百五十二幕 乱の結び
大方長『天公将軍』張角、病死。
大方長『人公将軍』張梁、戦死。
大方長『地公将軍』張宝、戦死。
中方長『子』馬元義、刑死。
中方長『牛』鄧茂、戦死。
中方長『寅』張曼成、暗殺。
中方長『卯』黄邵、行方不明。
中方長『辰』波才、降伏。
中方長『巳』劉辟、行方不明。
中方長『午』卜己、斬首。
中方長『未』程遠志、戦死。
中方長『申』何儀、行方不明。
中方長『酉』趙弘、戦死。
中方長『戌』韓忠、自害。
中方長『亥』管亥、行方不明。
戦が終わってみれば、圧倒的な大差で漢軍が勝利を収めることとなった。
敵の幹部はほとんどが死んだ。
一部逃げた者がいるが、それでも数年内の再起は難しいだろう。
「………まあ、それでも、火種は残すことができたと、そう考えるべきか」
居室の中でひとり、皇帝・劉宏は呟く。その言葉は誰が聞くこともなく闇に溶けていく。
「北の情勢も怪しい。けど、北は、うーん」
劉宏は腕を組んで顔をしかめる。
国内の反乱ならば対応もできる。
しかし、北には異民族がいる。
国外との戦争になってしまえば、今度こそ民は燃え尽きてしまうかもしれない。
「だから今回の一件でどうにか国を壊しきりたかったんだけども」
どうにもそうはいかないらしい。
ここからは微妙な調整が必要になってくる。
国軍に力を持たせ、国外を牽制しつつ、民の不安を煽っていかなければならない。
「廖化………」
劉宏の呟きに返ってくる変事はない。既に彼には暇を出した。
これで、劉宏の企みを知る者は周りにはいない。
それでも歩みを止めるわけにはいかないのだ。
「さて、次は、羌族か。韓約が巻き込まれたみたいだね。彼にはいつも苦労を掛けるよ。でもまあ、彼ならうまくやってくれる。というより」
もはやうまくやってくれるのを祈るしかない、と呟きながら、劉宏は夕暮れに染まる空を、部屋の窓から仰ぎ見た。
「では、婚儀の日取りが決まりましたら教えてください」
蓋勲が皇甫嵩に向かって頭を下げながらそう言う。
蓋勲は旅装だ。蓋勲だけではない。趙謙、陶融、郭典が旅支度を整えていた。
彼らはこれから一度任地に戻らなければならない。
趙謙、陶融は豫州汝南郡の平輿県に、郭典は冀州鉅鹿郡の廮陶県にそれぞれ戻らなければならない。
郭典は一軍を率いて鉅鹿郡に戻り、皇帝より下された恩赦を臣民に伝えなければならない。まだまだ人心地はつけそうになかった。
それが終わったら郭典は官を辞して洛陽に戻り、皇甫嵩との婚姻の日取りを決める予定だ。郭典が皇甫嵩と夫婦になるのは、まだまだ先のようだった。
蓋勲はもともと洛陽に所用があって立ち寄っていたにすぎない。その際に緊急徴兵が行われ、それで兵卒として皇甫嵩の軍に参加したのだ。
もともとは涼州漢陽郡の長史(辺境における郡丞(太守の補佐)の別名)なのだ。
国の一大事ということで特例を許され、国防軍の一端を担ったにすぎない。
その任が解かれた今、蓋勲は本来の職務に戻らなければならなかった。
「ああ。ありがとう。連絡するよ」
皇甫嵩も笑顔でそう返した。
蓋勲はもう一度、頭を下げ、歩き出した。
「甥御よ。これでお前は晴れて将軍だ。今までのようにのらりくらりとやり過ごすことはできんぞ。嫁を取るのならなおさらだ」
趙謙の言葉に皇甫嵩は肩を竦める。
「まあ、嫁も取りますしね。やるだけはやりますよ、彦信殿」
「ふん。せいぜい、間抜けな死に方はしないことだ」
「それじゃ、皇甫殿。またお会いしましょー」
趙謙と陶融も馬に乗って去っていった。
「さて」
「私も諸々後処理したら戻るからね。春くらいかな」
「おう。こっちも家の片付けとかあるしな。せっかく領地貰ったしそっちで暮らすのもありかなぁ」
「槐里だっけ。扶風郡の東端だよね。あっちは詳しくないからなぁ。一度皆で下見に行く?」
「だな。どっちにしても、書規が帰ってきたらだ。紀孔も待ってるってさ」
郭典もその話は聞いていた。というより、昨夜、紀孔から言われた。
『書規さんが帰ってくるまで、私は義真様と関係を進めません。ですから、危険を冒さずに帰ってきてくださいね』
郭典が今回、前線に立って兵を指揮したことを言っているのだろう。
そもそも、郭典と皇甫嵩は似たところがある。
皇甫嵩が目を離すと死んでしまいそうなのと同じように、郭典もそう思われても仕方がない。
その紀孔の心配が、言外に、郭典を身内と認めてくれているように感じて、郭典は誇らしかった。
「義真くんもまだまだお預けだねぇ。かわいそかわいそ」
「あーはいはいかわいそうかわいそう。かわいそうだから早く帰ってきてな。怪我せず、無事に。待ってるからよ」
「うん。いってきます」
「いってらっしゃい」
そうして、郭典も旅立っていった。
曹操一行は久方ぶりに袁紹と顔を合わせていた。
「いやまさか、いないと思ってた子廉が、あの波才だったとはなぁ」
「バカ! しーっ、しーっ!! 内密なんだ! あんま大声で言うな」
場所は飯店だ。大量に注文をして店をほとんど占領する形で騒いでいる。
「で、手柄はあげれたかよ、孟徳」
「いや。とんでもないぞ。皇甫将軍は異次元だし、朱将軍は安定感が抜群だ。部隊長も粒ぞろいだった。宛城の黄巾軍は大勢力だったが、全面戦闘にならなかったのもあって大きな手柄はあげられてないんだよ」
がっくりとうなだれる曹操に、袁紹も顔をしかめた。
「あー。そらそうだよなぁ。でも、相変わらずハチャメチャだったらしいじゃん。漏れ聞く噂とかでは曹孫の二隊が八面六臂だったなんて言われてるぜ」
「孫殿はその噂に恥じない活躍だったさ。けど、俺はそこまで活躍できたかなぁ。最後に韓忠を追い詰めはしたけど、直接討ち取ったわけじゃなく、韓忠が自害しただけだしなぁ」
その自害したのだってお前が追い詰めたからだろうに。
そんな言葉を、袁紹は呑み込む。
彼の幼馴染は、自己評価が著しく低い。
そのことを歯がゆく思いながら、袁紹は幼馴染の無事の帰還を祝って杯を傾けた。
袁術は河南尹府に詰めていた。
半年以上の間、職務を離れてしまっていた。
急ぎの決裁が必要なものはつど送られていたが、それでも職務が万全に回っているとはいいがたい。
帰還してからの袁術は、寝食の暇もなく仕事を続けていた。
「なあなあ、のじゃ姫。いつまで仕事続けてんだよ。子供は寝る時間だぞ」
「あー、そうじゃなそうじゃな。ちけー、こっちの処理は任せるぞ。くんばぁ、戸籍を持ってきてくりゃれ。ゆーげん、草稿を纏めたから確認たのむ」
「はい」「了解よ」「あいよ」
「なんか有能そう………。解釈違いなんだよなあ、有能な『のじゃ』」
「無礼無礼。不敬不敬」
「なあ。おれ、帰っていいか? おれの記憶違いじゃなけりゃ、のじゃ姫が呼んだんだよな。もう三日は待たされてんだけども。帰ろうとするとそのたんびに引き留められるしさ。なんなん? そろそろ家に帰りたいんだけど」
「うむうむ。………………………………。………………………。………………。………。え、ほーせん!? え、あれ!? なんでおるんじゃ!?」
「よっし、帰るな、おれ!」
「あ、待って待って! 思い出した! 思い出したってば! 頼みたい仕事があったんじゃ。すまん! 仕事に集中しすぎた!」
一瞬、呆けたように丁布を見た袁術は、泡を食ったように目を剥いた。
「ただいまひい様。あら。再起動したのね。よかったわぁ。ごめんね奉先くん。うちのひい様、集中しだすと止まらなくって。しかも仕事もものすごい振られるから、ひい様を正気に戻す暇もなくて」
「さすがの妾も今回はちょっと疲れてしもうた。一休みするだけのつもりだったんじゃが、思ったよりも時間が………、三日ぁ!? え、そんなに!? ………よく待っとったな、ほーせん」
「帰るな―」
「待って待って! あの、ほら、宮っておったじゃろ、陳宮」
「あー、いたなあ」
「あの娘、洛陽に帰った途端に離脱して行方知らずじゃ。袖振り合うも他生の縁。うちで面倒を見るつもりなんじゃが、妾はこの通り、忙しい。探してきてもらえんか。報酬は弾む」
「………探し人の仕事な。まあ、それくらいならロハでやってやるよ。おれの見回りのついででいいか?」
「うむ。まあ、どうしても見つからなければそれも巡り合わせじゃろしな。頭の片隅に入れておいてくれ」
「おうわかった。ほんじゃ、おれは帰るから。のじゃもあんま根詰めんなよ」
「誰がのじゃじゃ! またな、ほーせん」
袁術の別れの言葉に、丁布は後ろ手に手を振りながら河南尹府を後にする。
三日間、袁術に付き合って起きていた丁布は眩しそうに空を見上げて帰り路を歩いた。
「さて、一度九江に寄るか。サクを連れて帰らんと。盧江にも寄ろう。周嬢もちゃんと送り届けねば」
孫堅の視線の先にはべったりとくっつくようにして二人で一頭の馬に乗っている孫策と周瑜がいる。
「まったく、あの二人は。暢気なものだな」
「ゆくゆくはお二人は夫婦ですかねぇ」
朱治の軽口に、孫堅はふむ、と頷いた。
それも、いいのかもしれない。
そんな考えを父が抱いていることにまったく気づかない二人は、何か軽口を叩いては笑い合っているようだった。
いつの間にか一向に加わっていた泰という少女が呆れたように何かを言い、鈴蟷螂が皮肉な笑みを浮かべて肩を竦める。
そして周りの兵たちに笑いが伝染した。
数は少ないものの、孫策部隊とも呼べるようなその一団は、和気あいあいとした空気を醸し出している。
その空気に、息子の将器を見た孫堅は、穏やかに笑ったのだった。
「とまあ、そんな感じで、まったく義真には水を開けられたよ」
朱儁が苦笑しながらそう言うと、妻である周綾が不満げに声をあげる。
「シュンさんも城を落としているじゃないですか。それよりも、リョウは父城での話を聞くだけで心臓が止まりそうでした。皇甫さまは酷い方です。シュンさんを戦地に送り出すなんて」
「リョウ。それは違う。俺は自分から志願して戦場に向かった。心配をかけて申し訳なく思うが、俺が将として成長するために必要だった。俺は義真に感謝しているよ」
そうふわりと微笑む朱儁に、周綾は息を詰まらせる。
落ち着きのある笑みだ。
出陣する前の朱儁はどこか張り詰めていた。
周綾には理由がわからなかったが、それが戦から帰ってきた朱儁から消えているのだ。
周綾と婚姻を結んだ時には既に、朱儁は何かに責め立てられるように表情を強張らせながら生活していた。
だから本当に、こんな、憑き物の落ちたような朱儁を見たのは初めてだった。
自信たっぷりに笑う朱儁。
心なしか、その胸も大きく見える。
将として、男として一回り成長した朱儁に、周綾は顔を赤らめた。
(ふ、ふふふ、ふん。皇甫、義真。この素敵なシュウさんに免じて、今回のところは、許してあげますよ。次同じことをしたら、許しませんけども)
こうして皇甫嵩は誰に知られることもなく危地に陥り、誰に知られることもなくその危地を脱したのだった。
董卓軍は既に帰途についていた。
董卓の本来の任地、并州は幾度となく異民族に襲撃を受けている地だ。
そういう微妙な土地を、半年以上主力が抜けてしまっていた。
もちろん、各地の県令も太守もいる。
本来、刺史は軍権をもたず、太守や県令が任地を守る。刺史の仕事はあくまで監督なのだ。
しかし、并州に限って言えばその限りではなかった。
異民族討伐において勇名を馳せた董卓が頂点に君臨しているからこそ、異民族たちは手を出しあぐねていたのだ。単発的な攻勢をかけることしかできなかった。
それも董卓がいないとなると、いつまでもつか。
幸いなことに、国の金で兵を大量に揃えることができた。今年いっぱいは一万五千という破格の兵力を使える。
この大兵力で荒れた并州を鎮圧する。
そうでもしなければ、今回の出兵はまったく割に合わない。
(これっぽっちの兵力が、子龍と恋々(れん)の代わり、か。まったく、ふざけた話だ。下らぬ話だ。ずいぶんと、虚仮にされた話だ)
ぎり、と歯噛みをする董卓を隣で李儒が気遣わしげに見ている。
李儒も董卓と気持ちは同じだった。
今回、董卓の軍は徹底的に見下されていた。
黄巾軍からは大した見返りもなく味方に付けといわれ、漢からは盧植の後任として戦地に急行せよとの命を受けた。
皇甫嵩は董卓軍をうまく利用して戦局を優位に進めていたようだった。
下に見られて。
利用されて。
李儒は董卓のもとに来てまだ一年も経っていない新参だ。
それでも、李儒は董卓軍の一員だった。董卓軍が軽く見られるというのは腹立たしい。許しがたいことだと、そう感じる。
もちろん、許さない。
董卓軍を下に見た愚か者には必ず報いを受けさせる。
ひとまずは。
「連武殿。忠明殿」
華雄と段煨を呼んだ。
「二千ずつを率いて并州に先発してください。状況確認を厳に。『董』の旗を掲げて州境を回るだけでも抑止にはなるでしょう。愚かにも荒らしている賊がいたら蹴散らしてください」
「了解や」「はっ!」
華雄と段煨は返事をするとすぐさま兵をまとめ部隊を編成した。
そして進発する。
その迅速な動きを見て李儒はため息を吐く。
やはり董卓軍は質がいい。
むらっ気が多いのは玉に瑕だが、それでも、この大陸の中において戦闘に特化した部隊のひとつといっても過言ではない。
決して、見くびられるような部隊ではない。
そのことは、異民族や并州に派遣されている地方高官の方がよほど骨身に染みているだろう。
(まさか、半年空けただけで董軍への恐怖を忘れるような粗忽者ではないと思いますが~)
八つ当たりのように并州に先遣隊を派遣し、ようやく、李儒の気は少し晴れた。
「奥様、怒っとったなぁ」
「まあねえ。今回の戦では私たち、あまりいいところありませんでしたから」
華雄と段煨は遠い目をしながら馬を駆る。
特に今回、董卓軍が活躍できなかった要因のひとつである華雄は重苦しくため息を吐いた。
「いやぁ。仲のいいご夫婦やでほんま。てか、奥様、仲穎さんに雰囲気似てきとらん? 仲ええ夫婦はやっぱ似るもんやなぁ」
「明らかにその原因の一端は連武殿でしょうよ! 出陣前のあれですよ! 五千の兵を選別して殺しちゃったやつですよ!」
「えーー? そんな昔のことで怒っとるん、あれ。奥様も仲穎さんもそんなケツの小さい御仁じゃないやろ」
「いやいや、いいですか? 我が軍に五千の兵力しかなかったから動けませんでした。もし最初の段階で一万の兵力があれば、冀州に入っていたかもしれません。そうであれば、鉄門峡を抜けることはなく、子龍殿を失うことも無かった。広宗での戦いに遅参することもなく、武勲も稼げていたでしょう」
「おいおいおいおい。そんなん、結果論やんけ。そんな無茶苦茶言うことあらへんやろ」
「そうです。結果論です。しかし、結果とはどう転ぶかわかりません。だから何事も慎重にするべきなんですよ」
「いやいや、結果がどう転ぶかわからんなら、やっぱ好きに動いてええやん。もしかしたら、全軍で出撃してたらもっと悲惨な目にあってたかもしれへんで。塞翁が馬っていうやろ」
「いやそれ、考えなしに動けってことじゃないんですってば………」
そう言いながらも華雄は僅かに西に進路を向ける。
州境の城に直接向かうのではなく、直近の城に向かうらしい。
早速の華雄の自由な動きに、段煨はため息を吐きながら近くの兵に声をかける。
「このまま高都県に立ち寄ります。高都の県令と、それから、長子県にいる太守殿に伝令を。『董軍帰参。異常あれば報告されたし。先遣隊はこのまま国境を見て回る。内地で異常があれば本軍に伝えるべし』。これで上党郡にも協力してもらいましょう」
兵は復唱すると、早速馬を疾駆させた。
それを見て華雄は頷く。
「そうそう。それでええんや。俺は確かに高都に寄って情勢を聞こうとしたけど、太守を使って情報収集までさせようとはな。そういう賢い考えは俺にはでてきいひん。俺は思い付きで動く。臧やんや段やんがそれをうまい具合に組み立てる。それがちょうどええと思わんか?」
段煨はがっくりとうなだれる。
「それ私や宣高殿の負担が凄いですよ! それで良しとされると困りますって。勘弁してください」
困ったように懇願する段煨だったが、その言葉とは裏腹にそうやって周りを振り回しながらも大胆に動くことができるのが華雄の長所なんだよな、と疲れたように笑った。
(お嬢様)
大きな戦が終わった。
しかし、少年には達成感はなかった。
だって、失ってしまった。
あまりにも大きなものを。
(お嬢様)
そして失ってしまったことを知った彼女の悲しみを考えると。
とてもではないが喜びの凱旋などできようはずはなかった。
(………せめて、少しでも、お嬢様の気が晴れるように)
祈りと共に道々で集められた花束は、牛輔が晋陽県の県城に辿り着く頃には大きなものとなっていた。
これにてシーズン1本編完結!!
あとはちょこっと付録をつけてあとがき書いたら完結です!!
付録は、史実・演義における黄巾軍の将たちの動きと佐久彦三国志における黄巾将の総括です。
もう少し、お付き合いくださると嬉しいです!
章番号修正(2024年9月28日)。
誤字、ルビ、表記ゆれの修正を行いました(2025年4月17日)。




