百四十八幕 下曲陽決戦~四日目①
十月二十四日。
時刻はまだ闇が支配する時間帯。
戦時中とはいえ、大半の人間が眠りについている最中に、下曲陽城北側を守備する将・厳政は起こされた。
「なん。何事だ!?」
急な覚醒による不快感を押し込みながら厳政は跳ね起きて即座に返事をする。
「それが! 何が何やら! 恐らくは、滹水の増水かと!」
幕舎の外からは、厳政を起こしに来た兵の悲鳴のような返答が返ってきた。
その返答と、それから足元の違和感に厳政は顔を引きつらせる。
床几から下ろした足が、びしゃり、と湿った地についたのが伝わってきたのだ。
幕舎の中には寒さを防ぐため、土の上に筵が敷かれている。その筵が水気を吸っているのだ。
(くそ! この時期は水かさが少ないはずじゃなかったのか!? ええいくそ。自然に文句を言っても仕方ないがよりによってなんて時に!!)
そう心中で叫びながら幕営を出た厳政は予想通りの光景に眩暈がした。
滹水と下曲陽城北側の城壁とは五里(約2㎞)ほどの距離しかない。
厳政は城を出てすぐの場所に野営陣地を作成し、三里ほど進んだ先に陣を展開していた。
日中は千の兵を横陣にして並ばせて対岸を監視し、夜間である今は半数ずつが交代で敵の夜襲に備えている。はずだった。
「報告を」
「はっ。現在、滹水から三里までのところは水没しています。水の勢いが激しいのか、この状態に気づいてから半刻(約一時間)も経っていません」
ことの経緯はこうだ。
夜半に差し掛かったころ、警戒に当たっていた五百の兵は地面が水気を帯びているのに気づいた。
歩く時にびちゃり、と音がするのだ。
「どうも川が増水しているらしい」
しかし、僅かなものだった。兵たちは一時的に日中に布陣している地点まで引いた。
見回りの兵たちは侵食してきている水の際まで行って警戒することを繰り返していたが、四半刻(約三十分)もすると暢気に構えてもいられなくなった。
水が引くどころか、どんどんと浸水の範囲が広がっていた。
下曲陽城と滹水の間にはごく僅かな傾斜があり、ほんの少し城の方が高い。しかし、そんな僅かな高低差などお構いなしに、水の勢いはとどまるところを知らないようだった。
「こりゃまずいぞ。厳政方長を起こしてこい。急げ!」
こうして厳政は真夜中に叩き起こされることとなったのだった。
起こされた厳政は、しかしどうすることもできない。
大自然の力の前に、人は無力だ。
川の水が増水しているのなら土嚢を積むことが必須だ。
しかし、下曲陽城は先だって兵舎群を建設するのに大量の資材を消費している。土嚢もほとんど解体して兵舎の壁へと成り替わっていた。
「とりあえず、伝令だ。政庁に事態をお伝えして来い」
「はっ」
駆け出していく兵を見送りながら、厳政は顔をしかめた。
靴が、濡れてきていた。
「うーらかーたしーごとをえんーやーこーらー」
「歌うな、義勇兵」
「うへえ」
傅燮に怒られた劉備が肩を竦める。
傅燮率いる二千の兵と、劉備率いる三百の兵は滹水に堤防を築いている真っ最中だった。
その作業も半ばまで終わっている。
滹水の中ほどまで、斜めになるように引かれた堤防。その高さは既に片側の岸を超えており、流出口が狭まった水は下曲陽城の方へ逃げるように漏れ出している。
残りの半分も閉じてやれば、貯まりに貯まった川の水は、弧の内側である城側へ溢れ出すのは自明の理だった。
土嚢に木材、石材。
資材は十分にある。
時間もまだまだ、夜の闇が続く。
戦局は決しつつあった。
「………………やられたな」
「――――――」
「まさか、東と南すらも北の目を逸らすためだけだったなんて、ね」
報告を受けた鄧茂、程遠志、張宝はしばし呆然として、ようやくそれだけを絞り出すように呟いた。
いや、ひとり、未だ呟けるほどに回復してはいない。
三人ともが報告を同時に受けた。そして三人は、この事象が自然現象ではないということを悟った。
増水の仕方が局地的すぎるのだ。
報告を受けた三人は同じ部屋にいた。半裸の張宝や程遠志を目にした兵は慌てて回れ右をして、後ろ向きに報告をした。可哀そうに。顔が真っ赤だ。
三人は相も変わらず、抱き合い、抱かれ合って眠っていた。もはや毎晩三人は繋がっている。
細い細い糸のような勝機を手繰り寄せながら何とか危機を脱する。その細く脆い糸が切れてしまえば、それで破滅なのだ。
破滅上等。
自身が破滅するまでの少しの間、愛する人と繋がっていたい。女二人はそう思っている。
そして、男は二人の女が自分を求めていることを知っている。二人の女を抱けば自分の中にある気骨の炎はより大きく燃え上がる。男にとっては渡りに船だ。
それにまあ、さすがの鄧茂にだって愛着は沸く。
愛情、といえるかはわからないものだったが、愛着は沸いているのだ。
この二人は自分のもので。
自分もこの二人のものだと。
そう言える今が、鄧茂にとっては心地よかった。
「とりあえず、こっちもやることやるか」
ため息とともに鄧茂は立ち上がる。
程遠志が呆然とした表情で言葉もなく鄧茂を見上げた。
「おうこら。おめえもとっとと起動しろよ程遠志。濡れたらまずいものの避難に、便所の封鎖、井戸の保護。時間との勝負だぞ」
そう言われて、程遠志はハッとしたような表情になった。
「諦めるのは早えぞ。まだ俺たちにはいくらでも打つ手があるんだからな」
その言葉に程遠志は頷いて駆け出した。
(とはいえ………)
張宝は動き出した鄧茂と程遠志を見送って頭を抱える。
(一度築かれてしまったであろう堤防は崩すのは容易ではない。川の方が低いから多少は水が抜けるかもしれないけど、大半は城に向かうわね。対策としては城の周りに堤を築くこと。ウモーくんの言う通り、まだ、詰んでない。けど、ほぼ詰みだわね)
張宝は歯噛みしながら『次』の段階へと、視点を移し始めていた。
「こんな! くそ、くそお!!」
下曲陽城北側。
厳政が叫んでいた。
異変に気づいてから既に二刻(約四時間)が経っている。
それだけの時間が経ってもまだまだ空が白み始めるには早い。冬の朝が早いとはいっても、まだ遠い。
水は、既に脛に届くほどになっていた。
滹水の調査に近づこうにも、近づくにつれて水深が増すのでまともに身動きが取れない。
兵の決死の動きによって、敵が堤防を築いている場所はわかった。しかし、その堤防の全容を伺い知ることができない。
夜闇の中、明かりを持って近づく兵はいい的だったのだろう。
恐らくは堤防の上に見張りの兵がいる。そこから放たれた矢で犠牲を出しながら、厳政は堤防が完全に滹水を塞いでいるのを知った。
堤防を壊そうにも、そもそも近づくことが難しく、近づけたとしても堤防を壊すことはさらに難しい。
厳政はまだ気づいていないが、傅燮たちが作ったこの堤防。石や木、土嚢を積んで作った簡易的なものだ。現に水は完全に堰き止められてはおらず、下流に向けて僅かに流れている。しかし、複数の資材が複雑に絡み合ってできた壁だからこそ、どこか一点を崩せばそれで済むというものでもない。
厳政が今できることは、堤防に突撃を仕掛け、占拠してから破壊することだ。
しかしそれすらも、この夜闇では難しい。
夜が明ける前に大きな犠牲を払いながら、数で力押しに押して堤防を占拠するか。
それとも朝を待ってから犠牲を払いつつ突撃をかけるか。
どちらの選択も大きな犠牲を払う。
しかし夜の闇の中では予想外の事故も起こりうる。
しかし朝まで待てば水は下曲陽城の中も侵すだろう。
「ぐっ。くそ。くそおおおお!!」
厳政も、指揮下の兵たちも、決断をすることができずに吠えることしかできなかった。
後漢。
この時代、建築に使われる主な資材は土である。
土や土を焼いた煉瓦が使われる。
家屋に使われるのは土を焼いた煉瓦だ。
土台に近い部分は土を固めた版築方式で。
積み上げてからは煉瓦を用いる。陽に干したり焼いた土を積み上げていくのだ。そして最後に貝を焼いた粉を塗る。
このままだと雨に弱い。
だから屋根をつけてその上に干し草を乗せ、更に干し草と土を混ぜた泥を被せる。雨で泥が流れそうになっても干し草が流れるのを保護してくれる。
これは、古来より豪雨の少ないアジア大陸の東部だからこそ発展した建築法だった。
横殴りの雨も少ないので水に対する防御は上から、つまり屋根の部分にしか施されていない。
城壁も同じだ。
水が沁みこまないように土を固めて積み上げた城壁の上は干し草で覆われている。
しかし、川の氾濫などで横から水に晒される。
それがこの時代の建物は極端に弱かった。
城壁のように固められている土は水に晒されてもすぐに崩れるということは流石にない。
しかし、水が沁み込み、壁は脆くなるだろう。
門には隙間が空いており、水は簡単に城内に入り込んでくる。
入り込んだ水は城内を侵食し続ける。
食料備蓄庫は水に晒される。汲み取り穴の中にある糞尿が水に紛れて城内中にばらまかれる。城内にある井戸が汚染され、飲み水に困る。
当然、城の外に広がる畑や牧場は全て壊滅するし、城内にあるあらゆる商店も壊滅的な打撃を受ける。
人の暮らしが、蹂躙される。
川が氾濫するということは、そういうことだ。
そして、国に仕える、賊を討伐し、民を守る将軍である皇甫嵩が選択した『水計』とは、そういう、残虐非道なものだった。
鄧茂はもちろん、水計について懸念はあった。
しかし、疑念もあった。
『そこまでするのか』と。
皇甫嵩は国から派遣された、国を守る将だ。
そんな男が、国の領土に対して、向こう数年は人が住めなくなるような、そんな攻撃をするものなのか。
その疑念があったからこそ、鄧茂は北側を大きく警戒しきれなかったのだ。
では対する皇甫嵩はどうなのか。
そこまで考えずにことに及んだ、というわけではない。当然。
ではどうして皇甫嵩がこんな暴挙に踏み切ったのか。
当然、理由があるのだった。
ふた月前。
皇甫嵩が広宗城に籠る張梁を攻めるよりもさらに前。
卜己を捕らえ、潁川郡や東郡の連絡網や防衛網の構築を行っていた皇甫嵩のもとに皇帝の遣いが来た。
小黄門・王郵。
彼は皇甫嵩に輝かしい戦歴への報酬と、国からの指令を届けに来たのだ。
報酬は列侯への封爵。皇甫嵩は現在、領地を持つ貴族としてその名を国に連ねることとなっている。
そして、指令。
これが、厄介極まるものだった。
まずひとつ。
張角、張梁が籠る広宗城を攻め、黄巾軍の首魁・張角の死体を洛陽に送ること。
これはすでに達成済みだ。
しかし、気の重い仕事だった。
皇甫嵩は黄巾軍と対峙して、その軍が持つ雰囲気から張角の人柄を朧気ながら理解が及んでいた。それは、指揮官としてある種尊敬の念を覚えたくなるような気持ちになった。
どこまでも人を見ている指揮官だ。
将の一人一人を。兵の一人一人を。民の一人一人を。
黄巾の将も後漢の将も。黄巾の兵も後漢の兵も。黄巾についた民も。後漢についた民も。
全てを同等に見て、その上で大きな望みのために決断をして動ける男なのだと。そう感じた。
そんな男の死体を暴き、辱めるために洛陽に送らねばならない。
それは皇甫嵩にとって辛い作業だった。
そして、もう一つの指令。
張宝を補足し、打ち倒し、支持者を処し、京観を築け。
これがまさに、これから行おうとしている皇甫嵩の仕事だった。
この仕事をもってして、今回の乱は終わる。
京観とは。
古代より行われてきた示威行為である。
主にその対象者は国家に敵対する軍が選ばれ、斬首した首を積み上げ、その上に土を被せて塚を作るのだ。
その塚の大きさは高さで五丈(約10m)、直径で十丈(約20m)にも及ぶ京観が十四基作られたという記録もある。この時は斬首約三万人となったそうだ。
国の武威を示すため。
そして死後もその死体を丁重に埋葬されず、見世物のように晒されることで民衆が反乱軍に加わることに恐怖心を抱かせるのが目的とされる。
下曲陽城には十万近い兵が駐屯している。
そして、その城で生活している民が数万。
それらを全て、賊に味方したとして処断せよ。
その首を斬って京観を築け。
そう言われているのだ。
皇甫嵩にされた指示は下曲陽城に生きる賊兵も民も全て命を奪え、ということだった。
それならば、それは城の機能維持にすら配慮を行わなくてもいいということ。
皇甫嵩はそう判断した。
下曲陽城は向こう数年住めなくなるだろう。
しかしどちらにせよ、住民も全て死罪だ。
死臭の充満した地。
そんな曰くつきの地に、いったいどれだけの人が住みたいと思うだろうか。
それならば、せめて有効活用してやろう。
死臭と共に洗い流せるように。
洗い清める。
そう断を下して。
自分を精一杯正当化して。
一年間に及ぶ大反乱の幕を下ろすために、皇甫嵩は水計を選択したのだった。
策は成った!
京観を築くように言われたのは史実ですが、水攻めは佐久彦のオリジナル新解釈です。
立地が面白い城だったので、こんな感じにしてみました。
章番号修正(2024年9月28日)。
誤字、ルビ、表記ゆれの修正を行いました(2025年4月12日)。