十三幕 椿花椿郎
長い中華の歴史の中で行われた処刑法は数え上げればキリがない。その中には一瞬で死に至るものもあれば、少しずつ、時間をかけて死に至らしめるものもある。
中にはあまりの残虐さに、後世においては廃止されたものもあった。
車裂きはそんな廃止された処刑法である。
五馬分屍ともいわれる刑法で、残酷な刑法の一つとして、よく例に挙がるものでもある。八つ裂きの刑に分類されることもある刑法だ。
方法としては、四肢にそれぞれ縄をかけ、その縄を四台の馬車に繋ぐ。馬車はそれぞれが別の方向に走り出し、受刑者の最後は両手両足と胴体に五分される。
通常はその段階で痛みによるショックのために死に至るが、そこで死ななければ失血死するまで胴のみで生きることとなってしまう。
人としての形を留めさせずに死に至らしめる、人としての尊厳すらも奪う。
そんな、刑だ。
捕らえられていた牢に、男が入ってきた。細身ののっぺりとした、目の細い男だった。
馬元義は手枷に繋がれた鎖を引かれて外に出た。その男以外は誰もいない。
(………人が多くなる前に逃げなくちゃ)
馬元義の体からは殺気が全く感じられない。その薄い気配のまま、鎖を引く男の側頭部を爪先で抉った。
抉ろうとした。
「………なっ!?」
「これでも一応、牢番でな。囚人に万が一にも逃げられんように、相応の腕はある」
馬元義の足刀は、男の右腕によって防がれていた。そのまま、右手で馬元義の足を掴む。左拳を、馬元義の体に当てた。馬元義は慌てて地を蹴り宙に体を持ち上げる。
発勁。重心移動による、重さの移動から生じる力の伝達。それがもの凄い衝撃となるのは、地に足が着いているからだ。
地に足が着いていると、自然と体に力が入り、その場に留まろうと体が固まる。その結果、衝撃を全て吸い込んでしまい、大きなダメージを負ってしまう。
対策は簡単だ。
体を地面に縫いつけないようにすればいい。結果として、後方に弾き飛ばされることとなるが、それすらも離脱に利用できる。
しかし。
「まったくよぅ。あんたらみたいなのは、きっと、後の世にも語り伝えられるんだろうな。犯罪者だろうがなんだろうがよ」
牢番は拳を馬元義の体に当てたまま動かない。
その事実に、馬元義の顔がひきつった。
牢番は馬元義の足を掴んだまま待ち、馬元義が着地するとともに、重心を移動して、その結果生じる衝撃を余すところなく、馬元義に叩き込んだ。
空中で攻撃に備えていた馬元義は、ろくな反撃もできずに吹き飛ばされる。
「おまえらみたいな奴の視界の端にいる俺らが、ちゃんと仕事をするから、おまえらが活躍できるんだぞ~。モブがみんな、やられ役だと思うなよ~」
一撃で馬元義の意識を刈り取った無名の牢番は、世の不条理にため息を吐きながら、馬元義を背負って処刑場に向かった。
左手首、次いで右足、左足。
縄を縛られていく中、唐周は脱出の機会を探っていた。
というより、探っていないと、心がもちそうになかった。
死ぬ。
それに関しては覚悟はしていた。しかし、ただ死ぬわけではない。
処刑だ。
苦痛を与えられながら、人としての尊厳を踏みにじられて、殺されるのだ。
生きながらに両手両足を引っこ抜かれるなんて、そんなこと、想像したこともなかった。
助かる。
そう信じていないと、今すぐにでも心が死にそうだった。
(………ゲンギ様)
馬元義は気を失った状態で連れてこられた。少しでもいい。話したかった。目を、見たかった。
(それも叶いそうにないですね)
怖い。怖い怖い怖い。
そうして負けそうになる自分を、まるで他人ごとのように評することで心を取り戻した。
(………もしかして)
心を失ってしまった方が楽なのかもしれない。
けれど。
どうしても、最後に最愛の人の顔を見たかった。それは、心が死んでいる状態では叶わない。
(ゲンギ様。起きて下さい)
祈るように、縋るように、そう願う。
しかしその願いは。
「鞭を打てい」
そう号令を発した蹇碵によって打ち崩された。
「あ、あ」
馬車が動き出し、縄が張る。同時に、茣蓙の上に寝かされていた体が持ち上がる。大の字に開かれた体が宙に張力で持ち上げられた。
「ああぁぁぁ」
唐周の顎は外れているので、歯を食いしばることもできない。反射的に体に力を入れるが、その力もうまく入らない。
「あああ、あぁぁぁっ!」
ピリッとした痛みが最初に腕の付け根をおそった。
それも束の間で、激しい激痛が走る。
「ぁぁぁぁ゛ぁ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛っっっっ!!」
鳥の鳴き声のような声が漏れる。
最早、唐周に理性は残っていない。思考が、激痛の奔流に覆われ、何も考えられない。
ずゅろる、と音が、唐周には聞こえた気がした。しかし、それがなんなのかはわからない。
もう、唐周の意識はなかった。
体だけが、意志も持たずに痙攣を起こし、口からは血の泡を吹いている。
体は生体反応を示してはいたが、黄巾賊『子』中方第一小方長、唐周は、その切望を叶えられることなく、その生涯を終えた。
「――――――」
その様を、馬元義は見ていた。
意識を取り戻し、唐周の名前を叫び続けた。しかし、ついぞ、返事をもらうことはできなかった。
ゴロリと転がった唐周は顔をこちらに向けており、その血の泡にまみれた顔には、苦悶の表情のみが染み付いていた。
「………次の者。刑を行え」
蹇碵の言葉に、馬元義の縄の先にある馬車が走り出す。
ビキリ、と四肢が張った。
「っ!!」
反射的に、体が強ばり、力を入れる。唐周のように弛緩した状態ではない筋肉は、僅かばかりの抵抗を示し、四肢が引きちぎられるのを阻んだ。
その抵抗が、結果として苦しみを持続させる。
「っっっ! あ゛っ!! ぎっ!!」
激痛。
その痛みに、しかし、馬元義は唇を噛み切りながら耐える。
感じるのは、恐怖よりも怒りだ。
こんな痛みを、唐周に与えた。
それに対する怒りが、頭を埋め尽くしていた。
腕に、足に、顔に、血管が浮き出るほどの力が加わる。
馬が嘶いた。
僅かに、馬の方が引きずられたのだ。
「おおおぉぉぉぉぉっっっっ!!」
力が僅かに拮抗する。
しかし。
「ハァっ!」
掛け声と共に、騎手によって、鞭打たれたそれぞれの馬は、再び嘶くと、また、縄を引き始めた。
「がっ! ぐっ! っ!」
まずい、と思った。
体が限界だと、叫んでいる。
「う゛お゛お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っっっっ!!」
ブチブチブチ、と筋肉の断裂する音が聞こえ、次いでミチミチミチ、と皮が裂けるのを感じ、ガコッ、と骨が外れたのを最後に、四肢が裂かれた馬元義の胴が宙を舞った。
「ぶふぅ、ぶふぅっ」
血が混じった呼吸をする。
馬元義にはまだ意識があった。
「がみよっ! ぐぞっだれの神よっ! オレの不幸は何のためだったんだ!? こんな結末を迎えるほどに、オレには運がなかったってのが、ぢぐじょう!!」
そんな怨嗟の言葉を吐く馬元義に、見物に集まった民衆の中から袁術が歩み寄る。
「馬元義よ。確かにお主は不幸であったが、しかし、この結果はお主の不運のためではない。妾が人事を尽くし、策を尽くした。お主の能力が、妾に遠く及ばなかったのじゃ」
その言葉を聞いて、馬元義はふ、と力を抜いた。
(―――あぁ、オレは、最後まで、運に見放されたわけではないのか)
相対した相手の器が、まさしく、規格外だった。
そう悟った馬元義は、人生で初めての、決定的な敗北を感じ、しかし、心が少し軽くなったような気がした。
馬元義の死に顔は、悔しさに歪められながら、しかし、どこか憑き物が落ちたような、そんな顔だった。
『子』中方。
主だった者が死亡したことにより壊滅。
馬元義:出典・史実。
洛陽で中常侍である徐奉・封諝に寝返りを取り付けるが、大陸を揺るがす計画を恐れた部下に密告されて捕まり、車裂きの刑に処された。
唐周:出典・史実。
馬元義の部下として洛陽に潜伏していたが、計画の大きさに恐怖を感じ、皇帝直属の宦官に密告した。それによって、唐周は僅かばかりの金銭と引き換えに馬元義を死なせる。
この事件によって、張角は怒りをあらわにして天下に大号令を発した。
佐久彦馬元義:運のなさは史実における死に様から。
いの一番に脱落するのがギャグ要員というぼが佐久彦三国志のギャグとシリアスのバランス。
佐久彦唐周:行動自体は史実準拠。けれど、密告自体が策略だったというオリジナル解釈。
結果として、史実では生き残っていたはずの唐周は佐久彦三国志では馬元義と一緒に処刑された。
ヒロイン格ですら無残に死ぬというのが佐久彦三国志。
誤字、ルビ、表記ゆれの修正を行いました(2024年9月23日)。




