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新説三国志演義 シーズン1 黄巾の乱編  作者: 青端佐久彦
第五集
148/181

百三十四幕 広宗城の末



 「あは。あはははは」

 (こう)(そう)(じょう)城壁の上で、(ぼく)()は確かに見た。

 (ちょう)(りょう)の数値が、消えたことを。

 生き物が死ぬと、その存在を表す数値が消滅する。『0』という表記が消えるのだ。

 多くの人混みの中。たくさんの数値が折り重なるようにして見えた。その中でたった一つの数値を見つけるのは不可能に等しい。

 それでも、なぜか、見えた。

 いやに鮮明に。やけに明瞭に。ひとつの数値が、消えたのを見てしまった。

 張梁が死んだ。

 (かん)(ちゅう)が死んだ。

 光が潰え、希望が壊れ、未来が消えた。

 「あははははは。ははは」

 卜己は笑う。静かに。涙を流しながら笑う。

 あれだけ、桓中と共に。そう心に定めていたのに、最期の最期でそばにいることができなかった。

 そんな自分が情けない。

 そして、桓中は、最後まで自分を必要とはしてくれなかった。

 そんな自分が、おかしい。

 呆れたような、乾いた笑いしか出ない。

 周囲を見渡してみても、数値が尽きたように『0』という表記が見えるだけだ。

 『(はく)(げん)様がいないのに生きようとするのか』

 そんな声が頭の中に渦巻いている。

 どうすればいいのかわからないままに、視線を巡らせる。

 城の外に出ている兵たちはどんどん数値が消えていく。

 城壁の上で(かん)軍を跳ね返そうと踏ん張っている兵たちも数値はほぼ『0』だ。

 そんな絶望的な状況の中、卜己は視界の端に未だ高い数値を保っている集団がいるのを捉えた。

 城内だ。

 城壁の内側に、未だ敗亡の道に踏み込んでいない者たちがいる。

 それを卜己が見つけるのと同時。

 「広宗城城内の民に告ぐ!!」

 それは、卜己にも聞き覚えのある声だった。

 最愛の人の仇。

 そして、最期の瞬間だけでもと、愛する人の元へ返してくれた恩人。

 (かん)軍大将。

 (こう)()()(しん)の声だった。



 張梁の死体から首を斬り落とす。

 これで張梁は確実に死んだ。

 以前、異民族と戦っていた時、叔父に聞いたことがある。致命傷を与えたと思った将や兵がごく稀に息を吹き返すことがあるらしい。それで逃げられたり、死んでたはずの兵に近寄って殺された将もいるとか。

 だから確実に命を奪うために首を落とすのだ。

 億が一、兆が一、張梁が生きていて、逃げたとしたら泥沼だ。確実に命を奪っておきたかった。

 (そういえば、南の島国にいるっていう(らく)(みん)は首を落としても死なないのかな)

 そんなたわいのないことを考えながら周囲を見る。

 張梁と共に突撃してきた兵たちも全員が討ち取られた。しかしやはり精鋭だったようだ。こちらにも被害は出ている。

 三十人が死んだ。

 百人が重傷だ。ちらっと確認したが死者はもう少し増えそうだった。

 軽傷と呼べるものが二百人ほど。

 軽傷とは言っても指を何本か失った、片側の耳が無くなった、というようなものだ。平時では十分重症者として扱われる。それでも、戦うことができないというわけではない。だから、まだ、戦わせる。

 非道に過ぎる存在だ。

 早期の決着をつける。そのためには。

 (こう)()(すう)は広宗城に向かって歩みを進めた。

 「広宗城城内の民に告ぐ!!」

 声をあげながら、周囲の兵たちに合図を送った。兵たちは何事かと皇甫嵩を見ている。まだ、言葉に出さずとも理解してもらえるほどにわかりあえてはいない。仕方ない。

 「許されたくば門を開けろ!!」

 ここからでは城内に声は届かない。それでも、周りの兵たちが一斉に皇甫嵩の言葉を唱えてくれれば。民にも伝わる。

 「抵抗を続けるならば、一族郎党皆殺しだ!!」

 ようやく、周りの兵たちが皇甫嵩の意図をくみ取った。

 『広宗城城内の民に告ぐ!!』

 『許されたくば門を開けろ!!』

 『抵抗を続けるならば、一族郎党皆殺しだ!!』

 徐々に、徐々に広がっていったその合唱は、城を包囲している部隊に伝播していき、次いで城壁の上で前線を構築している部隊も声高に唱えながら黄巾軍を押し込み始めた。

 それは、さながら音の驟雨だった。

 音が物理的な重圧を伴って広宗城の城内に降り注ぐ。城壁が震え、城内の建物が揺れた。

 『広宗城城内の民に告ぐ!!』

 『許されたくば門を開けろ!!』

 『抵抗を続けるならば、一族郎党皆殺しだ!!』

 執拗に繰り返される降伏勧告。

 程なくして、城門が開かれた。



 城門が開かれ、(かく)(てん)(ちょう)(ばく)()(しょう)がそれぞれの門から城内に突入した。そのまま(せい)(ちょう)に押し寄せる。

 広宗城には(こう)(そう)(けん)の最高行政官である(けん)(ちょう)が在籍している。その他、政庁に勤めている役人も多い。

 (けん)(じょう)に勤めている者たちは、県内にある(きょう)(里を複数纏めた地区)や()(村のこと)の管理を行っている長官たちだ。広宗県は人口の少ない小さな県だ。それでも政庁には五十名近い長官たち。そして彼らを支える(ぞっ)(かん)たちが日夜働いている。

 そんな行政官たちが政庁の前に並ばされていた。

 反乱に加担した者たちだ。この後、城の外まで連れていかれ、全員が斬首となる。

 しかし、彼らの視線は強かった。

 自分たちの行いが間違ったものではないと確信している。

 その視線が、郭典には辛かった。

 彼女は女性という身でありながら特例として(たい)(がく)への入学を正式に許された。その許可を出したのが現在の皇帝・(りゅう)(こう)だ。だから彼女は劉宏に対して恩を感じている。

 もちろん、国の闇は多く見てきた。

 劉宏の売官政治に対しても思うところは、ある。

 それでも、太学に入る直前、一度だけ対面したことがあった。

 器が大きく、優しく、そしてどこか悲しい瞳をしていた。

 売官も銅臭政治と揶揄されていることも、何か理由があるのではないかと、そう信じたくなっている。

 けれど、広宗城の政務官たちは絶望したのだ。

 期待できなくなってしまった。

 それを、責めることは、郭典にはできない。

 郭典の心の中にある宝物を、大事にするよう周囲に強要することは、できない。

 それが、郭典には辛かった。



 城壁の上の軍は壊滅した。

 一部、城から逃げ出した兵もいたが、大多数の兵が討ち取られた。

 黄巾軍『(うま)(ちゅう)(ほう)(ちゅう)(ほう)(ちょう)、卜己。

 彼女は再び捕らえられ、皇甫嵩のもとに連れ出された。

 「勝たせてもらったぞ」

 「………………おめでとうございます」

 「やはり黄巾軍は指揮官の少なさが問題だな。質自体は悪くなかった。張梁に関しては残念だった。(ちょう)(かく)のもとで単純な指揮官として戦場に出てきていたらかなり厄介な男だった。あの突撃力。寡兵だったのに俺の所まで届いてきた。両側から削られているのに少しも勢いが弱まらなかった。あの時率いていた兵が倍だったら勝負はわからなかったよ」

 「………それは、伯彦様も喜ばれると思います」

 「うん。会ったら伝えといてくれ。指揮官は命を落としちゃダメなんだとか偉そうに説教してみせたけど、紙一重で俺が命落としてたわ。あの突撃力だけは読み違えてた」

 「………そうですね。会えたら、伝えます」

 「あ。でも今回は俺の勝ちだからな。それは覆らないから。向こうで会ったらあいつに『お前敗者で俺勝者~』って伝えといて。全力で煽ってやって」

 「あなたね………」

 「自分のことを大事に思ってくれる人を忘れて妄執にかられたんだ。それくらい意趣返ししてやってよ」

 「………………」

 卜己は俯く。そして、顔を上げた。その顔には透明な笑顔がきらりと光っている。

 「皇甫将軍」

 「ん」

 「ご武運を」

 「おう。ありがとう」

 その言葉を最後に、卜己は首を落とされた。

 刃が首に届いたその刹那。突然卜己の視界から数字が消えた。

 (ああ、皇甫義真。そんな顔を、していたんだ)

 それは本当に久しぶりに見ることができた、人の顔だった。



 「さて、ここから気の重い作業だ」

 皇甫嵩は暗い表情で気だるげに城内を歩く。目指す先は決まっている。足取りに迷いはない。迷いはないがその歩みは遅い。

 しかし、今回ばかりは皇甫嵩を責める気持ちになれる者はいない。皇甫嵩についてきている将も兵も皆、一様に重たい雰囲気で歩いていた。

 辿り着いた先は墓地だった。

 その墓地の中にあってひと際大きく作られた塚がある。

 黄巾軍総大将。

 (たい)(へい)(どう)教祖。

 (たい)(けん)(りょう)()(ちょう)(かく)

 民衆百万の大反乱を引き起こした巨悪の、墓である。

 皇甫嵩は討伐軍の将軍として、今回の反乱の鎮圧を行わなければならない。

 首謀者である張角。彼の死を喧伝し、同時に(らく)(よう)に送らなければならない。

 国家に対して反逆を行ったのだ。

 死後安らかに眠ることなど許されず、死体に対してであろうとも刑罰を行い、辱めを与えなければならない。

 それを行うことで、国家に対する反逆を抑制することができる。

 死後、安らかに眠ることを大切にするこの国において、死体を傷つけたり尊厳を奪うような行為を行うことは最大限の禁忌だった。

 その禁忌を行われかねない恐怖。

 それを民に与え、反乱を画策することの恐ろしさを植え付ける。

 それが、(しょう)(こう)(もん)(おう)(ゆう)から手渡された指示書に書かれている内容の一つ目だった。ちなみに、二つ目はもっとえげつない。

 将兵で協力して張角の棺を掘り出す。棺の封をはずし、蓋を開けるとかび臭い死臭があたりに漂った。

 (――――――会えたな、張角)

 頬がこけ、髪は白く、体は痩せている。背は高いようだ。

 処理をしっかりしたのか腐敗している様子もない。

 眠っているような穏やかな表情で、張角はその亡骸を棺の中に横たえていた。

 兵に命じて、棺から張角を引きずり出す。三人の兵が張角の両腕と胴を持つ。

 皇甫嵩はしばし目を瞑り、張角に黙祷を捧げ、その首を斬った。兵に持たせていた首桶にその首を入れる。

 首桶には塩が敷き詰められており、その上に首を置くと、蓋を閉めた。この後、城内で張角が死んでいたことを大々的に公表して、張角の首を洛陽に送る準備をすることになる。

 首桶の隙間に塩を詰めた状態で洛陽に送るのだ。

 あとの処理は、洛陽の官吏たちが決めることだろう。

 皇甫嵩は寂し気に首桶に目をやると、その場を後にした。

割と真面目に落城処理。

卜己は首が切られたその瞬間、最期に異能の力が途切れて、一瞬だけ、皇甫嵩の顔が見えました。

それが彼女の救いです。


章番号修正(2024年9月28日)。

誤字、ルビ、表記ゆれの修正を行いました(2025年3月20日)。

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