少年少女
日当たりの悪いアパートの一階の、一番端。
そこがカズマの家だった。
ドアの鍵を開けて中に入ると、こもったような臭いがした。
ランドセルを放り出して、窓を開ける。
そのまま棚をあさり、母が買っておいてくれたグミを一袋取り出す。
母の仕事が遅いせいもあって、夕食は早くても八時、大体は九時を回ることが多かった。
それまでの繋ぎとしては、腹持ちのいいグミは重宝した。
水道の水をコップで一杯飲んでからグミを半分くらい食べ、残りをバッグに放り込む。
昨日の夜から充電しっぱなしのヘリオス・ネオをコードから抜くと、同じようにバッグに詰め、窓を閉める。大した換気にはならなかったが、しないよりはマシだろう。
家の鍵を閉めて自転車に跨ると、カズマは力を入れて漕ぎ始める。
家から遠ざかるこの瞬間が、いつでも最高に気持ちよかった。
自転車を飛ばして公園に着いたカズマは、ベンチにヒロナリとリンの二人の姿があることに気付いて驚く。
あれ三条じゃねえか。いつの間に。
リレーの走者に選ばれたリンは、タカキの予想通り女子のアンカーに抜擢されたので、さっきまで学校のグラウンドでカズマと一緒にリレーの練習をしていたのだ。
練習中、リンは余計なことを話しかけてこなかったので、カズマからも特に何も話さなかった。
タカキが話しかけたときには笑顔で対応していたので、カズマが話しかけても笑顔で返事してくれるだろうとは思ったが、何となく彼女に話しかける気にならなかった。
小学五年生というと、ちょうど男子と女子が話しづらくなる時期ではあったが、カズマのリンに対する感情はそういうものとは少し違った。
なんか、うさんくせえ。
上手く言えないが、そう思っていた。
よそ者に対するその警戒感は、狩猟をしていた原始時代からずっと人間の本能の部分に残っているものなのかもしれなかった。
カズマはリンに、ただの転校生という以上の何かを感じていたのだ。
そういう面では、ヒロナリよりもカズマの方が敏感だった。より、野性の感覚が鋭いと言った方がいいかもしれない。
だが、カズマにはそれを言葉にすることはできなかった。
心の中では様々な感情が渦巻いていたが、それを伝わるような言葉に置き換えるにはカズマの語彙はあまりに乏しかった。
それにしても三条のやつ、俺と一緒にリレーの練習してたのに、何でこんなに早く公園にいるんだ。
見たところ、ベンチに座るリンは、自転車で来たわけでもなさそうだった。
カズマは、リンもヒロナリと同じ塾のバッグを持っていることに気付く。
そうか。あいつら同じ塾に通ってるのか。
それで何となく合点がいった。
塾のバッグを学校に持ってきておいて、この公園に直接来れば、一度家に帰らなければならないカズマよりも早いかもしれない。
カズマの家は、この公園とは学校を挟んで反対側だ。ここまでは自転車でも結構かかる。
納得しかけたものの、リンがランドセルを背負っていないことにも気付いた。
ということは、リンも家に一度帰っているのだ。
それでこの早さ? どういうことだ?
……まあいいか。
彼女の家がどこかは知らないが、学校からこの公園に来る途中にあるのなら、家にランドセルを置いてから来ても俺より早いのかもな。
今ここにリンがいることの不自然さを、カズマはそういう理屈で納得させた。
それはそれとして、リンの存在は邪魔だった。
カズマは自転車を止めて鍵をかけながら、小さく舌打ちする。
ここまで大急ぎで自転車を漕いで来たってのに。
あの女がいたら、ヒロナリとゲームができねえじゃねえか。
別にそこまでの秘密にしようというつもりもなかったが、ヘリオス・ネオをプレイしているところを大学生に笑われたことはまだ苦い記憶として残っている。
学校のやつらに、ヘリオス・ネオを積極的に見せたくはない。
だがやはり、ゲームをしたいという気持ちの方が勝った。
三条ならまあ大丈夫か、とカズマは自分に言い訳した。
友達に囲まれて楽しそうにしていても、自分からはほとんど話しかけることのないリンなら、ヘリオス・ネオのことを周囲に言い触らしたりはしないだろうと思ったのだ。
カズマは背後から二人に歩み寄る。
あーあ、仲良く話してやがら。
リンから話しかけたりはしないだろうから、ヒロナリの方から声をかけたのだろうとカズマは思った。
ヒロナリのやつ、教室ではろくに誰とも喋らないくせに、外だと女とも平気で喋るのかよ。
「おい、ヒロナリ」
声をかけると、ヒロナリが慌てた様子で振り向いた。
「あ、カズマ君」
困ったような顔をしていた。
女と一緒にベンチに座っていたところなんか見られて気まずいのだろう、とカズマは解釈した。
俺がタカキだったら喜んで明日にはクラス中に広めるだろうけど、とカズマは考える。
俺は今、「暗黒竜の秘宝」にしか興味ねえよ。
「来たぜ。まだ塾まで時間が少しあるだろ。やろうぜ、暗黒――」
カズマは口にしかけた言葉を呑み込んだ。
笑顔で振り返ったリンが手に持っている、赤と黄色のゲーム機。
ヘリオス・ネオ。
ヒロナリのものかと思ったが、ヒロナリはヒロナリで自分の本体を持っている。
「お前、それ」
カズマはその興奮に、リンから感じていたうさんくささを忘れた。
思わず声が弾む。
「六宮くんから聞いたよ、七瀬君もこれやってるんでしょ」
リンのヘリオス・ネオの画面には見慣れたタイトル画面が映っていた。
「うおお」
思わず興奮の声が漏れた。
「三条、お前も暗黒竜の秘宝やってんのか」
「うん」
リンは笑顔で頷く。
「ね。まだ時間あるし、三人で通信プレイしようよ」
「三人で?」
カズマはますます興奮した。
「できんの?」
「多分。やったことないけど」
リンはベンチから腰を浮かせて、自分とヒロナリの間に隙間を空ける。
「ほら、七瀬君もここに座りなよ。早く早く」