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新説三国志演義 シーズン1 黄巾の乱編  作者: 青端佐久彦
第一集
10/181

九幕 脱落



 『()(ちゅう)(ほう)の潜入任務は、順調だった。()(うん)の家でタイミングを見計らって、張角と張釣を遭遇させた。

 これによって生じた波紋は、想定していたよりも大きなものだった。

 本来は(ちょう)(きん)が夏惲に疑いを持つように誘導する予定だった。

 高官に位置する者は、負の感情を孕んだ視線には敏感だ。夏惲は次第に張釣を邪魔に思うようになり、始末しようとするだろう。

 そのギリギリのところで助けに入り、張釣も黄巾に参入させようとしていた。

 以前の(ほう)(しょ)らと違い、(じゅう)(じょう)()にも顔が利く実力者だ。そうしてさらに楔の穿ちを深いものにしようとしていた。

 張釣が(りょ)(きょう)(ちょう)(かく)の話をしたのは嬉しい誤算だった。

 呂強から皇帝に上奏があったという情報を掴んだ()(ほう)は、十常侍が皇帝から信を失うことに繋がるとふんだ。

 事実、最近では(がい)(せき)の一派と皇帝が繋がりを強くしているらしい。

 更に、呂強は死んだ。

 これによって、後漢の中枢は崩れきった。

 「―――?」

 そんな中、馬芳はある日の買い物帰りに奇妙な家を見つけた。



 「はぁ? 変な家がある?」

 馬芳の言葉に、(りょう)()は顔をしかめた。

 「んー。なら、ゲンギ様に報告すれば?」

 「それで、作戦の決行が遅れても困るでしょ」

 馬芳はフードの縁を指で摘んで下に下げた。室内でもフードをはずそうとしない馬芳に、梁宇は諦めたようにため息をつく。

 「いっても、下手なもんがその家にいたら、最悪、ウチら全滅じゃん? 作戦の決行を遅らせてでも、不安は排除した方がよくない?」

 次に『子』中方が行おうとしている作戦は、(かん)(がん)排除。張角が平和な世を作るために必須な条件として掲げていたものだ。

 それをこなすのには、万全の準備を持ってあたる必要がある。

 しかし。

 そこに不安材料が生まれたのだ。

 「いや。その作戦を止めるほどの不安では無いと思う。家を見つけてから一週間、遠目から探ってはみたけど、人の出入りは無かったんだ」

 梁宇は首を傾げる。

 なら何が、馬芳には引っかかるのだろうか。

 その疑問は、馬芳の続く言葉によって明らかになった。

 「ただ、誰の家かわからない。人が出入りしてないし、見張りもいない。それなのに、使われてないって訳でもなさそうだ」

 もしかしたら、宦官ご用達の密会の場かもしれない。

 「………確かに、探ったら何か掴めそうだね」

 梁宇も頷いた。



 ―――夜。

 「そんなわけで、(とう)(しゅう)。予定通り、動いてくれ」

 ()(げん)()の言葉に、唐周は頷く。

 「梁宇と馬芳はその奇妙な家を探ってみてくれ。宦官の密会の証拠が掴めれば、楔はより、強くなる」

 (しょう)(ほう)(ちょう)に指示を出す。

 「不運はオレが引き受ける。お前らはただ、いつものように全力を出せばいい」

 馬元義は笑った。

 「武運を祈る」

 笑って、三人を見送った。

 一八四年一月二十日、午後十時。

 寒風吹きすさぶ(らく)(よう)に、闇が蠢き始めた。



 馬芳と梁宇は問題の屋敷が見える通りまで来た。

 「あれだよ」

 馬芳が指差す先を見て、梁宇は頷く。

 馬芳は週を丸々一つ使って、その屋敷を調べていた。連日にならないように細心の注意を払い、無作為に選んだ日を使って、その屋敷を様々な角度から見たのだ。

 時には高所から見下ろし、時には四方を回った。

 その屋敷には、南に面した門があり、それ以外は石塀で囲まれていた。

 しかし、高所から見た感じでは、衛兵はいなかった。それどころか、居住者の姿すら確認できていない。

 「どうするの?」

 「裏側の塀を乗り越える」

 梁宇の疑問に、フードを目深に被った馬芳が答えた。

 二人は頷き合った。



 侵入自体は簡単なものだった。

 塀を乗り越えての進入を、ものの数秒で完遂する。

 庭は整備されていて、しかし、やはり人の姿はなかった。

 屋敷の壁に取り付く。

 壁に耳を当てて中を探るが、やはり物音もしない。

 眉をひそめる馬芳に、梁宇が伺うような視線を送った。

 どうする?

 そんな視線に、馬芳は覚悟を決めた。このまま戻っても仕方がない。

 まずは屋敷の中に入り込まなければならない。

 馬芳は正面に回った。玄関の戸に手をかける。しかし、戸は動かなかった。

 「これ、ダミーだ」

 梁宇も馬芳の視線の先を覗き込む。引き戸なら本来、二枚の板を用いて作られるはずだが、この戸は一枚の板で作られていた。あたかも、二枚の板であるかのように細工されてはいるが。

 諦めて、場所を移動する。

 (さて、どうするか)

 中に入ることができなければ情報収集は始まらない。馬芳が頭を悩ませていると、梁宇が壁に歩み寄った。

 馬芳が嫌な予感を覚えて梁宇を止める前に、

 「―――はっ」

 吐息のような静かなかけ声とともに、梁宇が壁を蹴りあげた。

 その衝撃は、音すらも余さずにダメージとして壁に伝え、楕円形の穴を、静かに壁に開けさせた。

 ジロリと睨みつけてくる馬芳に、

 「音たってないよ?」

 と、涼しい顔でそう言った。

 「………」

 事が起こってしまったのなら、この穴が見つかる前に何らかの情報を持って撤退しなければならない。

 馬芳はため息を飲み込んで、暗く開いた穴の中に足を踏み入れた。



 中に入ると、左右に延びた廊下の真ん中に出た。中は明かりが無く暗い。梁宇が開けた穴だけが、月明かりを取り込んでいた。

 穴あきの壁と反対側の壁には部屋があるはずだが、確認はできない。

 梁宇に身振りで右に向かうように指示を出すと、馬芳は左回りに屋敷の探索を始めた。



 一つ目の角を曲がると、早速部屋に通じる戸があった。手をかけてみるが、抵抗はない。

 馬芳は音を立てないように、その戸を開けた。

 中はやはり暗い。

 目が慣れてきたので、大まかな障害物の影はわかるが、それ以上のことはわからなかった。

 戸がしっかり閉まっているのを確認して、持ち込んでおいた蝋燭に火を灯した。

 この蝋燭は梁宇にも渡してある。また、廊下では使うなと言いつけてもあった。

 身を隠せない暗がりで明かりを点けるのはただの的となる行為だった。

 ざっと周りを見る。

 寸法としては、先ほどの廊下の半分程度。厳密にはそれより少し小さい程度の正方形の部屋だ。

 客間となっているようで、座布団がいくつか、部屋の中央には囲炉裏がある。それだけしかなく、広い空間を無駄に使っていた。

 座布団を触るが、埃がついている形跡はない。叩いてみても、埃は出なかった。

 囲炉裏も、熱はないが、中の炭はまだ新しい。火を入れればすぐに使えそうな状態だ。

 (誰かが使っている、ってことだ)

 馬芳はそう確信しながら部屋を出た。

 問題は、誰が使っているのか、ということだ。



 梁宇も角を曲がってすぐに部屋を見つけた。

 しかし、梁宇はそこには入らない。

 歩みを先に進めた。

 梁宇はここに来て、なにやら人の気配を感じていた。洛陽潜伏組の中では、武力に特化した女だった。

 その、拙いながらも戦士としての勘が、何者かの息づかいを感じ取ったのだ。

 しかし、その感覚が何やらおかしい。

 屋敷の中ではない。かといって、屋敷の外でもない。

 その感覚の出どころは、『下』だった。

 足元に誰かがいる感覚。

 (………床下に潜んでる、かな? でも―――)

 侵入に気付いて隠れたにしては、対応が早すぎる気もする。

 一応の注意をしながら、梁宇は歩みを速めた。

 馬芳は戦闘回避能力は高いが、実際の戦闘においては無力だった。

 そのため、もし戦闘になったら、自分が前に出なければならない。

 (早く、バホと合流しなきゃ)

 その意識が、梁宇の足を早めさせた。

 馬芳と合流してから、戻る途中でこの部屋に入る。そうすれば、何も問題はないはずだった。



 馬芳がまた一つ、角を曲がると、またすぐに部屋があった。

 その部屋をそろりと開けて、中の気配を伺う。人の気配がないのを確認し、隙間へと入り込んだ。

 部屋は狭かった。

 「―――」

 しかし、馬芳は意識を弛めない。素早く、部屋の隅々までを黙視した。

 歩きながら測った寸法から考えると、扉から向かいの壁までの距離が短すぎた。

 蝋燭に火を灯して、壁を間近で観察すると、指が第一関節分、入りそうな窪みがある。

 そこに指を入れて引くと、取っ手が壁から引き出された。

 馬芳は扉を開けたままにすると、開かれた隠し部屋に足を踏み入れる。

 馬芳はギクリとして立ち止まった。

 人がいた。

 椅子に座り、あちらを向いているので誰かはわからない。

 しかし。

 ヤバい、と。

 逃げろ、と。

 頭の中で警鐘が鳴り響く。

 しかしここで引くわけにもいかない。

 怪しげな家の奥に怪しげな隠し部屋があって、中には誰だかわからないが、怪しげな人間がいた、なんて情報だけもって帰っても、笑い話にもならない。

 人間が誰なのか確認しなければ、お話にもならない。

 顔さえ見ることができれば、馬芳には誰だかわかる。

 人影が立ち上がる。

 背は高くない。痩せている。白髪混じりだ。服の色は白。

 ゾクリ、とした。

 その色は、まるで死装束のようだった。

 少しずつ振り返る。

 馬芳はすぐに逃げられるように、重心を後ろに倒した。後ろの扉は開けてある。

 顔を刹那でも見たら、飛びすさる。

 顔がこちらを向いた。

 (呂―――!?)

 ぶつり、と耳の近くで音が聞こえ、衝撃が、馬芳を襲った。



 「かっ、はっ」

 口の中に溜まっていた息が塊となって外に漏れ出す。

 「駄目じゃない。お痛したら」

 低い、女言葉。

 自分の喉元から生えた鉄の塊を視界に収めながら、馬芳の耳はそんな言葉を聞いた。

 背後から喉を貫いた槍が引き抜かれ、鮮血が舞う。馬芳は後ろを振り向きながら倒れた。

 目の前には、槍を持った女が立っている。

 (―――この顔。(ちょう)(くん)()か)

 そして、(ちょう)(くん)の背後には、見知った顔がある。

 (―――伝えなきゃ)

 その一心のみが、馬芳を突き動かす。

 しかし。

 「―――っ、―――かっ」

 馬芳の喉は、血と共に空気を穴から吐き出してしまい、言葉が音として空気を震わすことができない。

 失血性のショックと酸欠により、馬芳の意識も朦朧としてきた。

 (―――せめて)

 伝えなければならない。

 止めなければならない。

 このままでは、馬元義も唐周も死んでしまう。梁宇も死んでしまう。

 それだけは避けなければならない。

 馬芳は薄れる意識の中、残っている感覚を全て振り絞った。

 「何する気?」

 訝しげな張勲を無視して、両手で喉の前後の穴を塞ぐ。

 「りょ、ぎょ、いぎ、でるっ! づだ、えろ!!」

 まともに発音ができない。

 しかし。

 眉根を寄せる張勲の背後で固まっていた梁宇は、それで動いた。

 きびすを返し、走り去る梁宇を見て、馬芳は安心したように脱力する。

 (それでいい。伝えてくれ)

 呂強が生きていた。

 それは、宦官と皇帝の仲が崩れきっていないことを意味する。

 洛陽に潜伏していた諜報班は、まんまと誘き出されたのだ。

 これを、馬元義に伝えられれば、まだ最悪の状況は回避できる。

 (………くそ。僕はここまでか。できることなら、もっと、馬元義さんの、役に―――)

 馬芳の意識は、そのまま途切れた。



 「はっはっはっはっ」

 (バホ。バホバホバホバホ! やだやだやだ)

 梁宇は暗い廊下を走る。

 目指すは穴を開けた壁だ。

 馬芳の遺志を継いで、目にしたことを馬元義に伝えなければならない。

 (今からでも戻れば、バホを助けられるかも―――)

 頭によぎる考えを、必死に打ち消す。

 早く、一刻も早く戻らなければ、大切な人たちが死ぬ。

 大切な人と大切な人たち。

 それを天秤に架けて、前者を捨てたのだ。

 (泣くな。泣くな泣くな泣くな!)

 自分を叱咤して、壁に開いた穴をくぐった。

 瞬間。

 足に衝撃を感じ、梁宇は前に思い切り転ぶ。

 何かに足を引っかけたのだ。

 (こんな時に!)

 慌てて立ち上がり、再度転んだ。

 「なんで!?」

 あまりのことに、思わず叫ぶ。

 もう一度、立ち上がろうとして、足に目を向けた。

 「―――?」

 絶句した。

 何が起きているのか、わからなかった。

 理解したくなかった。

 両の足が、先ほどまであった両足の、すねから先が無くなっていた。

 「え、なんで?」

 馬芳に報いなければならない。

 彼を捨てたのだから。

 結果を出さないとならない。

 それなのに。

「やめて。やめてよ。なんでよ。帰らないと。バホのためなのに。帰らないと。こんなのないよ。酷いよ」

 恨み言を漏らす。

 洩らしながら、這って進んだ。

 後ろから足音がする。

 「バホ。バホ。ごめ。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめ―――」

 (さん)(せん)(とう)が煌めき、梁宇の首を掻き斬った。



 「後味悪いな」

 梁宇の命を奪った三尖刀を振って、血を払うと、()(れい)は呟いた。

 「すまないな、お嬢ちゃん。あんたに恨みはないが、往生してくれ」

 紀霊は梁宇だった物に手を合わせる。

 「まったく。守るべき民の首を掻き切ってでも、国を守らないとならない、か。因果な仕事だねぇ」

 やるせなさそうに言うと、紀霊は中の張勲と合流するために、屋敷の中に入っていった。

馬芳、梁宇、クランクアップ!


誤字、ルビ、表記ゆれの修正を行いました(2024年9月19日)。

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