったぞ」
「えへへぇ」
劉辟の言葉に玖閃は嬉しそうにはにかむ。
「ただ」
しかし、劉辟は言葉を続ける。
「これから撤退だ。怪我人は連れていけない。玖閃。自害しろ」
「な」
「わかりましたぁ」
誰かが止める前に、玖閃は落ちていた槍を自らの喉に突き立てた。
もともと致命傷を負っていた体に追い打ちをかけ、玖閃は崩れ落ちた。
「てめえ、劉辟いぃぃぃぃっ!!」
孫策が激昂し、劉辟に向かう。
「これ以上の損失は採算割れだ。退くぞ」
向かってくる孫策をいなし、劉辟は黄邵、何儀を連れて退却を始めた。
「お姉ちゃん………」
玖等は退き始める他に構わず、座り込んで姉を見続けていた。
孫堅軍が孫策たちに合流した。
合流するまでの数分が、孫策には永遠のように感じた。
相手は万単位の軍だ。非道を目の当たりにした孫策とその配下たちが怒りによってその志気を最高潮のものとしていても、追撃をかけることは叶わない。
「伯符!!」
周瑜が馬をつれて孫策に駆け寄った。
「無………事?」
周瑜は孫策の正面に回り込むと、顔を強張らせた。
「えと、伯符?」
「………あ?」
「お、怒ってるね」
「………あぁ」
「後少しで軍の再編が終わるわ。それまでに落ち着いて」
「なぁ、ユー」
「うん、なぁに?」
「あいつらはダメだ。生かしておいたらダメだ。あいつらだけは、ここで今日、殺さなきゃ」
「今回は、こうなったらもう難しいと思う。今日はあくまでも拠点制圧戦として動いてたし、将を討ち取ろうにも、あいつら、退くの早すぎる。まるで、この拠点に価値がなかったみたい」
「まさか、囮か?」
「今、何人かに様子を見に行かせたけど、ネズミもいるし、研究資料もある。ブラフとは考えにくいのよ」
周瑜がため息を吐いた瞬間、突然、鬨の声があがった。
「敵か!?」
孫策が馬の手綱を握り、黄蓋、韓当も部隊を引き連れて前に出てきた。突然の敵襲に顔に緊張が乗っている。
それに対して、周瑜は全く焦らない。
「公覆さん、義公さん、下がってください。伯符も。前に出ないで」
周瑜は手で血気に逸ろうとする三人を押し留めた。
そして、最適任者を呼ぶ。
「程女弓部隊。前に。構えてください。これで今回の一連の物語は終わります」
現実に存在する様々なピースを集め、物語を綴るかのように現実を動かしていく『作話』の能力。
その力を遺憾なく発揮した周瑜は、初めての大舞台であるという気負いも特になく、殿として突撃をしてきた千人の歩兵に対して、掃射の下知を下した。
軍団戦初挑戦の回その二。
いい感じに視点があっちこっち飛んでますねぇ。
漫画だったらわかりやすいのにねぇ。
小説しか書けなくてごめんよぉ。
章番号修正(2024年9月25日)。
誤字、ルビ、表記ゆれの修正を行いました(2024年10月2日)。




