付録 【黄巾将列伝:張宝】
【張宝】
正史:
十一月,皇甫嵩又破黃巾于下曲陽,斬張角弟寶。(後漢書:孝靈帝紀)
十一月、皇甫嵩は下曲陽において黄巾軍を破り、張角の弟である張宝を斬った。
角弟寶稱「地公將軍」(皇甫嵩朱雋列傅)
張角の弟、張宝は『地公将軍』と称した。
嵩復與鉅鹿太守馮翊郭典攻角弟寶於下曲陽,又斬之。首獲十餘萬人,築京觀於城南。(皇甫嵩朱雋列傅)
皇甫嵩は鉅鹿郡を回復し、馮翊郡出身の鉅鹿太守郭典と共に張角の弟、張宝を下曲陽において攻め、これを斬った。斬首十余万人。城の南に、景観が築かれた。
演義:
《第一回》
(前略)時鉅鹿郡有兄弟三人。一名張角、一名張寶、一名張梁。
(中略)張角聞知事露、星夜舉兵、自稱「天公將軍」、張寶稱「地公將軍」、張梁稱「人公將軍」。
(中略)時張角賊衆十五萬、植兵五萬、相拒於廣宗、未見勝負。植謂玄德曰、『我今圍賊在此、賊弟張梁・張寶、在潁川與皇甫嵩・朱雋對壘。汝可引本部人馬、我更助汝一千官軍、前去潁川打探消息、約期剿捕。』
(中略)殺到天明、張梁・張寶引敗殘軍士、奪路而走。
(中略)正値張梁・張寶敗走、曹操攔住、大殺一陣、斬首萬餘級、奪得旗旛・金鼓・馬匹極多。張梁・張寶死戰得脫。
操見過皇甫嵩・朱雋隨卽引兵追襲張梁・張寶去了。
(中略)嵩曰、『張梁・張寶、勢窮力乏、必投廣宗、去依張角。玄德可卽星夜往助。』
(前略)鉅鹿郡に三人の兄弟がいた。ひとりは張角、ひとりは張宝、ひとりは張梁という。
(中略)張角は馬元義が処刑された事が公表されると、突如挙兵し、自らを『天公将軍』、張宝を『地公将軍』、張梁を『人公将軍』と称した。
(中略)この時、張角軍は十五万、盧植は五万で広宗において相対しており、未だ勝負はついていなかった。盧植は劉備に頼んだ。
「私は今ここで賊を囲んでいる。賊の弟、張梁と張宝は潁川で皇甫嵩・朱儁と対峙しているはずだ。君に千の兵を預ける。潁川のどこかにある本部を探して援軍を要請してくれ。援軍があれば必ず勝利できる」
(中略)(皇甫嵩と朱儁による火計に混乱して)夜明けに殺到した張梁・張宝軍の敗残兵は道を争って逃げた。
(中略)張梁・張宝の敗走に際して、曹操は遮り、大いに殺した。首級は一万余り、奪った旗やのぼり、金、馬は膨大な数になり、張梁・張宝は視線を潜り抜けてこの地を脱した。
曹操は見過ごさず、皇甫嵩・朱儁に従って兵を率いて張梁・張宝を襲ったが逃げられた。
(中略)(援軍要請に来た劉備に対して)皇甫嵩は「張梁・張宝は勢いも落ちている。広宗は必ず落ち、そこにいる張角も逃げてしまう。援軍を率いて昼夜を問わず広宗に向かってくれ」と言った。
《第二回》
(前略)雋待之甚厚、合兵一處、進討張寶。
(中略)這裏朱雋進攻張寶。張寶引賊衆八九萬、屯於山後。
雋令玄德爲其先鋒、與賊對敵。張寶遣副將高昇出馬搦戰。玄德使張飛擊之。飛縱馬挺矛、與昇交戰、不數合、刺昇落馬。
玄德麾軍直衝過去。張寶就馬上披髮仗劍、作起妖法。只見風雷大作、一股黑氣、從天而降。黑氣中似有無限人馬殺來。
玄德連忙回軍、軍中大亂、敗陣而歸、與朱雋計議。雋曰、『彼用妖術、我來日可宰豬羊狗血、令軍士伏於山頭。候賊趕來、從高坡上潑之、其法可解。』
玄德聽令、撥關公・張飛各引軍一千、伏於山後高岡之上、盛豬羊狗血幷穢物準備。
次日、張寶搖旗擂鼓、引軍搦戰、玄德出迎。交鋒之際、張寶作法、風雷大作、飛砂走石、黑氣漫天。滾滾人馬、自天而下。
玄德撥馬便走、張寶驅兵趕來。將過山頭、關・張伏軍放起號砲、穢物齊潑。但見空中紙人草馬、紛紛墜地。
風雷頓息、砂石不飛。張寶見解了法、急欲退軍。左關公、右張飛、兩軍都出、背後玄德・朱雋一齊趕上、賊兵大敗。
玄德望見「地公將軍」旗號、飛馬趕來、張寶落荒而走。玄德發箭、中其左臂。張寶帶箭逃脫、走入陽城、堅守不出。
(中略)朱雋聽說、催促軍馬、悉力攻打陽城。賊勢危急、賊將嚴政刺殺張寶、獻首投降。朱雋遂平數郡、上表獻捷。
(前略)朱儁は辛抱強く待つと、兵をひとところに集め、張宝を討つために進軍した。
(中略)一方その頃、朱儁は張宝を攻めるために進んでいた。張宝が率いている賊兵は八~九万で、山の後ろに駐屯している。
朱儁は劉備に賊討伐の先鋒を命じた。張宝は副将の高昇をやって出馬させた。劉備は張飛にこれを討たせようとした。張飛は馬を縦横に駆り、矛を構えていた。高昇は交戦した。しかし組み合うことはできず、高昇は刺されて落馬した。
劉備の軍旗は賊軍を貫いてまっすぐ進んだ。張宝は馬上で『髮仗劍』を抜いて妖しげな術を起動した。途端に風と雷が激しくなり、空から一筋の黒い気が下りてきた。黒い気の中からは無限の兵馬が現れ、殺到した。
劉備軍は大慌てで退却を始め、軍中は混乱し、大敗を喫した。このため、朱儁はこの対策を軍議で決めることにした。朱儁は「奴が用いる妖術は、私が明日、猪と羊と犬の血を太陽に捧げることで対処する。山頂には兵がいるのだろう。卑劣にも待ち伏せしている賊徒に対して、奴らよりも高所から奇襲をかけることができれば、妖術を解くこともできるだろう」と言った。
劉備は命令を受けると関羽・張飛それぞれに千の兵を率いさせて山の後ろの高い丘の上に潜み、猪、羊、犬の血を器に入れて盛りつけ、準備を行った。
次の日、張宝は旗を揺らし鼓を鳴らし、軍を率いて挑発をしてきたので、劉備がそれを迎え撃った。矛を交える瞬間、張宝の妖術が発動した。風と雷が大挙し、砂と石が宙を舞い、真っ黒な気が空を覆った。人馬が溢れ出でて、空から降りてきた。
劉備はすぐさま馬を動かし、張宝はその後を追った。山の頂を超えた時、伏兵となっていた関羽と張飛が雄叫びと共に姿を現し、穢れを辺りに撒き散らした。空を見れば人は紙に、馬は草に変じて粉々になって地に落ちた。
風も雷もやみ、砂も石も飛ばなくなった。張宝は妖術が破られたのを悟り、撤退をしようとした。左から関羽が、右から張飛が、そして背後から劉備と朱儁が一斉に追いすがり、賊兵は大破した。
劉備は『地公将軍』の旗のぼりを見つけ、一直線に追った。張宝はボロボロになりながら逃げた。劉備は矢を放ち、それは張宝の左腕に当たった。張宝は矢が刺さったまま陽城に逃げ込むと、固く門を閉ざした。
(中略)朱儁はその話(皇甫嵩が大活躍して、出世。盧植も無実の罪が立証され、曹操も策が当たって出世した)を聞いて、軍を大きく動かし、陽城を力攻めに攻めかかった。賊は追い詰められていき、賊将の厳政が張宝を刺し殺すとその首をもって漢軍に投降。朱儁もついに郡を平定すると、素早く洛陽に連絡を送った。
佐久彦三国志:
合法ロリ。女性化武将。
張角の実妹にして義妹。
これは初恋の存在である実兄と関係性を変えずに想いを遂げようとした苦肉の策。
本人がいくら言い張っても、兄にその気がなかった時点で叶わぬ恋だった。
兄は結局他の女と結婚した。それでも、結婚した女と違って、自分は最後まで共に在れる。そんな思いを胸に参軍。
歌によって民衆にわかりやすい形で後漢政権の批判を行うことで民衆を扇動し、各員に合わせた軍団運用や戦略を構築した黄巾の乱の立役者として活躍した。
次に愛した男は鄧茂。
途中寝取られかけるも酒の勢いを借りてハーレムを形成。束の間の幸せを享受した。
最期は繰り上がりとはいえなってしまった黄巾軍総大将として、愛した者たちを犠牲にしてでも漢軍の行為を脱しようと突撃し、それを夢想の内にのみ叶えて散った。
別名:地公将軍
経歴:
1月以前、張角の薬学知識を基に、青州の東萊郡に病を感染させたネズミを保管した拠点を作成。
2月初頭、馬元義の処刑を受け、決起をひと月早め、各地に決起文をばらまく。
6月まで、冀州北部や幽州において徴兵活動を行う。
6月中旬、更迭された盧植の後釜が赴任してくると知ると、先手を打って急襲するために進路を読んで鉄門峡に布陣。
6月下旬、董卓軍が進軍してきた所を鉄門峡で奇襲したが、取り逃がす。その後、龍騎団による奇襲を受け、敗走。
7月下旬、再合流地点である下曲陽城に到着。
8月、残党を収容しながら、鄧茂と程遠志の生還を信じて待つ。ようやく鄧茂たちと再会し、軍を再編する。
8~10月、拠点、兵の強化を行う。
10月下旬、攻めてきた皇甫嵩の軍との戦いで総指揮官として戦う。しかし、皇甫嵩の戦の組み立てを読み切ることができず、一か八かで城の脱出を図るも叶わず、討ち取られた。
評価:
典型的な戦略特化の指揮官。
戦場での指揮よりも戦争での計画を立てる参謀。
歌による民衆の扇動、病を用いた国への恐喝、中常侍の調略、薬剤拠点を囮にした漢軍主力の誘導、潜伏していた管亥のとどめ。
全て、張宝が描いたものであり、それぞれが大きな効果を発揮していた。
その上、部隊編成もうまい。
攻め気の張曼成、中庸の趙弘、逃げ腰の韓忠の組み合わせや三悪党を放棄予定の薬剤拠点守備に就かせたこと、波才を単独で動かしたことなどは明確に有利に働いていた。
反面、戦場における部隊運用はそこまで得意でもない。
しかし、そういった場合でも部下に任せる度量がある。
張宝の長期戦略と、鄧茂の中・短期戦略の組み合わせは、相手が皇甫嵩でなければ一勢力を形成することもできたかもしれない。
黄巾軍のヒロイン枠。
失恋をして、もう一度恋をして、それで失恋しかけてブーストをかけて逆転ドローに持ち込んだ根性娘。
歌をメインに布教活動を行う部分の元ネタは『恋姫無双』より。
めちゃくちゃ頭いい案だと思って歌を真面目に使ってみた。
誤字、ルビ、表記ゆれの修正を行いました(2025年4月19日)。




