三人目
翌日の学校での休み時間。
いつものように一人、自分の席で本を読んでいたヒロナリの手元が急に暗くなった。
顔を上げると、カズマが笑っていた。
「よう」
「やあ」
そう返事をしながら、カズマが教室に残っていることにヒロナリは少し驚く。
授業中ずっと窮屈そうにそわそわしているカズマが、休み時間になるとたとえそれがどれだけ短くても何かから解き放たれたように校庭に飛び出していくことを、ヒロナリも知っていたからだ。
まるで散歩に行きたくて仕方ない子犬みたいだな、などと、犬を飼ったこともないのに思っていた。
ほかに誰も外に出てくる子がいなくても、カズマは校庭を真っ直ぐに駆け抜けて鉄棒に飛びつき、ぐるんぐるんと気持ちよさそうに回って、チャイムの音とともにまた駆け戻ってくるのだ。
「外に行かないの」
それに答えず、カズマはⅤサインを作ってみせる。
「俺、昨日結構進んだぜ。お前は?」
「僕は、昨日はあんまり」
「なんだよ、がんばれよ。次の秘宝のダンジョンには一緒にもぐるんだからよ」
「うん……」
二人が話しているのは、「暗黒竜の秘宝」の進捗状況についてだ。
協力プレイの面白さに目覚めたカズマは、その日からさっそくゲームを進めていた。
だがヒロナリは、協力プレイの面白さを知ってしまったがゆえに、ハマったらとんでもないことになるかもしれないという恐れのようなものを抱いていた。
際限なくゲームを続けてしまい、いずれ親に見付かって取り上げられてしまうのではないかと、それが怖かった。
だからむしろ、ヘリオス・ネオを自分から遠ざけようとしていた。
しかしカズマはヒロナリの葛藤など知る由もない。
「今日、お前塾だろ」
「うん」
「じゃあ、終わったらあの公園でまたやろうぜ」
「いや、でも」
ヒロナリはためらった。
「遅くなると親に怒られるから」
「この前、怒られたのか」
「うん、まあ」
頷いたが、それは嘘だった。ヒロナリの母は、塾の自習室でつい勉強しすぎた、と言うと簡単にそれを信じた。
だが、あまりこのゲーム自体にも深入りしない方がいい、とヒロナリの勘のようなものが告げていた。
ゲームにハマる怖さももちろんあるが、突然おかしな世界に飛ばされたことも含めて、あのゲームはどこか普通じゃない。
「それなら放課後すぐにあの公園に行くか」
カズマは深いことを何も考えていない様子だった。
「そうすれば、塾が始まるまでの時間、やれるじゃん」
「それならいいけど……」
受け入れたふりをして、ヒロナリは断る口実を思いついていた。
「でも、カズマ君今日の放課後、リレーの練習があるんじゃないの」
今週末に迫った運動会のために、リレー選手に選抜された子たちは放課後、バトンの受け渡し練習をすることになっていた。
選手にはカズマやタカキ、小峰レイナなど、クラスで足の速い子たちが選ばれていたが、その中には転校生の三条リンも含まれていた。
「ああ、リレー練習な」
面倒そうにカズマは頭を掻く。
「あんなもん、やらなくてもいいのに」
「カズマ君、アンカーだろ。すごいよね」
「え?」
「僕は、足が遅いから。羨ましいよ」
本当は別に羨ましくなどなかったが、そう言っておけばカズマもいい気分でリレー練習をがんばるだろうとヒロナリは思った。
読みかけの本に目を落としたヒロナリを、カズマは不思議そうに見た。
「まあいいや」
カズマの切り替えは速かった。
「ヒロナリはどうせ、あの公園で塾までの時間潰すんだろ」
「あ、うん」
「練習がどれくらいかかるのか知らねえけど、お前の塾が始まる前に行けたら行くわ」
「分かった」
ヒロナリは頷いたが、それなら早めに公園を出ようと考えていた。ちょうどそのとき、授業の開始を告げるチャイムが鳴った。
「ああ、次の休み時間は絶対外に出ないとな」
カズマはそう言って、自分の席に戻っていった。
いつもの公園の隅で一人、ヘリオス・ネオを抱えたヒロナリは、やはり「暗黒竜の秘宝」をプレイしていた。
少しだけなら、という気持ちで始めたものの、カズマと一緒に第三の秘宝を入手できたおかげで行ける場所が格段に増えていた。
それでしばらく夢中になって探索していたヒロナリは、次の秘宝が眠るダンジョンの場所を特定したところでふと我に返った。
カズマとの協力プレイを思い出したからだ。
だめだ、だめだ。僕はこれ以上このゲームに深入りしないんだった。
幸い、まだカズマの姿はない。
塾が始まるまでまだもう少し時間があるが、今日は古本屋にでも行って時間を潰そう。
誘惑を断ちきるように電源を切り、ヘリオス・ネオをバッグに入れる。
ベンチから立ち上がると、突然後ろから「ねえ」と声をかけられた。
もうカズマが来てしまったのか、と思ったが、違った。
振り返ると、そこにいたのはヒロナリよりもずいぶん背の高い女子だった。
三条リン。
その肩に、自分のものと同じデザインのバッグが掛けられているのを見て、ヒロナリは状況を理解する。
そういえば、同じ塾に通うって言ってたな。
「六宮くん、塾でしょ?」
リンはにこにこしながら言った。
「ああ、うん」
仕方なくヒロナリが頷くと、リンは、
「でもまだ早いよね」
と言ってベンチの前に回り込んできた。
「いつもここで時間潰してるの?」
「ああ、まあ」
ヒロナリは曖昧に頷く。
公園の時計を見ると、四時半。塾が始まるまであと三十分あるが、そろそろ行かないとカズマが来てしまうかもしれない。
「今日はもう行くけど」
「えー、せっかく会ったんだからそんなこと言わないでよ」
リンはベンチに腰かけて、ヒロナリを見上げる。
「ちょっとお喋りしようよ」
「どうして、僕と」
「だって私、六宮くんに興味あるから」
「は?」
からかわれていると思ったヒロナリは、むっとした顔でリンを睨んだ。
「変なこと言わないでくれないか」
「変なこと?」
リンがきょとんとする。それもまたヒロナリには不快だった。
「僕は人に興味を持たれるような人間じゃないから」
ヒロナリが言うと、リンは首を振った。
「ううん。私は興味あるよ」
「だから」
そういうことを言わないでくれ。顔を歪めてヒロナリはそう言おうとしたが、リンは笑顔のままで続けた。
「六宮くん、ヘリオス・ネオやってるんだね」
「え」
「この前、七瀬君と二人で、ここでゲームやってたでしょ」
見られていたのか。
ヒロナリは舌打ちしたい気分だった。
「あれは別に」
「暗黒竜の秘宝」
リンの言葉に、ヒロナリは絶句した。
リンはあくまで笑顔のままだった。
「私もやってるよ」